22 王立学院
クローディアは、走る馬車の中で石畳のでこぼことした起伏を感じていた。
窓の外を見れば、見慣れない景色が次々と流れていく。
街中でよく見かけた路面馬車のレールや、四、五階建ての集合住宅の姿はなく、等間隔で設置される街灯と、建設途中や解体途中の建物ばかりが続く閑散とした風景。
馬車が向かう先は、王立学院だった。
ノエルから十人委員会の一人に会ってみることを提案された後、クローディアは、自分なりに考えをまとめてから彼の提案を呑むことにした。
ただ、王立学院に行こうにも、家人に何の断りもなく向かうわけにはいかず、それ以前にクローディアの居場所は、どこにいても常に感知されているはずだった。
下手な行動をして見咎められる前に、ちゃんと許可を取っておこうと、侍女のローナに頼んでローレンスを呼んでもらった。
ひととおり語り終えれば、彼はひどく驚いていた。
どうして学院へ行くことになったのか、詳しい経緯を尋ねられたため、クローディアは少しためらったが、正直に、実家から持参した魔法装置の有蓋の記憶を買い取ってくれる宛てが出来たため、学院のある人を訪ねたいのだと答えた。
ローレンスは、しばらく黙り込んでいた。
何かを考えている様子だったが、間もなくして、主人であるセドリックにも事の次第を報告しても良いかと口にしたので、クローディアはかまわないと頷いた。
そして、王立学院を訪問する許可は、その日の夜には出してもらえた。
ただし、条件として、侍女のローナを伴うことをお願いされる。
何でも、学院内に張り巡らされている魔力回路は、非常に入り組んでいて『旧リッテンバーグ邸女主人の指輪』だけでは、所在地を見失ってしまう可能性があるらしい。
もちろんクローディアのプライベートを侵害するつもりはないが、仮にも女主人であるクローディアの居場所が分からないというのは、屋敷私僕たちにとって、かなり神経を磨り減らされる状態なのだと切々と訴えられたため、クローディアはそれならば仕方ないとローレンスの条件を受け入れた。
その後、改めてノエルと孤児院で会い、十人委員会の一人ロイド・マキオンという老師に橋渡ししてもらうことになる。
王立学院へ向かう日程は、マキオン老師の都合に合わせて組まれるため、正式な日時が決まったのは、ローレンスから許可をもらった日からおよそ一ヶ月経った後だった。
一ヶ月経った今日、女主人とお出かけできることになったローナは、浮かれるほど上機嫌にしていた。事実、ひらひらと宙に浮いていた。
彼女は今、銀細工で出来た『チョウ』の姿をしているのである。
ローナが言うには、学院内で屋敷私僕を連れていいのは、『家持ち』の男主人と女主人だけらしい。
今回、セドリック・ヘインズの妻であることは伏せておくため、侍女の姿では差し障りがあるからと、いつもの人型からチョウに姿を変え、クローディアの髪飾りとして振る舞うことになっている。これなら、クローディアの耳元にあたる位置にとまれば、小声でも充分会話ができた。
ちなみに、女主人の指輪も今は指から外し、鎖を通して首から提げており、これで準備万端だと、意気揚々とローナは今まで見たことがないほど馬車の中で浮き立っていた。
それが一変したのは、待ち合わせの場所でノエルが姿を現した時である。
馬車へと同乗し、クローディアの斜向かいに座ったノエルに、チョウのローナは興味津々で、髪飾りのふりすら忘れて彼の周囲を飛び回った。
「まあ、貴方がノエル・ハイマン様なのですね」
「…え。ご存じなんですか?」
「ええ。お名前はかねがね」
羽をちらちらと鈍く光らせながらローナは答えると、ノエルの手の甲に音もなく着地した。
彼女にノエルのことを話してあっただろうかと、クローディアが自分の記憶を遡っている合間にも、ローナは熱心に語りかけていく。
「ご挨拶が遅れました。わたくし、旧リッテンバーグ邸屋敷私僕のローナと申します。奥様の侍女として、お側近く侍らせていただいております」
「えと、ノエルです。えー、その…何て言うか。屋敷私僕との方と、気軽にお喋りできる機会なんて滅多にないので、その、光栄です」
ノエルは、妙に緊張した面持ちで畏まっていた。
「こちらこそ、光栄ですわ。確か、奥様とは少年時代に孤児院でお会いして、正導学の手解きを受けられたとか。十六歳である今は、魔導士見習いをされているのですね?」
