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12 記憶と夢(7)


 思えば、少女と初めて顔を合わせてから、半年ほどしか経っていない。


 その半年内に『彼』は十一歳になり、王立学院へと就学する日を間近に控えていた。だが、就学すれば、王立学院学生科の寮舎で生活することになる。


 寮生活に入ると、家への帰宅はままならなくなった。帰るには、いちいち許可が必要になるし、公的に認められている休暇は年三回ほどしかない。


 ようするに、今までのように少女と気軽に会う機会が無くなるのである。


 まさかそのせいで、気鬱を抱える日が来るなど『彼』は思いもしなかった。


 ついこの間までは、むしろさっさと就学して、二度とこの家に帰りたくないとすら思っていたのに、あまりにも振り幅が大きすぎて、自分で自分の気持ちを持てあまし、感情のコントロールが追いついていなかった。


 少女も『彼』の寮生活のことは理解している。

 会えなくなるのは寂しいと、言葉でも態度でも示してくれる。


 それでも、物思いに耽ることが多くなった『彼』を、だいじょうぶかと、少女の方が気遣ってくることが多いので、余計に情けない気分になった。


 だから『彼』も強がって、自分が居なくとも勉強を怠らないように、毎週手紙でチェックするので、きちんと返信するよう固く言い聞かせた。


 そのついでに、ちょっとした近況報告を書き綴ってもいいからと、後で付け足しておく。


 少女は少女で誰に入れ知恵されたのか、“はなよめしゅぎょう”もがんばると、最近覚えたらしい言葉を使って何やら意気込みはじめていた。


 前向きに考えようとしている彼女にあてられてか、『彼』も日を追うごとに心の整理が付くようになっていった。


 そして、出立を翌日に控えた前日、『彼』と少女は驚くほど普段通りに過ごして、普段通りの別れ方をした。


 二人の間で出来る約束は済まされていたから、必要以上に感情が乱されることもなかった。


 馬車の窓から手を振る少女に、『彼』もぎこちなく振り返しながら、見えなくなるまで見送って、蹄鉄と車輪の音が聞こえなくなってから―――場面が切り替わった。


 そこは、『彼』の家のどこでもなく、ましてや少女の家でもなかった。


 室内はやけに仄暗く、少し手狭な感じのある空間。そこには見覚えがあった。

 学生科の寮舎で『彼』に宛がわれていた寮室である。そこで『彼』はベッドの上にいた。


 寮室は二人部屋だったから、真夜中に同室の相手が寝静まってから、わずかな月明かりを頼りに、あるモノを操作している。


 蓋の裏に鏡の付いた小箱。


 魔力回路を開いて、収められた記録のひとつひとつを丁寧に整理しているのだ。

 時間が経つのも忘れて没頭するあまり、『彼』はその異変にすぐには気づけなかった。


 ぼんやりと浮かび上がる導体の光が、どろりと溶け出している。

 『彼』がようやく異常に気付いたのは、まるで溶接されたように小箱から手が離れなくなった時だった。


 焦りと混乱に支配される。魔力回路を閉じることすら出来ない。


 回路が金属をひっかくような異音を発しはじめた。

 音は外部には一切もれていない。『彼』の頭の中だけで鳴り響いている。


 この抗えない、絶対的な力には心当たりがあった。魔法現象だ。

 だが、こんな現象を引き起こす構成図など『彼』は組んでいない。


 ―――臨界


 その言葉が脳裏を占めた時、強烈な反作用が『彼』を襲った。


 弾き飛ばされるように『彼』の体がベッドの上に打ち据えられる。すでに意識は失っており、身体は力なくシーツに沈み込んだ。


 『彼』の手に小箱はすでになく、倒れ込んだ衝撃で部屋のどこかへと転がり落ちてしまっている。


 そして、異変はもうひとつ。

 この記憶(・・)の全てを見てきたセドリックの周辺でも起きていた。


 『彼』の手から小箱が離れたことが合図だったかのように、映し出されていた風景がぱらぱらと剥げ落ち、崩れはじめたのである。


 風景が剥がれていくたび、呼応するようにセドリックの記憶が呼び起こされていく。


 鏡の付いた小箱。少女と一緒に作った記録媒体(レコード)

