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10 記憶と夢(5)


 分かりきっていたものの、連日続いた父親と母親の口論に『彼』はうんざりしていた。


 ただでさえモヤモヤと気分が悪いのに、何の解決策も検討されない話を繰り返しては、きまって互いを罵り合う。そんなことを毎日のように繰り返していた。


 あの日、昼間に起こった事件は、その日の夜には両家の知るところになった。


 少女の兄が少々大げさに喚き立てたようで、翌日の朝にはヘインズ家にクライン家の両親が乗り込んできた。特に母親の逆上っぷりはすさまじく、必ず表沙汰にして然るべき制裁を受けさせると捲し立てるだけ捲し立て、嵐のように去っていった。


 ヘインズ家にとって深刻だったのは、『彼』が作りだした人工精霊である。

 人工精霊の行使は、魔導士のみに許されている、いわば特権だった。


 見習いですら制限があるのに、ましてや学院就学前の子供がその領分を侵すなどあってはならない。


 無資格の精製自体でも大きな問題だが、それを行使して人を傷付けたのであれば、いかなる理由があっても、何のお咎めもなしというのは難しいだろう。


 しかも今回の場合、我が子に人工精霊の精製方法を教えた母親の非は明らかであり、処罰が『家』そのものに加えられることは、まず避けられない事態だった。


 そうした決定的な非もあって、寡黙なはずの父親はいつになく母親を責め立てた。それはさも、日頃の鬱憤を晴すように執拗にあげつらうので、母親もむきになって応戦する。


 母親曰く、妾の子より優秀な『彼』が妬ましいから、どうのこうの。

 父親曰く、いくら優れていても、社会の秩序も守れないようでは、どうのこうの。


 一方では、人工精霊である屋敷私僕たちが不毛な行いを試みている。


 主人たちの言い争い止めようと果敢に挑んでいるが、主人たちの口に手を突っ込むわけにもいかず、外野からの抑制は何の意味も成さないまま、男と女の諍いは止まらない。


 これまでにも、両親の口論や口汚い罵倒が、また幼い『彼』の耳に入らないよう何度となく止めに入っていたが、とうに手遅れだと『彼』は思う。


 三日連続で開かれた夕食の席で、三日連続とも出口のない水掛け論を飽きもせず続けているのだ。


 いったい、何がしたいのか。もはや、当事者であるはずの『彼』の方が、彼らのいがみ合いに巻き込まれていた。


 夕食を半分以上残して席を立ち、さっさと子供部屋(ナーサリー)に戻った『彼』は、夜が更けても聞こえてくる雑音から逃れるようにベッドに入り込んだ。


 朝、起きるのが気怠くて昼近くまで眠っていると、さすがに家女中(ハウスメイド)が起こしにきた。


 「セドリックおはよう。おひるで起きてくださいって。言うからおきて」

 「…………」


 聞き慣れない声だった。

 というより、名前を呼び捨てにされた気がした。


 寝ぼけた頭でいぶかしんでいると、今度は不躾に頭を撫でてくるので、のそのそ布団から顔を出す。


 見慣れない顔の家女中がいた。


 十代後半。亜麻色の髪にヘーゼルの瞳をして、何故か眼鏡をかけている。

 旧ペンバートン邸のお仕着せを着ているが、見たことのない―――いや、どこかで見たことのある顔をしていた。


 「…………、…………、…………。……―――え、クローディア?」

 「うん。おはようございます」


 言って、お仕着せに身を包んだ十代後半の彼女は、ベッドの端に腰掛けた。


 「………………………何してんの?」

 「うん。ヘンソウして。家からきて。そしたら、メアリーが起こしてって頼まれた」


 メアリーは、以前にもアーヴィンを勝手に部屋へと招き入れた人工精霊の名だ。

 またしても良からぬ気の回し方をしてくれたらしい。


 「いや、何しに来たの? いま、君の家と俺の家が揉めてるのは分かってるよね?」

 「……セドリックをしんぱいして」