「……ええ、はい」
「ご立派ですわ。“古い魔法使いの家系”出身ではないと、それだけで色々とご苦労も多かったのではありませんか?」
「まあ、それなりに。でも、魔導士は慢性的に不足気味らしいので、家系の子でなくとも重宝されていますよ」
ローナに聞かれるまま、ノエルは答えていく。
少年時代の付き合いがどうして今も続いているのか。クローディアとどのくらいの頻度で合っているのか。孤児院では、どういった話をしているのか。根掘り葉掘り、ノエルが恐縮しているのをいいことに、ローナは彼を質問攻めにしていった。
やがて、どういった経緯で十人委員会の一人と取り次ぎがされたのか、そこまで聞き出した頃には、ノエルはすっかり疲弊していた。
そんな彼に味方してか、一定のリズムを刻んでいた馬車の揺れが止まる。
ずっと手持ちぶさただったクローディアは、窓から外を見た。
そこからは、アイビーの蔦が絡まった高い外壁と、錬鉄製の大門。そして、御者のノーマンと、彼を出迎えた門番が言葉を交わしているのが見えた。
確証はないが、あの門番もまた人工精霊だろう。となると、ここがそうなのかと、クローディアはその外観を仰ぎ見る。
この国、リグナム王国の最高学府であり、魔導と魔導士が誕生した地とされる王立学院。
しかし、高い外壁に阻まれて、学院らしき建物はその先端のひとつかふたつしか見ることができない。
門番から通行の許可が取れたのか、すぐ横手の大門が開き、馬車が再び走り出す。
西門から街路樹に囲まれた馬車道を通り、学院学舎の二号館へと到着するまで、クローディアはじっと目を離さずに窓の外を見ていたが、深緑の豊かな樹木が続くばかりで、門の中に入っても学院の全容すら臨めないまま二号館に着いてしまった。
馬車から降り、ローナから解放されたノエルは、クローディアと髪飾りのふりに戻ったローナを連れて、来訪者用の事務室へと向かう。
事務で手続きを済ませると、ノエルは学院の構内を歩きながら、ここでは何が行われているのか話して聞かせてくれた。
王立学院では、人体学や考古学など、研究分野は多岐にわたるが、中でも正導学は、やはり特別な枠組みに位置しているという。
特に、この国で欠けてはならない旧家や王城、議事堂や中央官庁舎といった、人工精霊を有する歴史的建造物を対象にした建築工学は盛んで、現在は鏡板の継木工法や化粧板構法などの分野が発展いちじるしいらしい。
他にも、魔力回路を埋め込んだ新しい魔法道具や魔法装置の開発。魔法及び臨界現象の研究。破損した導体の修復技法などを総合する、回路工学がある。
最近おもしろかった見習いたちの試みで、人形や全身甲冑に回路を組み込み、人工精霊のように動かそうとしたことや、古書に回路を通して、登場人物たちを人工精霊として出現させ、演劇のよう物語を再現させようという実験があったらしい。
しかし、人形に回路を組み込んでも、動力となるエネルギーの供給経路という難題が残り、古書の方も大きさからいって、せいぜい一体か二体の精霊化が限界とのことだった。
何より、人形や古書にかぎらず、回路工学の実験にはベースとなる古い物が必要不可欠であるため、大切な思い出とともに仕舞われてきた品や、歴史的な価値や学術的な価値が高い物ほど、実験材料としての扱いを忌避する人が多くなるそうだ。
ひどい時は、死者の墓を暴く行為だと罵られたりもするそうで、技術的な面とは関係のない、人の感情がどうしても入り込む根本的な課題もあるらしい。
課題点で言うなら、正導学は魔導士ありきの学問であることも大きな問題だという。
もともと魔導士の絶対数が少なく、研究員は各分野を兼任していたりするうえ、魔導士によって回路を引く技術にムラがあったりするらしい。
どれだけの熱意や着想があったとしても、様々な要因や裏の事情で一朝一夕には行かないのだと、次第に愚痴っぽくなっていくノエルの話を聞きながら、クローディアはきょろきょろと辺りを見渡した。
構内には、それぞれの目的を持って行き交う人々が溢れている。彼らは身に付けている衣服で、自分たちの職階を表しているようだった。
ローブを着た魔導士と、タイとベスト着姿の学者たち。そして、やけに畏まった制服姿の者たちは、おそらく王立学院を本性にしている人工精霊だろう。
