4月21日 飯田夏音の憂鬱
内気な自分を変えたい。
テレビの向こうで輝くアイドルたちを見て、何度夢見たことだろう。
歌もダンスも下手くそで、アイドルとしての才能はないかもしれない。でも、彼女たち見たく輝きたくて―――何度もオーディションに申込み、その度に落ちて、これで最後だと思って臨んだ6度目―――ついに、私こと飯田夏音はオーディションに合格した。
雪が舞う一日だったけど、上着を脱いで飛び跳ねたくなるくらい、暖かく感じたものだ。最後の最後で念願の夢が叶った。そう思うと、世界が輝いて見えた。
URONAレコードというの弱小レーベルだったけど、他に選出されたメンバーは可愛い子ばかりだったし、作詞家も作曲家も一流を揃えると豪語してくれた。だから、安心していたのに――
「ん、どうした、飯田夏音?」
「……なんでもない」
机に伏して、首を横に振る。
泣きたい気分だ。前に座る普通の同級生がマネージャー、と言う肩書きのアルバイト。
作曲担当は痴情の縺れで無理心中し、作詞家は精神的に病んでしまい活動を停止。選出されたメンバーは妊娠発覚や学業に専念するためとかで次々に止めて、気がつけば私一人。
アイドルグループ「アクセル」は、メジャーデビューを前にして、既にグループになって無かった。
「体調が悪いのか、飯田?アイドルは、体調管理も仕事の内だぞ」
「うん、分かってる」
私は、ゆっくり顔を上げた。
どうやっても、キラキラと輝けるアイドルになれるとは思えない。
7月に迫ったメジャーデビューが成功するとは、とてもではないが考えられなかった。
お先真っ暗。明るい未来が視えない。適当な作詞家が生み出した歌を、お情けで2.3曲歌って引退だ。引退公演には誰もお客さんが来なくて、一人寂しく歌を歌っておしまい。大学勉強に専念する未来が視えてしまう。
新しいオーディション、探した方が良いかもしれない。
「しっかりしないか、飯田!情けない顔を見せるな!!お前は、アイドルなんだぞ!!」
阿佐ヶ谷は、私の背中を強く叩いた。
身体を震わす刺激が、落ち込んでいた気持ちを吹き飛ばす。
確かに、くよくよしても何も始まらない。お披露目すらしていないアイドルで、ファンもまだいない。でも、アイドルとしてデビューが決まった以上、前を向いて諦めずに進んでいかなければいけないのだ。たとえ―――未来が真っ暗だったとしても。
「分かってるよ、阿佐ヶ谷君」
鞄を背負い、立ち上がった。
中央公園の近くにあるURONAレコードに出向いて、楽曲担当が決まったかどうか尋ねないと。メジャーデビュー予定の7月まで、もう時間が残されていない。
「む、そうだ。言い忘れていたが、作詞のことなんだが―――」
「えっ、歌が出来たの!?」
私は、阿佐ヶ谷が手にした紙を覗き込もうとする。
だが、私が覗き込む前に阿佐ヶ谷は高く持ち上げてしまった。私の手には届かぬ高みに。
「……見せてくれたっていいじゃん。私が歌うんだから」
「うむ、だがその前に、お前――何曲歌うことになるか知っているか?」
「えっ、そりゃ――カップリング含めて2、3曲くらいでしょ?」
タイトルになる曲とカップリングの曲。
一枚のCDには、だいたい3曲収録されている。他のアイドルだって歌手だって、キャラソンだって4曲以上の収録何て滅多に見たことが無い。私は正論を言ったはずなのに、阿佐ヶ谷は呆れたように息を吐いた。
「違う。カップリング曲含めて7曲だ」
「な、7曲!?」
冗談も程ほどにしてほしい。
だが――阿佐ヶ谷の剣道仕込みの真剣な眼差しは、嘘を言っているように見えなかった。
私は、ふらふらとその場に座り込みそうになる。何とかこらえて、机に支えられるように踏ん張った。
「多すぎでしょ!?なんで、こんなに多いの!?」
「うむ、これには深い理由があってな」
阿佐ヶ谷は3つの指を立てた。
「発売するCDは3種類。
1つのCDにつき、カップリング含め3曲と特典DVDを付ける。そうすると、必然的に7曲以上必要ということに――」
「ぼったくりじゃん!!」
つい叫んでしまう。
だが、阿佐ヶ谷は涼しい顔だ。私の困惑何て、全く気にしていない。
「特典DVDには、ショートドラマを付属する。
主演はお前で、その他の配役は今から探す。DVDごとにドラマを前編、中編、後編に分ければ問題ないだろ」
「すべて観るためには、全部買わないといけない」
なんてえげつない。
身体が引いてしまう。
酷い商法だ。いや――商法も間違っていないかもしれないし、トップアイドルがやれば儲ける商売だろう。しかし、私がやるとなると、決定的な致命点が存在する。私は、諭すように口を開いた。
「……無名新人アイドルのために、そこまでする人、いるかな?」
「いる!」
阿佐ヶ谷は断言した。
表情には、迷いなんて一つもない。
秋晴れの様にスッキリとした顔色をしている。
「お前は、日本一のアイドルになる女だ。売れるに決まってる!!」
その根拠のない自信は、一体どこにあるんだろう?
くすり、と笑ってしまう。だけど、不思議と嫌悪を抱けなかった。
ここまで清々しいと、私も売れるように思ってしまう。期待に応えられるように、頑張ろうって思える。私は拳を握りしめた。
「了解、絶対に売れてみせる!!」
拳を、阿佐ヶ谷に真っ直ぐ向ける。
アクセル全開で、夢に向かって突き進める。いや、突き進むのだ。
諦めずに、くよくよせずに、最後まで走り抜こう。
「あぁ、絶対にだ!!」
硬い拳を合わせる。
指先が、ひりりと痛む。だが、その痛みすら快感だった。
前に。もっと前に。立派なアイドルとして、私は必ず最後まで進む。この拳は、そんな決意を新たにした証だった。
「……それで、脚本家とか演出家とか、あと……7つも作り上げてくれる作詞家は決まったの?」
ふと、思い浮かんだ疑問を問う。
すると、阿佐ヶ谷は先程の紙を机の上に広げた。私は逸る気持ちを抑えながら、紙を覗き込んだ。そして、動きが止まってしまう。
「有名演出家にオファーを出したら、作詞の予算を使いこんでしまったんだ。
だから必要な7曲分は、飯田本人が作詞することになった。頑張ってくれ」
悪びれもせず、秋晴れの笑顔のまま言い放つ。
降水確率100%。先程まで売れるような気がしていた気持ちが、一気に沈んでいく。
本当に、私―――売れるのかな?