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26 愚行と愚行


 クローディアが向かった先は、若木を取り巻く円柱の裏だった。

 入ってきた扉の位置からは見えない方向に回り込んで、身をかがめた。


 ローナは、クローディアがきちんと隠れたのを確認すると、銀細工のチョウに姿を変えて、クローディアの耳元にふわりと舞い降りる。


 ほのかに温かい円柱の側面に身を寄せて、これで本当に大丈夫なのかと迷っていられたのは数分だけで、音もなく扉が開く気配にクローディアは気付いた。


 聞き耳を立てれば、部屋の中に誰かが入ってくる。


 「……暗いな」

 「――…は、はい。――いえ、明かりは…私にはどうにも……」


 ローレンスの声と、ローレンスではない声がした。

 クローディアの心臓が激しく鼓動を打つ。


 「……どこにいる?」

 「――…えーと」


 危険だと分かっていたが、自分の置かれている状況があまりにも心許なくて、クローディアは声のする方を確認せずにはいられなかった。


 円柱から少しだけ顔を出してみれば、開かれた扉の逆光にあてられながら一人の男性が立っている。


 黒い髪をしたその人は魔導士のローブを着ており、クローディアが知っている数少ない記憶が間違えではないのなら、セドリックその人の立ち姿だった。


 彼は、きょろきょろと首を巡らしながら何かを探していた。


 「……誰もいないぞ」

 「――…あ、あの。それが……」


 ローレンスの声はするが、フードの中にいるのか姿は見えない。


 ローナの言っていたとおり、二体の繋がりは切れたままなのだろう、クローディアがどこにいるのか答えられないようだった。


 「なんだ? 何かあったのか?」

 「……いえ。しばらく、ここに……と。その、もう少し……ここに」


 「なに? 何が言いたい?」


 やけに言い淀むローレンスに、セドリックが訝しんでいる。


 「……きっと、奥様を心配して来てくださったのですね」


 耳元で囁いたのはローナの声。


 「旦那様は少々、気難しいところがおありですから、誤解されやすいのですけど……表に出されないだけで、お優しい面もあるのですよ」


 「…………」


 そんなことは、知っていた。


 だから、たとえ興味のない相手でも、具合を悪くしていると聞いたら様子を見に来てくれるくらいあるかもしれない。けれど―――


 「……奥様、ふと思ったのですが、隠れる必要はなかったのかもしれません。いえ、隠れるように言ったのは私ですが……軽い、挨拶ならしてみてはどうでしょう?」


 クローディアは、急いで首を横に振った。


 「――――どうして……どうして、そのように旦那様を避けようとなさるのです? 避けるだけの理由が、何か」


 「誰だ?」


 ぎくり、と身がすくんだ。


 聞こえてきたのは、ローレンスのものでもセドリックのものでもなかったが、クローディアには聞き覚えがあった。


 「ヘインズ……?」


 新たに登場した声は扉の外からで、クローディアの位置からは確認することはできない。


 声に名前を呼ばれたはずのセドリックは、入ってきた扉を振り返り、外にいるらしき人物と対峙している。


 部屋の一帯は、しばらく静寂に包まれていた。


 「……お前もクローディアか? ……まあ、丁度いいや」


 言いながら声の主は部屋の中へ入ってきて、何の断りもなく扉を閉める。


 二十代半ば、魔導士姿の茶髪の男は、クローディアの記憶にある容姿とほとんど変わっていなかった。


 「久しぶりだな、ヘインズ」


 セドリックは、返事をしない。


 「おいおい忘れたのかよ。お前んとこに嫁いだクローディア・クラインの兄貴だよ。ライナス・クライン。まあ、お前とは義兄弟の間柄になるわけだ」


 ライナス・クライン――クローディアの兄は、セドリックに対して妙に馴れ馴れしい態度を取った。


 けれどセドリックは、クローディア同様に彼のことも覚えていないのか、やはり返事をしなかった。


 「……相変わらず礼儀のなってない奴だな。そんなことより、ちょっとそこで妹を見かけてさ……用があったんだけど。単なる橋渡しだから必要なくなった。要するに、用があったのはお前だよ。ヘインズ」


 どういうことかと、クローディア頭を捻りながら二人の成り行きを遠巻きに眺める。


 「お前、最近ちょっと色々やってるらしいじゃん。俺もさ、付き合いってものあってさ。ていうか、お前よりずっと古い付き合いだと思うけど。ほら、分かるだろ……ここには“耳”と“目”があるからさ、はっきりとは言えないんだけど」


