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5月2日 一難去ってまた一難


「はぁ――せっかく、課題がクリア出来そうだったのに」



がっくし、と頭を落とす。

残すところ、作詞作りも残るところあと1つ。

先日、料理部に入った千佳から頂いた和風クレープから連想して作り上げた詩も完成した。本当に、あのクレープは美味しかった。思い出すだけで、口の中に唾が沸き出てくる。毒味という物騒な言葉がメールに記載されていたが、たぶんそれは気のせいだったのだろう。……って、クレープは今関係ない。

とにかく、残されたのはアニメタイアップ候補用の詩のみとなった。

それも9割方は、仕上がっている。



「作詞が終わったから、早いところ誰かに作曲してもらって歌い込みに入ろうと思ったのに――なんで、課題が増えるのかな?」



30日の日、学校を自主休講にして会った人物の顔が脳裏に浮かび上がってきた。

忘路光世と名乗った眼鏡男は、「株式会社・兎山」を代表して、スポンサーを引き受けてくれたのだ。「株式会社・兎山」といえば、地元の雑誌「うろNOW」の発行で有名だろう。「うろNOW」といえば、マイナーな月刊誌とはいえ、一流誌で看板を張れるような作家さんを使っていることで名が知れている。町外から、わざわざ取り寄せに来る人もいる程なので、この雑誌で目立つということは、かなりの宣伝効果になることが期待できるのだ。

しかし――



「なーにが、『“うろな町の未来ある若者を応援しようプロジェクト”の第1段階に選ぶ人間としましては、正直言って私は見込みはないと考えています。実績がありませんので』だ。

あの眼鏡―――そんなこと、私が一番よく分かってるのに!!」



飲み干したジュースの缶を、ぐしゃりと握りしめる。

私には、実績がない。目前には迫っているとはいえ、デビューはまだ数か月先のこと。未だに腹式呼吸ふくしきなるものはマスターしきれておらず、歌唱力も容姿も抜群に良いわけではない。ダンスの練習だけは幼い頃から続けたこともあり、スタミナだけはある。しかし、ほぼ独学だったこともあり、特別切れがあるわけでもない。だから、自慢ではないが―――一度もコンクールで入賞したことなど無かった。



「だいたい、売れているアイドルだって、個人で賞とか資格取ってる人の方が少ないっての」



だけれども、文句ばかり言っても始まらない。

今後ともスポンサーとして「うろNOW」がついてくれるためには、7月30日までに実績を出す必要がある。「アイドルに相応しい公式な大会で入賞してくれればいい」と光世メガネは言っていたから、地元のマイナー水着美少女コンテストで入賞したくらいだと認めてもらえないのだろう。いや、この町の美女率から考えると非常に難しい関門のように思えるが――。



「阿佐ヶ谷君だったら、『入賞? 何を言う、優勝するに決まってるだろ!』とか言いだすんだろうな」



……後悔ばかりが脳裏を埋める。

大きなため息とともに、缶を放り投げた。弧を描きながら、公園のごみ箱に吸い込まれていくところを見届けると、私は鞄を背負い直した。

今日は珍しく母親が在宅している。家では集中できないので、どこか集中できる喫茶店にでも入るか。



「もしかして――飯田、飯田夏音か?」



聞き覚えのある声が、背中にかかる。

進みかけていた足を止め、振り返ってみると、そこには2人の赤ん坊を抱いた小学生――のように見える小さな女性と、背の高い優男が立っていた。一見すると、幼い弟妹の子守をしている小学生のお姉ちゃんと、優しい従兄のお兄ちゃんといった風貌だが、私は違うことを知っている。



「し、清水先生と司先生!!」



2人は、れっきとした夫婦だ。

しかも、2人とも先日まで私が在籍していた中学の教師だったりする。小学生と間違えられてしまう容姿の司先生は、私に気がついたのだろう。驚いたように目を丸くすると、走り寄ってきた。去年赴任してきたばかりの清水渉先生との交流は―――あまりなかったが、生活指導も担当していた司先生には、お世話になったものだ。主に、国語の補習という時間で。



