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09 記憶と夢(4)

※暴言・暴力が飛び交います


 場面が切り替わり、『彼』は旧エヴェレスト邸を訪れていた。

 正門ではなく裏門へと横付けすると、少女と家令(スチユワード)のアーヴィンに出迎えられる。


 そのまま裏庭から屋敷内へと入るが、『彼』が家から連れてきた従者(ヴァレット)は、書架室には入れないため、馬車の中で待機という形になった。


 裏庭からつづく渡り廊下を歩きながら持参したハーフコートを脱いでいると、アーヴィンから預かりますと声がかかるが、『彼』は、客人ではないのだからお構いなくと返したため、思いっきり苦笑されていた。


 アーヴィンの先導に従って、母屋から離れて建つ、木造二階建ての書架室へと招かれる。いつの年代に建てられたものか知らないが、旧家の鏡板を継木して、母屋とつながらない場所に離れを丸々ひとつ建てた物もなかなか珍しいだろう。


 中へ入るなり、いくつもある明かり窓のカーテンが、ほぼ同時に開かれていき、日の光を取り入れた書架室は、二階建てとあってかなり広い。


 木蝋で磨かれた鏡板を多用した木造ならではの時を経た風合いは、天を見上げるほど高く積まれた本棚の威容が相まって、押し迫ってくるような迫力があった。


 『彼』はアーヴィンが一礼して去るのを待ってから、好き勝手に歩き出す。


 何から読もうか。頭の中をそれだけで一杯にしながら本棚と本棚の合間を抜け、箔を付けた顔で居並ぶ背表紙たちを次々と品定めしていく。


 一方で、一緒に書架室へと入った少女は、本を探すこともせず『彼』のあとを付いて回っていたが、新しい知識との出会いに夢中な『彼』には見向きもされていない。


 やがて、『彼』の心を射止めた一冊が選び出されるが、『彼』の体格ではひと抱えほどの大きさになったため、本棚の脇に備えられてあった書見台まで移動した。


 踏み台へと上がって、ゆっくりと本を置き、最初のページを慎重に開いていく。腕にかけたままのコートがやや邪魔だったが、置き場所を探す手間も惜しかった。


 続いて少女もまた、背の高い書見台をつま先立ちでのぞき込むが、『彼』にはやはり相手にされていなかった。


 そんな『彼』らの様子をずっと、かなりの時間遠巻きにしていたセドリックだが、せっかくだからと自分も書見台の本をのぞき込んでみる。すると、何の前触れもなく場面が切り替わった。


