壊れた目覚まし時計と缶ジュース
ーージリリリリリン!
頭の上で目覚まし時計が鳴り始める。
「……ん~……」
深い眠りから徐々に意識が覚醒する……。
いつの間にか頭までスッポリと被っているタオルケットから手を伸ばす。
ーージリリリリリン !!
ガサガサと手探りで目覚まし時計を探すが中々見つからない。
「……あ~もう……」
重たい瞼を少しだけ開けた僕は、うつ伏せに寝返りをうちながら顔を上げ、目覚まし時計の場所を確かめた。
ーージリリ……ガシャッ!!
アラームの音にイライラした僕は、けっこうな勢いで右手を振り下ろす。
ーーその時。
(……え!?)
驚いた僕は思わず言葉を飲み込んだ。今度は目覚まし時計を止めた右手が少し透けている様に見えたのである。
「ひゃっ!!」
悲鳴とも取れる言葉が思わず漏れる。
ゾッとした僕は一気に目が覚め、重たかった瞼を無理やり開け慌ててベッドから飛び起きた。
右手をまじまじと見る……が、一瞬透けた様に見えた右手は、今はもう何とも無い。
「何だ……寝ぼけてたのか」
安堵した僕はフゥとため息をつく……。
「あつ……」
いつの間にか額からも汗が流れている。パジャマは汗でビッショリと濡れていた。
ーージリリリリリン!!
突然、止めたと思っていた目覚まし時計が再び鳴り始める。
完全に油断していた僕は驚いて「ビクッ」と身体が反応してしまう。先程叩いた衝撃で、床に転がった目覚まし時計を拾い上げ、スイッチに指をかける。
カチッ!
今度こそはアラームをちゃんと止め、無意識に呟く。
「壊れたかな……」
そう言いながらいつもの場所に目覚まし時計を置いた僕は、部屋の網戸を開け空を見上げた。
(……今日も暑くなりそうだな)
ーーーー
「おはよー」
キッチンへ来た僕を、朝食の支度をしている母が不思議そうな表情で見ている。
「おはよう。あら、今日は早いのね。何処かお出掛けでもするの?」
(ん……?)
「今日って何曜日だっけ?」
慌てて僕は聞き返す。
「今日は土曜日でしょ。勉強のし過ぎで曜日も分からなくなっちゃった?」
皮肉混じりに笑いながら母は続ける。
「土曜日は部活が休みだからゆっくり寝るーって言ってたじゃない」
ーーガーン!!
(そうだった……)
土曜日は部活が休みだからゆっくり寝る予定のはずが、昨日のゴタゴタのせいで、目覚まし時計のアラームを解除するのをすっかり忘れていたのだ。
(まいったな……もう一回寝ようにもすっかり目が覚めちゃったし、何よりこの暑さ)
「どーしようかなぁ……」
ウロウロしながら考えていると、麻友が起きてきた。
「……おはよー……」
まだ寝ぼけた顔で目を擦っている。
「おはよう。良く眠れたか?」
寝ぼけた表情の麻友を見た僕はホッコリとする。
「うん。ちょっと暑かったけど……」
「おはよう麻友。まだおネムさん?」
優しい笑顔で母が言う。
「二人とも、朝ご飯の前にお父さんに線香をあげてきなさい」
朝起きたらまず父に挨拶をする。あの日からこれが我が家の日課になっていた。
「じゃあソラ、後をお願いね」
朝食の支度を終えた母はパートに出掛ける。
「うん。行ってらっしゃい」
「お母さん頑張ってねー」
そう言い玄関で母を見送った僕と麻友はテーブルの席についた。
思いがけず暇が出来てしまった僕は、朝食を食べながら麻友に話しかける。
「麻友、この後宿題見る?」
モグモグとトーストを食べる麻友が答える。
「ん……今日は朝から友達と図書館で読書感想文を書くの」
「だから宿題は夜に見て」
(……はは)
「……さよですか」
麻友にも振られ、完全にあての無くなった僕は少しイジけた顔で落ち込んだ。
(仕方ない。勉強するか……)
