爆薬
(ん?)
長屋の戸を開け外に出ようと一歩踏み出した平吉の足元に、何かの袋が置いてある。
まだまだ物騒な世の中だ。
平吉は恐る恐るその中身を上から覗き込んだ。
(お幸やの葛もちか?)
それは、見覚えのある包み紙だった。
ぱっと見ただけでも三人前はある量だ。
(おユキちゃん...か?)
「平ちゃん、そこにつっ立ったまま何やってるの?」
杉田が後ろから声を掛けてきたと思ったら、
もう平吉の横から顔を出し、その袋に興味津々の眼差しを向けている。
「あらぁ?何かしらっ」
と、何の躊躇も無く手を出す杉田。
それを平吉は即座に片手で制す。
「杉田さん、これはやばいす...」
「な、何よっ...いきなり...
何、やばいすって? そんな言葉、聞いたことないわよっ」
平吉はお構いなしに続ける。
「これは...
ダイナマイトかもしれない...」
「なんと?!」
うまい具合に
心配そうに二人のやり取りを後ろで聞いていた源内が座敷から驚きの声を上げた。
「な、何なのよ、その...だいなま何とかってヤツ。
見た感じ、食べ物みたいじゃない、それっ」
変に勘の鋭い杉田が歯向かう。
「長崎で聞いた話ですが、
ダイナマイトとは、大層強力な爆薬だと聞いています」
真面目な源内が真剣に言うものだから、真実味に拍車がかかる。
「ば、ばっ、爆薬?!」
南蛮人と交流が深い杉田でも、さすがに聞いたことが無かったのだろう。
人一倍臆病な杉田は、
そう言うか言わない間に座敷にいる源内の背後に回り込み、
源内を盾にしていた。
「では、俺が処理してきます。
俺が戻るまでは、この長屋から出ないようにお願いします」
すっかり怯えきった杉田は激しく頷く。
わかっているのかいないのか謎の源内も、相変わらず真面目な表情で頷いた。
平吉も二人に向かって頷く。
そして、残りの片足も外に踏み出し、後ろ手で戸を静かに閉めた。
(ふぅ~~~)
深呼吸をひとつする。
(なんでここに置いて行ったんだろう...
お客さんがいること、わかったからか...
でも、地べたに置いて行くだろうか...
ここで何かあったのか?)
いろいろな可能性を考慮しつつ、
静かに置いたようには見えない目の前の袋を平吉は拾い上げた。
そして隣のお福やを見つめる。
(聞いてみるか、直接)
考えてもわからないと観念し、それを拾い上げ、草履をずりずりと引きずるように
ゆっくりとお福やへ向かった。
「こんにちは」
繁盛時では聞こえないであろう平吉の静かな声。
しかし今はお客のいない店だったから、奥からすぐさまおフクが返事を返してきた。
「あら、いらっしゃい、平吉。
その袋... もしかして、お幸やのかい?」
「はぃ。うちの長屋の戸の前に置いてあったんです。
だから、もしかしたらおユキちゃんが差し入れでもしてくれたのかと...
でも、外に置いてあったし、落ちてたようにも見えました」
「そうかい...
実はおユキにお幸やへ遣いを頼んだんだよ。
平吉も食べると思って、三人前の葛もちをさ。
そしたら、戻りが遅いなぁと思った矢先に帰ってきて、
そうかと思ったら今度は何も言わずに奥の部屋に入っちまってさ。
手には葛もちの袋は下げてなかったから、何があったのかさっぱりだよ。
多分、その葛もちはおユキにあたしが頼んだものだと思うけど、
本人から話を聞かないことにはねぇ。
最近、ずっと様子が変なんだよ...あのくらいの年頃の娘は繊細だから。
少し様子を見ようとは思ってるんだけどねぇ」
「そういうことですか...
すみません、おフクさん。
おユキちゃん、呼んでもらえますか?」
この袋を見てからずっと考慮を続ける平吉は
直ぐさまおフクにそう頼んだ。
「それは構わないけど、どうしたんだい?
何か心当たりでもあるのかい?」
「いや、全くありません。
だけど、本人に聞かないと何もわかりませんから...」
「それもそうだねぇ...