 居場所は変わらず書架室のままだったが、さすがにもう、セドリックは驚かない。


 これまでも、何度となく場面は切り替わってきた。それでいて慣れないほうがおかしいし、それだけ見せられれば、だいたいの把握も付いてしまう。


 この、かつてあったはずの記憶には、どういう場面が記録されていて、どういう場面が切り捨てられているのか、いい加減察しないわけにはいかなかった。


 いったい何を思ってこれを作ったのか、かつての自分をセドリックは見つめるが、ふと気が付いた。書見台のかたわらで、懸命につま先立ちしていた少女の姿がない。


 「お嬢様!」


 突然、女性の声が書架室に響き渡った。


 『彼』は驚いて辺りを見渡すが、周りは本棚という本棚に囲まれており、限られた範囲しか見渡せない。


 「お嬢様、起きてください! お兄様がいらっしゃいます」


 必死に言い募る女性の声と、少女の寝ぼけたような声が微かに聞こえてくる。


 「今すぐご退室を。 セドリック様とこち―――」


 声が不自然に途切れた。


 「シ、シエナ……」


 戸惑った少女の声が聞こえた時だった。窓の外から争うような声が聞こえてくる。


 「何をなさっているのですか! 無断でシエナを消すなんて!」

 「うっぜ、まだ動けんのかよ。ああ、そうだ。お前は一号回路なんだっけ」


 「お止めくださいっ、こんな――」


 アーヴィンと思わしい声が、また不自然に途切れる。

 書架室の扉が乱暴に開かれ、どかどかとやかましい足音が入ってきた。


 遠くから、少女が息をのむ声が聞こえた気がした。


 「あーあ、やっぱり、本に虫が喰ってたよ。この害虫がっ」


 ガタンっ。


 響く小さくないその音に、『彼』は自分でも知らぬ間に駆けだしていた。 

 本棚という行く手を遮る邪魔な壁を抜けて、揉み合う声を頼りにそこへたどり着く。


 十五、六歳の男が、少女の襟元を後ろから掴み上げ、力任せに振り回していた。


 おぼつかない足下が何度も床を滑り、首で体重を支える苦痛に彼女の顔は歪んでいて、それを眺めながら嗤っている茶髪の男。


 ひときわ大きく少女の体がゆらされた時、男の視線が『彼』を捉えた。


 「誰だ、お前」


 他に人がいるとは思っていなかったらしい。男は狼狽した様子を見せた。


 襟首を掴みあげた手がわずかに下ろされ、自由になった首を巡らす少女は『彼』を視界に入れると、今まで見せたことのない恐怖を色を顔に滲ませた。


 「――や、セド……」


 「セド? ――って、ああ。セドリック・ヘインズか。お前の子作り相手の。いや、産卵か。うわっ気色悪りぃ」


 少女に向かって品のない言葉が投げつけられたが、彼女は男など見向きもせず、青ざめた顔で『彼』から全く目を離さない。


 そして、それまで悲鳴らしい悲鳴を上げていなかった少女が、悲鳴を上げた。


 「――た、たすてっ、たすけてっ!!」


 張り裂けんばかりの叫び声だった。


 予期せぬ大声に男の方も一瞬怯んだが、少女が助けを求めたのは、その場にいる誰でもない。


 「アービンどこっ! アービンっ! たすけて!!」


 人工精霊の名を呼び、助けを求める少女は、その小さな身体のどこから出しているのか、喉を痛めてもおかしくない声量で叫び続ける。 


 「たすけて! たすけてアーバイン! たすけて!!」

 「うるさい! だまれっ!」


 どう考えても逆効果だろうに、男がさらにがなり立てるので、少女の声はさらに甲高く悲痛さを増していく。


 書架室は、いっきに喧騒に包まれた。


 そんなただ中で、『彼』が考えいたのは、ハーフコート下にある腕輪のことだった。


 それを使い、従者を呼べば、すぐさまこの場を静められるだろう。だが、彼らではどうしたって事を穏便に済ませてしまうに決まっている。


 それでは、ただの泣き寝入りにしかならない。


 「――ねえ」


 わめき散らすばかりの二人に、『彼』は呼びかけた。


 第三者からの横やりは、彼らにも聞こえたようで、二人の注意が自分へ向くのを確認してから『彼』は男に向かって続ける。


 「アンタさ。今年でいくつ?」

 「……はぁ?」


 予想外の質問だったのだろう。男の眉根が不可解そうに寄せられた。


 「十五歳くらいかな? 学生科には通ってる歳だよね? だとしたら可笑しいね。講義はどうしたのかな。休日でもない昼間にこんなところで何やってるの?」


 男は押し黙った。


 後ろめたいことでもあるのか、探るような目つきを向けた男に、『彼』はうっすらと笑みを浮かべてみせる。


 すると、男はさらに警戒心を強めたようだった。

 邪魔だと言いたげに、掴みあげていた少女を放り出すので、彼女はバランスを失い、倒れるようにして床へと落ちた。


 少女はもう、悲鳴をあげていなかった。

 少しふらつきながらも立ち上がり、それから、じっと『彼』の方を凝視する。


 「――お前一人か?」


 男が聞き返してきた。


 聞いてきたはずの男は、何かを探すように周囲へと目をやっており、おそらく、『彼』に付き添っているはずの人工精霊を警戒しているのだろう。


 「……だったら、何?」


 肯定と取れる返事をすると、男はにやりと笑い、あからさまに態度を豹変させた。


 「お前こそ、他人様の家まできてお勉強か? でもまあ、仕方ないよな。父親がアレじゃあ、ろくな教育も受けられないんだろ? 知ってるぞ。お前の父親は妾とその息子に入れ込んで、家にもろくに帰ってこないんだって?」


