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13 屋敷私僕の憂鬱


 旦那様の様子がおかしい。


 一家の暮らし向きを取り仕切る家令(スチュワード)のローレンスは、そう思わずにはいられなかった。


 あの小箱を使った大書斎での実験から目覚めてから、主人が思い悩んでいるような様子を見せるようになったが、何が起こったのかは明かされないままだった。


 ただ、その日からというもの、ローレンスの主人は不可解な行動を取り出した。


 まず何より、旧リッテンバーグ邸におけるここ連日の滞在である。


 屋敷にとどまる事自体に不満はない。むしろ、本性(ほんせい)が家であるローレンスたちにとって、家長たる男主人がきちんと家に納まっていることは、最も心安まる時でもある。


 しかし、主人の仕事柄、あまり一箇所にとどまるのは好ましくないはずなのだ。

 そのうえ、肝心の仕事もどこか上の空で、身が入っていない。


 主家である前邸への帰宅時にも、不審な行動はみられた。


 玄関ホールでいつものように外套を家女中(ハウスメイド)にあずけるのだが、しばらくその場に止まって、何かを待っているような素振りを見せるのである。


 声をかければ、何事もなかったように小書斎へと向かってしまう。

 そして、そのまま小書斎に篭もっていることが多い。


 小書斎でも、今までにない行動があった。


 この場合、行動と言うよりも、思考に耽っている様子で、自身の右手中指に嵌められている木の指輪『旧リッテンバーグ邸男主人の指輪』をよく眺めていた。


 それだけなら取り立て言うことではないが、時折、指輪を通して本邸の魔力回路に接続することがあるため、ローレンスはその度に、ちょっとした緊張感に襲われる。


 男主人の指輪は、本邸回路と直結しており、しようと思えば回路の書き換えすら可能にするため、特に異常のない状態で頭の中に手を入れるようなことをされるのは、どうしても気分の良いものではなかった。


