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15 九年の空白


 クローディアが、これまで何していたか知りたいとローレンスの主人は言ったが、相手は『古い魔法使いの家系』のうえ、『家持ち』の人間である。


 屋敷私僕を使役する家の身辺調査は容易くない。


 家人のしもべたる人工精霊たちが、家人の不利益になることを、吹聴するはずがないからだ。


 そのため、家系の子と縁談が組まれる場合、正導学会へと依頼すれば、釣書なるものを入手することができる。


 身上書とも言うが、正導学会という公の機関の名を使い、人間同士の交友関係をはじめ、公営施設の永久公僕から調査対象者の屋敷私僕まで聞き取り調査を行い、調べた事実を記載した文書が作られるのである。


 そうでもしなければ、屋敷私僕の口から話を聞き出すことなど不可能に近い。


 それでも屋敷私僕が主人を悪し様に言うことはまず無いが、話を聞いて、これまでの調査内容との食い違いを確認、または指摘することはできた。


 セドリック・ヘインズもまた例に漏れず、クローディア・クラインと婚姻する前に、この身上書の申請をしていた。


 しかし、クライン家の『旧エヴェレスト邸』の屋敷私僕たちは、かなり非協力的だったようで、彼らからは話と言える話は聞けなかったと言う。


 よって出自や学歴以外で、家庭環境に関する詳細は不足気味だったのだが、セドリックはその調査報告書を家令に一任したきりで、満足に目を通していないことをローレンスは知っていた。


 だからまず、その時の報告書を再び持ち出すことにする。


 「クローディア・クライン様は六つの歳に、娼館から今のご実家へと引き取られています。王立学院へ提出された書類によると、彼女の魔力の導体値が基準値に届いておらず、かつ虚弱体質の傾向があったもようで、学院での学業は修めておりません。しかし、のちに再調査が行われたのか、公文書に訂正が入れられています。成長にともない克服されていったか……もしくは、出自による弊害があったのではと思われます」


 ローレンスは、およそ三年前にも報告したこと再び口にする。

 三年前、主人は己の身に差し迫った縁談には、裏があると踏んでいた。


 その頃からセドリック・ヘインズには、ある悪評の付きまとっており、王命によって幼い頃から結ばれていた婚約とはいえ、何の申し立てもなく、婚約を履行しようというからにはよほどの事情があるのだろうと、


 そのため、王立学院へ虚偽の報告があったことは、彼の推測を後押しする結果になる。


 おそらく虚偽の非を問われたクライン家は、正導学会との何かしらの密約を結ぶことでその責を逃れ、その後、密約の対価としてクローディア・クラインが、セドリック・ヘインズの元へ送り込まれてきたのだろうと、そう思っていた。


 一人でも多くの優秀な血統を残すことは、正導学会の御題目でもあるからして、そうした事を言い含められて嫁がされたのだろうと思っていたが、そんな素振りを見せたのは、はじめの一度きりで、結局、彼女の背後には何も見いだせないまま、今に至っている。


 小書斎にて、かつての身上書を手に取るセドリックは、以前は乗せもしなかった視線を、紙面の文字に走らせていた。


 「クライン家に引き取られてから、外へ出ることはあまり無かったようで、不明な点が多いのですが、十三の歳くらいから孤児院の“緑の園”に通い出しています。そこの修道女(モナカ)たちによれば、当初は子供から子供への慈善行為は教育に悪いと断ったそうで、そのため何らかの魔法道具を使って、年齢を誤魔化していたそうです」


 「……ああ」


 セドリックは、一人納得したような呟きをもらす。

 何に対しての肯定なのかは分からなかったが、ローレンスは続けた。


 「それからは――」


 それからは、クローディアがセドリックの元へ嫁いできてからの話になる。


 ローレンスは、彼女が旧リッテンバーグ邸へはじめて訪れた日のことを思い出して、思わず押し黙った。


 旧エヴェレスト邸の馬車でやってきた彼女を、男主人も含めた屋敷私僕総出で出迎え、その後は応接間にて、会話のない新郎と新婦の代わりにローレンスが段取りの説明して、到着から一時間もしないうちに自邸の礼拝室(チャペル)にて、簡略された挙式をあげた。


 略式の婚礼は、クローディアには事前に通達してあった。


 公示や祝宴は開かず、二人の婚礼衣装すら用意しないことを条件に出したため、侍女たちから猛反発を招いたが、それでも当事者である花嫁が、さして興味がないように頷いたため、そのまま続行された。