 心配って、心配されるようなことは何も無いのだが。


 そう言おうとしたが、少女がそれより早く顔をのぞき込んでくるので、『彼』は横になっていた体を起こして彼女を避けた。


 なるべく離れるようにして座り直すが、少女がベッドの上を這い上がってきた。今の体格だと寝台がいっきに手狭になる。


 「狭いよ。元に戻って」


 少女はこくりと頷き、あの懐中時計を襟元から手繰り寄せて元の年齢に戻った。着ていた服もワンピースとエプロンドレスに戻ったが、何故か眼鏡はそのままだった。


 眼鏡をはずし脇に置けば、眼鏡が大人用のサイズに戻る。それをもの珍しげに見ていたが、ふと気付くと少女は『彼』の方をじっと見つめていた。


 「……だいじょうぶ?」


 だから、何がそんなに大丈夫じゃないように見えるのか。

 まるで心の中を見透かそうとする眼差しに、『彼』はいたたまれない気持ちになった。


 「……そっちこそ、あの後で叱られたりしたんじゃないの? 俺が家に行くことは秘密だったんでしょ」


 「……イザベラさんおこってた。でも、ぶたないヒトで怖くならない」


 イザベラというのは、確か義母の名前だったか。

 にしても嫌な強さだと、けろりとした少女を見ながら『彼』は思った。


 「セドリックは? おこられた?」

 「いや、俺は――」


 言われて、自分が二親から叱られてもいないことに気が付いた。


 あの二人は、互いの欠点をあげつらうことばかりに熱心で、『彼』自身などはじめから眼中になかった。


 その事に気付いて、もうずっと前から『彼』の中にあったモノが渦を巻く。


 つまり、昨日とその前とその前の夕食で、両親に挟まれていた『彼』は、確かに彼らの視界に入っていたはずなのに、居ないも同然の扱いを受けていたのだ。


 子供がひとつ悪いことをしたら、それを叱るのが親の役目だろうに、そんな対象にすらなっていなかった。


 だとしたら、あいつらにとって自分は何だったのか。


 それに気が付いて、『彼』の中にあったモノの底が抜けたような気がした。

 脱力するようにしてシーツに沈み込む。


 何もかもがどうでもよく思えて、しばらくそうしていたが、少女がどことなく不安そうな顔で見下ろしていくるのが気配で分かった。


 『彼』は、もののついでに教えておこうと思った。


 「俺はね、父親の子供じゃないんだよ」


 少女から、目に見えるような反応は返ってこない。


 「何で知ってると思う? 母親が教えてくれたから。あのロクデナシを出し抜いてやったって、笑いながら教えてくれたから。最初から破綻してるくせに、まだ家族ごっこ続けようとしてやがんの。バカバカしくて笑えてきた」


 言葉通り笑って言わなかったせいか、彼女はやはり何の反応も返さない。


 その代わり、おもむろに手を伸ばしてきた。その小さな手のひらで、これまでも何度となくそうしてきたように『彼』の頭をゆっくりと撫でていく。


 「…………」


 少女がいったい何を心配していたのか知らないが、知りたくもないが、慰めようとしているのは『彼』にも伝わった。


 だから、少女の手を取って頭からどかし、手はつないだまま『彼』は体を起こす。


 「クローディア。よく聞いて。つまり俺はヘインズ家の血を引いてない。これは血統維持法の重大な違反になる。君はそれをお父さんに話すといい。どうせなら、問題をもっと大きくしてやろう」


 そうして、さっさと潰されろ、こんな家。


 「どのみち婚約は破棄されるだろうけど、でも、問題が大きくなれば、君に対して正導学会が――王様が、情けをかけて下さるかもしれない。そうすれば、家での待遇も改善されるかもしれないし、もっとまともな家の子と結婚」


 「カケオチしたい」


 つながれていた片手と片手が、少女の両手によって力強く握りしめられた。


 「…………え」


 彼女は今なんと言ったのか。握られた手に気を取られて『彼』はよく聞いていなかった。


 カケオチ? かけおち? 駆け落ち?


