18 精霊会議
深夜、主人たちが寝静まったあと、屋敷私僕たちは一堂に会した。
休息や睡眠を必要としない彼らは、いつもなら物音を立てぬよう邸内の清掃をしたり、鏡板、建具、家具のメンテナンスをしたり、家具調度品の手入れ、備品の在庫確認、食品の仕入れや仕込みなどをする屋敷管理に勤めている時間である。
家内業務の裏方として機能する後邸に、形式上備えられている私僕居室へ、人格形成のされた、人型の人工精霊十三体は集合した。
家令、侍女、従僕、家女中、料理番、御者、庭師というやや異色な面子になるが、それぞれが別個の人格を持っており、それぞれ違う考え方が出来るため、時々こうして意見の出し合いや、考えをまとめるための集まりは行われていた。
今回、彼らが一堂に会した理由は、彼らがこれまで保ってきた家内におけるある不文律が、根底から覆される重大事件が発生したためである。
おかげで、直後から家内秩序は乱れ、まだ主人たちのそば仕え中だというのに浮ついては、いつ余計なことを口走るか分からない状態に陥った。
見かねたローレンスが、消灯時間後に皆で集合することをただちに通達し、それによっていったんは落ち着きを取り戻した。
テーブルを囲う顔ぶれを、ローレンスは見渡していく。
男女の性差や設定年齢の格差、髪型や顔立ちはそれぞれまったく違うが、皆が一様に銀色の髪と黒い瞳を持っていた。
一見すると家族のような出で立ちだが、繋がっているのは血ではない。
屋敷中に張り巡らされた魔力回路で動く、旧リッテンバーグ邸の屋敷私僕であり、その筆頭である家令のローレンスは、ゆっくりと口を開いた。
「さて、本日皆に集まってもらったのは他でもない。今日の昼頃に旦那様と交わした“例の件”については、皆も聞いていたと思う」
ほとんどの者が頷き、異を唱える者はいなかった。
「旦那様が仰るには、記憶媒体に封じられていた記憶を取り戻されたそうだ。その内容は、幼少のみぎりに奥様と過ごされた思い出であるらしい」
そこで、侍女のローナが手を挙げる。
「でも、具体的な部分はまだ何も明かされていないわ。旦那様に詳細を求める進言はされないの?」
「……それをお尋ねして、あの方が素直にお話し下さると思うか?」
聞き返されたローナは、微笑んでいた目をさらに細めると「そうね」とだけ返した。
ローレンスは、再び一同を見渡す。
「では、他に意見がなければ本題に戻る。記憶を取り戻した旦那様の様子から察するに、どうやら我らがご夫妻は、かつては浅からぬ仲にあったらしい。しかし、旦那様が当時の記憶を失われたため、お二人は今のような抜き差しならない関係に至ったのが現状だ。そして、そんな現状にありながら、旦那様は我々に何もするなと仰っている」
すると、また手が挙がった。今度は五体いる家女中たちである。
一番手前にいたリリーから、
「離縁可能期限まで、あと一年しかないのですよ。そんな悠長なことを言っていていいのですか」
リリーの次は、マーガレットが。
「そうです。私たちは今まで、ご夫妻がいずれ別離される前提で仕えて参りました。ですが、状況が変わったのでしょう? 千載一遇のチャンスではありませんか」
マーガレットの次は、ローズが。
「少なくとも、旦那様の方にはまだ気持ちはあると読み取れました。ならば、何らかの手段を取るべきだと思います」
ローズの次は、アリッサが。
「旦那様の身動きが取れないのであれば、私たちが動かなければ。もともとそのためにあるですから」
アリッサの次は、ダリアが。
「じっとなどしていられません。私たちの大事な大事なご夫妻の事なのですよ。じっとなどしていられません!」
かしましい事この上ないが、彼女たちの気持ちはローレンスにも痛いほどよく分かる。
「それで、その情熱にあふれた主張には、ちゃんとした具体案はあるのか?」
「「「「「考え中です」」」」」
五体の声が見事に揃った。
「……威勢がいいのは構わないが、旦那様に知られたら、ペナルティーで猫二十匹だぞ」
ぎくりとしたように、五体は身体を強張らせた。
それから互いの顔を見合わせると、ほとんど同時に顔を伏せてしまう。
ローレンスは、ため息をついた。
違う考えを求めてこの場に集っているというのに、五体とも全く同じ意見である。
ただ、男主人と女主人の仲を取り持とうとするのは、屋敷私僕の性なのだから、それは当然の帰結でもあった。
ためしに料理番の二体へと、ローレンスは視線を移してみる。
正しくは、料理番とその助手であるカーラとモリーへと。
「だ、旦那様と奥様が好まれる食べ物や、調理法なら分かりますが……」