講師と助手がいるらしく、魔導士ではなくとも教授クラスの学者ならば、学院の敷地内に限って従わせることが出来るらしい。
王立学院の『永久公僕』には、他にも、図書館や寄宿棟に応じた人工精霊がいるらしいが、それらをノエルが説明している間に、目的地であるマキオン老師の教授室へ辿り着いていた。
応対に出てきた助手に、併設されている応接間へと通されて革のソファとお茶とお茶請けを供されながら老師の到着を待つ。
教授室もそうだが、応接間の内装は、クローディアには少し変わって見えた。
内装の基本は、都市中の建物でもよく見られる木蝋ワックスで磨かれた鏡板の部屋だったが、窓枠を除く四方の壁面すべてが鏡板で覆われていて、木枠の四角や長方形のパネルが連続して並んでおり、ひとつの大きな模様を描いているようだった。
妙に気になって、鏡板の間に挟まれる彫り細工や、天井の格子模様に見入ってしまう。
十分ほど経って、助手から老師の到着を告げられると、クローディアはノエルに促されてソファから立ち上がる。マキオン老師らしき人物が現れたのはすぐだった。
十人委員会のローブを着たその人は、還暦はとうに迎えた年齢だろう。白い髪に白い口ひげを蓄えた、いかにも好々爺としたお爺さんだった。
彼は、クローディアに目を留めるなり相好を崩す。
「これはこれは。可愛らしいお客さんがいらっしゃってくださった」
「…はじめまして。クローディア・ヘインズと申します」
「ええ、存じ上げておりますよ。そちらも存じ上げておると思うが、儂はロイド・マキオン。ここで正導学の専門教授を……まあ、後進の指導などを行っとる者です。しかし、お若い方ですな。十五、六歳といったところですかな?」
「……十八になります」
「そうですか、そうですか。お若いですのう」
言いながら、マキオン老師は満足そうに何度も頷く。
そのまま手振りで着席を勧められて、再びソファに腰掛けると、マキオン老師はクローディアとノエルの向かい側に座った。
「では、さっそく。売却されたいという品を見せていただけますかな、お嬢さん」
「…………」
クローディアがセドリック・ヘインズの妻であることは、ノエルから伝えられてマキオン老師も知っているはずだった。
だから、自分のことは夫人と呼ぶべきなのではと思ったが、クローディアは訂正することなく、持参していた箱を取り出す。
その革製の箱は、それがもともと収められていた箱で、中身が見えるよう蓋を開けてから、老師との間に備えられていたローテーブルへと差し出した。
時刻を表示する文字盤と、天文時計も備えた小さな懐中時計。
「なるほど、なるほど。確かに有蓋の記憶ですな」
「……ご存じですか?」
「ええ、存じ上げておりますよ。以前にも何度か拝見しましたから」
マキオン老師は、どこか懐かしむような口調だった。
「その子は、なかなか移り気な子でして。こうして、時折ひょっこりと現れては、またどこかへ姿をくらまして、様々な“家”を渡り歩いているのですよ」
余談のように教えてくれるが、クローディアはそれに違和感を覚える。
「……あの。でもそれは家宝だと、お父さん――父が、言っていました」
「そうでしょうな。それがコレの小狡いところでしてな。そうやって自らを装い、さも昔なじみのような顔をしては、屋敷私僕すらあざむきよる」
「――って。それ、ちょっとしたホラーじゃないですか」
横やりを入れたノエルの言い様が面白かったのか、老師は声を出して笑った。
「まあ、コレ自体が悪さをするわけではないからの。ただ、ちょっと……お嬢さんは、このレコードが、どういった品物なのかご存じですかな?」
「…はい。たぶん」
「では、どういう魔法現象をもたらすか、この老体に教えてくれますかな?」
クローディアは、思わず尻込みした。
つまり、説明しろということだろう。良く知ったものを説明するだけなのだから、そんなに難しいことではないと分かってはいたが、やはり、どうしても苦手意識があった。
「…あの、前に俺が説明したものでは不充分でしたか?」
「いやいや、充分だったとも。ただ、是非ともお嬢さんの口から、お聞かせ願いたく思ってな」
気を遣ってだろう、ノエルが心配そうにクローディアを見る。