「高校では上手くやってるか、飯田?」

「はい、何とかやっています。

……先生のお子さんですか、可愛いですね」



腕に抱いている赤ん坊が、すやすやと寝息を立てていた。

指をくわえ、良い夢でも見ているのだろうか。どことなく恍惚とした表情を浮かべている。眺めているだけで、なんだか癒されそうだ。



「あぁ。桜也と桃香だ」



2人を視る司先生の眼は、温かい慈母のようだった。

とてもではないが、補習から逃げようとする私を追い立てていた「鬼」と同一人物には見えない。赤ん坊を生むと女性は変わると言うが、本当に変わるものだ。内心、感心してしまう。



「田中先生から聞いたぞ、アイドルになるんだって?」

「え、えぇ……まぁ」



一応、学校には「芸能活動」をするという届出をしている。

公にはしないで欲しいと頼んであるので、学校の生徒は知らないが――どうやら、先生たちの間では話題になっていたのかもしれない。高校の田中先生は、司先生と懇意の仲だと聞く。私がアイドルになるという事を、知っていたって不思議ではない。

だが――こうして面と向かって言われると、照れくさいというかなんというか。



「困ったことがあったら、いつでも相談してくれ!

可能な限り、力になろう」

「せ、先生――!」



女性は、子どもを産むと性格が変わるという。

あんなに鬼だった司先生の後ろに、後光が差していた。地獄の仏、いや、地獄に慈母と言うべきか。神々しいまでに輝いて見えた。



「は、はい!実は早速手伝ってもらいたいことがありまして!!」



私は鞄の中から、すっかり薄くなってしまったメモ帳を取り出した。

やっとの思いで絞り出した6つの詩と、書き途中の7つ目の詩。私は司先生に、差し出した。



「お時間のある時で構いません!

なんやかんやで、私自身が作詞することになってしまって、添削してもらいたいんです!」

「添削?」



桜也君と桃香ちゃんを預かり、代わりにメモ帳を渡した。

赤ん坊は予想以上に重かったが、このくらい――少しなら問題ない。むしろ、平気な顔で担いでいる司先生の体力が異常なのだ。

うっすらと眼を開け始めた双子を抱えながら、ふと――司先生の身体が小刻みに震えだしたことに気がついた。旦那である清水先生が、慌てた様に司先生を抱きしめる。



「大丈夫ですか、司さん!!」

「見てくれ、渉。あ、あの――万年国語補習だった飯田が、ここまで作り上げるとは――私は感動したぞ!」



薄らと瞳に涙が光る。

そして、公園のベンチに腰をおろすと、何処からともなく取り出した赤ペンで添削をし始めたではないか。これには、私も清水先生も焦ってしまう。



「い、いや、今じゃなくていいんですよ、先生!」

「そうですよ、司さん。長時間の外出は身体に触ります!」



だが、私達の言葉など耳に入っていないみたいだ。

何かに取りつかれたように、司先生は赤ペンを動かす。



「馬鹿者!あの飯田が、ここまで一生懸命に作り上げたのだ!

私が添削しないで、誰が添削するんだ!」



その瞬間、清水先生に凄い勢いで睨まれた。

明らかに先生の顔には、「お前のせいで、司さんの体調が悪くなったらどうしてくれるんだ」と書いてある。さすが赴任早々――半年もたたないうちに司先生を落とし、妊娠までさせた上に結婚まで漕ぎ付いた男だ。妻である司先生への愛は半端なモノではない。

去年の剣道大会では「愛の力」で勝ち上がったと聞いたが、あながち本当のことかもしれない。



「あの……すみません、清水先生」

「まぁ、子育て以外で活き活きとしている司さんを見るのは久しぶりだからな。

でも、司さんが少しでも体調を崩したら、容赦しないぞ?」



確かに、司先生の表情は活き活きとしていた。

夏の日差しの様に、輝いている。ひっきりなしに動いている赤ペンが気になるが、今は考えないようにしておこう。こちらから頼んだことだし、善意でやってくれている行為に文句を言う資格などない。



