6月5日 夕暮れ時の運勢
1人、街を歩く。
足取りは、いつになく重かった。
活き込んで攻めに行ったのに、門前払いされてしまったようで――落ち込んでしまう。
そもそも、何故――阿佐ヶ谷はこのことを私に伝えなかったのだろうか。今日も学校で聞き出そうとしてみたけれども、上手く言いだせない。そもそも、私はアイドルとして売り出されるのだ。マネージャーとはいえ、男子生徒と二人っきりで話すのは――気が引けた。
「はぁ――憂鬱」
デビューして間もないから仕方ない?
どうせ、引き立て役の捨て駒アイドルだ。せっかく賭けていたのに――歌も踊りも独学で、トークにも容姿にも自信がない。私には体力と気力しか残されていない。だから、この企画に賭けていたのに――
「あっ、もしかして――飯田夏音さん、ですか?」
とぼとぼと歩く背中に、声がかかる。
振り返ってみると、そこには1人の中学生が立っていた。艶やかな黒髪が特徴的な和風少女は、何だか分からないが輝いた視線を向けてくる。
知り合いだっただろうか、と戸惑いながら
「はい、そうですけど――」
と答えれば、少女の顔は、ぱぁっと華が咲いたように明るくなった。
私よりもずっと美少女で可愛らしい彼女は、学生鞄の中から一冊の雑誌を取り出した。
「それは――?」
「友達から借りた『うろNOW』の5月号です。
これの『今月のおまけ』ページに書かれていたのって、夏音さんですよね?」
巻末ページに近い場所――雑誌の隅の隅に、私のPR写真が貼られていた。
忘路光世が担当する『うろな町アイドルプロジェクト』についての記事だった。これが発売された頃は、PV映像やステージに向けて歌とダンスの練習に明け暮れていたので、あまり詳しく読んでいなかった。改めて、一読する。
「私、感動しましたっ!!
『うろな町を盛り上げるために、うろな町を背負って立つ未来のために立ち上がる』だなんて、カッコよすぎです!!」
「あー、うん。ありがとうございます」
どう考えても忘路光世が創り出した文章だということは、一目瞭然だった。私は、うろな町を盛り上げるとか、そんなことは考えていない。私は――ただ、輝きたいだけだ。この町にとどまらず、もっと広い場所で――。
……まぁ、その夢も、さっそく潰えそうだけど。
「友達と一緒に、ライブも行きました!商店街の方も、ショッピングモールの方も!
とっても楽しくて、今までアイドルなんて興味も無かったですけど、好きになりました!!」
「ど、どうも」
「次は、いつライブを行うんですか!?」
「いえ――ライブの予定は――今度の『アイドル戦国合戦』に出させてもらう予定ですが……」
「本当ですかっ! 凄い!!
絶対に録画しますね!!――って、録画機能なんてないから、稲荷山君の家で見させてもらおっかなー」
少女は、1人盛り上がっている。
目の前に、情景が浮かぶようだ。
きっと彼女は、稲荷山と呼ばれた友人の家で、応援してくれるのだろう。それこそ、野球の応援のように熱心に手に汗握って――私が負けるなんてことを、知らないまま。
「あのっ、よろしければサインください!」
気がつくと、ノートとペンを渡されていた。
目を輝かせた少女が、眩しくて堪らない。私は、恐る恐るペンを取った。人前でサインをすることなんて、初めてだった。――まさか、こんなに憂鬱で暗い気持ちでサインをすることになるとは、夢にも思わなかったけど。
「えっと……名前は?」
「芦屋梨桜です!!中学生兼陰陽師やってます!!」
「梨桜ちゃん、ね」
陰陽師――とは、中二病だろうか。
中二病は陰鬱なイメージがあったが、太陽よりも眩しく輝いていたとは――夢から覚めて現実に気づいてしまった時、芦屋梨桜はどんな表情を浮かべているのだろうか。なんだか、可哀そうに思えてきた。
「あの――さっきから気になっていたんですけど、何か嫌なことでもありましたか?」
「えっ!?」
「はっ、まさか悪い妖怪に憑りつかれているとか!?」
ずぃっと梨桜は顔を前に出す。
あまりにも真剣な瞳に、射抜かれるように覚えてしまう。眩しすぎる芦屋梨桜を前に、私は苦笑いを零すしかなかった。ファンを前にしても、気持ちが顔に出てしまう。笑顔の仮面を被れない――どこまでいっても、きっと根源を辿っても、飯田夏音はアイドルに不向きな根暗女なのだ。
「そうかもね……もう生まれた時からずっと、悪い妖怪に憑りつかれているのかも」
「ずっとですか!?それは大変です!! 急いでお祓いを!!」
梨桜は、どこからともなく槌を取り出す。
なにやら札が所狭しと貼ってある木の槌は、存在感を放っていた。突如姿を現した物騒すぎる槌に、嫌な予感が汗と共に流れ落ちる。
「えっ、ちょっと――?」
「大丈夫です、すぐに終わりますから!!」
にこやかな笑みともに、芦屋梨桜は槌を高く持ち上げた。
これは――少し、いやかなり不味いかもしれない。テレビ出演がどうこう言っていられるようなレベルじゃなくなる気がする。
「行きますっ!!芦屋流陰陽術――」
「ちょっと待て――芦屋!!」
槌が振り下ろされる寸前、梨桜は何者かによって後ろから羽交い絞めにされた。
幸薄そうな顔をした白髪の男子中学生が、今にも槌を振り下ろそうとする全力で抑えている。
「離して、稲荷山君っ!!困っている人を助けないと――!」
「助ける前に、撲殺でつかまるからな!!
