通り雨
ーージャリジャリ。
鳥居をくぐり玉砂利を踏みながら境内の中へと入る。辺りを見回したが人影は殆ど無く閑散としている。少し早かったかなと思いながらも、とりあえず僕は待ってみる事にした。
僕の身体に起こる異変……。それが何なのかを、もし彼女が知っているなら教えてほしい。
……この時はまだ、それくらいの気持ちだった。
ーービュオッ!
海沿いの神社という事もあり、時おり吹き抜ける潮風がそれほど暑さを感じさせない。神社の向こう側からは、波音がここまで届いている。
「気持ちいいな」
久しぶりに訪れた神社が懐かしくもあり、僕は子供の頃の記憶を頼りに、境内を少し散策してみる事にした。
決して広いとは言えない境内を歩いていると、自然と賽銭箱や手水舎、樹齢何年かも分からない太い神木などに視線が行く。
「賽銭箱の陰に隠れたっけな」
「よく見付からなかったよな」
子供の頃の記憶をフラッシュバックさせながら歩いていると、僕は自然と独り言を言っていた。今にして思えば、それほど隠れる場所も多くない神社でのかくれんぼは、子供ながらだなと思う。しかし、それでも楽しい思い出ばかりだった。
あまりの懐かしさに僕は、持っていたノートと缶ジュースを、本殿の脇にある歩廊のところに置き、賽銭箱の裏に屈んでみる。すっかりと伸びた身長を隠すには賽銭箱の裏ではもう無理な様だった。
「みーつけた」
ふいにそう言われた僕は賽銭箱の裏からヒョコっと顔を出す。
「そんな所に隠れても、すぐ見付かっちゃいますよ」
そう言いながら、クスクスと笑ってこちらを見ている小野寺真理が目の前に居る。昨日とは違うワンピースに麦わら帽子のその姿は、やはりというかとても似合っていた。
いつの間に?などとツッコミを入れる間も無く真理さんは続ける。
「ダメですよ。賽銭泥棒は」
「あ、いやこれは……」
「何て言うかその、別に怪しい事をしていたワケじゃなくて……」
驚いて挙動不審になっている僕を見て、真理さんは笑っている。
「こんにちは。やっぱり来てくれたんだね」
「あ……どうも」
笑顔の真理さんを見た僕は、言い訳をするのもバカらしくなった。表現が難しいのだが、真理さんの笑顔は不思議と気持ちを落ち着かせてくれる。癒されるとも違う、笑顔なのだがどこか哀しげでもあるその表情は、同年代の女性からは感じられない雰囲気だった。
僕は少し温くなった缶ジュースを真理さんに手渡す。
「あ、ありがとう」
「考える事は一緒だね」
そう言って真理さんは、肩から下げたバッグからペットボトルのお茶を取り出し僕に差し出す。
「はいこれ。交換だね」
「はは。ありがとうございます」
真理さんから貰ったお茶はまだ冷たかった。ペットボトルの蓋を捻りお茶を一口飲んだところで、僕はふと疑問に思った。
(ん……?僕は真理さんが居るのを知っていたから缶ジュースを買ってきたけど、僕がここに来る保証はない……)
不思議に思った僕は真理さんに、なぜ僕がここに来る事が分かったのかを聞こうと思った。
「あの、どうして僕がここに……」
遮るように真理さんが言う。
「そう言えばまだ名前も聞いてなかったね」
(あ……)
「……言われてみれば」
確かに真理さんは自分の名前を教えてくれたが、僕からは名乗っていない。急に恥ずかしくなった僕は、改めて自己紹介をする事にした。
「瀬戸空っていいます」
「小野寺真理です。昨日は突然ごめんね」
真理さんは昨日の事をかなり気にしている様子だ。
「いえ。こちらこそ何かすいませんでした」
僕も昨日の事を少し反省していた。
「瀬戸君か。高校生かな?」
「はい。二年です」
「私は二十一歳の大学生。改めて宜しくね」
二十歳くらいかなと予想はしていたものの、いざ歳を聞いてみると、実際の年齢よりももう少し上の、落ち着きみたいなものを感じた。
「瀬戸君、今日は時間大丈夫?」
「あ、はい。今日は塾も無いので大丈夫です」
心にかかったモヤモヤが少しでも晴れる事を期待していた僕は、真理さんの話に耳を傾けてみようと思っていた。