 さも知ったような口で、男は『彼』を侮辱する。

 その短絡的な悪態が、『彼』の薄い笑みをいっそう酷薄なものにしたのも知らずに。


 「あのさ、それ言っちゃうの? 分かってるのかな? じゃあさ、君の父親はどうなんだっていう話になるよね?」


 言いながら、自分の口角が限界まで引き攣っているのを感じていた『彼』は、自分が何を言わんとしているのか分かっていた。


 続けようとしている言葉が、男一人への暴言では済まなくなることを、頭のどこかで理解していたが、『彼』は自分で自分を止められなかった。


 「妻子ある身のくせして女を金で買ってたってさ、よほど特殊な性癖でもあるか、もしくは奥さんが相当の不出来だったかだよね。しかも娘までこさえて、家に引き取ったそうじゃないか。もしかして、その娘の方が父親から大事にされていたりする? あれ、変だな。似たような話を、さっき聞いた気がするね?」


 「――なんだとっ」


 「でも、気にすることはないよ。だって君は父親には似ていないから。彼はどっちつかずで、卑怯なことなかれ主義者だけど、八歳の妹をいたぶって悦に入るほど人間のクズじゃないから」


 したり顔で『彼』を罵ったはずの男は、怒りに顔を赤く染めた。


 「そうなると、母親に似たんだろうね。君を見てれば分かるよ。娼婦の娘が引き取られた時、きっと、さぞかし狂った奇声をあげただろうなって――ほら、顔に出た。やっぱりそうか。十五になっても分別の付かないキチガイは、母親の腐れた血かっ」


 最後の一言と同時に、男は『彼』に強襲をかけた。

 乱暴に胸ぐら掴みあげると、体格差にものをいわせて近くにあった本棚へと叩きつける。


 脅しのつもりなのか、そのままぎりぎりと本棚に向かって押さえつけていくが、そこまでだった。まがりなりにも名家の子息を殴りつける度胸はないらしい。


 そして、腕力では適うはずもない『彼』は、これといった抵抗をせず、ただ腕のコートがずり落ちないように、しっかりと握り直した。


 これで、あっちが先に手を出した既成事実が出来た。それで充分だった。


 「もののついでだから、うちの母親も紹介しておくよ。知っての通り、妾に旦那を取られたうちの母親は、それはそれは自分の息子を手塩にかけた。妾腹の弟は、俺とは比較にならないほど能無しだったから、ことさら当て付けにしたかったんだろうね。でも、おかげで俺は本当に色々と教えてもらった――たとえば、人工精霊の作り方とか」


 突如として、男が絶叫した。

 『彼』の胸ぐらを掴んでいた腕に、どこからともなく()が突き立てられたからだ。


 男は腕を押さえながら、自分の身に何が起こったのか確認するが、『彼』の手の中にあるのは革のコートのみである。


 狼狽する男の視線に応えるため、『彼』はハーフコートを片手に掲げて見せた。


 「クローディア。君にはまだまだ早いけど、人工精霊について教えておこう」


 少女には一瞥もくれず、『彼』は独りで話を続ける。


 「人工精霊の精製は、魔法道具とは少し違う。ベースになる古い物と魔力回路の他にもうひとつ、本性(ほんせい)が必要になるんだ。魔力回路があくまでも性能を付与するのに対して、本性とはそのものの性質。つまり人工精霊の本性は、古い物(ベース)に寄るところが大きい」