というか、お前、発想と行動が1年前と何にも変わってねぇじゃないか!!」
暴れる梨桜から急いで離れ、距離を取る。
しばらく二人の格闘を見ていたが、どうやら男子中学生――先程の会話に少し出てきた稲荷山が抑え込むことに成功したようだ。
「つまり、単なる比喩表現だってことだ―――そうですよね、飯田先輩!!」
稲荷山の必死の訴えに、私は無言で頷いた。
その通りだし、それ以外の何物でもない。だいたい、妖怪なんて非現実の存在がいるわけないじゃないか―――なんてことは、目の前で妖怪を信じ切っている大事なファンに言えるわけもない。そっと胸に秘めておくだけにしておこう。
「えっと、梨桜ちゃん、だっけ?サイン――これでいいかな?」
「あ、ありがとうございます!!大事にしますね!!」
私を撲殺――いや、祓い損ねた不満げな表情は、サインと共に霧散する。
再び眩い笑顔を浮かべた梨桜の向こう側に、残酷な可愛らしさ見た気がした。具体的に言えば、狂気と優しさが同じところに共存しているような――いや、ちょっと違うか。
「でも――本当に困ったことがあるなら言ってくださいね。
私も稲荷山君も力になりますから!」
「俺もかよ――はぁ、不幸だ」
「ありがとう、気持ちだけ受け取っておくね」
そう言って手を振る。
それでも、何か思うことがあったのだろう。梨桜は、ポケットの中から1枚の札を取り出した。
「サインのお礼です。
これ、運を上げる札なんですよ?絶対に頑張ってくださいね!」
幾何学模様が描かれた札を無理やり握らされる。
初めてのファンからのプレゼントに呆然としたのもつかの間、「さぁ、妖怪探しの続きだよー」と言って2人は走り去っていく。礼を言う暇も無かった。嵐のように元気を爆発させる梨桜と、疲れた様に後を追う稲荷山の後姿を見送ることしか出来ない。夕陽に染まった2人の姿は、どことなく胸に来るものがあった。
「結局、笑顔でいられなかったな」
はぁ、とため息をつく。
ファンの前では笑顔でいよう。そう決めて――輝きたくてアイドルになったのに、やっぱり駄目駄目だ。これでは、一流のアイドルになんかなれるわけがない。でも、ならないといけない。
もう一度、ため息をついてしまう。
どうしようもない。そんな時、ふと手に握りしめた札に視線を落とした。
運気が上がると言っていたが、それは本当なのだろうか。厨二病の戯言と言えばそれまでだけど―――ひらひらっと風に揺らぐ札を見つめた後、そっと鞄の中に終った。
「ファンの期待には、答えなくちゃ」
顔の筋肉が緩む。
こんな私にもファンがいる。
笑顔が下手で、感情がすぐに表に出てしまう私にも――サインを喜んで、具合を心配してくれるファンがいる。私よりもアイドルらしい明るさを潜在的に秘めていても、厨二病でも、ちょっと不幸そうな役回りでも、ファンはファンなのだ。
それで十分だ。私は私。番組が「負けろ」というなら、私にだって考えがある。
「頑張ろう、精一杯」
鞄を背負い直す。
迷いはない。あとは、この想いに突き動かされるように動けばいいだけ。
覚悟を胸に、夕陽色に染まった町を歩き始めるのだった。
アッキさんの「うろNOW」5月号の話を借りました。