23 遭遇
「……見学?」
教授室の外で待っていたノエルが、驚いたように聞き返した。
マキオン老師との面会を終えたクローディアは、老師から学院の構内を見学を勧められたことをノエルに話したが、彼から返ってきた反応はあまり良いものではなかった。
「――また、悪ふざけを」
何やら小さく呟くのが聞こえた。
どういう事かと、クローディアが続きを待っていれば、ノエルは後ろ頭を掻きながら声を落す。
「……あー、あのさ。言ってなかったんだけど、いま構内でヘインズ――つまり、アンタの旦那が、ちょっと色々やってて……」
「…………」
「ほら、老君からの依頼で精製素子――疑似人格を持った人工精霊の再現を研究してるだろ。ソレの一環らしくて……いま構内にあるいつかのエリアで、“試作品”が設置されてるんだよ。継木工法における新技術って触れ込みで」
言いにくそうにするノエルだが、その手の話題はすでに何度となく聞いてきたクローディアは、彼が何を言わんとしているのか、どことなく察した。
「それで……まあ、知っての通り。セドリック・ヘインズは色々と評判がよろしくない。だから、ここを歩き回るなら、そういう言葉を耳にする可能性が高いと思うけど……それでも構内を見学していくか?」
漠然とした予想が当たり、クローディアは少しだけ考える。
それから、自分の耳元で銀細工のチョウになっている侍女を呼んだ。
「ローナ」
しかし、返事は返ってこない。
「……ローナ?」
「――は、はい。申し訳ありません。どうなされましたか?」
たったいま気付いたのか、彼女の声は慌てていた。
主人の呼びかけを聞き逃すなんて、珍しいこともあるものだと思いながら、クローディアは、構内を見学することについて、ローナの意見を求めた。
今しがたノエルと交わした会話も聞いていなかったローナだが、セドリックに関するくだりで言葉を濁したクローディアの意図を、言わずとも汲んでくれた。
「……奥様、出過ぎたことを申すようですが、噂は噂です。旦那様は、あくまでも“お仕事”に従事されているのだと、ローナは断言いたします。根も葉もない無責任な言葉を奥様の耳に入れるのは、もちろん歓迎いたしませんが、奥様がおいでになる場所ならば、ローナはどこへなりともお供します」
きっぱりと言い切るローナに、クローディアは、気になっていたもうひとつの事も聞いてみる。
「――…ヘインズさんは、いま学院にいますか?」
「……少々お待ちを」
応じたローナは、そう言って黙り込む。
ローレンスに連絡を取っているのだろう。旧リッテンバーグ邸の回路を介して連絡を取っているのか、少し時間がかかっているようだった。
「――はい。旦那様はただいま、学林館の専用室におられます。奥様がお望みならば、ローレンスと連携を取り、不用意な接近を回避することも可能ですが、いかがなさいますか?」
クローディアは、もう一度少しだけ考えてからローナに答えた。
「お願いできますか?」
「…はい。かしこまりました」
そう言う彼女の声色は、わずかに沈んでいた。
「えー…。じゃあ、どうする? どこか行ってみたいところはあるか?」
ノエルが、頃合いを見計らったように口を挟んだ。
しかし、行ってみたいところと言われても、クローディアは王立学院のことをほとんど何も知らない。
どうしようかと頭をひねっていれば、ノエルが提案するように言った。
「…そうだな、ならまずは、百聞回廊なんてどうだ?」
ノエルが勧めた『百聞回廊』は、学院内で最も歴史ある建物のひとつだと言う。
そのため、数々の逸話も抱え、秘密の部屋へと続く扉を獰猛な家犬が守っているのだとか。人を惑わす家猫が二度と出られない迷宮へと誘い込んでくるのだとか。使わなくなった永久公僕たちの恨み言が夜な夜な聞こえてくのだとか。二階へと続く幻の階段を見たのだとか。そんな世にも奇妙なお話が、代々語り継がれているらしい。
ただし、中でも一番の逸話は、着いてからのお楽しみだとして教えてくれなかった。
いったん屋外へと出て遊歩道を歩いていけば、良く晴れた空の下、外側からでは見なかった石造りの建物や、木造りの建物がクローディアの視界に入ってくる。