 わざと難しい言い回しをした。少女のために説明しているのではないから当然だった。『彼』の視線は、一度たりとも男から外されていない。


 「そしてこのコートだけど、ある獣の皮と牙で作られてある。何だと思う?」


 紺色に加工されたコートは、襟元の留め具に鋭く伸びた黒い牙が二つ使われていた。

 それを目の当たりにした男が、青ざめながら後ずさる。


 「今、見せてあげる」


 言い終わるなり、コートから躍り出た四つ足が軽やかに床へと着地する。通常よりも2回りは大きい体躯と、あり得ない黒い牙をした、紺色の狼。


 悲鳴をあげながら男が逃げ出したが、即座に大狼が飛びかかって地面へと押さえつけた。背上で低く唸る狼に男が暴れ出したので、爪を立てさせ大人しくさせる。


 みっともない四肢が、雑多な歯列に噛みぎられたら、きっとすごく胸がすくだろうと考えていたら、狼が応えて、いかにも獰猛そうな口を開いた。


 「ぁぁああああ! アーヴィンっ! アーヴィンっ!!」


 その瞬間、緑髪の男が現れた。


 状況に割り込むやいなや、素手を狼の口に突っ込み、下あごを鷲づかみにする。


 動きの封じられた狼をそのまま片手にしながら、緑髪の男は――人工精霊アーヴィンは、『彼』の前に膝をついた。


 この場の状況をとうに把握していたのか、顔色ひとつ変えずに頭を下げる。


 「……どうか、お控え下さい」

 「どおして?」


 完全に馬鹿にした態度で、『彼』は足下の人工精霊を見下ろしていた。


 「これは……これは、両家にとって好ましくありません」

 「……――――」


 アーヴィンの諫言に、『彼』は自分が何をしでかしたのか、ようやく気が付いた。


 気付き、慌てて少女の姿を探す。

 半ば呆然と佇んでいる彼女を見つけた。やけにボロボロに見えるのは、髪がほつれているせいだろう。それでも泣いてはいなかった。


 涙を流した形跡すら見られず、そういえば娼館育ちだったことを思い出す。この程度の諍いなど見慣れているのかもしれない。


 かける言葉を見つけられなかった『彼』は、一言も発さずに歩き出した。紺色の狼を伴って、書架室の扉から外に出る。


 渡り廊下から裏庭まで出ていって待っていると、予想通り、少女が『彼』の跡を追ってきていた。


 何を言うでもなく、じっと『彼』を見つめながら近づいてくる。

 そばには大きな狼がいるのに怯みもしない。あの男よりよほど肝が据わっていた。


 数日前、家令のアーヴィンがわざわざ口添えに来たからには、少女の家には何かあるのだろうかと思ってはいた。だから、コートの狼は念のためのつもりだった。


 あくまでも非常事態のためだったが、それを感情に任せて使ってしまった―――


 「髪、みっともない」


 かける言葉を未だに探していたら、そんな台詞が出てきた。


 少女は自分の頭を押さえ、ぼさぼさの髪をいい加減に撫でつけはじめるので、『彼』は自分から距離を詰めて、手櫛ですいてやる。


 なんか、はじめて優しくしてるかも。

 そんなことを何とはなしに思っていると、少女がまた、じっと見つめてきた。


 「……何?」

 「えと、お兄さん……ごめん…」


 「……いつも、あんななの?」

 「…いつも、は、精霊さん。会わないように、して…けど……」 


 「たぶん、あの男が魔力回路に何かしたんだと思う。あんなんでも学院で学びを請う身分だろうから、くだらない知恵でも付けてきたんでしょ」


 あの男の事などどうでもいい。彼女に言わなければいけないことがある。

 そう思っているのに、まるで口にしたくないように喉から言葉が出てこない。


 その間に、ひととおりの手櫛を終えてしまう。


 すると、今度は少女の方が手を伸ばして来た。

 何をするのかと思えば、『彼』が頭を撫でたように、『彼』の頬を撫でくる。


 「……だいじょうぶ?」


 思いがけない言葉が発せられて、目を見張る。


 そういえば、それを聞くのを忘れていた。

 機を逃してしまった『彼』は、決まりの悪い思いをさらに抱えてしまった。


 「……平気だよ、これくらい」


 そして、そのまま、勢いにまかせて一息に言い切った。


 「でも、俺たちはたぶん、結婚できなくなった」






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