 礼拝室にある祭壇の前に跪き、これほどの実のない言葉もないと思えるほど、とってつけた誓いの言葉をとなえて、男主人の指輪と女主人の指輪をたがいの指にはめ合う。


 最後に、ヘインズ家の家紋が押された装丁本の、縁定のページに署名して、挙式に必要な最低限の通過儀礼は完了した。


 礼拝室で行われる一部始終を、ローレンスは姿を現さずに見守っていたが、挙式を終えた後も、夫婦らしい意思疎通ははなく、花嫁は侍女に連れられて女主人の部屋へとおさまった。


 その姿はまるで、彼女が持ち込んだ荷物と同じ扱いのようで、一生に一度の晴れがましい舞台が、ただの流れ作業になってしまったことを、ローレンスは未だに後悔していた。


 「どうした?」


 セドリックから呼びかけられ、ローレンスは我に返る。

 己の後悔や、彼の行いを責めているように聞こえないよう、その部分は大きく省いた。


 「いえ、それから旦那様とご成婚されるまでは、やはり情報が乏しくほとんどはっきりしません。嫁がれてからはご存じの通り、週一度の孤児院通いをされています。料理やお菓子なども良く作られますね。屋敷私僕のいる家でお育ちのはずなのに、大変手慣れていたので驚きました。時々は料理人と一緒になって流行りのお菓子や、新しいレシピ作りなどもされて。なかなか凝ったこともされるようですよ。キャンディーの棒やクッキーなどの包装紙まで、皆で手製しているのだとローナが楽しそうに話していました」


 「…そう」


 セドリックの返事は素っ気ない。


 ローレンスはそして、クローディアがこれまでどういう日々を過ごしてきたか、それを語るうえで重要な事柄に差し掛かる。


 「ただ、孤児院以外の……その、交友関係について少々気になることはあります。お育ちになった世界が極端に狭かったのか、お茶会相手や馴染みと呼べる方は、この報告書に書かれていません。我々も今のところ拝見しておりません。デリケートな問題だと思われますので、こちらとしてもお尋ねしにくく、はっきりとは言えませんが……」


 「つまり、お友達がいないんじゃないかって?」

 「……あの、いえ」


 平然と言ってのけたセドリックに、そういえば、我が主人にもそれらしき人物はいない。と、ローレンスはついそれを思ってしまう。


 「今、お前が考えたこと当ててやろうか?」

 「…………」


 これは、どう転んでもろくな結果にならないと気付いたローレンスは、「報告に戻ります」と早々に軌道修正をはかった。


 「ああ、それと。孤児院の院生だったノエル・ハイマンという十一歳の少年が 修道女(モナカ)たちによって素質を見いだされ、正導学会へと紹介状が書かれたのですが、その際、奥様に一時的な教師役を依頼されていたそうですよ」


 古い魔法使いの家系以外の人間に、魔導士としての素質があった場合、魔力訓練所に通って基礎知識の習得に励むのだが、外来の者を招くとなると、どうしても身元の調査やら適性検査やら、学費の援助などといった手続きで時間がかかる。


 件の少年が、『家系の子』たちの就学年齢である十一歳をすでに越えていたこともあって、学習期間を急いだのだろう。


 「けっこう優秀なようですよ。基礎知識のために訓練所へ通っていますが、一年で修得。家系の子ではないのに、この早さはなかなかなものです。奥様から手解きを受けられていた、の、なら……」


 ローレンスは、言葉につかえた。

 どこに失言があったのか、主人が不機嫌極まりない顔をして紙面を睨んでいる。


 「――そのノエルとか言うガキ、今は何を?」


 「……いえ、そこまでは。身上書は三年ほど前のものになりますし、これが書かれた時点では13歳のはずですから、孤児院を出て学院の宿舎に移っているはずですし……そうですね、現在は見習いくらいでしょうか?」


 「見習い……」


 やけにこだわりを見せるセドリックに、まさか、とローレンスは悪い方向に勘が働いた。


 「まさか、奥様と彼がいかがわしい関係にあると思っているのですか?」


 ぐしゃ、と身上書に握力が加わるのを見て、ローレンスはすぐさま女主人の弁明を試みる。


 「確かに、魔導士の見習いであれば、正導学会との繋がりがないとは言えませんから、彼を通して奥様が何かしらの命を受けているのではと、そう考えるのは分かります」


 「…………」


 「残念なことに、奥様は孤児院にローナを伴われないため、院内で行われていることを我々は関知しておりません。ですが、人工精霊の目がある孤児院で、そんないかがわしい会話や取り引きなどあれば、次から出入りを拒まれるのはありませんか?」


