京之介
江戸一番と評判の葛もちが売りのお幸や。
そこには、葛もちを頬張りながらお茶をすする京之介と
忙しく店を切り盛りするおサチの姿があった。
「巷で評判の紫雨膏でも、俺の病は治らんかもなぁ...
おハルにぎゅっとして貰えりゃ治るんだがなぁ...」
京之介は葛切りを口へ運ぶ手を止め、
忙しく動き回るおサチの背をボーっと眺めながらつぶやいた。
「あっ、京さん、鼻血鼻血!
もう京さんったら、困った人だよぉ。
恋病を患っているのはわかるけど、
人前でニヤニヤして鼻血まで出してさ、まったく。
紫雨膏、頭と胸の辺りにべっとり塗ってやろうかい?」
おサチが慌ててちり紙を京之介に手渡す。
「俺ぁ、おハルに心底惚れちまったんだぁ。
そらぁ、高嶺の花だなんてこたぁ分かってらぁ。
でもな、惚れちまったもんは仕方あんめぇ。
それが男と女の性ってもんじゃねぇのかい?
あぁ、おハルの汗が沁み込んだ襦袢が欲しいなぁ。なに、手拭いでも構わねぇさ。
俺ぁ、おハルの匂いが嗅ぎてぇんだ。」
おサチから受け取ったちり紙を適当にちぎり、
のんびりと鼻に詰め込みながら京之介は言った。
「やだよぉ、京さん、朝から。こりゃ、紫雨膏なんて効きやしないしないね。
まぁ、あれは痒み止めだから仕方ないか。
それにしても京さん、よっぽどその子に惚れこんでいるんだねぇ。
まぁ、惚れた腫れたは世の常だから、放っておくしかないかねぇ。」
「そうだろ?
俺の気持ち、分かってくれるか?おサチよぉ」
「ただね、京さん。あたしは京さんと長い付き合いだから、
しょうがない人だねぇで済むけど、
そのいやらしい発言は人様の前では口走っちゃいけないよ。
下手したら、手が後ろに回っちまう。」
「いやらしいなんてこたぁねぇよ。
惚れるってこたぁ、頭のてっぺんから爪の先までひっくるめて
惚れるってことじゃねぇか?
惚れた女の匂いなら嗅ぎたくなるのが人情ってもんだ。
でもな、天地神明に誓って、人様の前でこんな事、言いやしねぇよ。
そんなことしたら、お縄になっちまうことくらい承知してらぁ」
「それならいいんだけどねぇ...
あたしは京さんが変なことをしないかが心配なだけだよ」
「でもな、おサチの人柄を見込んで頼みてぇんだが、
おハルとの橋渡しを頼まれちゃあくんねぇかい?
俺の想いをこっそりおハルに伝えてくれるだけでいいからよ。
男らしくねぇのはわかってる。
でもな、俺ぁ、
こういうのはからっきしでどうしたらいいのかてんで分からねぇんだ。
頼むよ、おサチ。この通り!」
京之介は、葛もちの載った皿の脇に手を突き、頭を深々と下げた。
それを見たおサチが長いため息をつく。
「しょうがない人だねぇ、まったく...。
一日中ごろごろしているんだったら、とっととおハルの店にでも行って、
手伝いでもしてくりゃいいんだよ。
何かの拍子に、とんと話が弾むかもしれないし。
ただねぇ、橋渡しなんざぁ、必要ないと思ってんだよ。
あたしはくっ付くもんは放っておいてもくっ付くし、
ダメなもんはいくら橋渡しをしてもくっ付かんもんよ。
無理やりくっ付けたところで、そんな縁は切れるのは分かり切ったことだからねぇ。
そういうお節介は、京さんには悪いがあたしは面倒なんだ。
まぁ、京さんとおハルは放っておいても、うまくいくんじゃないかい?」
「すまねぇな、おサチ。変なことに巻き込んじまって...。
おハルのこととなると、見境がなくなっちまうんだ。
おサチの言う通り、くっ付くもんは放っておいてもくっつくのかもしれねぇな。
あまりにも上等な女なもんだから、すっかり自信無くしちまってよ。
おサチのお陰でなんだか自信が湧いて来たよ。
こんだけ想ってるんだ。縁結びの神さんも見てくれるに決まってらぁ。
そんじゃ、ひとっ走りおハルの店に行って、手伝いでもしてくらぁ!
ありがとよっ、おサチ!」
言い終わるより早くお幸やを飛び出した京之介。
それを見送ったおサチは呆れ顔で一人つぶやいていた。
「思い立ったら早いねぇ、京さんは。もう見えなくなっちまった。
あぁ、あの寝ぐせはどうしたもんか...ごろごろしていたのが丸見えだね。
きっとおサチにくすくす笑われるだろうよ。
それにしても、人の色恋沙汰を聞くのも悪いもんじゃないねぇ。
あっ!しまったぁ...
そう言えば、こないだ、平成並木長屋の鉄さんとおハルが...
これはまた後で、京さんに直接伝えようかね」