三人前
「おっと、ごめんよっ!」
突然お幸やから飛び出して来た京之介と
お幸やに遣いに来たおユキがぶつかりそうになった。
そして、そう言い残しそのまま走り去った京之介の背中は既に小さくなっている。
「あっ、あの人っ!
いっつもくじら屋を覗いてる人だっ」
見かける度に覗きや爆走を続ける京之介は、
おユキにとって、すれ違い様でも印象に残る存在だった。
「こんにちはぁ」
気を取り直しておユキはお幸やの暖簾をくぐった。
京之介と話し込んでいたのであろう。
くぐった店先にはおサチがいた。
店に入ってすぐ右の卓の椅子に腰をかけたまま声をかけてきた。
「あら、いらっしゃい、おユキ」
「おサチさん、葛もち、三人前ください」
「おや?
二人前の間違えじゃないのかい?」
「いいえ、三人前ですっ」
おユキは「三人前」の部分を強調して、意味深げにニッと笑顔を作った。
それを見たおサチは思わず口にする。
「おやまぁ、おフクちゃんにそっくりだよぉ、その顔ぉ」
そう言うおサチの顔が途端にほころぶ。
一方、言われたおユキはと言うと...
顔を両手で押さえ、
(あんなおばはんの歳に見えるんかぁ、うちぃ?)
と心の中で本気で嘆いていた。
「そこに掛けて待ってなぁ」
と言い残し、一旦奥へさがったおサチが戻って来た。
「盛っといたよぉ」
パチリと片目を閉じ、にっこり笑う。
「いつもありがとうございます!」
おサチの粋な計らいにおユキの心の嘆きは一気に吹っ飛ぶ。
そして、それと同時にあの疑問が頭に浮かんだのだった。
「あ、そぅだっ、おサチさん、ひとつ聞きたいことがあります。
さっきここから飛び出して行った男の人、知ってる人ですか?
あの人、くじら屋の近くでいっつも見かけるんです」
(まったく...分かりやすい男だねぇ)
おサチは聞こえない様につぶやき、答える。
「あれは京之介と言って、
こっちから行って、くじら屋の先の辻を右に行った長屋に住んでるんだ。
気持ちが真っ直ぐないい男だよ。
みんなからは京さんって呼ばれてる。
怪しい者じゃないから安心おし」
そう言うと、またパチリと片目をつぶって微笑んだ。
「京さん...ですか。
良かったぁ、変な人じゃなくて。はぁ〜
...では、私はそろそろ戻ります」
おユキは深々と頭を下げ、おサチにお礼を言うとお幸やを後にした。
そのままお福やへ真っ直ぐ戻るはずのおユキは、
店に着く直前、手に持った三人分の葛もちの重みをふと感じ始める。
いつもより一人分多い葛もち...
三人で賄い飯を食べたあの日を思い出す。
そして、おユキがハッと気付いた時には店を通り越し、隣の長屋の前で足を止めていた。
戸の前に立つおユキ。
耳を戸に近づけ、中の様子を伺う。
(うち、京さんよりよっぽど怪しいことしてるやん...)
とおユキが自嘲の苦笑いをしたまさにその瞬間、
中から男の叫び声が聞こえたのだった。