6月23日 リアル
「ごめん、しばらくかくまって!!」
扉を破らんばかりの勢いで、その家に転がり込んだ。
家の主――大地巡は口をぽかんと開けて、呆然としている。
「いや、ワイは別にかまわないけど、――学校は?」
「……早退してきた」
げっそりと、部屋の隅にうずくまる。
学校から巡の自宅まで、そこまで距離はない。それなのに、すっかり疲れ切ってしまった。
「大変なことになっているみたいやな、炎上アイドルさん」
「……それ、本望じゃないんですけど」
巡が出してくれた麦茶を飲みながら、疲れた様に息を吐いた。
そう――金曜日に出演した歌番組「フライ・フライ・フライデー」。あのガス爆発事故に巻き込まれた後で、着替える暇もなく会場に入った。
焦げた私服のことをMCの芸人さんに弄られながら、ステージに立って持ち歌を歌い、踊りきった。自分なりに、120%の実力を発揮できたと思う。
ただ、東野瞳子たちフルーツ・キャッツの前座的な扱いだったし、トークの時間も彼女たちの半分くらいしか設けられていなかった。当然と言えば、当然だろう。
いくら事情があったとはいえ、無名に近いアイドルが遅れてきたのだから――
「まさか、こんな事態になってるなんて」
問題は、収録が終わってからだった。
爆発騒動の事情聴取として警察に赴き、そのまま家に帰る暇もなく、急に入った別の仕事に出向く羽目になってしまった。
「ネットでも大騒ぎやで?
『リアル炎上アイドル』『幼稚園児を炎の中から救い出す、超新星』『ブログも全て炎上中』。
……この間、一緒に収録したゲーム実況の再生数も、急に伸びてるで?」
巡が、ぱぱぱっとPCを動かし、いくつかヒットした内容を読み上げていく。
そう――焼け焦げた私服で生放送のステージに立ったおかげで、一躍注目を浴びてしまったのだ。これが、深夜番組の生放送だったら話は変わってきたのかもしれないが、幸か不幸か時間はゴールデンタイム。視ていた人の数は、計り知れない。
一躍時の人となった私は、それからニュース番組、雲の上の存在だったバラエティ番組に出演させてもらい、そう――この土日、文字通り「休むことなく」働いていた。
「……2日合わせて睡眠時間、6時間ってなに? テスト前でも、もう少し寝てるよ?」
「学校で寝ればよかったんじゃ――いや、そうじゃなかったんやな」
「……御察しの通りです」
やっとの思いでURONAレコードに帰り、仮眠を取った後、鞄の中に入れておいた制服に着替えて登校――しようとした矢先のことであった。
『ねぇ、君、夏音ちゃんだよね?』
『こっち向いて―!』
『少し話、聞かせて貰えないかな!?』
といった類のマスコミが殺到してしまっていた。
マスコミにつられて、通勤通学途中の野次馬も集まってしまい、携帯カメラを向けられる始末。阿佐ヶ谷と代々木社長が追い払ってくれたが、学校でも騒ぎは一向に収まらない。
あまりの騒ぎに、厳しいことで有名な田中先生が降臨した。
うろな中学の司先生程ではないにしろ、いや、田中先生の方が勉強・勉強・勉強と余念がない。職員室に呼び出され、怒られるのではないかと肩身狭く立ち尽くしていたところ
『飯田さん、今日は帰りなさい。少なくとも数日は、休んだ方がいいわ』
田中先生は、優しく私の肩を叩いてくれた。
授業妨害だと怒られるのだとばかり思っていたので、少し拍子抜けだった。
『いい? 貴女はアイドルである以前に、この高校生よ?
勉強も大事だけど、今は身体を休めなさい。顔色が悪いわ』
そう言いながら、人目を盗んで職員用の裏口から脱出させてくれたのだ。
今までは、私が仕事で早退すると言っても、宿題を渡すのを忘れなかった田中先生が、こっそり教室から持ってきてくれた私のカバンだけを渡して。
「人目を忍んで、すぐに隠れさせてもらえそうな場所って、巡さんの家くらいしか思いつかなくて――ほんとうに、すみません!」
「いや、ワイは構わんよ。でも、夏音の家は、ワイの家から少し行った先のアパートなんやろ?そっちに隠れた方が、早いんとちゃう?」
「……ちょっと事情があってね――この時間は、家に帰れないんだ」
ソッポを向いてしまった。
母親がいるかもしれない時間には、極力帰りたくない。
学校を早退したことを知られたくは無かったし、色々と説明が面倒だ。ヒンヤリ冷えた麦茶を頂きながら、憂鬱な気持ちに沈んでいく。
せっかく有名になれたのに、私自身はアイドルらしく輝いていない。いつもの飯田夏音のままだった。
そんな自分が、嫌で嫌で仕方ない。でも、どうすればいいのか全く分からなかった。
巡は、しばらくテーブルの向こうから私を黙って視ていた。自分用に淹れた麦茶を飲みながら、なにやら考え込み、そして勢いよく立ちあがった。
「よし、実況の続きを収録するで!!」
「えっ……でも、次回の収録は、もう少し先ですよね?
しかも、オマケ収録だから、してもなくてもいいようなモノって……」
「こうして鬱々としていても、仕方あらへん。せっかく暇なんやから、収録しよう」
言うや早いが、PCを操作し収録の準備を始めた。
「鬱々としていたっても、仕方あらへん。
ワイはアイドルのことよく知らんけど――偶像と実像が違う事なんて、よくあると思うんやけどなー」
「アイドルと……リアル、ですか?」
なにやら作業をする巡の背中を見つめる。
視線に気がついたのだろうか、いきなり巡は振り返る。にぃっと笑った巡の手には、見慣れた収録用のスタンドマイクがあった。
「せやで。
ほら、ワイって中性的な声やろ?だから、ハンドルネーム:スパロウのワイは、女性説とか男性説で分かれて議論されとる。でも、ほら、現実の大地巡は何の変哲もない女や。
ネットで『スパロウは、俺の嫁』とか言う輩いるけどな、大地巡じゃなくて、実況プレイヤーのスパロウを嫁にしたいって考えているんやで?
たぶん、現実のワイを知ったら幻滅するんやろーな」
「そういうもの、かな?」
「そういうもんや。現実は現実、偶像は偶像、割り切って生きていかんと身体が持たんで?
ほな、一緒に実況しよ!」
巡は、実況するゲーム「遠いユキの日の記憶」のファイルをクリックする。
ゲームが起動されるまでの数秒、私の鬱々とした気分は、少しだけ晴れてきていた。例えるなら、空全体を覆っていた厚い雲が、少しだけ薄くなったような感じ。
現実の飯田夏音と、作り上げたアイドルとしての飯田夏音は別人。
それでも、否応なしに現実をアイドルとしての飯田夏音が侵食していくし、私自身がアイドルの飯田夏音のように輝きたい。
「ほら、立ち上がったで」
「は、はい」
ぱんぱんっと頬を叩き、気合を入れ直す。
現実か偶像か、考えるのは後回しだ。私はアイドルとしての飯田夏音の顔になると、巡の隣に腰を掛けるのだった。
「期待してるでー。夏音のホラーゲーム初心者丸出しの実況は、意外と評判いいんやから」
「丸出しって……いや、その通りですけどね」
くすり、と笑ってしまう。
マイクのスイッチが入った。カチリという音は、録音開始の合図。
スパロウに変身した巡と一緒に、アイドル飯田夏音は声を合わせるのだった。
YLさんから田中先生を、パッセロさんから大地巡さんをお借りしました。