 「だったら、一言も喋るな。消えろ」


 セドリックは容赦なく切り捨てた。


 とりつく島もない彼に、兄は一瞬だけ歯がみしたように見えたが、何も言い返さずに黙り込む。


 しかし、部屋から出て行こうとはせず、それどころか、遠くからでも見て取れるほど引き攣った笑みを浮かべてみせた。


 「……なあ、このところ家の方に入り浸ってるんだって? それって本当に老君に言われてのことか? それともさ、クローディアとよりを戻したいのか? そうだよな。さすがに、そろそろ子供とか作っておかないとマズイもんな」


 「――お前、殺されたいのか?」


 「それでさ、もしアイツとの仲が上手くいってないなら、俺が取り持ってやろうか?」


 セドリックの脅かしなど、まるで聞こえなかったように兄は言ってのける。


 突然口走った内容にも驚いたが、兄のただならない様子にもクローディアはどこか不穏なものを感じていた。


 「まあ、聞けよ。俺さアイツがすげー可哀想だったんだよ。お前が王立学院に来てから、アイツには手紙ひとつ書いてやらなかったらしいじゃん」


 「…………」


 「だから、諦めさせてやるのも兄の務めだと思って、教えてやったんだよ。お前にはテレサ・ランヘルっていう恋人がいるって。そしたらさ、さすがにお前の話を聞きに来るの止めたんだけど」


 クローディアは、手が震えそうになったのを、強く握り込むことでどうにか抑えた。


 「でさ、もしそれで仲が気まずくなってんなら、俺から言ってやるよ。だいたいさ、テレサ・ランヘルとお前が付き合ってるっていう噂を流したのも俺だし。だから埋め合わせってことで、アイツとの間に立ってやるよ」