申し訳なさそうにそう言うと、二体は身を寄せ合った。
次に、庭師のゴードンを見る。
「……旦那様と奥様のお好きな花や、お体に良い薬用植物なら分かりますが……」
次に、御者の二体ハーマントとノーマン。
「……旦那様や奥様が良く通られる道や、最寄りの店舗などなら分かりますが……」
「…………」
これは、仕方のないことだった。
専門職というのは、だいたいそういうものだった。
となると、残るは二体だが、内の一体は、この屋敷の中では、もっとも多様な家内業務をこなしている従僕のオーウェンである。
オーウェンは、ローレンスの視線に気付くと、後ろ頭を掻きながら答えた。
「あー…、例の血統維持法によるなら、三年間子供ができなかったら離縁可能なんですよね。だったらもう、子供作らせちゃえばいいんじゃないですか?」
軽い口調で放たれた提案に、場はしんっと静まりかえる。
ひと拍おいて、家女中五体がつぎつぎと矢継ぎ早にまくし立てた。
「さ、さいってー!」「これだから男はっ」「私たちのご夫妻を何だと思ってるの!」「信じられないっ」「言って良いことと悪いことがあるでしょ!」
「うるせーよ、女ども。俺は、聞かれたから答えただけだろが」
それでも家女中五体の抗議はなりやまず、オーウェンは一体で彼女たちに応戦してく。
ローレンスは、彼らの論争を静かに見守るローナを一瞥してから、口を挟んだ。
「いや、オーウェンは確かに自分の意見を言っただけだ。この場の主旨からは、何ら外れてはいない」
家女中五体の面食らった顔と、ローナが微笑みがこちらを見返してくるのを感じながら、ローレンスは続けた。
「だが、その手段だけは、旦那様が絶対にお許しにはならないだろう」
はっきり言い切ると、自分の意見を否定されたオーウェンは肩をすくめてみせた。
「なら仕方ないんですけど……でも、あの奥様を逃したら、旦那様は一生独り身なんじゃないですかね。もともとそのつもりだったようですし」
「…………」
忌憚のないさらなる意見に、ローレンスは口を噤む。
一生独り。
主人がそれを望むなら、無論その意に沿うのが自分たちの役目である。
しかし、そうすれば遠からず、ローレンスたちはまた主人を失うことになるのだろう。
家の中に仕えるべき人間が誰もいない。
あの『がらんどう』を目の当たりにする度、所詮人工物でしかない自分たちの欠陥を思い知らされるようだった。
屋敷私僕は、人工精霊の中でも疑似人格を有した上位の精霊体になるが、その疑似人格も、この地の法理が定める『人』の表層部をそれらしく真似た模造品に過ぎない。
そこにあるどうしようもない齟齬が、主人の心に寄り添うことを阻害し、家名の廃絶を防いでこられなかった原因ならば、もはや自分たちの存在意義すら疑うべき致命的欠陥だった。
「発言をいいかしら?」
皮肉にも、人間めいた感傷に浸っていたローレンスを、ローナが呼び戻す。
「まずは誤解なきよう述べておくわね。“旧リッテンバーグ邸”にとってセドリック様は、家長という枠組みだけに収まらないわ。壊れてしまった屋敷私僕に救いの手を差し伸べてくださった唯一の御方だもの。その大恩を、ゆめゆめ忘れるつもりはないの」
ローナは、いつもと変わらない微笑みを浮かべながら、ローレンスを見つめている。
「そのうえでローレンス。どうやら家令は、男主人であるセドリック様を第一に考えているようだけれど、貴方と違って侍女は女主人であるクローディア様を第一に考えているの。だって、そういう風に作られているから」
棘のある言い方だった。まるで、
「まるで、私が奥様をないがしろにしているような言い草だな」
「ええ、ないがしろにしているわ」
聞き捨てならない台詞に、しかし、彼女も一歩も譲らず、二体は黙って睨み合う。
無言の応酬に、他の屋敷私僕たちがテーブルからわずかに身を引いた。
「考えてもごらんなさい。私たちのご夫妻が、かつて浅からぬ仲にあったというなら、七年ものあいだ音信不通にされ、ご成婚されたのちも、旦那様から手酷く拒絶されてしまったのよ。奥様の心中は察するにあまりあるものだわ」
「…………」
「それなのにこの二年間、奥様が涙をこぼす姿を私は一度も見たことがない。それが何を意味するのか、この場にいる皆は、きちんと考慮しているのかしら?」
ローナの問いに、この場に集った屋敷私僕たちは誰も答えられなかった。
「私は断言するわ。奥様は――クローディア様は、私たちに心を開かれたことなど一度たりともないのよ」
そんな、と家女中の誰かが泣きそうな声を上げる。
