言葉
「そうだ、平吉。
せっかく来たんだから、賄い飯、持って行きなっ。
今日は特にいい鮪が入ったんだ」
そう言うとおフクは奥の台所に向かった。
そこの壁にもたれ、二人の会話に聞き入っていたおユキは慌てた。
はっと顔を上げる。
(おフクさんが来る!)
おユキは壁から背を離し、慌てて鍋のおたまを取り、
何もなかった風を装い葱鮪汁をかき混ぜた。
そして、取って付けたように言う。
「おフクさん、平吉さんの賄い飯、今、詰めますね!」
「なんだい、聞こえてたのかい。
奥へ引っ込んだまま出てこないから、また具合でも悪くなったのかと思ったよ」
「すみません、お腹空きすぎて...」
とおユキはお腹を押さえてうそのような本当のことを言った。
「だよねぇ。
さっ、うちらも賄いにしようか」
「はぃ!」
「あっそうだよぉ、
おユキ、それ詰めるのちょっと待っておくれ」
おフクは台所から体半分を出し、平吉に声をかける。
「平吉もここで食べてきなよ。うちらも今から賄いだからさぁ」
平吉は丸くした目でおフクを見つめ、相変わらずの静かな声で言った。
「えっ...いいんですか?」
「あぁ、もちろんだよ」
「あ...じゃぁ」
ぺこりと頭を下げる平吉。
台所に体ごと向き直ったおフクがおユキに声をかける。
「おユキ、ってことで、みんなの分をよそっておくれ」
「は、はぃっ」
一体いま何が起きているのかまだ理解出来ていないおユキは
無意識に返事をした。
その時のことを全く覚えていなかったが、
後におフクから聞いた話によると、
さっと炙って千切った海苔を散らしたご飯の上に漬けを並べた漬け丼と、
葱鮪汁に溶き卵を落とし、ふわりと仕上げた汁物を3人分用意し
卓上に並べたのだという。
「いただきます」
平吉はいつものように手を合わせ深々と頭を下げる。
おユキも同じようにいつもより深く下げた。
食卓でのことも、後に何一つ覚えていない有り様のおユキは
ひたすら食べ続けていた。
3人で食べる賄いも悪くないな...と感想が浮かんだのも
平吉が長屋へ戻って、皿洗いが終わり、
夕刻の仕込みへ移る頃合いになってからだった。
「おフクさん、ひとつ聞きたいことがあります...」
「なんだい?なんでもお聞きよ」
「あの...平吉さんって江戸の方ですか?
平吉さんがよく言う、『まじすか』って言葉、どんな意味なんですか?
私、初めて聞く言葉で...」
「あぁ、あれかぃ。あれは、『本当』ってな意味みたいだね。
それだと『本当ですか』って意味だよ。
平吉は確か、薩摩の方の生まれだったと昔聞いたような...」
「薩摩ですか?!随分、遠い所から...
『本当』...って意味ですか...
なるほどぉ...あっ、おフクさん、ありがとうございます!」
「そうなんだよねぇ、あっちの方ではあぁいう言葉を使うんかねぇ。
あたしも初め聞いた時は、おや?っと思ったが、もうとっくに慣れちまっていたよ」
おフクは平吉と出会った頃を思い出したのか
懐かしむような笑顔をおユキに向けた。
「平助さんって、ホント不思議な人ですねっ」
普段はそう呼ばないが、なんだか心が弾んだおユキは
自分も平吉の別の呼び名を言ってみたくなりそう呼んでみた。
そして、満面の笑みでおフクとくすくす笑い合った。