石造りの学舎は、どこかアパートメントに似ていて、四角くどっしりとした五階建ての建物だが、一方で、木造の建物は、ほとんどが二階建てで、実家にあった書架室を彷彿とさせる造りだった。
建物と建物の合間を縫うようにして、人と人工精霊が議論を交えている光景が、ここでもちらほらと散見される。
クローディアは、何とはなしに彼らを見ていたが、時々こちらを見返してくる講師か助手たちがいた。どうやら髪飾りのふりをしているローナに気付いているらしく、その視線はクローディアの頭部に注がれている。
「……屋敷私僕って、珍しいの?」
ふと口にしていたが、ノエルの耳にもきちんと届いていたようだった。
「まあ、旧家の数自体が限られてるからな。だから普通“家持ち”を誇示するために目に付くようにするもんだけど、髪飾りに扮して隠れているから、ちょっと気になってるんだろ。それに、屋敷私僕って精霊の中でも―――」
何故か、そこで止まってしまう。
「中でも?」
クローディアは先を促すが、ノエルは横目でローナを見た。
「私どものことは、お気になさらず。どうぞ続けください」
「……じゃあ、お言葉に甘えて。屋敷私僕は、人工精霊の中で最も厄介――特殊なんだよ。永久公僕たちは、不特定対数を相手にした奉仕者だからさ、常に“上”の人間に従うように出来てるけど、でも、屋敷私僕はの目的は“家”を守ることだろ。だから、主人達の秘密は絶対厳守だし、主人以外の命令にも絶対に従わない。王命ですら退けるって話だ」
「…………」
「それで……あの、主人を守るためなら、殺傷行為も辞さないとか聞いたんですけど……本当ですか?」
ローナに向けられた問いに、彼女は、ふふ、と密やかに笑った。
「場合によります。私どもにとって、主人一家の生命より尊いものなどございませんが、主人の不利益になるような行いは原則的に避けるようにしております。ですから、秘密の厳守や、命令の遵守にも限度はありますね」
「…………殺傷そのものは、否定してくれないんですね」
ふふふ、とローナはまた密やかに笑うので、ノエルも引きつった笑いをもらす。
それを見ながら、王立学院へ向かう途中の馬車で、ノエルがやけに畏まっていたのはそのせいだったのかもしれないと、クローディアはぼんやり思った。
構内の軽い説明を交えながら、やがてレンガ造りの建物へと辿り着いた。
他の学舎より高さが低く、長屋のような一階建て。
ここが百聞回廊だとノエルは言う。
補修や修繕をあまり受けていないのか、やけに古めかしい外観で、ところどころ欠けたレンガ造りの門構えをしており、薄くぼやけてはいるものの、流麗な彫刻の入った門柱を抜け堂内へと入れば、目に入ってきたのは、マキオン老師の教授室で見たような部屋全体が鏡板で装われた光景だった。
やはり奇妙な気持ちになりながら、壁面の木の板など見向きもしないノエルに着いていくが、少し行くと、四つ辻に分かれた石造りの列柱廊へと出る。
四方を囲むような列柱廊の中央には、天井が吹き抜けになった方庭があり、よく手入れされた造園を眺めながら、廊下を曲がって鏡板の廊下をさらに進んで行くと、すぐにまた似たような列柱廊へと出た。
「迷子にならないように。似たような場所ばっかになってるから、ここ」
ノエルの忠告通り、鏡板の廊下と列柱廊の反復はさらに二度続くが、五度目の列柱廊で進行方向とは別の廊下に人集りが出来ているのが見えた。
ここに来るまでにも連れ立って歩く人々は見てきたが、そこにある集りは、ほとんどが永久公僕という、少し変わった集まりだった。
壁面にある何かを取り囲み、楽しそうに賑わっている。
「……さっき言った試作品のひとつだよ。また増えたみたいだ」
ノエルは端的に言い、さっさとその場から離れようとした。
それを、クローディアが引き止める。
「――あの。少しだけ、見てみたい」
ノエルの目がわずかに見開かれた。
逡巡のような間を挟んだが、すぐに「わかった」と頷いてくれる。
少し遠巻きにしながら、公僕たちの集まりへと近づくが、ふと違和感に気づいた。