ーーーー
「あの、色々気になる事がありまして、真理さんのお話しを聞こうと思って……」
「何だか堅苦しいね。敬語じゃなくてもいいよ」
そう微笑む真理さんの言葉に一瞬ドキッとした僕は、またしても邪な考えが浮かぶ。
(……付き合ったばっかりの初デートっぽいな)
思わずニヤッとしてしまった僕は慌てて真顔に戻す。今の顔を真理さんに見られていないか横目でチラリと確認した。
「ん?どうしたの?」
真理さんはニコニコと笑いながら不思議そうにこちらを見ている。
どうやら見られてはいない様だ。ホッとした僕は、オホンと軽く咳払いをして改めて聞いてみた。
「じゃあ敬語は止めますね。それより、どうして僕がここに来る事が分かったんですか?」
「フフ。また敬語」
「あ……これはもう癖みたいなものなので気にしないでください」
おそらく赤面していたであろう僕は、両手を顔の前でブンブンと交差させる。
「そうだね。私も瀬戸君に伝えなきゃいけない事があってこの街まで来たんだし」
「細かい事はいいか……」
少しだけ真理さんの顔が険しくなった様に見えた。
ーーーー
「何から話そうか……」
少し間があった後、真理さんがゆっくりと口を開く。
「瀬戸君、何か身体に変化はあった?」
その言葉で僕は、少しだけあった邪な考えが跡形も無く吹き飛び、一気に現実に引き戻された気がした。
「…………」
「……はい……実は夕べから……」
もう一度気を引き締め直した僕は、昨日から自分の手が透けている様に見えた事、急に視界がおかしくなった事を真理さんに話した。
「そっか……やっぱり始まったか」
そう呟いた真理さんは僕の目をジッと見つめて続ける。その表情はより険しくなっていた。
「瀬戸君、昨日私が話した事覚えてる?」
「あの……僕が消えるって話ですか?」
僕は昨日のやりとりを思い出しながら答えた。
「そう。その話」
「あの話はね、本当なんだ」
ーーえ!?
「ちょ、ちょっと待ってください。いきなりそんな事を言われてもワケが分からないです」
いきなり話の核心を突かれた気がした僕は、少し気が動転した。
「うん。だからこれからちゃんと説明するね」
「いきなり全部は信じてもらえないかもしれないけど、私は瀬戸君に真実を伝える事を誓うから」
そう言った真理さんからは、ある種の決意みたいなものが感じられた。
「瀬戸君、運てどんな風に考えてる?」
「ウン?ウンってラッキーとかの運ですか?」
「そう。その運」
「どう思うって……偶然宝くじが当たるのは運が良いって言うか、うまく説明するのは難しいです」
「……そうだね。ちょっと例えが難しかったかな。よく考えたら私もうまく説明出来ないや」
(……なんだそりゃ)
「じゃあ、寝溜めとか食い溜めって言葉は聞いた事ある?」
「はい。それなら」
「よく寝溜めや食い溜めは出来ない~ってやつですよね」
(運の話と全然違うような……?)
一瞬この人は天然なのかとも思ったが、僕はあえて口には出さなかった。
「そう、それ。ちょっと例えが変かもしれないけどイメージはそれに近いかな」
「イメージ?」
最早何のイメージかも分からない僕に、真理さんはさらに意外な言葉を投げ掛ける。
「瀬戸君、君良い人でしょ?」
「え!?何ですかいきなり」
とても脈絡があるとは思えない言葉群を、それでも何とか繋げようと僕は必死で思考を巡らせていた。
「真面目に答えて……」
少し怒った様な口調で真理さんは僕に迫る。
いまいち掴みきれない真理さんの性格は、たぶん隠れSなのだろうと、僕は妙に納得していた。
「……自分で言うのもあれですけど、確かに良い人かもしれないですね」
「さっきも横断歩道で困っていたお婆ちゃんを助けましたし」
「まぁ、余計なお節介だったかもしれないですけど」
少し得意気に語る僕に向かって真理さんは、親指と人差し指を立てて言った。
「やっぱりね」
(やっぱり?確信があった?)
