約束
おハルを二人きりの葛もちへ誘う為、お幸やを飛び出した京之介。
くじら屋の旦那から、おハルは遣いに出たことを聞いたが
結局あの日は、おハルを探し出すことが出来なかったのである。
そして、今日も日課の店開きの準備に京之介はくじら屋に来ていた。
「おはよう、おハル。
昨日は恵比寿神社の祭りに行ったんだって?
くじら屋の旦那から聞いたよ。
昨日の夕刻前、たまたま寄ったからよぉ」
京之介はたまたまと言うが、いつも通り、全くたまたまではない。
くじら屋通いを始めてやっとおハルと世間話が
出来るようになったことが堪らなく嬉しくて、
おサチに報告する為、お幸やへ飛び込んだ。
そして、そこでおサチから知らぬおハル情報を聞き、
いてもたっても居られなくなった京之介はくじら屋へ出向いたのだ。
そして、そこで知ったおハルの遣いだったのである。
「はぃ、昨日は祭りの出店でべったら漬けを買いました。
恵比寿神社が発祥の地と聞いています」
おハルはそう言いながら、あの時の祭りの雰囲気と
想い人で胸を躍らせた自分を思い出し頬を赤らめる。
(なんとも、べっぴんな...)
おハルのその表情を見た京之介は改めてそう思った。
そして、おハルを抱き締めたくなった衝動を必死に抑える。
それは、両腕を組むことでそれらがおハルに巻き付くのを止める役目を果たしていた。
「う~~~~ん」
両腕を両手で必死に抑える。
なんとか自制が出来た京之介は唸り声をあげ、目を閉じ、取り繕う。
かなりの不自然さだ。
「う~~~~ん、それは知らなかったなぁ。
そうか、そうか」
「あっ、その樽は京さん、今日は大丈夫なんですっ。
日中に中身を補充しますから、そのまま店の奥で大丈夫です。
いつもすみません」
唸りながら無意識に身体が動いていた京之介は
抱きついていた樽から慌てて手を離した。
「おっと、いけねぇ。
動かすのは聞いてからが良かったな」
「いえ、私が先にそうお願いしておけば良かったんです。
いつもありがとうございます」
そんな穏やかなやり取りをしつつ
京之介はいつものようにあっという間に樽出しを完了させた。
「とろこでよ、おハルは甘いもの好きだろ?
だからよぉ...
今度よぉ...
一緒に葛もち食いに行かねぇか?」
「えっ...」
おハルの顔がまた瞬時に赤くなる。
そんなおハルの表情の変化などまるで気付いていない京之介は
あさっての方を見つめたまま続ける。
「いやっ、嫌なら無理にとは言わねぇ。
ただ、俺はおハルと絶対一緒に行きてぇんだ」
無理矢理誘われたと言われてもおかしくないようなことを言う京之介。
そんな中、おハルは不思議な感覚に捕らわれていた。
(丁度、私も京さんと二人でお話したかったなんて、恥ずかしくて言えない...
けど、こんな偶然ってあるのかしら... 不思議...)
「はぃ...
行きたかったです...」
おハルも不自然な返事になる。
しかし、「はい」の部分ですっかり舞い上がった京之介は
そんなことは気にも留めず、相変わらずせっかちに続ける。
「よしっ、話は決まった。
じゃぁよ、今日行くかっ」
「?!...すみません、京さん。
今日はアジの開きの仕込みがあって...
前回の品がとても良い味だと評判を頂いて、
作っても作っても追いつかないくらいなんです」
おハルは前々回に塩辛く仕上げてしまった失敗作から自分で考え
今回の味付けに結びつけられたことがとても嬉しかった。
京之介の言葉に驚きながらも、そのことをキラキラした笑顔で京之介に話す。
「そうかい、そうかい、そりぁ、俺も嬉しいなぁ。
俺の知らないところで腕を上げてるんだなぁ。
おぅ、わかったよ。
それなら、おハルの手が空いた日頃に声をかけてくれるかい?
俺ぁ、いつでもいいんだぁ。それまで待ってるからよ。
それから、俺にもその評判の開きを一枚お願いなっ。今日の夕刻に寄るからよっ」
「はぃ、もちろんです。
では今日のお勤め帰りの頃ですね。用意しておきます」
にっこり微笑むおハル。
それを見た京之介はまた抱き締めたい衝動にかられ、急いで腕組みをした。
「うむ。よろしく頼むな、おハルっ。
おっと、いけねぇ、
今日は油を売り過ぎたか... またなっ、行ってくらぁ!」
寝癖を付けたまま走り去る京之介の背中がひとつ目の辻の角に消えた。
「いってらっしゃい、京さん。
楽しみにしてます、葛もち」
自然と声になった気持ちと共に
おハルは小さく飛び跳ねるように店開きの準備が整った店の奥へ消えていった。