南蛮語
「おユキー、
卓の準備は終わったかい?
拭いたら、賄い運んでおくれよぉ」
おフクは前掛けで手を拭きながら、まだ店先にいるおユキに声をかける。
「すみませんっ、おフクさん。
今、平吉さんが来て少し話してました」
ぺこりと頭を下げたおユキの顔は何だか嬉しそうだ。
それを見たおフクは安心し、自然と笑顔になる。
「そうかい。平吉、なんだって?」
「実は今朝、私が水撒きをしている時に、
ここら辺では見たことがない人に突然話しかけられたんです。
平吉さんにそこを見られてたみたいで...
心配して来てくれたようでした」
爆発の話を出すと心配性のおフクが必要以上に騒ぎ立てると思ったおユキは、
そこは伏せて話す。
「へぇ〜、見かけない人、ねぇ...
どんな人だったんだい?」
「痩せていて...
たぶん、男の人で...」
「たぶん?」
怪訝な顔で聞き直すおフク。
「あっ、あの...頭から手拭いのようなものを被っていたので
顔は良く見えなかったから...
それに、その被りものがとてもハイカラで似合っていて...
あっ、でも、声は男でした」
口調は女だったとも言いづらく、心の中だけで報告をする。
「ふ~ん、あたしもピンとこないねぇ...それだけじゃあ。
まっ、変なことされなかったなら良かったよぉ。
世の中は物騒なんだから、知らない人とは話さない方がいい。
今度また来たら、すぐにあたしを呼ぶんだよっ」
「はぃ」
両肩を掴まれ、真剣な眼差しで言われたものだから
おユキはすっかり圧倒され小さな返事になる。
「さっ、賄い、食べちまおう」
「はいっ」
今度は大きな声で返事をする。
「あっ、そうだ。
おフクさんっ、ひとつ聞いてもいいですか?」
「何でも聞きなぁ」
「平吉さんの言う、いえす、ってどんな意味なのか知ってますか?
さっき話していた時、言ってたから。
たぶん「そう」ってことなのかと思ったけど...
ザビちゃんも時々使うし...」
ザビちゃんとは、自称キリスト宣教師のザビエルと言う名の南蛮人だ。
噂では、半丁博打をこよなく愛すという。
博打と言えば、寺の境内でやることが常だった時代。
彼を見かけるのはそこでしか無い、と言う町人が大多数のことから、
彼が宣教師だという事実やザビエルという名も怪しまれている。
しかも、キリスト教について聞こうとすると、
彼が必ず言うことが、日本語わかりませ〜ん、だからだった。
「その通りだよ。イエスってのは日本国の言葉じゃないんだ。
はい、そう、ってな意味だよぉ。
マルペケで言うと、マルのことになるねぇ」
「やっぱり...」
(平吉さん、南蛮語も話せるのかしら... スゴイなぁ)
「なぁんだ、平吉来てたんじゃ、一緒に賄い食べれば良かったねぇ。
まぁ、長屋に帰って今頃、昼寝してるだろうから、夕刻前に持って行ってあげなねぇ」
「確かに...そうですよね。
私ったら全然気が利かなくて... はいっ、あとで届けます」
昨日も夜遅くまで長屋の部屋には光が灯っていた、と
話すおフクを聞いていたから、今朝の平吉の出現には驚いたのだ。
(不思議な人...
起こさないように、またそっと置いてこなくちゃ)
おユキは優しく微笑み、足取り軽やかに賄いの準備に奥へ戻って行った。