クローディアは、彼に礼を言うように頷くと、老師へと向き合い、説明に必要な語句を一度頭の中で整理してから話し出す。
「……この有蓋の記憶は、その…特定の操作で、過去の姿、未来の姿を想定して、わたしの年齢の増減させます」
「ほうほう」
「でもそれは、体だけの変化で、記憶はそのまま維持されます。そして、えー…各々の年齢に合わせて、相応の衣服やアクセサリーも身に着けます。大きさの調整もします」
「ふむふむ。よく」
「それから――」
え、とマキオン老師は、驚いたように目を見開いた。
「……それから?」
聞き返してくる老師に、けれど、クローディアは意味が分からなくて言葉を詰まらせる。
「まだ、その先があると?」
「…………」
そこでようやく、自分の失敗に気付いた。
有蓋の記憶には本当の使い方があることは、ノエルにもまだ話していなかった。だから、マキオン老師にも伝わっているはずがない。
ノエルを見てみれば、少し戸惑っている顔でクローディアを見返していた。
隠したかったわけではない。ただ、『家系の子』ではないノエルに、それを言っていいものなのか判断ができないでいた。
「――ノエル・ハイマン。少し退席していなさい」
クローディアの心中を察したように、マキオン老師が言った。
名指しされたノエルは、何か言いかけたが押しとどまり、老師の言い付けに従ってソファから立ち上がると、応接間から退席してく。
「そこの屋敷私僕」
マキオン老師は、的確にクローディアの髪飾りを見据えていた。
「主人の内輪事を、口外してはならんぞ。お前の同法に対してもだ」
「……いいえ、そうは参りません。奥様の不利益になるような事であれば、我が家は、その総力をもってこれを排除いたします」
「彼女の不利益になるか否かは、自身の考えで決められるはずであろう。女主人の侍女ならば、その辺の融通は利かせろと言うておる」
「…………かしこまりました。では、そのように」
ローナの返答に老師はひとつ頷き、再びクローディアに向き合った。
「さて。それでは、続きをお願いできますかな」
微笑みながら言うが、目の当たりにした物々しい遣り取りに、クローディアはすっかり気が引けていた。
口を噤みかけたが、何のためにここに来たのかを思い出して、自身に言い聞かせるように頷いた。
どこから説明したものか、頭の中で改めて整理するせいで、語り出すまでが遅くなってしまったが、老師は何の口出しもせずに待ってくれていた。
そうして、クローディアは自分に合ったペースで、ゆっくりと口にする。
実家にあった本だけで正導学を学び、どうにか形になっていった頃、ふと思い至って手元にあった懐中時計の形をした有蓋の記憶を調べはじめたこと。
毎日、何度も何度も回路を開き、複雑に絡み合った導体を少しでも解きほぐしそうとしたが、何年も経っても歯が立たず、それでも諦めずに回路を開いていたら、ある時、目の前の風景が切り替わるように、回路の構造が理解できるようになったこと。
そこからはするすると読み取れるようになり、まるで、有蓋の記憶自身がその使い方を語りかけてくるように、クローディアは回路と、そしてレコードに記録されているものの正体を知ったこと。
有蓋の記憶に記憶されている『名前』の羅列に、最初は戸惑ったがその『名前』と『名前』は繋がっていて、系譜という回路を築いていたこと。
「そうして沢山の家名を遡って、それで……いえ、だから、この有蓋の記憶は、きっと血の記憶を――古い魔法使いの“家系図”を記録しているのだと思います」
クローディアは拙いながらも、どうにか話の末尾を結んだ。
そのつもりだったが、マキオン老師はからは何の反応も返ってこない。
ただ静かにこちらを見据えるものだから、次第に居たたまれなくなっていく。
つい先ほどまで、いとけない少女を愛でる眼差しだったのに、今は何かを探る目つきのようで、もしかしたら怒っているのだろうかと、クローディアは不安になった。
有蓋の記憶が、事実『家系図』だったのなら、それに相応しい家系の家で受け継がれるべきなのはクローディアも分かっていた。だから、それを知っていながら実家に返さなかった事を責めているのかもしれない。
けれど、これから一人で生きていくためにはお金が必要だったし、何より、あの実家にはもう、出来るだけ近づきたくなかった。