 『彼』は、あの時あまった箱を使って、別のレコードを作っていた。


 あの小箱をどうしても使いたかったから、足りない容量を広げるために導体構成図を無理やり三十二連に繋げてまで作った。


 レコードに記憶を記録すれば、頭の中で思い出すより鮮明に再現されるから、残しておきたかったのだ。クローディア・クラインとの思い出を。


 難しくはなかった。構成図を細かく畳み込めば、小箱に入れられるスペースは自然と広がったし、多少の無理をしたところで、レコードのように簡単な魔法道具なら、負荷暴走を起こしたところで、ダウンかバースト程度にしかならないと高をくくっていた。


 もはや小箱が魔法道具とは呼べない代物と化していたことに、『彼』はついに気づかなかった。


 新たに思い出したことを記録したり、記録の調整をしたりで、連日に渡る加重使用の結果、魔力回路の負荷は限界を超えて、臨界現象を引き起こした―――


 ほとんど崩れ去った記憶の世界に、セドリックはまだ取り残されていた。

 ふと目をやれば、『彼』が傍らに倒れている。


 倒れてたはずのベッドは消え、その身体は足下に投げ出されていた。

 不思議なことに『彼』だけは、いっこうに消える気配が無いように見えた。


 セドリックはその場にしゃがみ、『彼』の顔をのぞき込む。ぴくりともせず、呼吸すらしていない。おもむろに手を伸ばしてみた。


 色味のない『彼』の頬にセドリックの指先が触れようとした時、手首を掴まれた。


 「――!」


 閉じていたはずの青い目と目が合ったが、目を覚ました(・・・・・・)のはセドリックの方だった。







 視界が急転し、立っていた足場を失ったその直後、ベッドに横たわっている自分の状況に、なかなか頭が追いついていかなかった。


 体がやけに重く、四肢の感覚が曖昧で、現実感を取り戻すのに時間がかかった。


 ようやく上体を起こせるようになって、のそりと起き上がったセドリックはヘッドボードの小箱を見た。開いていたはずの蓋が閉じている。


 半ば呆然とその小箱を見ていたら、ひどく喉が渇いている事に気付いて、周りを見渡す。そこはセドリック以外には誰もいない地下の大書斎だった。


 「起きられましたか」


 確かに誰もいなかったのに、銀髪の男がベッドの脇に立っていた。


 「……水」


 かすれた声でそれだけ言うセドリックに、ローレンスは素早く応じる。


 ベッドサイドに用意しておいたのだろう、水差しから水を汲み取り、セドリックへと手渡す。生ぬるい水を喉に流し込む間、ローレンスは彼がきちんと飲み込めるかを見ていた。


 「ご気分は?」

 「……どれくらい寝てた?」


 「一日半ほどですね。今は正午前です。晴れ時々曇りの行楽日和です。行きますか?」


 ちょっとした軽口を挟むローレンスに、しかしセドリックは何の反応も返さない。


 らしくない主人の態度に不審を抱いたのか、ローレンスは「失礼」と断りを入れてからセドリックのこめかみに手を差し込み、体温を計るようにして再度うかがってきた。


 「体調に違和感はありませんか? 頭痛や吐き気は?」


 ああ、と気のない返事をセドリックは返す。


 「……もう少しばかり、横になられていてはいかがですか? 体の方がまだ覚醒しきれていないのかもしれません」


 セドリックは黙ってそれに従った。枕にもたれるようにして体を横たえる。

 ローレンスの視線がヘッドボードの小箱を見ているのが、見なくても分かった。


 何か言いたげにセドリックを見向いてくるが、その疑問に答えてやれる気力はセドリックには無かった。


 「……私に、言いつけておく事はございますか?」

 「……いや」


 「では、下がっていた方が?」

 「…うん」


