愛しいと想うこと
「京さん。
冬、終わっちゃいましたね」
おハルと京之介はくじら屋の裏庭にいた。
イワシを干した網台の横に腰を下ろしたおハルは、そう言い終えると隣の京之介に優しく微笑んだ。
その笑顔はどことなく寂しそうに見える。
「そうだなぁ。あっと言う間に終わっちまったなぁ。
雪の結晶を二人で見たあの日が昨日のようだ」
夕刻前の淡い朱色の空を見つめ、遠い目をした京之介が返す。
その視線の先の空下には海がある。
「ですね」
また京之介に微笑むおハル。
ふたりは視線を合わせ、幸せそうに笑い合った。
「おハルはよぉ、どこか行きたい所とかやりたいこととかないんか?
来る日も来る日も奉公ばっかりじゃ、つまらねぇだろう」
自分のことの様に、京之介は少しばかり口を尖らせつまらなそうに言う。
「そうですねぇ」
そう言うおハルの顔はなんだか楽しそうだ。
それは、奉公がひとつも苦になっていないのが手に取るようにわかる表情だった。
「じゃあよ、俺がくじら屋の旦那に話つけとくから、おハルは決めときな。
行きたい所くらいあるだろう?
そりゃ、俺は殿様じゃねぇからおハルに籠を用意するなんざぁ出来ねぇけどよ、
一緒に行ってやることくれぇは出来るからな」
「はぃ。考えておきます」
そう答えたおハル。
しかし実は、京之介の隣でたわいも無い話をするこの時間が一番幸せだった。
けど、江戸に来てもう二回目の春。
京之介からの誘いに張り裂けるくらい心が踊っているのも事実だったのである。
「決まったら遠慮なく俺に言えよ。
どこでも俺は付いてくからな!」
「ありがとう、京さん。
私ね、京さんのこと大好きです」
「な、なんでぃ、急にっ。そんなのわかってらぁっ。
も、戻るぞっ、おハルっ」
「まだいたいです」
おハルには珍しく、今日はやけにはっきり気持ちを伝えてくる。
普段と違うおハルの様子に
すっかり狼狽えた京之介の落ち着かない心持ちは隠しようがなかった。
「そ、そうか。
じゃ、まだいるかっ」
京之介はサッと上げた腰を今度はドカリと元の位置に下ろした。
「まだ休んでいても良い時間ですから大丈夫。
京さんは・・・私のこと好きですか?」
おハルは少し不安そうに、寂しそうな表情で京之介を見つめる。
「な、なんでぃ、いきなりっ。
当ったり前だろっ!」
完全に狼狽えている京之介。
おハルはうんうん頷く。
でもわがままを言いたくなった。
「はぃ、京さんの気持ちはわかっています。
けど・・・
ちゃんと私の目を見て言って欲しい」
「ゔっ・・・
うーん。そうだな、ずっと言ってなかったもんな。
ただなぁ、、、こっ恥ずかしいっ」
京之介は顔を赤らめ取り繕うように正直な気持ちを言い放った。
今の彼には、あんなにおハルを追い掛け回していた男とは思えない落ち着いた雰囲気がある。
お幸やでの出来事からまだ一年も経ってないが、二人にとっては大人になる充分の時間だったのだろう。
「じゃ・・・こうするぞっ」
京之介はそう言うと、おハルの背後に周った。
そして、その細い背中を後ろからぎゅっと抱き締めた。
おハルは京之介の突然の行動に驚いたが、胸の前で交差するその太い腕にそっと手を添えた。
どのくらいの時間がたったのだろう。
二人はそのまま動かなかった。
京之介のぎゅっとする力。
そこから伝わる彼の優しさにおハルの目頭はみるみる熱くなる。
気付くといつも隣にいる京之介。
そんな日常への感謝の気持ちと彼への愛おしさが溢れ出たのだった。
おハルは京之介の腕を掴む手にぎゅっと力を入れた。
「ずっと・・・私のこと・・・
好きでいてくれますか?」
その問いに京之介は大きく何度も頷く。
「大切にする」
そう言い京之介はおハルを抱き締める腕に優しくぎゅっと力を入れた。
彼のその言葉は短いがとても力強く優しい響きのあるものだった。