なら、どうすれば良かったのか、言い様のない焦りを感じはじめた時、マキオン老師が長いためい息をつく。
「……そこまで、解き明かしたということは、それを本当の意味でご使用になったことがあるのですね?」
クローディアが抱いていた不安とは、全く違う質問が返ってきた。
「…………はい。少しだけ」
「しかし、お嬢さん。貴女はどうしてそれを――。失礼を承知で言わせてもらえば、お嬢さんは確か、この学院での就学はされていないと聞き及んでおります。どうしてまた、そのような何年もかかる調べ物を、独学で成そうと思われたのですかな?」
「…………」
どうして、調べたのか。
クローディアは、すぐ応えられる『答え』を持っていた。何年もかかった調べ物を、それでも成し遂げようとした理由は、とても簡単だった。
――――褒めて、もらいたかったから。
胸の中にぽつんと出てきた、とても簡単な答えは、けれど、胸の中を宙ぶらりんに彷徨って、喉より上に浮上することなく腹の底に沈んでいく。
「……答えられんのなら、それでかまわんよ」
「…………すみません」
沈黙を返答だと受け取ったらしいマキオン老師に、クローディアは謝罪する。
すると、老師はまた黙り込んだ。
ソファに深く腰掛け、白い口ひげを撫でつけながら、長い黙考に入ってしまう。
静かになった応接間で、クローディアも頭を働かせた。
マキオン老師に怒っている気配は無い。無いが、何やらクローディアの与り知らない事で思い悩んでいるようだった。
一瞬、有蓋の記憶の本当の使い方を知ったせいかと思ったが、老師はすでに知っている様子だった。なら、いったい何をそこまで悩んでいるのか、クローディアも考える。
しかし、いくら考えを巡らせたところで、マキオン老師が思い悩んでいることは、クローディアが与り知らない事なのだから結論が出せるはずがなく、そのことに気付くまでに、かなりの時間を要した。
やがて、マキオン老師が再び口を開く。
「重ねてお聞きしたい事があるのだが……今度のそれは、ひどく気分を害されるやもしれぬ。それでもどうか、お許し願いたい」
クローディアは、ためらいつつも頷いた。
「では、失礼して。貴女がセドリック・ヘインズのご細君であることは、当然存じ上げておる。そしてごく最近、貴女が魔力訓練所で資格を取得されてたことも」
「…………」
「そのうえ、人を介してこの懐中時計を売却なさりたいと仰るからには、察するところ、近々ご亭主と離縁なされる予定なのではありませんか?」
クローディアより早く、ローナがピクリと動いた。
家庭の内情を暴こうともする発言だったから、制止を入れるのかと思ったが、ローナは何も言わずに髪飾りのフリを続けた。
「……えと、はい。あと一年――いえ、十ヶ月ほどしたら……」
「――お子さんも、いないはずでしたな?」
クローディアに負い目があるせいなのか、『子供がいない』という部分が、やけに強調して聞こえた。
「……はい」
「……そうですか」
老師は再びため息をつく。納得ようであり、落胆のようでもあった。
「いや、答えにくいこと何度もお聞きして、大変に申し訳ない。外部からこうした代物を買い取るためには、色々と手順が必要でしてな」
それを聞いて、クローディアは胸をなで下ろす。
これまでの遣り取りは、そのためだったのかと、下手な勘ぐりが徒労に終わって安堵していた。
「しかし、お嬢さんのご事情を鑑みると、有蓋の記憶をどう扱うか、内々でもう少し話し合う必要がある。申し訳ないが、一度日を改めていただけますかな?」
「…かまいません、それは。あの、でもいつに?」
「それは、こちらからご連絡いたしますよ。いやはや、本日は実に有意義な時間を過ごさせてもらった。お嬢さんには、お礼を申し上げないと」
マキオン老師は、初対面の時に見せた好々爺とした笑みを浮かべている。
クローディアは、返礼の言葉を述べながらそろそろ退席すべき空気をなんとなく感じて、帰りの身支度に移ろうとした。
「ただ、せっかく来られたのに、これで帰ってしまうのは、少しばかり味気なかろう」
「……?」
「是非に、学院の構内を見学していかれると良い。なに、ノエル・ハイマンを案内役に付けさせるゆえ、道に迷うこともなかろうて」