 「わかりました。それと、お食事は用意してありますので、軽いものでしたらすぐにでも運ばせます。いつでもお申しつけください」


 ローレンスはそうして一礼すると、音もなく退室した。


 一人残されたセドリックは、何を見るでもなくベッドの天蓋を見つめていた。


 たった一日半の夢。実際に見てきたセドリックにとっては、それ以上に長い夢。

 思考と感情がごちゃごちゃになって纏まらなかった。


 どうして、何故、これから、彼女は、どうしたら、何をして、どうあっても、なら、


 考えるべき糸口に触れても、するすると手のひらを滑っていくようで、その先を掴んで引き寄せることができない。


 知らず知らず思っていたのは、あれだけの記憶が抜け落ちていたのに、どうして何事もなく日々を過ごして行けたのか。まるで本質から目をそらすように、それを考えていた。


 寮室であのまま目覚めたとして、自分に起きた異変に気づけただろうか。気づけないだろう。あの直後だと思われる記憶に心当たりはないが、目に見えた外傷や身体的異常があったのなら、いくらなんでも覚えているはずである。


 臨界現象に限らず、魔法現象による疾患を受けた場合、通常なら専門官による解呪の処置を受ける必要があるが、ある特定の記憶がなくなっただけで、その自覚すらないなら、自らの意思で回復するのはほとんど不可能に思えた。


 寮室、というより王立学院には、旧家のように人工精霊の()()があるが、万能ではない。広大な構内の監視を含め、全学生徒、住み込みの教師や学者、研究員がいる中で、あの一瞬の出来事を捉えるには、おそらく難しいはずだ。


 つまり、元凶になった小箱が再び彼の前に現れなければ、記憶を欠損させたまま生涯を終えていたことになる。


 「…………」


 考えても意味の無いことばかりが浮かんでくる。


 どうして記憶媒体(レコード)の反作用が、セドリックから記憶を奪うという結果になるのか。

 それも、クローディア・クラインのことだけを頭の中から消し去った。


 彼女との思い出だけがレコードに記録されていたからだろうか。

 だとしたら、逆魔法現象とはよく言ったものだった。


 何が、よく言ったものなのか。


 そんな事は、どうでもいいはずである。それなのに、浮かんでくるのは本当に無意味なことばかりで、考えなくてはいけないことが考えられない。


 「…………」


 きっと、考えたくないのだろう。

 それを考えてしまったら、自分にとって都合の悪いことにしかならないから。


 無様すぎる己の性根に、そんなものは初めから知っていたセドリックは、無性にシーツへとうずもれたくなった。沈むように体が重くなって、


 誰かが頭を撫でた。

 驚き、振り向くが、誰もいない。


 今度は声だった。

 ほんの少し前まで、何度も聞いていた人の声。


 脳裏に焼き付いている。


 『彼』が落ち込む度、その心の中を見透かすように、彼女は何度も何度もそれ(・・)を聞いてきた。なのに『彼』は、それを認めたくなくて一度もきちんと応えていない。


 記憶の中の少女が、再びその言葉を口にする。

 セドリックは、いまさら遅すぎる答えをようやく返すことが出来た。


 「――――大丈夫じゃない」


 なんて現実を見失った言葉だろうと、言ってしまってから思う。

 手紙を書くと言ったのに、彼女に届けられる手紙は一通も書かれなかった。


 差出人に覚えのない手紙が送りつけられることは就学当初からあったから、記憶に薄い婚約者の手紙も、中身すら確認せずに廃棄していたことだろう。


 自分の手で千切られていく手紙の映像が、やけに生々しく蘇った。

 二人が交わした約束は、そうやって何一つ果たされることなく破り捨てられたのだ。






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