6月8日 アイドル戦国合戦!
「おぉっと、ここで脱落――!奮闘惜しくも、破れました!!」
司会者の興奮気味の声は、私の神経を逆なでするようだ。
底の見えない泥沼に落ちてしまったアイドルを見て、喜ぶように言葉を荒げる。
私は、つい拳を握りしめてしまった。
沼に落ちたくて落ちたわけではないだろうに、不幸を愛でるかのように嬉々としている。それが仕事なのだろうし、視聴者側からすれば、そうした方が目を惹き楽しませることが出来るのだろう。しかし――こうして実際に参加する立場になってしまった以上、話が変わってくる。
「あの人だって頑張ってたのに、あそこまで言わなくてもいいように思えるか?」
隣に佇む阿佐ヶ谷が、言葉を漏らした。
まるで、私の気持ちを見通したような発言だ。熱血で斜め上の方向を走っているかと思えば、コイツは稀に気持ちを察した様に動く。
それが、長年の剣道で培って行ったものなのか、どうなのかは分からないけど。
「だが、ああして取り上げてもらえるだけマシだ。
テレビに出れずに、自然消滅するアイドルも多い」
「それは――そうだけどさ」
ぷぃっと顔を背ける。
自然消滅なんて言葉は、笑えない。
本日優勝予定の東野瞳子達「フルーツ・キャッツ」は、もちろんのこと、他の大手レーベル所属のアイドル達は、弱小レーベル所属のアイドルよりも不思議な余裕を醸し出している。きっと、ここで失敗しても、次があると思っているのだ。
でも―――私の下に落ちてくる流れ星が、次いつ来るか分からないのだ。
「明日は我が身」
「そういうことだ。ほら、そろそろ飯田も集中しろ」
阿佐ヶ谷は、ぽんっと肩を叩いた。
優しいような荒いような、どことなく不器用な痛みに、怒る気持ちは沸いてこなかった。
「分かってるって」
私は、セットに視線を戻した。
少しでもバランスを崩したら最後、ひっくり返ってしまう揺れる橋。そこをクリアすると、目の前に現れるのは、斜めの壁だ。斜面になっている壁を駆け抜け、スポンジ状の床を飛び越え、やっと安心できる足場で一息つくことが出来るのだ。それでも、まだ安心することは出来ない。縄を使って壁を登り、滑り台を使い大跳躍。浮島に飛び降りる。最後に回転する床に逆らって走り、トランポリンで間を跳び越え、やっとゴールを手にすることが出来る。
なお全てのゾーン下には、底の見えない沼地が広がっている。
もちろん、底がみえないと言っても、実際には足場があり、いざという時には救助できるような体制が整っているので、安全面に問題はない。
それに――
「現在のトップは、マロンちゃんの110秒。
次は、トーコちゃんです!!さぁ、意気込みをどうぞ!!」
「はい、怖いですけど……でも、でも、絶対に勝ちます!!」
若干震えながらも、きっぱりと言い放つのは、次にセットを駆ける瞳子だ。
小動物のような愛らしい表情に、握りしめられた拳は、まさに正統派アイドル。私なんかとは大違い。そして――セットも稼働を始める。
瞳子が、セットを超えることが出来るように。楽々と誰よりも早い時間でクリアしていくのは、当然のことだろう。
周りのアイドル達も、文句を言いたげな顔を浮かべているけれども、分かっていた結果だ。わざと失敗したり、時間を稼いだ子達は、どことなく悔しそうな顔をしている。
でも、実際に口に出さないし、カメラを向けられれば笑顔を浮かべる。
そう、彼女たちもアイドルだから。
「トーコちゃん、見事ゴール!!
