女の勘
それから数日が経ち、
世話焼きは面倒だと公言していたおサチだったが
その後の京之介とおハルのことを気にかける日々を過ごしていた。
丁度そんな頃合いのおサチの元、京之介が顔を出したのだった。
「おサチ、聞いてくれっ。
あれから毎日くじら屋に通ってるんだが、
やっとおハルと話が出来るようになった。
初めは俺が来た途端に隠れちまったが、日に日に顔見せてくれるようになってなぁ。
今じゃあ、世間話くれぇはするようになった。
目はなかなか合わしてくんねぇんだがな。
俺ぁ、それだけでも嬉しくて、毎日が楽しくて仕方ねぇや。
まあ、くじら屋の主人はいい顔してねぇが、こちとら客だぁ、無下にはできめぇ」
「それで、おハルの想い人はわかったのかい?」
なんだかんだ言っても
ふたりのことが心配でならなかったおサチは堪らず聞いた。
「いや、それがな...
もしそいつが俺じゃなかったら...と思うと、恐ろしくて聞けねぇんだ。
確かにおハルは、寝癖くれぇで気持ちが変わるような娘じゃねぇってことくらい
わかってらぁ。でもな、嫌な話聞くくれぇなら、
俺ぁ今のままでも構わねぇかな、って思っちまってる。
なぁ、おサチ。おハルの想い人はどんなことがあっても変わんねぇんだろ?
もし俺じゃなかったら、いくら想い続けたって仕方ねぇってことかい?」
「なんだい、京さんらしくない事言い出して。
あの勢いはどこに行っちまったんだい?
あたしもおハルに聞いたわけじゃないから、まだはっきりわからないんだよ。
ただ、女の勘って言うのかい?それでピンときたのが京さんだったんだけどねぇ。
見当違いだったんかねぇ...
でも良かったじゃないか、おハルと世間話をする仲になったなんてさ」
「へぇ~、あのおハルが俺の事をなぁ。
おサチの勘は、妙に鋭い時があるからな。
馬鹿にゃあ出来ねぇし、あながち間違いじゃねぇ気もしてくるな。
それならなおさら、想い人のことは気になっちまうなぁ」
「あの娘、訳あって上方から江戸に来てまだ間もないだろ?
くじら屋に奉公に入った時は、使いもんにならねぇって
くじら屋の旦那は思ったんだとさ。
笑いもしねぇ、一言もしゃべんねぇ、って当時旦那はぼやいてたよ。
江戸と上方ってのは、言葉や文化がそんなに違うもんなのかなぁって
二人で心配をしたもんよ。なのに、今となっちゃ、世間話はするわ、
顔は赤くするわ、逃げ隠れするなんて、わかりやすいと思わないかい?
あたしにとっちゃ、あのおハルがかい?って驚いちまったよ。
きっと、くじら屋の旦那もああ見えて、用も無いのに通う京さんを
悪く思ってないから心配なさんな」
「ほぉ。おハルは上方の人間だったのかい?
そいつはとんと知らなかった。あのおハルがねぇ。
確かにちと無口な所はあるが、俺には明るくて、裏表のねぇ、
いい娘にしか見えねえけどな。
でもな...万が一、想い人が俺じゃなかったらと思うと、胃が痛むんだよなぁ」
「胃が痛いだって?! しっかりしなよっ。
そうだ、そのうち、くじら屋の旦那から声が掛かるかもしれないよ。
おぃ、このするめイカ食ってけっ、上物だ、ってさ。
胃が痛いんで食えねぇ、なんてことを旦那に言った暁には...
そっちの方がわたしゃ恐ろしいよ」
「くじら屋って言やぁ、最近旦那が俺が行くたんびにやにやしやがってよ。
気持ちわりぃ野郎だな、って思ってたんだよ。
するめ食ってけ、って座敷に通された事もあったなぁ。
おハルの事は特には言ってなかったが、今のおサチの話を聞くと、
何か含みがあったのかも知れねぇな。
よしっ、駄目でもともとで今度おハルを葛もち食いに連れて来るかぁ。
そん時ぁ腕によりを掛けて、うめぇ葛もち食わしてくれよっ。
いつもと違った雰囲気で、何か違う話ができるかもしれねぇしな。
もう一度、俺の想いをぶつけてみっかぁ」
「そうだねぇ、それも悪くないね。
あっ、そうだったよ、京さんっ。その葛もちで思い出したよ。
京さんに、他に伝え忘れていた事があったんだ。
この前、おハルが遣いの帰りにここへ寄ったと話しただろ?
鉄さんとの葛もち代を払いにさ。その時に
『京さんに何言われたんだい?』って聞いた時にぁ、おハルは
顔を赤らめて貝になっちまったが、その前にひとつ聞いたことがあったんだよ。
『京さん、くじら屋によく顔を出すのかい?』ってさ。
そしたら、おハルはこう話してくれてさ...」
おサチはそう言うと、あの時のおハルの話を
一言一句も漏らさぬよう京之介に伝えるため、大きく深呼吸をして目を閉じた。
そして、あの時と同じように穏やかな気持ちで回想を始めたのだった。