「いいえ、クローディア様が私たちに不満や不審を抱かれているということではないの。いずれ、ここを出て行かれると分かっていたからこそ、馴れ合いすぎるのは良くないと、あえて距離を置かれていたのだと思うわ。何より、奥様はこの一年間、この家を出て行かれる準備をずっとしていたのよ。それを思い出して欲しいの」
再び、場が静まりかえる。浮ついていた空気が、すっかり消沈していた。
ローレンスは、そうやって奥方の心情を代弁しようとするローナの胸中を慮った。
この家の女主人であるクローディアは、外出時にローナをほとんど伴わない。
侍女であるローナが、側近く仕えるべき女主人から距離を置かれていると感じたのなら、おそらくそれは正しいのだろう。
ローレンスにとって、男主人も女主人も等しく尊い存在だが、どちらに思い入れがあるのかと問われれば、やはりこの三年間片時も離れずに仕えてきた男主人になるだろう。
この場において、両主人の意思をきちんと尊重できていると言えるのは、どうやらローナのようだった。
「私が言いたいのはね、奥様のお心が今どこにあるのか、どういった状態にあるのか、それを確かめもしない内に、勝手に盛り上がって話を進めることは、あまりにも非情で軽率な行いだということよ」
「……つまりローナは、奥様の心の内をきちんと確かめたいんだな」
「ええ。私だって出来ることなら、奥様にはこれからもずっと、この屋敷に留まっていただきたいわ。でもね、奥様にはもうお気持ちが無く、このまま別離を望んでおられるのなら、私はそちらを優先させるわ。たとえ貴方たちと全面的に対立することになったとしても」
言って、ローナは一同と対峙する。
同席者のみなが彼女を見つめ返し、根本を同じくしている者との不和を感じて、言いしれぬ雰囲気に包まれた。
「ちょっと、いいですか?」
場の空気に切り込むようにして、オーウェンが手を挙げた。
「聞いてて思ったんですけど……旦那様には、ちゃっちゃと愛の告白でも何でも奥様にしてもらって、それでもし、奥様の方にもまだお気持ちがあるようでしたら、過去とか仕事のことは、やむを得ぬ事情で話せない。でも後で必ず説明するから、どうか待って欲しい。というカンジで頼み込むってのはダメですかね?」
オーウェンからの口添えに、テーブルの面々、特に家女中五体がどよめいた。
五体は、それから期待を込めてローナに目をやれば、ローナは顎に手をやってすでに考え込んでいる。
ひとしきりそうしていたが、やがて物憂げに顔を上げると、首を横に振った。
「いいえ、賛成できないわ。奥様が受け入れて下さるのなら、それでもいいのよ。でも、奥様が旦那様をばっさりと切り捨てた場合、その後はどうするの? あと一年は絶対に別れることは出来ないのよ。この家に留め置かれて、気まずい思いをされるだけだわ」
オーウェンは特に気にした風もく、淡々とローナの言葉に耳を貸している。
「旦那様とは顔を合わせないようにすればいいけど、身の回りの世話をする私たちとは必ず顔を合わせることになるわ。奥様は私たちの性を知っている。皆が皆、夫妻に別れて欲しくないと思っている中で、それをずっと無視し続けてないといけなくなるなんて針のむしろじゃない」
「……あー、なるほど」
「それに」
ローレンスは、つい口を挟んでいた。
「旦那様もだな。あれだけ嫌々こなしていた仕事に、せっかく積極的な姿勢をしめされているんだ。ここで奥様に振られてしまったら、やる気に水を差してしまうのは当然として、それとは逆に、奥様が全てを受け入れて、待っていると仰ってくれたとしても、かえってプレッシャーになりかねないな」
「……ええ、そうね」
ローナはローレンスの意見に、どこか考える様子を見せながらも頷いた。
「じゃ、じゃあ……!」
横手から声ともに手が挙がった。家女中五体の内の一体、リリーだった。
「あの。小難しいことはひとまず横に置いておいて、奥様は旦那様のことを好きか嫌いか、それだけでも尋ねてみてはいかがでしょうか……?」
おそるおそる自分の考えを述べたリリーに、ローナは曖昧な表情で微笑んだ。
「ええ、そうね。それは私も考えていたわ。だから、それとなくだけど伺ってみるつもりでいるの」
「本当ですか」
「ただね、クローディア様に直接セドリック様を好きかどうか聞いても、本心で答えてくれるとは限らないわ。だって、セドリック様と旧知の仲だったことを、今までずっと胸に秘めてこられたのよ。たぶん最後まで何も言わずに、屋敷を去っていかれるつもりだったのだわ。だから……」
聞いたところで、返ってくるのは社交辞令めいた言葉くらいだろう。