 どこでそんな言葉を覚えてきたのか。まずそれを思った。

 それから、何の話をしていたかを思い出す。


 「……人の話、聞いてた?」

 「うん。セドリックとけっこんしたい」


 「いや、だから――」


 言いかけて、『彼』はおかしな感覚に囚われる。

 何故なら、彼女の提案は、おどろくべきことに文脈的に間違っていないのだ。


 だとしたら、駆け落ちは正しいのか――いやいやいや、駆け落ちが正しいとか意味が分からない。ちょっと待て。何というか、たぶん。前提から間違えたのだ。だから、つまり。


 混乱をきたした『彼』の頭は、それからも混乱に相応しい回り道をして、回復するまでにかなりの時間をかけるが、それでもどうにか“前提”まで辿り着いた。


 「えーと……君はさ、赤ちゃんが欲しいから、結婚するんじゃなかったっけ?」

 「うん。赤ちゃんほしい。セドリックと」


 「何気にスゴイこと言ってるけど、ゼッタイ分かってないよね?」

 「……? セドリックがすきで……けっこんしたい?」


 またしても文脈的に間違っていない。だから『彼』も、半ばむきになって言い返した。


 「簡単に好きだとか言ってくれるけどさ、じゃあ、どこを好きだか言えるの?」


 少女は、瞬きを一度した。

 それから『彼』の顔をあらためて見つめると、いつもの抑揚のない語り口で言う。


 「わかんない」

 「おいコラ」


 「……わかんない。セドリック本よんでて、ばっかりで。なかよくをしてくれない。でも、本よんでるセドリックがスキ。いじわる言わないから」


 「……あのな」


 「いじわるのあとはスキ。セドリックは笑ってる。やだって言ったのに、正導学おしえてくれた。まちがえると、おこる。できたら、ほめてくれる。みっともない髪も、なおしてくれた。セドリックはやさしくなる。時々だけ」


 「……悪かったな、時々で」

 「うん。でも、やさしいとドキドキする」


 少女らしからぬ言い方に、『彼』の方がどきりとした。


 「本に書いてあった。ドキドキするのは、スキだって」

 「…………」


 どうやら彼女は、いわゆる男女の機微について少しは学んできたらしい。

 それが妙に『彼』を悔しい気持ちにさせた。


 「意地悪されてても好きとか、変わってるね」


 「……そうなの?」

 「そうだよ」


 少女は頭をひねり出す。やはり、あまり理解していないかもしれないと『彼』が思い始めた時、何かを思いついたように彼女はうなずき、再び口を開く。


 「あおい目が、王子さまでスキ。髪はこくたんの色でスキ。……これはお姫さま?」

 「…………」


 『彼』の嫌味をどう受け止めたのか、少女は好きの方向性を変えてきた。


 「髪のけやらかい、さらさら。頭はね、たくさんを知ってる。口はむずかしいのをたくさんいえる。手は回路ひらくのはやい。足は…足はおそいね。それと」


 「…あの」


 「セドリックは本と正導学がスキ。ポテトもスキ。ニンジンきらい。わたしもきらい。……きらい? まちがえた。スキのとこ……あ、寝てるの顔スキ。まゆ毛がかわいい。へにゃんになって。あと…あとは。あ、この間の、すごいね。わたし」