壁面という壁面をあれだけ覆っていた鏡板が無残にはがされて、壁の地肌がむき出しになっているのだ。
代わりに、地肌に浮き立つ、とても大きな額縁が飾られていた。
こちらに気付いたように女性型の助手が振り返る。にこりと微笑み、クローディアたちのために場所を空けてくれた。
そこに居たのは、設置型の人工精霊だった。
見た目は十代前半の少年。彼の背後にある、天井に届くほど大きい額縁とつながった椅子に座って、足をぶらつかせている。
額縁の中には、木象嵌で描かれた駒鳥のレリーフが額装されていた。
「学習機能を持っているらしくて。言葉を教えれば、それを覚えてくれるらしい。だから、助手たちが暇を見付けては嬉々として話しかけてる」
ノエルが解説を入れる合間にも、公僕は人工精霊に向かって話しかけていた。
「いいですか。これは、インクの瓶です。これは、インクの瓶です」
「……コレハ、インクノ、瓶デス」
「はい。よく出来ました」
周りから小さな拍手が起こった。
けれど当の人工精霊は、表情のない顔で虚空を見つめ、ただ足をぶらつかせている。
同じ人工精霊のはずなのに、彼らの隔たりは大きいようだった。
王立学院を本性にしている永久公僕たちは、屋敷私僕と同様に疑似人格を有しているが、そこにもかなりの隔たりはあるという。
家を守るための私僕たちとは違い、学院の公僕たちは人類の築き上げた叡智に最も重きを置くらしい。下手をすれば、人間よりも研究成果や一次資料を優先的に保護するんじゃないかと揶揄されているほどだとノエルは言った。
何より知的好奇心が高いため、セドリック・ヘインズが学習機能を持った人工精霊を作成したと聞いた時は、それはもう著しい興味の示し方をしたらしい。
試作品が設置されてから数日は、魔導士や学者も見物に来ていたが、助手達は今なおこうして暇を見付けては、飽きもせずに毎日話しかけているのだそうだ。
「学習機能って言っても、まだオウム返しばかりみたいだけど……まあ、それだけでも充分すごいよ。木象嵌で接木してみせる技術もだけど、言われたことを記憶して、きちんとした言語化と発声まで出来ているわけだから……」
ノエルは、どこか悔しそうで、どこか羨ましげな顔で少年を見ている。
クローディアも、目の前の光景に視線を戻した。
人工精霊が、人工精霊に言葉を教えている。
とても奇妙に見える光景だが、とはいえ、屋敷私僕たちに言葉を習った自分が思うのもおかしな話かもしれないとクローディアが何とはなしに考えていると、不意に声が聞こてきた。
「――ほら、例のヤツ」
「…ああ」
斜め後ろから、ささやき合う男性の声だったが、すぐ前にいるクローディアには良く聞こえた。それはノエルも同じだったのだろう、こちらを窺うノエルの視線を感じる。
彼の視線に応えて顔を上げれば、すぐにでもこの場から離れることができるだろう。けれど、クローディアは顔を上げることをしなかった。
「……新技術って、例の精製素子か?」
「だろ。建前上は」
まるで、とても精製素子には見えないと言いたげな口振りだった。
「……なんで急に、こんなことやってるんだ」
「パフォーマンスだろ。頼まれごとを放り出して、遊びまわってるから。真面目に研究してますっていうアピール。あ、でも、うわさで聞いたんだけど。最近、貴族や商人のあいだで非認可の人工精霊が出回ってるって話しあっただろ。あれも、ヘインズの仕業だって聞いたぞ」
「さすがにそれはないだろ。学会が許すはずない。……俺はそれより、なんで学院の鏡板をこんなに剥がしていくのか気になる。回路に不具合が出てたらどうするつもりだ」
「どうもしないだろ。学会が許さなくても、老君が許しちゃうんだから」
「だからって……こんな目立つ場所で試さなくてもいいだろうに。それに……」
「……なんだよ」
「いや、だってさ。アイツ本当に何がしたいんだ? 貴族や商人におもねったって、俺たちには何の利益も無いだろ。なのに、どうしてあんなことするのかな、って」
「……なんだよ。擁護するのか?」