「それで、作曲は誰がやるのか?」



清水先生の問いに、少し顔を俯かせてしまう。

それだけで、清水先生は私が言いたいことが分かってしまったらしい。驚いたように目を見開いた。そして、梅原先生には聞こえないくらい小さい声で――



「まさか、本当に決まってないのか?」



と、問うてきた。

私は、ただ黙って頷くことしか出来ない。昨日、阿佐ヶ谷に問いただしてみたのだが、どうやら交渉は難航しているらしく、まだ目処も立っていないらしい。その話を聞いたとき、課題クリアの壁が、果てしなく高いものに感じたのだった。



「いいか、1か月でリリースされる曲が何曲あるか知ってるか?」



溜息と共に、清水先生が問いただしてくる。

CDの有名ランキングで公表される順位を思い返してみる。記憶が正しければ、50位まで公表されていた。よって、最低でも50以上はリリースされていることは間違いないだろう。



「100曲、とかですか?」

「違う、聞いた話だと400以上毎月リリースされているらしい」

「よ、400!?」



少し大きな声を出してしまったので、驚いたのだろう。

桜也と桃香が、うっすらと眼を開ける。心なしか、開かれた眼は今にも泣き出しそうに見えた。清水先生は、戸惑う私の手から赤ん坊を取り上げると、優しくあやし始める。すると、魔法にでもかかったように2人は再び夢の中へと沈んでいった。

……さすが、清水先生。人のあやし方を、しっかりと心得ている。この見事な手腕で、出会って半年もしないうちに司先生を落とし、妊娠させ、結婚まで辿り着けることが出来たのだろう。本当に―――恐ろしい人だ。



「で、話の続きなんだけど―――つまり、400以上毎月リリースされている曲のうち、50曲しかランキングに載ることが出来ない。10位以内を獲得して陽の目を浴びる曲は、10%以下。

完全無名のアイドルがくぐるには、狭すぎる門だ」



ごくり、と唾をのむ。

明らかに狭い関門。トップアーティストであったとしても、油断したら最後、門からはじき出されてしまう。落ち目だ、とか、時代ではないと言われていたとしても、初登場で10位以内に入り続けているグループや、毎回1位を獲得するユニットたちと、私は―――私なんかが作り上げた詩で戦っていけるのだろうか。

今さらながら、身体が震えてしまう。



売れない。

売れるわけがない。

それでも――



「私は、日本で一番のアイドルになりたい」



登る道は、緩やかではない。

むしろ、これ以上ないというくらい厳しくて、頂上何て雲の上に霞んで見える。首が痛くなって、もう降りてしまいたい。でも、それでも私は、アイドルになりたいのだ。だから、諦めるわけにはいかない。



「そうか。頑張れ、飯田」



片手に桜也を抱きながら、清水先生は器用に携帯電話を取り出した。



「司さんが添削したんだ。売れてもらわなくては困る。

幸い、俺の高校時代の友人に名の知れた作曲家がいてね、なーに、ちょっと話せばすぐに引き受けてくれるさ」



黒い笑みを浮かべて、にやりと清水先生は笑う。

有名高校出身のこの先生の人脈は、計り知れない。もし、この話が成功すれば、私のつまらない詩もスターダムに上がることが出来るかもしれない。



「お、お願いします、清水先生!!」



作曲家も決まり、作詞も仕上がりつつある。

まだ第一歩を踏み出したばかりだけど、これから頑張ろう。私は拳を握りしめて、空を見上げた。空は――どことなく曇っていて、先が視えない。でも、絶対になんとかやってみせる。



「見てろよ、あの眼鏡――絶対に、その鼻明かしてやってやろうじゃない! 」



曇り空に向かって、宣言する。

私は、絶対にあきらめない!!




YLさんから、清水先生と司先生をお借りしました!

そして、アッキさんから「月刊うろNOW」の47話と、とにあさんの「URONA・あ・らかると」の4月22日分と一部リンクしています。

※5月6日:誤字訂正


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