「あの、それと寝溜めとか何か関係あるんですか?」
「うん。もう一つ聞いていい?」
(……僕の話を全く聞いてない……)
「瀬戸君、善とか徳って分かる?善行をするとかの善だね」
(……善に徳?いよいよ話が怪しくなってきた)
「はあ……まぁ何となくは」
「別に宗教の勧誘とかじゃないから」
慌てて真理さんは否定する。
「……」
すっかり疑いの眼差しで見る僕を、真理さんは特に気にしてはいない様子だ。
「とりあえず続けるね」
「人間は誰でも一度くらいは良い事をした事があると思うの」
「特に瀬戸君は人一倍そういった気持ちが強いと思うのね」
ーー真理さんの性格からして、誉められているのかは分からないが悪いきはしない。
「それで瀬戸君は、小さい頃から良い事をした徳、私は光って呼んでるんだけど。その光を身体に貯められる特別な体質なのね」
「その特別な体質の人を幸師って言うの」
「また、その光には……正確にはその光に触れた人達を、少しだけ幸せにする力があるらしいとも言われているの」
「……あくまでもらしいだけどね」
「それで、その光が瀬戸君の器、身体の事だね。その器の大きさよりも多くなると瀬戸君の身体から光が溢れちゃうんだ」
「溢れたらどうなるんですか?」
いまいち話の見えて来ない僕は当然の疑問をぶつける。
「……聞いて」
僕の質問にわざと答えないかの様に真理さんは続ける。
「幸師の使命は……幼き頃より善行を積み、徳を己が身体に蓄え、やがて淡き光の粒となりて人々を幸せにする……」
「はるか昔から。……具体的にいつ頃からかは私にも分からないけど、こう伝えられているの」
(おいおい、ついに使命とかまで出てきたよ……)
「それで……さっきの質問の答えだけど、つまり瀬戸君の存在は……この世界から消えちゃう……入り過ぎた空気で風船が割れるみたいに……」
ーー!?
衝撃的だった。正直ここへ来るまではどこか他人事の様な気持ちでいた僕は、まさに青天の霹靂とも言える、頭にドカンと雷が落ちた感覚を受けた。
「はぁ!?ちょ、ちょっと待ってください」
何故か瞬間的にムカッと腹が立った僕は早口でまくし立てる。
「さっきから言ってる意味がよく分からないんですけど」
「つまり、他人のために良い事をしたのに、その良い事をしたせいで最後は自分がこの世界から消えちゃうって事ですか?」
「……簡単に言ったらそうだね」
哀しげな表情で真理さんは答えた。
「バカバカしい」
「昨日初めて会った人にいきなりそんな事を言われて、信じられると思いますか?」
「どうせ嘘をつくなら、もっとマシな嘘にしてくださいよ」
「善とか徳とか、使命とか消えるとか。はは、知らない人が聞いたら頭がオカシイ人にしか見えないですよ?」
明らかに動揺していた僕は抑えていた感情を真理さんに吐き出した。
「……昨日の瀬戸君の様に?」
か細い声で真理さんはポツリと言った。
「!!」
ハッとした僕は少し落ち着きを取り戻していた。
「……すいません」
声を荒げてしまった事を少し反省していた。確かに何の信憑性も無い話なのだが、真理さんから発する言葉の一つ一つには、不思議と人を惹き付ける説得力があったからだ。
僕は再び真理さんに話しかける。
「……あの、もう少し詳しく教えてください」
ーーポツッポツッ……。
ふいに頬を伝う冷たい感触に、僕は空を見上げる。
さっきまで晴れていた空を、いつの間にか真っ黒な雲が一面を覆っていた。
「予報では晴れだったのに……」
「通り雨かな……」
そう呟いた僕は視線を真理さんに戻す。
「本当だね。通り雨かな」
「でも夏の通り雨は“夕立”って言うんだよ」
僕に釣られて空を見上げている真理さんがポツリと言った。
「話を戻すね」
「瀬戸君、小さい頃に空に漂っている光を見た事ある?」
「……光ですか?ちょっと覚えて無いですけど、蛍か何かですか?」
「ううん。蛍は夜に光るでしょ?でもその光は昼間でも光って見えるの」
「……う~ん。やっぱり記憶に無いですね」
子供の頃の記憶を呼び起こすが、特に気になる出来事は無い。
「そっか。でもそれはきっと、瀬戸君が記憶に無いくらい小さい頃、物心が付く前だったのかもしれないね」
「はあ……物心が付く前ですか」
ーー!!