「違うって。ヘインズのことは普通に嫌いだし。アイツ、少し頭がいいからって人を見下しすぎだろ……けどさ、頭がいいんだったら、ああもおおっぴらに貴族たちと付き合わなくても、他にやり方があったはずだろ。それに――…それにさ、学院だけじゃなく、公文書館とか円形劇場でも似たことがあったって聞いたんだよ。……権力と金力の次は、鏡板って――」
「やめとけよ」
いきなり荒くなった語調に、クローディアはビクリとしてしまった。
周囲の視線が気になったのか、男たちは再び声を潜める。
「だとしたって、オレたちには関係ない。権力と金力に近づきすぎない。それが魔導士の掟だろ。……そういうのは二縁貴族とか正導学会に任せておけばいいんだよ。わざわざ自分の首、締めに行くようなことするんなって」
「…………まあ、そうなんだけど」
男は答えたが、どこか歯切れが悪い雰囲気があった。
もう一人のも男もそれを感じ取ったのか、話題を切り替えるように続けた。
「ヘインズって言えばさ、テレサ・ランヘルのことだけど」
「…ああ、付き合ってるっていう」
そこから先を、クローディアが聞き取ることは出来なかった。
ノエルに腕を掴まれ、強引にその場から連れ出されていた。
腕を引きながら足早に廊下を突き進むノエルは、ずっと無言だった。
クローディアも、何を言えばいいのか分からなくて、連れられるまま歩いて行く。
鏡板の廊下を抜けて、石造りの鉄柱廊を抜けて、もう一度鏡板の廊下を抜けたとき、ようやく列柱廊の中ほどで止まる。
「そうだ。百聞回廊にまつわる逸話。まだ一番のやつを言ってなかったな」
唐突な話題に何も答えないでいると、彼は勝手に続けた。
「この百聞回廊にある列柱廊のひとつに、尋ね石っていう折れた石柱ってのがあって、それに触ると現れる永久公僕がいて」
「あ。ノエル君、丁度よかった」
ノエルを呼び止めたのは、タイにベスト着た学者らしき中年の男性だった。
横手から現れた彼は、ノエルの隣りにいたクローディアへ目を留める。
「あれ、取り込み中だったかな?」
「いえ、ちょっと。マキオン老師に、彼女の案内を頼まれていて」
「そっか。……あー、でも、できれば今すぐ見てもらいたいんだけど。導体の修繕だけだし、そんなに時間はかからないから」
「……でも」
ノエルの困った顔が、クローディアを振り返る。
「……大丈夫。わたし、うろつくから。庭とか」
「…ごめん。でも、あまり離れたとこ行くなよ」
こくりと頷くと、クローディアはノエルたちから離れた。
少し気持ちを落ち着けるためにも、一人になるのは都合が良かった。
四方を囲むように建つ列柱廊の方庭に出て、水が張られた涼しげなため池を眺める。
側に人がいないことを確認したからだろう、耳元から声が聞こえてきた。
「……奥様、どうか……どうか、ローナの言葉を信じてください」
「…………」
クローディアは、彼女の呼びかけに応えられなかった。
心の中ですら持て余しているバラバラな感情を、ひとつひとつ言葉に纏めて言い表すなど、クローディアにはとても無理だった。
ローナも、しつこく言い聞かせることはせず、それきり静かになる。
ため池にうっすら映る人影を見下ろして、遠くから聞こえる誰かと誰かの声に耳を傾けていたが、その時、方庭の向こう側から魔導士たちの集団が歩いてくるのが見えた。
どこかへ行く途中なのか、次々にクローディアの前を横切っていく。
しかし、その中の一人を認識した瞬間、クローディアは弾かれるように駆け出していた。
「――奥様? 奥様?」
突然走り出したクローディアの耳に、ローナのうろたえた声が届く。
ローナは、あの人の顔を知らないのだろう。
だとしたら、きちんと説明しなければならない。
「――お、……お」
「何です? どうなさったのです?」
きちんと説明しないといけないのに、動揺と混乱で上手く言葉にすることが出来ない。
あの人と、きっと目が合った。
それがクローディアの足を止めてくれず、ただ闇雲に走り続けてしまう。
気遣うローナの声を、何度も聞きながら廊下を急ぎ、ようやくそれを口に出来たのは、どこかの物陰に隠れたあとだった。
「――お、お兄さんがいた」