ちょっと待ってておくれ。ほら、そこら辺の好きな所に腰かけてなぁ。
おユキーーっ、平助が来てるよぉ」
通る声で奥のおユキに呼びかけながらおフクは奥へ消えて行く。
おユキの部屋の前に着くと、先程とは一転、
おフクは小さく穏やかな声で襖の向こうのおユキに声をかけた。
「おユキ、平吉が来てるよぉ。
どうする?出て来れるかい?」
おフクには娘が一人いた。
もしその娘が生きていたら、今のおユキと同じ年齢になっている。
そんなおフクは、口には出さないが
おユキが平吉に気があることくらい、とっくの昔に気付いていたのだ。
「平吉には具合が悪いって伝えとくよ。
少し休んでから店に出ておいで」
膝を折って襖は開けずに優しくおユキに語りかけたおフク。
ゆっくり立ち上がり店先の平吉の元へ戻ろうとしたその時だった。
座敷の襖がゆっくりと開いたのだ。
驚いたおフクが振り向くと、そこにはにっこりと笑うおユキがいた。
「おユキ...」
「おフクさん、本当にすみません。
私、勝手に置いてきちゃいました、葛もち。
あとで平吉さんと三人で食べるって言われてたのに...
ごめんなさ...」
おユキは言葉の途中でつまり、大きな瞳からぽろぽろと涙を流し始めた。
おフクの胸が締め付けられる。
何かあったんだろう。
見ていられなくなったおフクは、思わずおユキをぎゅっと抱き締めた。
「はいよ、わかったよぉ。
そんな泣くことないだろぉ。そんなにあたしが怖いかい?
もう何も言わなくていいよぉ」
抱き締めたまま微笑み、優しくおユキの頭を撫でた。
「落ち着いたら出ておいで。
あの葛もちは平吉に食べて貰うよ。
三人で食べるのは、またあとでにしようねぇ」
そう言い終え、そっと体を離す。
おフクは優しくおユキの背中を押し、部屋へ戻るよう促す。
そしてゆっくり元来た廊下を戻った。
「平助、悪いねぇ。
ありゃ駄目だわぁ、熱があるよぉ。
遣いに出す前に気付かなかったあたしが悪かった。
その葛もちは、平吉に届けるようにあたしがあの娘に言ったんだ。
そしたら、あの熱だろ?本人はちゃんと届けたと思ってる。
何も言わずに置いていったことは許してやっておくれ。
数日は店に出れないと思うから、
しばらくしてからまた顔を見に来てくれるかい?
その葛もちは、平助が食べておくれ。
ありがとうねぇ、わざわざ話を聞きに届けにまで来てくれてねぇ」
おフクは優しい眼差しで平吉の心配顔を見つめたまま言った。
「はい、わかりました。
おユキちゃんに、ちゃんと受け取ったと伝えてください。
あ、あと...どうかお大事にしてください。
いつもご馳走様です、おフクさん」
平吉はそう言うといつも通り深々と頭を下げ、お福やを出て行った。
ガラッ
乱暴に長屋の戸を開け、戻った平吉。
その手にはあの袋がそのまま握り締められている。
それを見た杉田の顔は見る見る青ざめた。
「ゥギャャャャャーーーーーッ!!!」
奇声を発すると、あっという間に長屋から姿を消した。
残された二人はしばし唖然とする。
そして、その日、杉田が戻ることはなかったのだった。
一方、源内はと言うと...
「ほぅ。葛もちですか」
と平吉の握り締めた袋を見つめ、優しげな笑顔を向け
食べる体勢に座り直している。
(さっき、これを見てダイナマイトだと信じたんじゃ?)
ふざけているのか真面目に言っているのか全く分からない。
源内は、待て!をさせられ尻尾を千切らんばかりに振る犬のように目をキラキラさせ正座している。
平吉はそんな源内を見つめ眉間に皺を寄せた。
この葛もちといい、さっきのお福やでの話といい、
なんとなく腑に落ちない感覚から抜け出せない平吉がイラつくのをよそに
源内が続ける。
「ささ、早く上がって頂きましょう。
杉ちゃんは今日はもう戻りませんから、それは私たちで...」
今度は満面の笑みを平吉に向ける。
それを見せつけられた平吉の心の棘は不思議と消えていく。
「...じゃ、食べますかっ」
「そうしましょ、そうしましょ」
「杉田さん、草履忘れてますね...」
平吉がきちんと揃えられた杉田の草履に目を落とし言った。
「あの方は大丈夫ですよ。
ささ、早く葛もちを」
男二人には小さ過ぎる卓前で、肩を寄せ合うようにして座る平吉と源内。
結局二人は、子供のように口の周りに黒蜜ときな粉の髭をつくりながら
杉田の分の葛もちもぺロリと平らげたのだった。