 え、とクローディアは、今しがた聞こえてきた兄の言葉に愕然とする。


 「その代わり構成図を。いや、お前が作った人工精霊を――ぁがっ」


 突然、喉が潰れるような声で呻いた。


 「それ以上喋るな」


 セドリックから低く唸るような声がして、何かが兄の首を絞めていることに気付いた。

 遠くてはっきりとしないが、もがく彼の首に蛇のようなものが巻き付いて見える。


 「……殺さないでくださいね。あとが面倒です」


 ローレンスの忠告には、主人を止める気配が微塵も感じられなかった。


 目の前で行われている暴力行為にクローディアは何もできずにいたが、次の瞬間、目もくらまんばかりの光量に襲われた。


 部屋中の照明が、何の予告もなく一斉に点灯したのである。


 四隅をくまなく照らす光は、暗闇になれた目には強烈で、クローディアはとっさに身を潜めてしまう。


 円柱の裏で小さくなっていれば、げほげほと咳き込む音が聞こえてきた。

 それと同時に、まったく別の声と、杖で床を叩いたような音が割って入ってくる。


 「わたくしは、永久公僕、百聞回廊の警士(リクトル)です」


 男性の声だった。警士(リクトル)だと名乗ったが、明らかに男の声で話しているため、廊下で会った女性型とは別の個体のようだった。


 部屋が明るくなってしまったため、クローディアは円柱の裏からはみ出し過ぎないよう、気を付けながら耳をそばだてた。


 「ヘインズ様、許可のない人工精霊の行使は禁じられております。他者に対する暴行も同様です。どのような経緯で衝突にいたったのか、ご説明ねがえますか」


 「……別に何も。取り立てて釈明するようなことは何もない」


 ですが、と続けようとした警士をセドリックが遮った。


 「お前にはどう見えたか知らないが、早合点するな。疑うならそっちのヤツにも聞いてみるといい。――おい、ライナス・クライン。何か訴えておきたいことはあるか?」


 問われたはずの兄は、もう咳き込んではいないのに、なかなか答えを返さない。


 「……単なる意見の行き違いだよな? わざわざ騒ぎ立てて、職場やら学会やらの手をわずらわせる必要はないよな?」


 「――――……あ、ああ。……何も、なかった。ただの、行き違いだ」

 「ほらな」


 セドリックの口振りは明らかに強要を含んでいて、警士はどうするのかと、すっかり聞き入っていたクローディアには気付くことができなかった。


 自分の後方にはもうひとつ扉があって、何の前触れもなく開かれていたことを。


 「あ、居た」


 背後からの一声に、危うく声を上げそうになる。


 「アンタなぁ、なんだってこんな所にっ――」


 振り返るクローディアの前方にいたのは、十代半ばの魔導士見習い。


 とてもよく見慣れた金色の髪に青い目をしていたが、その目はクローディアに向けられてはいなかった。


 もっと奥まった方向を凝視して、開いた口を塞ぎもせずに固まっていた。


 彼の目に何が映っているのかクローディアには容易く想像できて、だから、彼の頭がいかに混乱しているのかも容易く想像できた。


 「………………………え」


 説明を求めるように、ノエルがクローディアを見向く。


 どう伝わるか分からなかったが、クローディアはとにかく円柱の影に隠れたまま首を横に振り続けた。


 ノエルは再び奥の方を見て、さらにクローディアへと視線を戻す。

 そして、もう一度あちら側へ顔を向けると、おそるおそる口を開いた。


 「――い、いや。あの、知り合いが……ここにいるって、聞いて…………」


 どうにか絞り出されたノエルの弁明は、しかし、誰からも反応が返らない。


 クローディアは気が気ではなかった。

 新たに現れた男性型の警士に、クローディアの存在がいつ発覚するか分からなかった。


 「……えと、すぐに消えますので……少し、お邪魔します」


 誰も何も言わない状況に、あえて踏み込むことにしたらしいノエルが、足早にクローディアへと歩み寄る。


 すぐ手前で片膝をつくなり、限りなく抑えた声で呟いた耳打ちした。


 「時計使え」


 言葉の意図が分からなくて、クローディアはノエルの顔をただ見返す。


 「小さくなれ。抱き上げるから、顔隠せ。俺が連れてく」


 端的な説明に、ようやく理解が追いついたクローディアは急いでポケットの中を探り、箱に収められた有蓋の記憶(アーバー・レコード)を取り出した。


 鎖を首にかけて、時刻盤を操作する。

 繰り下げた分だけ身体は小さくなり、服装も子供用のエプロンドレスへと変化した。


 ノエルが待っていたかのように両腕を広げるので、クローディアは応えるようにしてノエルの首に手を回す。隠せと言われたとおりに彼の肩口へと顔を埋めれば、浮き上がる感覚と共に抱き上げられた。


 「……それじゃあ、失礼しました」


 言いながら歩き出すノエルの振動が、クローディアにも伝わってくる。

 出口までの遠くない道のりが、長く感じられてならなかった。


 顔は隠せても、顔以外のほとんどは隠せていないのだ。


 全身のいたる所に視線を感じるような気がして、どうしても身体が縮こまってならず、ノエルの首を絞めてしまいそうになる。


 それが無用な心配だったと実感できたのは、それからクローディアとノエルが呼び止められることなく部屋を脱した後だった。







 「――び、ビビった。何だったんだよ、あの状況」


 ノエルはクローディアを抱えたまま、息を吐き出すように零した。


 「……てか、これで良かったんだよな?」


 少し不安そうに言うので、クローディアは彼の肩の上で頷いた。


 「…うん。ありがとう」

 「…………」


 廊下をもう少し歩いて、百聞回廊の列柱廊へと出た後、ノエルはクローディアを肩から降ろした。膝をつき、降ろした姿勢のまま問いかけてくる。 


 「何で、あんな事になっていたのか、聞いてもいいか?」


 下から青い目が見上げてくるが、クローディアは返答に困ってしまう。


 「……あのあと探したんだぞ。近くに見当たらなくて、しばらく探し回って。無駄に時間くってさ……もっと早く警士(リクトル)に居場所を聞けば良かったよ」


 「…………あの、ごめんなさい。私も、よく分からなくて……」


 どうしてあんな事になったのか、クローディアは事の発端を振り返った。


 確か、近くに居ろとノエルから言われていたのに、遠く離れてしまったのは兄の姿を見かけてしまい、その場から逃げ出したせいだった。


 それからローナに助けてもらい、あの部屋へと身を潜めた。


 けれど、それをノエルに説明するためには、まず兄を見付けて逃げたこと言わねばならず、そうすると兄との間に何があったのか、少なからず悟られてしまうことになる。あの事を話すのは、やはり抵抗感が先に立った。


 なかなか喋り出せないクローディアにノエルは何かを察してか、話を打ち切るように立ち上がった。


 「……いや、急がなくていいよ。考えがまとまったら、その時に話してくれ」

 「…うん」


 「じゃあ、これからどうする? 百聞回廊、まだ見学してくか?」


 すっかり忘れていた。

 それより、いま見てきた出来事が頭の中をぐらぐらと揺れ動いている。


 「――――……ううん。もう帰りたい」

 「……だよな」


 ノエルは、ぽつりと零してから苦笑する。


 それからクローディアたちは、マキオン老師の教授室へといったん戻り、助手(アシスタント)に辞去の挨拶と構内見学の礼を言付けてから、帰路へとついた。






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