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せっぺいさん  作者: こころ
第一章 ~想い人~
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「ふぅぅぅ~~~」


おユキは店から出て、斜向はすむかいに咲く桜の木を見上げ、ため息をついた。


(もう一年...早いなぁ)


おユキは去年、桜が咲く頃に、ここ江戸へ来た。

お福やにて、初めての奉公を始めたのである。

桜の木から隣の建屋、干物くじら屋へ視線を移す。


(ここのおハルちゃんと一度も話さないまま、一年が経っちゃったな...

 いくつなのかな...おハルちゃん)


江戸でおハルの存在を知ってからのおユキは

何度も話すきっかけを掴もうと、暇を貰ってはくじら屋を覗いていたが、

おユキとは商いの繁盛時や裏方の手伝いが全く違うようで

なかなか見かけることさえも難しかったのだ。

今も店にはおハルの姿は無かった。


(やっぱりうちが一息つく刻とは合わないんやね...)


すっかり素に戻ったおユキが二度目のため息を付いた時、

くじら屋の向こう手前で派手に方向転換をして走り去る男がいた。


(あの人、たまに見かける人やわ...

 よく、くじら屋の中を覗いてる。何処の人やろ...)


まだ京之介と面識のないおユキはしばらく首を傾げたまま、

その後ろ姿を見送っていた。

ふと我に返って振り向くと、一人がお福やに入って行った。


(あっ、お客さんやっ。戻らなっ)


慌てて店へ駆け出したおユキ。

その刹那、先程の京之介の怪しい行動などすっかり忘れたのであった。




翌日も朝から大賑わいのお福や。

昼の繁盛時過ぎ。

お客が引き始め、おユキが少しゆったり出来る心持ちの頃合い。


「いらっしゃいませ〜

今日は何になさいますか?」


店内最後になったお客の元へトコトコと駆け寄り、おユキは声を掛けた。

向こう辻の昭和長屋に住む、よ兵衛べえだった。

奥からいそいそと出てきたおフクはおユキと目が合い、ニッと笑う。

それが、頼むよっ!の合図なのだ。


「よっ、おユキ。今日は何があるんだぃ?」


葱鮪汁ねぎまじるです!今日は、良い(まぐろ)が入りました。

 あと、漬け(ヅケ)もお薦めです!」


「うまそうだな。

 ならよ、そのどっちも適当につめてくれっか?」


「はぃ、すぐご用意します!

 そこの椅子にかけてお待ちくださいっ」


おユキはそう言うと奥へ小走りに消えた。

そして、おフクが見守る中、それらを手際よく詰める。

おフクは何も言わず微笑んで、おユキをお客へと促す。


「いつもありがとうねぇ、よ兵衞。

 少し盛っといたからねぇ」


おフクはいつもの調子で、よ兵衛に声をかけた。


「おっ、こちらこそいつもすまねぇなぁ。

 代はここに置いとくよっ、じゃ」


よ兵衛もいつも通り、おフクとおユキに片手を上げ、颯爽と店を後にした。


「ありがとうございました~」


おユキは店の外までよ兵衞を追い、深々とお辞儀をした。

それで気が抜けたのか、

同時におユキのお腹がぐーっと大きな音をたてた。

はっ!と後ろを振り向くと、

おフクは奥の台所へ戻る途中で気付いていない様子。

顔から火が出そうになったおユキは、

一瞬で赤く火照った顔を押さえながら、戸を背にし、後ろ手でゆっくり閉める。


(こんなに大きな音が出るなんて...

 やっぱりご飯はいただける時にちゃんといただいておかな... ん?)


戸を閉め終わる頃に違和感を感じたおユキ。

戸が押し戻される感じが...


(誰か、外から開けようとしてる?)


慌てて手の力を抜き、戸から手を離して振り向いた。

すると、戸はゆっくりと春風を店の中に再び呼び込む。

そして顔を見せたのは、隣の長屋に住む平吉だった。

こんなに近くで平吉を見るのが初めてのおユキの目は、みるみると大きくなる。

さっきの腹の音で火照った顔に当てたその手はそのままに、

何の言葉も発することが出来ないまま、おユキは後ずさった。


「こんにちは。あ、これ...

 昨日もご馳走様でした。とても美味しかったです。

 この皿と盆、返しに来ました。

 ・・・あっ、俺、皿洗ってないすね。いつものことですけど...すいません」


平吉は申し訳なさそうに苦笑いをして、ぺこりと頭を下げた。

相変わらずおユキは平吉の顔を見たまま、何も発せられない。

そんなおユキの態度にやっと気付いた平吉は、

困ったような笑顔を向ける。

ふたり、言葉がないまま、どのくらいの時間がたったのだろう。

奥からおフクが顔だけを出して、こちらに声をかける。


「おや?平吉かい?

 おユキはそこにいるよね?

 今日はめずらしいね、店に来るなんてさ」


「はぃ。

 いつも飯を頂いているのに、下げることまでして貰ってるから今日は...」


と平吉は盆を少し持ち上げ、申し訳なさそうに微笑んだ。


「そりゃありがとよ。でもいいんだよ、平吉。

 平吉にはこのボロ屋のあっちこっちを直して貰ってるし、お互い様なんだからさ。

 おユキ、その盆、受け取っておくれっ。

 ...おユキ? ありがとね)


おユキはなんとか平吉から盆ごと皿を受け取り、

くるっと後ろを振り向き、そのままトコトコと奥へ消えた。

すれ違い際、なんだか様子がおかしいおユキの顔を覗いたおフクは声を掛ける。


「顔がまた少し赤いよ、おユキ。大丈夫かい?」


「具合でも悪いんですか?おユキちゃん」


平吉が心配顔で聞いた。


「昨日から様子がなんだかおかしいんだよ。

 流行り風邪でも貰ってなきゃいいんだけど...

 この時期では珍しいけどさ...

 あの子、江戸に来てこの方、風邪なんて引いたことないから心配だよ」


平吉もうんうんと頷いている。

彼らしい静かな声で言った。


「そぅすね...」


「昨日はまた、からくりでもこしらえてたのかい?

 おユキが届けたんだけど、またそっと置いてきたって言うもんだからさ」


「マジっすか?!・・・」


平吉が普段の二倍は大きな声を出したことに驚いたおフク。


「そ、そうだよ。

 あんた、今まで知らなかったんかい?」


「はぃ...

 俺、いつもおフクさんが届けてくれてたのかと...

 おユキちゃんが...マジすか...」


「あたしは一度も届けたことなんてないさ。

 あとでちゃんとおユキにお礼を言っておくれよっ、平吉」


そう言うとおフクはニッと笑った。

それを受けて、真摯な顔でぺこりと頭を下げた平吉。


一方、おユキはと言うと...

奥へさがったまま一向に出てこない。

当の彼女は、胸の鼓動をなんとか抑えようと

奥の台所の壁にもたれて胸に手を添え深呼吸を繰り返していた。


「平吉さん、あんな声してるんだ...」


二人の会話を目を閉じ聞いていたおユキは、

平吉の声や言葉を聞いて、ほとんどと言って良いほど、

平吉と会話らしい会話をしたことのない自分に改めて気付いた。

そして、平吉と二人きりで会話をするなど今の自分には到底出来そうもないことにも気付き始めている。

同時にハッとしたおユキは、胸にあった手をお腹に急いで移す。


(もしかして、さっきの大きなお腹の音、平吉さんに聞かれた?!)


おユキはお腹を押さえていた手を外し、カッと火照り出した顔を両手で覆った。

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