いよいよ諦めた僕は気持ちを切り替え、今度は家族として注意する様な口調で麻友に言う。
「そっか。じゃあ気を付けて行くんだぞ」
「うん」
麻友も真剣な顔で聞いている。
「宿題は夜にやるか」
「はーい」
ニコッと笑った僕に釣られ、麻友も笑顔になる。
朝食をとり洗い物を済ませ、妹を見送った僕は、ふと塾で使うノートがもう無い事を思い出し、買い物をするため街へ出掛ける事にした。
ーーガチャ。
「閉じまりはヨシと」
湿気を多分に含んだ蒸せかえる様な外気に触れると、僕は麻友が心配になってきた。まだ午前中だというのにすでにかなりの暑さである。
「麻友大丈夫かな。そういえばあいつ帽子持って行かなかったな」
熱中症。昔で言う日射病で倒れる人が最近増えており、抵抗力があまり無い子供やお年寄りが病院に担ぎ込まれる、というニュースをよく観る。重症になると生命の危険もあるとの事なのでなおさらだ。
ましてや麻友は病気がちで喘息持ち、いくら涼しい図書館とはいえ、外はこの暑さである。
ますます心配になった僕は、麻友の帽子を手に取り、ついでに届ける事にした。
家から通りに出るとフワッと風に乗って、あの匂いが鼻を刺激してきた。
この時期は、海沿いという事もあり、潮風と、夏の日差しで焼けたアスファルトの匂いが混じり、一種独特な香りがする。僕はこの匂いが大好きだった。
「うん。良い匂いだ」
ーーーー
街で買い物を済ませた僕は、妹が居る図書館へと向かった。途中交差点に差し掛かったところで、横断歩道を杖をつきながら、ゆっくりと渡るお婆ちゃんの姿が目に入ってきた。
無意識に信号機に目がいく。
(点滅してるじゃん!!)
そう思った僕は、すでに走り出していた。
横断歩道の中に入った僕はお婆ちゃんに話しかける。
「お婆ちゃん大丈夫?」
「信号が変わりそうだからちょっと急ごうか」
そう言いお婆ちゃんの肩に手を回し右手を上げながら横断歩道を一緒に渡る。
「お兄ちゃんありがとうね」
「いえ、こちらこそ。余計なお節介かも分からずすいません」
無事に横断歩道を渡り、何度も感謝された僕は手を振りながらお婆ちゃんを見送った。
~グニャリ……。
突然視界が歪む。一瞬、平衡感覚を失った僕はその場に倒れそうになるのをなんとか堪えた。
「え!?」
突然の出来事に事態が飲み込めない。慌てた僕はグッと目を瞑り、おそるおそる目を開ける……するといつもの街並みがそこにはあった。
「ホッ……」
安堵した僕はポツリと言う。
「熱射病……かな」
口ではそう言いながらも、僕は夕べから続く不可思議な現象の連続に、言い様のない不安に駆られ始めていた……。
ーーーー
図書館に着くと窓越しに麻友の姿が見える。麻友もこちらに気付いたのか、驚いた顔で手を振っている。
僕が図書館に入るよりも早く麻友が駆け出して来た。
「お兄ちゃんどーしたの?」
「ほら。外は暑いから帽子被っとけよ」
僕は持って来た帽子を麻友に手渡した。
「うん。ありがとう」
「それから麻友、お兄ちゃんちょっと帰りが遅くなるかも」
「昼ご飯は冷蔵庫の中に入ってるから、レンジで温めて食べて」
「うん。分かった」
麻友を独りにする事が少し気にはなったものの、どうしてもさっきの事が心に引っ掛かる。
「じゃあ、気を付けて帰るんだぞ」
「はーい。お兄ちゃんまたね」
麻友と別れた僕は図書館を後にした。
ーーピッ、ガシャンガシャン。
文房具屋で買ったノートを脇に抱え、自動販売機で缶ジュースを買った僕は左腕の時計を見て呟く。
「行ってみようかな……」
海沿いへと向かう僕の右手には、缶ジュースが二本握りしめられている。
ジリジリと照り付ける太陽は……ちょうど頭の真上辺りだった。