早いぞ、早いっ!!タイムは断トツの82秒――!!この壁を超えることが出来るのか!?」
横から視えれば、揺れる橋は固定されていたし、トランポリンは逆に瞳子を押し出すように作動しているのが手に取るようにわかる。私の眼の見えないところでも、色々と瞳子をサポートするように動いていたのだろう。
「82秒、か」
私はポツリ、と呟いた。
次に挑んだアイドルが、壁を無様に滑り落ちていく様子を見つめながら、小さくため息をつく。彼女が終われば私の番だ。そっとポケットに手を入れてみる。
かさり、と先日――ファンを名乗る少女に貰った「幸運の札」が手に触れた。それだけで、なんだか力が湧いてくる気がした。
「これは私のためだけの戦いじゃないんだ」
応援してくれるファンの人達のためにも、私は勝たなければ行けない。
それでも、番組的には負けないと次の星は流れてこない。
深く息を吸い込み―――覚悟を決めた。
「それにしても――本当に教えなくて良かったんですか?」
セットに向かう飯田夏音の背中を見つめながら、阿佐ヶ谷はポツリとつぶやいた。
いつになくやる気に満ち溢れる飯田夏音は、裏側で起きている「やらせ」のことをまるで知らない。ここで、彼女は優勝してはいけないのだという事を、まったく知らないのだ。
いつ打ち明けるべきか迷っていた阿佐ヶ谷だが、何かで悩んでいた夏音に打ち上げることが結局できず、今を迎えてしまっている。
「いいのよ。アイドルなら、周りの空気も読めないと。
きっと、彼女は『やらせ』だって分かってるわ」
阿佐ヶ谷の言葉に、優雅な女性――ジョアンナが応えた。
時代遅れの弱小レーベルが、こんなゴールデンの番組に出演できるわけもない。
売れっ子作曲家のジョアンナが、「視聴率の取れそうな新人がいる」と、テレビ局に売り込んで、ようやくテレビに出ることが出来たのだ。
もちろん、「やらせ」であり、飯田夏音は優勝することが出来ずに引き立て役として出演するという筋書きで。阿佐ヶ谷は、ぐっと右拳を握りしめた。
「俺にもっと力があれば―――」
「あったところで、何も変わらないわよ。
私は、私が作曲した歌が売れないで終わるのが悲しいだけよ」
ジョアンナは、ふんっと鼻を鳴らし飯田夏音に目を向けた。
ちょうど、司会の人となにやら話している。夏音の表情は、いつになく明るく煌めいていた。恐怖も不満も何も感じない、まさに自信しかない表情だ。
「カノンちゃん、意気込みは?」
「もちろん!絶対に、トーコさんを破って見せます!」
夏音はカメラに向かって、拳を突き出している。
ジョアンナの傍にいたアイドル達は、そんな夏音に興味なさ気な視線を送っていた。
そう言っていられるのも、いまのうち。どうせ、負けるんだから……みたいな表情を。
「さぁ、カノンちゃん、準備はいい?」
「はい!」
夏音は、真剣な表情で前を見つめる。
そして、開始の合図が鳴り響いた途端、地面を蹴りあげた。
一心不乱、脇目もふらず流星のごとく走り出す。
橋を盛大に揺らしながら通り過ぎ、斜めの壁を走り抜けて、スポンジ状の足場を一蹴する。
ずれ落ちそうになりながらも、ロープにしがみつくように壁をよじ登り、夏音は頂上を目指す。
そう、異常な程に早く。
誰もが目を疑う、負け役にしては早過ぎる速度で。
「ねぇ……早くない?」
「うん、だってまだ1分過ぎたばかりだよ?」
ひそひそと他のアイドルが言葉を交わす。
スタッフも、予想外の事態に驚いているらしい。司会者は
「どうだ?落ちるか、落ちるか?どうだ――?あーっとクリアした!!よろけながらも、まさかのクリアだ!? 」
と白熱した実況をしているものの、額からは本気で汗がにじみ出ている。
予定調和が崩れる。生放送だから、編集も取直しもきかない。一発本番の舞台に、失敗は許されない。そう、赦されてはいけないのだ。
ジョアンナは細く微笑んだ。
「そうよ、そのまま番組を奪っちゃいなさい――ベタなアイドルちゃん」
驚きのあまり立ち尽くす瞳子を視界の端に収めながら、阿佐ヶ谷は手に汗を握った。
壁を登りきった飯田夏音からは、誰も目が離せない。飯田夏音は、どこまでも平凡で、どことなく粗暴で、やっぱり地味な少女だ。
だけれども、真剣に駆け抜ける様は研ぎ澄まされた刃のように美しい。
「飯田夏音16歳、回転する床に逆らって、走る、走る、早い、早い、早い!!抜けた――さぁ、どうだ、最後の難関トランポリン!! 数多のアイドルが挑み、沼へと消えた難関を越えられるか、カノンちゃん――助走をつけずに、今、跳んだ!!」
瞳子の時のように、優位に働かないトランポリンを悠々と跳び越え、猫のように着地する。
飯田夏音は、ゴールのテープを笑顔で切った。
荒い息を繰り返しながらも、やりきったような表情で時間を視る。