その程度なら、ローレンスにも推し量れた。
やんわりとはいえ、ローナからの否定的な言葉に、リリーはしょんぼりと肩を落としてしまい、するとローナが慌てたように付け加えた。
「あのね、クローディア様が何も言わないのは、きっと沢山のことを誤解なさっているからだと思うの」
「……誤解、ですか?」
「一度だけ、尋ねられたことがあるのよ。旦那様が家に帰ってこられない理由を。もちろん私は、お仕事が忙しいからだと嘘いつわりなく答えたけれど、まず間違いなく、旦那様に付きまとっている噂や、恋人の存在に気付かれていると思うわ。どうやって耳にされていたのか、今まで疑問だったけれど、それは今日、旦那様とローレンスの会話で明らかになったわ」
言われてローレンスは思い出す。
どうやら、女主人の実家には、あること無いこと吹き込む不逞の輩がいたらしい。
しかもそれは、彼女を痛めつけるためされていたかもしれないと、ローレンスの主人は言っていた。
「だからね、屋敷私僕、とりわけ侍女たる私のすべきことは、奥様のそうした認識の払拭よ。クローディア様とセドリック様の間にある溝を埋めていくためには、まずそこから始めるしかないと思うの」
その発言に、ローレンス以下、この場に集った全員が目を丸くした。
彼女はついさきほど、クローディアが望まないなら、ローレンスたちと全面的に対立すると言ってのけたはずだった。
皆の視線を感じ取ったのだろう。ローナは朗らかに笑いながら続けた。
「あら。私は確かに、女主人の味方ではあるけれど、ご夫妻を取り持つ努力をしないなんて言っていないじゃない。やっぱり屋敷私僕の性ですもの。これから奥様のお心を探るのと同時に、旦那様に関する誤解を解いていきたいわ。……そこでね、ローレンス。貴方に協力して欲しいの」
「……何だ?」
「貴方はなるべく、旦那様が家へ帰られるように仕向けてちょうだい」
「…何を、するつもりだ?」
「何って、ごく普通に家に帰ってもらうだけよ。旦那様がずっと携わってきた“仕事”を、あと一年で終わらせるつもりなのでしょう? だとしたら、あとは最終段階に入るだけになるのよね。ならもう、旦那様自身があれこれ出向いて行く必要ないじゃない」
「……だが、今までと違う行動を取るのは、それなりのリスクを伴うだろ。仕事方面でもそうだが、長らく家に帰らずにいたのは、奥様とは契約結婚だと思わせるためでもあるんだ。その方が後腐れなく離縁できると……だから下手をすれば、奥様との関係に何かしらの進展があったと、周囲から思われかねないぞ」
事実、あわよくば奥方と関係修復を目論んでいるのだが、しかし、それを周囲に悟られるのは、色々とまだ早いだろう。
「ええ、だから旦那様には、これまで通り老君の依頼で精製素子の制作にいそしんでいることにしましょう。ただし今回は、機密性が高いからと、私邸で秘密裏にという体を取るの。どのみち、おとり用の人工精霊の制作は、まだ続ける必要があるのでしょう?」
ああ、とローレンスは答えるが、ローナの考えを通すには、やはりあの障害に突き当たる。
「しかし、そこまでするとなると、旦那様をどう説得するかが難しいな。言葉の選び方次第では、制裁の猫が」
「猫ごときが何だというの」
間髪入れず、叱責が飛んだ。
「貴方も、名にし負う旧家の屋敷私僕筆頭ならば、我らがご夫妻のために喜んで猫屋敷になってやろうくらい、二つ返事で答えてみせなさい」
ぐっ、と言葉に詰まる。弁論の余地もない正論だった。
家の中を荒らされたくないからと言って、夫妻の仲を取り持つ機会を棒に振るなど本末転倒である。
「それに、旦那様が仰るには、クローディア様の事で妙な目論見をすれば、ペナルティーを科すと仰っただけでしょう。絶対的な命令を下されたわけでもない」
「…確かに」
「だとしたら、旦那様からペナルティーを受けないよう、屁理屈でも詭弁でも弄して、立ち回ればいいだけのこと」
まったく悪びれた様子のないローナに、ローレンスはかねてよりの疑問を抱く。
こういう時の腹の据え方は、どうして女の方がいさぎが良いのかと。
「さあ、ローレンス。私たちのご夫妻がご夫妻でいられる期限は、あと一年しかないわ。貴方は今まで以上に旦那様のサポートを。私と、そして皆は、奥様がされている誤解をそれとなく解いていく、もしくは旦那様を、それとなくけしかけていくのよ。皆もそれでいいかしら?」
異議なし、とローナの提案に、女性人格を中心にした半数以上の者が手を挙げた。
場はすっかり、ローナによって仕切られていた。
どうやら今回の話し合いは、実りのある議論になったようだった。