誓い
夕七ツ前(夕方4時頃)のお幸や。
葛もちなどの甘味を求める客ははけ、おサチは休憩を取りに奥座敷へ入った。
このまま店終いしてもいいよ、とも言い残す。
休憩後は明日への下準備が始まる。
暖簾も下ろされていることだから、客は入ってこないだろう。
そんなお幸やの入口を入って右奥の卓で、ふたりは向かい合う形で腰をかけていた。
京之介とおハルだ。
あれからおハルはくじら屋の旦那に相談をし、数日後には奉公がひと段落した時間に都合を付け、ふたりは約束を交わしたのだった。
夕刻時の穏やかな陽が程よく差し込んでいる。
二人の前には、お幸や自慢の葛もちがあった。
その上には金箔が揺れている。
(やり過ぎだぜ...おサチ)
京之介はその豪華な葛もちを前に苦笑いを浮かべる。
一方のおハルは、それには気を留めていないのか、
そこまで気が回らないのか顔を赤らめて俯いている。
相変わらずだ。
しかし、今日はいつもの赤らめ方ではないように見える。
すると、葛もちを見つめたまま軽くうなずいた刹那、
おハルはパッと顔を上げた。
京之介をまっすぐ見つめる。
京之介の目は初め苦笑いをしていたが、普段おハルを見る優しい眼差しへと変わる。
おハルも安心したのか、小さいがしっかりした声で語り始めた。
「京さん、いつもお店の手伝いに来てくれて、ありがとうございます。
初めはそれが申し訳なくて、どうお断りしようか悩んでいました。
でも、京さんと店開きの時間を過ごすうちに、
私は毎朝のその時間が楽しみになっていました。
私には兄が二人いて、私は生粋の末っ子あかんたれです。
京さんの優しさに触れ、いつの間にか甘えていたのかもしれません。
でも、そんな気持ちと同じくらい、いや、もっと大きいです。
私は京さんの体を心配しています。
朝の京さんとの時間は私にとって大切ですが、それ以上に京さんの体は大切です。
ですから、どうか、京さんのお勤め前の手伝いは控えて頂けないでしょうか?
私はのろまなので、店開きが遅れる日もあるかもしれません。
でもその程度でくじら屋の旦那さまは私を叱ったりはしません。
だから、安心して下さい。
私はくじら屋で一人前の奉公人になりたいのです。
そして京さんとは時々こうやって、お話が出来れば嬉しいと思っています。
店先では、心にも体にもゆとりがとても持てませんから・・・」
おハルはここまで語ると、再び金箔の揺れる葛もちに目を落とした。
京之介はどんな顔をしているのだろう。
再び顔を上げて確かめることも出来ず、おハルは俯いたままだった。
金箔が揺れる葛もちを前に黙り込む京之介とおハル。
おハルの告白を神妙な顔で聞いていた京之介は、やがて笑顔を浮かべて言った。
「おハル、顔を上げてくれ。
そんなに俯いてたんじゃ、葛もちが恥ずかしがって溶けちまう」
京之介に優しくそう言われ、おハルはようやく顔を上げた。
そして京之介とおハルの瞳が合った時、
京之介は意を決し、いつになく真剣な顔で語り始めた。
「正直に話してくれてありがとうな。
そんなに俺の事を気に掛けてくれてるなんて、
ちっとも気が付かなくてすまなんだなぁ。
俺ぁ人一倍体は頑丈だし、
朝一のくじら屋の手伝いなんてちっとも苦じゃねぇから、心配なんていらねぇさ。
でもな、おハルの言いたいこともわかる。
あまり俺がちょっかい出してたんじゃあ、
いつまで立っても一人前の奉公人になれねぇもんな。
おハルが想いを寄せる男がいるってのは、風の噂で聞き知ってらぁ。
気にならねぇっちゃあ嘘になるが、そいつが誰でも構わねぇ。
それも全部ひっくるめて、俺はおハルに惚れちまったんだ。
もしな、そいつが俺じゃなくても、おハルの心の中に
ちょっとでも隙間があるんなら、俺をそこに入れてくんねぇか?
おハルが一人前の奉公人になりてぇ、って気持ちは尊重するよ。
朝の手伝いも程々にする。
おハルが嫌がるなら、酒も煙草も富くじもやめる。
おハルが俺の事を、ほんのちょっとでも思ってくれりゃあ俺ぁ幸せだからよ。
俺ぁ、これからずっとおハルのそばにいるって決めたからよ。
少しで構わねぇから、俺のこと考えてくれよ。
そりゃあ、おハルと一生添い遂げられりゃあ、それに越したたぁねえんだが・・・
って、変なこと口走っちまった。
すまねぇ...」
京之介はそう言うと、
優しくもあり真剣な眼差しで、じっとおハルの瞳を見つめた。
油断すると吸い込まれそうになるおハルの瞳に、
京之介は改めて誓いを立てたのだった。