ジョアンナも、阿佐ヶ谷も、スタッフも、アイドル達も、瞳子も――誰もが瞬間息をのむ。
そして――
「は、発表だ――タイムは――84秒!!」
「そんな!!? 」
飯田夏音は、崩れ落ちた。
顔に手を当て、肩をしゃくりあげる。
必死で挑んだからこそ、生み出された悔しさを噛みしめるように、飯田夏音は崩れ落ちた。
「惜しかったね、カノンちゃん。
たった2秒。されど2秒の壁は高かった。優勝は、フルーツ・キャッツの瞳子ちゃん!!」
瞳子は、ホッと安心したような表情を浮かべた後、嬉しそうに他のメンバーと一緒に跳びはねていた。幸せを噛みしめる様なフルーツ・キャッツとは逆に、夏音は悔しそうに腕で涙をぬぐう。
阿佐ヶ谷は、夏音を慰めようと近づこうとした。
「飯田――大丈夫、か?」
「もちろん、大丈夫に決まってるじゃん」
顔を上げた夏音の顔には、涙1つも浮かんでいない。
先程同様の笑顔に、阿佐ヶ谷は動揺してしまった。
落ち込んでいたように見えたが、実際の所まったく落ち込んでいる様子はなかった。それどころか、やりきったような笑顔を浮かべている。
「なに笑ってるんだ?お前は、負けたんだぞ!? 」
「もちろん、分かってるよ。
東野瞳子のタイムは、82秒。私のタイムは、84秒だったんだから」
そう。
瞳子のタイムは、82秒。
対する夏音のタイムは、84秒。
間のタイムは、たった2秒しかない。そう、もし2秒早かったら――例えば、あの坂の壁で苦戦していなかったら、きっと、いや確実に夏音は2秒の壁を越えて、優勝していた。
悔しいはずだ。何も知らなかったのだから。しかし――
「そう、私は負けたよ――この番組の進行上ではね」
優勝者としてコメントをする瞳子たちを眺めながら、夏音は笑って答えた。
この時、はっと阿佐ヶ谷は夏音の言いたいことに気がついた。
ジョアンナが、ぎりぎりで番組に捻じ込んだだけあって、夏音の出番は最後だった。
驚異のタイムを叩きだした瞳子に注目が集まるもの確かだが、その瞳子を越えられるかもしれない最期のアイドルとして、夏音にも注目が集まっていたのだ。
「なるほど……途中で凄いタイムを叩きだすアイドルよりも、最後に挑戦するアイドルの方が、印象強く残る可能性があったという事なら――これは――
瞳子が『2秒差で勝った』のではなく、飯田が『2秒差で惜しくも負けた』と印象に残ったということか?」
「そういうこと。
伊達に長年、視聴者やってたわけじゃないんだから」
阿佐ヶ谷は、なるほど、と頷いた。
だが、1つだけ疑問が残る。夏音の表情を視る限り、予定通りに事が進んだのだろう。
だけれども、肝心の84秒はどうやって数えたのだろうか?
その疑問に応えるように、飯田夏音は微笑んだ。
「私のデビュー曲、アクセル――マネージャーのアンタは練習してないから分からないと思うけど、これってね、イントロからサビが終わるまで丁度84秒なんだよ」
それは、練習を繰り返さなければ出来ない荒業だ。
阿佐ヶ谷は、驚きのあまり目を見開いてしまった。
「それは――もし、本当にやったなら、お前、イメージしながらアレをやったのか!?」
「それくらい出来ないと、アイドルとして不合格でしょ?
忘路は、『お前は捨て駒だ』って言ったけど、私はそんなのになんかタダでならないんだから」
阿佐ヶ谷は、目を細めた。
飯田夏音は、捨て駒になることを知っていた。だけれども、捨て駒になんてなりたくなかった。生き残りたかったのだ。
生き残るためなら、と思って積み重ねてきた練習を無駄にしたくない。
出来ることなら、それも生かしたい。
アイドルとして実を結ぶためならば、アイドル飯田夏音は無茶なことにも挑む。
嬉しそうに微笑む飯田夏音を、ジョアンナは遠巻きに見つめていた。
ジョアンナはそっと後ろに下がり、隣にいた男に耳打ちをする。
「どう、プロデューサー?あれが、飯田夏音よ」
台本を握るプロデューサーは、黙って飯田夏音を見つめる。
先程までの研ぎ澄まされた感覚は、既にもうない。そこでマネージャーに語りかけるのは、ごくごく普通の女子高生だった。
どこにでもいる、特別明るいわけでもなく特別暗いわけでもない。地味すぎず派手すぎず、何処まで行っても平凡な女子高生は、それでもアイドルらしいと思わせる自信に裏打ちされた笑顔を浮かべていた。
「……なるほど、お前が曲を作るわけだな」
台本を広げ、赤ペンを取り出す。
飯田夏音と書かれた名前の上に、大きく赤ペンで囲む。
夏音の名前の隣には、同じく赤ペンで囲まれた瞳子の名前も書かれてあった。
「同じ16歳の新人アイドル――片方は大手で片方は弱小レーベル。
しばらく荒れそうだな」
獲物を見つけた狙撃手のように、にやりと笑うのだった。
アッキさんから、忘路さんの名前だけお借りしました。