 さらに言えば、その後でローレンスの顔に意味ありげな視線を投げてくることもあるため、なおさら落ち着けない。


 何か言いたげでもあり、顔色をうかがうようでもあり、非常に不可解だった。


 「……何か、仰りたいことがあるのではありませんか?」


 すでに幾度となく繰り返した質問だった。


 だから今日も、返答があるとは期待せずにローレンスは尋ねてみたが、その日の男主人は予想を裏切って口を開いた。


 「お前たちは……この家内で起こっていることの全てを把握しているんだよな?」

 「……ええ。屋内に限らず、門前や中庭など、敷地内で起こっていることはおおよそ」


 「それは……どういう感覚のものだなんだ? 視覚として捉えているのか、それとも聴覚か」


 ローレンスは疑問に思う。なぜ今さらそんな事を気にするのか。


 「答えの難しい質問ですね。やはり、人とは感覚機能が違いますから、説明するとなると、まず我々が人間の五感というものを正しく理解している必要があるのかと」


 答えがお気に召さなかったのか、主人の応えは沈黙だった。


 「……ところで、今の質問はどのような意図があってされたのか、お聞きしても?」


 あえて踏み込んでみれば、彼は長い沈黙を置いた。そして、


 「お前たちの機能を、一度、全停止させたいって言ったらどうする?」


 一瞬、本当に家内の機能が停止した。


 「――――……我々に、何か、至らぬ点がございましたでしょうか?」


 ローレンスはどうにか声を絞り出した。

 抑えきれなかった動揺を前にして、主人から億劫そうな表情が返ってくる。


 「そうじゃなくて……何というか、お前たちの本性が“家”だということに、ちょっとというか……かなりの差し障りがある」


 言い足された言葉は、しかし、何の言い足しにもなっていない。


 全停止の次は存在の全否定である。ローレンスは、もしかしたら我が家の男主人は本当に我々を機能不全(ころし)にかかっているのではと、半分は本気で疑ってしまう。


 「屋敷私僕の本質的部分を占めているのは、家内の安全、子孫の繁栄、夫婦仲の円満だろ。もし……知られたら、お前たちがどう出るか、手に取るように分かる」


 一番大事な部分が、故意にぼかされている事はさすがに察せられた。


 「つまり、我々の(さが)が障害になりかねない問題が生じているのですか?」

 「…………」 

 「我々が、主人に対する不服従を行使する可能性があるから、話せない、と?」


 主人から返ってきたのは、またしても沈黙だった。

 それも、肯定とも否定とも取れない、ローレンスの出方を探るような沈黙。


 だからローレンスも、主人の意とする決定が出されるのを待った。


 やがて、彼の視線が手元に落ちる。

 男主人の指輪に落とされた視線は、どうしてなのか、木の指輪を見るているだけの眼差しには思えなかった。


 「……話すか、話さないか。そういう単純な二択で割り切れる問題なら、まだ良かったんだけどな」


 ぽつりと零された言葉。その意味をどう解釈すべきかローレンスは迷う。


 「……もう少しだけ、考えさせてくれ」


 主人から出された決定は、保留だった。


 それが主人の望みならローレンスに背く理由はなく、その場はそれで引き下がるが、ローレンスの中にはわだかまりが残った。


 家内の安全、子孫の繁栄、夫婦仲の円満。


 指摘された通り、人工精霊の中でも『屋敷私僕』とされる自分たちにとって、それこそが存在理由であり、何よりも代えがたい喜びである。


 だが、ローレンスの主人は、それが障害になりかねないと言った。


 屋敷私僕が男主人、ひいては『家長』に逆らうことがあるとすれば、まず考えられるのは、家長本人、もしくは他の家人が、身体的な危機に陥っている場合になる。


 家長本人ならばもちろん問題だが、その他の家人――この家の中で、それに値する人物は一人しかなかった。


 そこまで思い至って、ローレンスはその考えを打ち消した。

 まさかそんなはずはないと、思考の隅に追いやる。


 ただそれは、何かしらの根拠があってというより、そうあって欲しいという希望的観測にすぎなかった。







 我が家の男主人の不審な行動は、その後も続いた。


 帰宅時に、玄関ホールで立ち止まるのは毎回のようにあったし、何かにつけて男主人の指輪をいじるのは、もう癖として身に馴染んでしまったようだった。


 そして、もう一つ、新たに加わった行動がある。


 突然、何かを思い立ったように小書斎から出て行き、目的を持った足取りで突き進んだかと思えば、急に立ち止まったりするのだ。


 それから、きびすを返して小書斎に戻るという、奇怪な行動を繰り返した。


 もちろん、主人のそんな姿にローレンスも思うところがあったが、もう少しだけ考えさせて欲しいという彼の言葉通り、辛抱強く待った。


 だが、次第に看過できなくなっていく。食事の量と、睡眠時間である。

 あの小箱を使った実験の日から、ほとんど取られていない。


 食欲の減退や、不眠症は以前から何度かあったことだし、口うるさく言うよりも時間をおいて自然に解消される方がいいと当初は考えたが、そんな悠長なことを言っていられないほど日数が経ってしまっていた。


 当然それは主人の体調にも響き、とうとう仕事にも支障をきたした。

 その不養生を仕事上の同行者から咎められ、しばらく休養を取るよう言い渡されたのがせめてもの救いである。


 しかし、せっかくの休暇となったのに、主人の不調はいっこうに上向かない。


 ベッドに横になっても眠れないためか、小書斎にある木製のソファで気怠げに寝そべっている彼へ、ローレンスは声をかける。


 「せっかくお休みを頂いたのですから、屋内にとどまるだけでは勿体ないですよ」


 気分転換をかねて外出を進めたつもりだったが、こちらを向きもしない主人から思わぬ答えが返ってきた。


 「……そうだな。ずっと家に居るのに、お前たちが優秀すぎて顔すら見れないな」

 「…………」


 会話が噛み合っていないのは、気のせいではないと思う。


 主人が言っていることの意味が分からないという、屋敷私僕にとってこの上ない不名誉に、この頃何度も見舞われるローレンスは、ついに苦言を呈する。


 「旦那様、そろそろ話してはいただけませんか」


 主人から返事は返らない。

 肘掛けに乗った頭と顔も、背もたれの方を向いたまま。


 「このように体調を崩されては、さすが見過ごせません。このまま何もせず、状態を悪化させるようなら、それなりの手段も講じることになります」


 やや強めに出るが、それでも応えはない。

 ローレンスは、さらに言葉を重ねる。


 「旦那様」

 「――クローディア」


 不意を突かれ、すぐには反応できなかった。


 「……奥様、ですか?」


 何故ここで彼女の名前が出てくるのか、ローレンスは不安を覚える。


 普段なら、自分の妻を顧みもしない男主人が女主人の名前を呼ぶことに、どうしても良くない考えが浮かんでしまう。


 「……――彼女は、どうしている?」

 「それは……どういう?」


 「彼女がこちらに来て二年だろ。その間、彼女は何をしていた? どうやって毎日を過ごしてきた? お前たちは彼女をどう扱ってきた? いや、もっと以前の事もだ。ここに来る前の事も知りたい」


 「どうして…彼女は、正導学会とは無関係だと結論付けられたのではないのですか?」


 一番重要なことなのに、彼はまたしてももどかしい間を置く。

 ローレンスはその間をつなげるつもりで、冗談めかした。


 「それともまさか、奥様の情夫を調べろという事ではありませんよね?」


 ぴくり、と気怠げに寝そべっていた主人の肩が揺れた。

 ソファからゆっくり身を起こしたかと思えば、ローレンスに張り付いた笑みを向ける。


 「――――なんで?」

 「…え?」


 「どうしてそう思った? 心当たりがあるのか?」


 地の底から這い出したような声に、今度はローレンスが肩がびくりと震えた。


 「えと、いえ、今のは冗談といいますか、特に深い意味はなく……」

 「――チッ」


 舌打ち。確かに舌打ちが聞こえた。


 今の男主人に仕えて早三年、からかうように遊ばれることはあっても、舌打ちをされたことなどあっただろうか。


 睡眠不足のせいで気が立っていることを差し引いても、それほどの発言をしてしまったのだろうかとローレンスは混乱した。


 「……それで、彼女は今日、何をしている?」

 「え。えー、はい。本日は……ああ、そうでした。正午前よりお出かけされております」


 「出かける? どこに?」


 「あ、いえ、お出かけと言いましても、散策のようなもので、取り立てた目的はないようです。いつもお一人で街並みや商店などを歩きながら見ておられます」


 セドリックは、ほんの少し考える様子を見せたが、すぐさまソファから立ち上がると、体調を崩している人間とは思えない足さばきで歩き出す。


 「――行くぞ」

 「え、どちらに?」


 いつもなら、そんな愚鈍をまる出しにした聞き返しなどしなかっただろう。

 おかげでローレンスは、主人に置いていかれるという不名誉をまたしても賜った。






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