「もしかしてその光って……」
そこまで言いかけたところで僕は理解した。
「うん。幸師の最後の瞬間……」
「その光は心が清らかな人にしか見えないと言われているの……」
「そしてその光を見る事が出来る人が次の幸師になる……」
「世界中に何人存在するかも分からないし、もしかしたら瀬戸君一人だけなのかもしれない……」
「あの……百歩、いや一万歩譲ってその話が本当だとして、真理さんは一体何者なんですか?」
「何でそんな事を知っているんですか?」
「最初に会った時に見付けたって言ってましたよね?それってつまり、僕を探していたって事ですか?」
「何で僕の事が分かったんですか?」
矢継ぎ早に質問をする僕に、真理さんは一つ一つ丁寧に答える。
「……私もちょっと変わった体質なんだ。私には幸師の人の身体がぼんやり輝いて見えるの……」
「…………」
「……じゃあ、今の僕も真理さんから見たら……」
「うん。昨日よりも瀬戸君を包む光が、少し強くなっていると思う……」
あまり言いたくはなかったが、という様な表情で真理さんは答えた。
「それでね、その光は器から溢れそうのになる程……つまりもうすぐ消えそうになる程、より強く輝いて見える……」
「初めはその輝きを何となくだけど感じるの……大体の方角だけ、だけどね……」
「でも瀬戸君に近付くにつれて、よりハッキリとした場所が分かったの」
「私は、これから瀬戸君の身体に起こる事をちゃんと伝えないといけないから……」
「……それが私の使命だから……」
そう言った真理さんの顔はとても哀しそうだった。
「…………」
「……つまり僕は……死ぬって事ですか?」
最も気になっていた事を、僕は思いきって真理さんに聞いた。
「……うん」
予想通りの答えに僕は少し苛ついた。
「あの、凄く良く出来たお話ですけど、一つ矛盾がありますよ?」
そう言って僕は先程の話の矛盾を指摘し始める。
「さっき真理さんは、その光には人々を幸せにする力があるって言ってましたよね?」
「……身の上話をするのも何ですけど、僕は三年前に父を亡くしてますし、とてもじゃないですけどおおっぴらに、僕は幸せですナンテ言えないです」
僕は、普段あまり他人には言わない様な事も、この時ばかりは自然と口から出た。
「ごめんなさい……私にもそこまでは分からなくて……」
そう言って真理さんは俯く。
ーーザァーッ!!
いよいよ雨脚が強くなってきた。勢いの増した雨粒は、バシャバシャと玉砂利を叩いている。
ここまでの話を聞いた僕は、ここへ来た事への少しの後悔と、言い様のない不安や苛立ちに若干情緒不安定になっていた。それに加えての急な通り雨が、僕の気持ちをより煽っている様にも思えた。
「あの、今日はとても楽しい話をありがとうございました」
「それと、僕はもうここには来ませんので」
「真理さんも風邪を引く前に帰った方がいいですよ!!」
ぶっきらぼうにそう言ってその場を立ち去ろうとした僕に、真理さんは言う。
「現に瀬戸君の身体は消え初めている……」
雨脚は更に激しくなっていた。土砂降りの雨の音で、僕は聴こえないフリをして走りだした。
(最悪だ……)
家へと急ぐ帰り道、僕はふと麻友の顔が頭に浮かぶ。
「麻友、ちゃんと帰ったかな」
今まで降っていた雨もいつの間にか止んでいた……雲間からは太陽も顔を覗かせている。
びしょ濡れになった身体は、それでも少し火照っている様に思えた。通り過ぎた雨とは裏腹に、僕の心の雲は少しも晴れてはいなかった。
雨で出来た水溜まり。そこに写る自分の顔を見て自然と足が止まる。
(夕立……か……)
心の中でそう呟いた僕は、また家へと走り始める。
置きっぱなしにしてきたノートの存在を、僕はすっかりと忘れていた。