 「――…ああ、まあ、そうだな。できないな……色んな意味で」


 そう言いながら、セドリックはやけに気の抜けたような溜め息をつく。


 奥方の嫌疑は晴れたのか、ローレンスは主人の様子をうかがうが、彼は少しよれた書類を指先で伸ばしながら、再び文面へ視線を走らせはじめた。


 仕方なく、ローレンスも報告に戻る。

 ただ、身上書に書かれてあることは、おおまかに出し尽くしていた。


 嫁いできてからのクローディアの行動で、大きなものはあとひとつしかないだろう。


 「それと、およそ一年前、奥様が訓練所にて資格を取りたいと申されましたので、私から旦那様に許可を得まして、所定の手続きをいたしました。そういえば、こちらも一年内に修得されていますね。やはり、ご実家で学ばれていたのでしょうか」


 「――資格?」


 不意に挟まれた声に、ローレンスが視線を上げれば、まるで、そんな事はじめて聞いたと言いたげな顔が見返していた。


 「……え」


 思わず聞き返す。


 「え。言いましたよね、つい先日ですよ。一ヶ月ほど前、奥様が“一級回路技師”の資格をめでたく取得されたと」


 それでようやく思い出したのか、セドリックの眉間に皺が寄せられていく。


 「……それで、どうして訓練所に?」


 それも前に言ったのだが、ローレンスはあえて指摘しないことにした。


 「……旦那様と離縁されるための準備だと、伺っています」


 その時、セドリックが浮かべた表情を、どう受け止めたらいいのかローレンスは分からなかった。


 これまで数多くの人間と関わってきたローレンスが知る限りで、それは、人が酷く傷付けられた時の顔に見えたのだ。


 「……旦那様?」

 「――続けろ」


 固い命令口調で、それ以上、彼の胸中を読み取ることを禁じられる。


 「……それとなくですが、聞き出した内容によれば、奥様はご実家に帰られるつもりが無いようです」


 書面に伏せらたセドリックの目は、一点を見つめたまま動いていなかった。


 「しかし、それは難しいでしょう。たとえ資格を得られたとしても、勤め先を斡旋する魔力訓練所を運営しているのは正導学会ですから、彼らが否と断ずれば、奥様はご実家に身を寄せるしか生きる術がありません」


 もちろんローレンスは、クローディアから訓練所へと通う許可を求められた時点で、その事に気付いていた。


 「何より奥様は、お若く健康で魔力の導体値も充分です。正導学会が有能な母胎を、そうそう簡単に手放すとは思えません。ですから私は、そうした背後関係を前提に奥様が資格を取りたがっている旨を、一年前に旦那様へと申し上げました」


 「…………」


 「旦那様の答えは、奥様が実家を出ることを望んでいるのなら、そうしてやれというものでした。必要ならば、訓練所及び正導学会に働きかけるようにとも。そして、この家を出られる際には、それなりの金銭も持たせてやれと仰いました」


 かつて、セドリックがクローディアとは離縁する気でいることを彼女自身に告げた時、彼女の立場をできるだけ悪くしないと、セドリックは言っていた。


 その有言は実行される。家系の子が魔力訓練所に通うには本来あるべき障害が排され、技術の修得から証書発行までが難なく許可が出されたのである。


 あとはもう、セドリック本人が便宜をはかるよう然るべき所へ一言入れれば、クローディアがクライン家と関係を絶つための全てが完了するところまできていた。


 当然、そこに至るまでの経緯は、事あるごとにセドリックへと報告してある。

 そのはずだが、セドリックはまるで、ほとんど記憶に残っていなかったような反応をしめした。


 確かに、彼は別件で忙しくしていたし、主人に代わって一連の処理を取り仕切っていたのはローレンスだったが、自分の主人が妻に対して本当に無関心であったことを、ローレンスは改めて知らされた。


 「――――わかった」


 主人の声は、淡々としていた。

 それきり語られる言葉はなくて、室内が静まりかえる。


 ローレンスは、主人の様子に目を配った。


 彼の考えていることを、できるだけ推し量ろうとその面持ちに注意を払うが、何故なのか覚えのある顔に見えて、ひどく不安な気持ちに駆られる。 


 セドリックのどこを見るでもない眼差しは、彼が時おり見せる、刹那的な行動の前触れに似ている気がした。


 「ローランド」

 「……ローレンスです。何でしょう」


 この遣り取りも、ずいぶんと久しぶりだった。

 それでも、いつもは冗談めかした素振りを見せるのに、その気配を今は感じられない。


 セドリックは、ローレンスを呼びはしたものの、すぐに用件を伝えようとせず、かなりの間を持たせてから口を開いた。


 「クローディアと、話がしたい」






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