 「もういいよっ、分かったよっ」


 黙っていたら、いつまでも続きそうな好きの羅列に慌てて制止をかける。

 しかも、やたら細かいところまで見られていて、とにかく恥ずかしかった。


 おかしいと、『彼』は困惑を隠せない。


 さっきまでバカバカしいとか、潰れろとか思っていたはずなのに、なぜ自分は今、花とか蝶とか飛び交っていそうな空間にいるのか。


 この変化はあまりにも現金な気がして、すぐには受け入れがたい。

 ちらりと盗み見れば、少女の動じない眼差しと目が合って、視線が泳ぐ。


 無感動、無表情だと思ってきたが、もうとっくに気付いていた。

 ただちょっと読み取りにくいだけで、あのヘーゼルの瞳の下にはちゃんとした感情が宿っている。


 その瞳がひたすら好意を寄せてこようとするのだから、どうしたって居たたまれなくなってしまう。


 それに、少女はああ言っていたが、こんな性格のひねくれた面倒くさい子供を、どうして好きになったのか、やはり理解しがたかった。


 「…………」


 もしかしたら、親しい関係と言える相手に縋りたいだけなのではないのか。


 あんな家に居てもろくな目に遭わないことは分かりきっている。

 だから、必死に『彼』を繋ぎ止めようとしている。利己的というよりも、より本能に近い自己防衛がそうさせている。


 好きだの恋だのと幼い口から繰り出されるより、その方が『彼』にとっては、よほど理解しやすい感情だった。


 彼女には、自分しかいない。


 いっそ執着とも呼べる少女の好意が、そこから来ているのなら、『彼』にも受け入れられた。受け入れられると、そう思った。


 「……駆け落ち、したいの?」


 確認のために聞き返せば、少女は一切の迷い無く、こくりと頷く。


 「………―――いいよ」

 「セド!」


 呼び声とともに、『彼』は体当たりに近い抱擁に遭っていた。


 ひっくり返るように背中が枕のクッションを感じた一瞬後には、彼女の腕の中。

 頭を抱え込まれ、頬が小さな肩に当たっている。完全に抱っこされていた。


 反射的に突き離したい衝動に駆られた。


 だが、どうにか押し留まり、『彼』の方もおずおずと背中に両手を回して、その真っ直ぐな想いを素直に受け止めることにした。


 木漏れ日のような匂いだった。温かくて、柔らかい。


 けれど、見た目よりもずっと重くて、それが妙な現実感を与えてくる。聞こえてくる心臓の音も、小さな体に不釣り合いほど力強い。


 なんだろ、これ。


 自分を包み込む存在から、思わぬ感情が引き出されていくのを『彼』は感じた。


 少女の好意は、執着のようなものだと思った。けれど、彼女の身体からはそんな危ういものは感じられなくて、だからよく分からなくなってしまう。


 抱きしめてくる少女の手が、本当に縋っているだけの手なのか分からなくなった。


 「いいにおい。ほかほか」


 少女が、『彼』の頭をさらに抱え込んできた。


 「…………」


 気兼ねなく接してくる姿に、ひとつだけ分かることを見付けた。


 こうして触れてくる手を受け入れるということは、こちらの手だって受け入れてもらえることに他ならない。


 はじめて知るような、そのくすぐったい気持ちは、『彼』の心を浮つかせるのには充分だった。


 「……リア」


 そう呼べば、驚いたのか、少女は『彼』の顔を見ようと距離を取った。


 彼女から目線を合わせてくれるので、『彼』はヘーゼルの瞳に自分が映るのを見ながら、


 「そのまま」


 動かないで。音になっていない声で呟きながら、『彼』は体を寄せていく。


 二度目だっけ。そんなことを不意に思い出したが、少女の吐息を前に掻き消えた。

 もちろん、長さを数えたりはしなかった。







 「先に言っておくけど、今すぐに駆け落ちするのは無理だよ」

 「…………」


 すぐ隣で、無感動に見える瞳が『彼』を見返してくる。

 その瞳が言わんとしていることは、読み取ろうとしなくとも分かった。


 「いや、絶対に捕まるから。それにまだ子供だし、二人だけで生活できないでしょ」


 ベッドの上で寄り添うように寝そべっていた体を起こして、頬杖をつく。


 「結婚したいなら我慢して。最低でも八年。その頃、俺はきっとこの国で指折りの魔導士になってるだろうから、それなりに融通が利くと思う。だから、家同士のいざこざとか関係なく結婚相手とか選べるはずだよ。そうしたら二人で家を捨てればいい」


 「はちねん……」

 「……それとも、他の男と結婚して赤ちゃん作りたい?」


 聞かれてすぐに首を横に振ったので、『彼』は少しほっとする。


 「……わかった」

 「うん。できるだけ早く大人になるから、待ってて」


 そうしてその日は、少女の帰宅時間ぎりぎりまで一緒に過ごした。

 今度はいつ会えるか分からないから、そうやって、しばしの別れを二人なりに惜しんだ。






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