七話 握手
普通の剣にしては少し短い。しかし短剣と呼ぶには長い。
俺はそんな中途半端な長さの剣を右手に、必死に目の前の中年男――いや、高齢男ジェリコに一撃与えようと必死になっていた。訓練とはいえやられっぱなしでは面白くない。
「左脚」
その一言と共に脚を払われ、体が左に倒れそうになる。
俺はそのまま地面に左手をつき、勢いよく屈伸させた。
地球にいた頃とはパワーが違う。俺の体は空中で右へ激しく二回転した。
その勢いを利用して剣を振ってみるがジェリコは事も無げに最小限の動きで回避する。
意表をついたつもりだったのに、ジェリコは凉しい顔だ。
この男の焦ったところをいつか見てみたい。
「ハアッ!」
回転が終わり着地した瞬間、俺は今までに学んできた全てをぶつけるつもりでジェリコに襲いかかった。
その余裕綽々な顔を歪ませてやる。
そして一時間後。
「よし、休憩だ。大分良くなってきたな。飲み込みは恐ろしく早い」
ジェリコはそう言って額の汗を軽く拭った。もちろん一撃も入れられてはいない。
その時俺はといえば、疲労のあまり地面に大の字になって喘いでいる最中だった。
今日は、ジェリコが己の素性を明かしてから三日。
レイコたちを探す期限の日でもあった。
◆◆◆◆◆
ジェリコと名乗るこの男が自身を転生者だと語ったあの朝。
確認のためジェリコ自身のことや地球のことをいくつか質問してみたが、結局俺はこの男が地球からの転生者だと信じざるをえなくなった。
それが確認できてすぐ、俺は他の仲間を見つけられないかジェリコにつめよった。
この世界は何なのか。
「灰の神兵」計画とは何か。
他にも聞きたいことは山ほどあったが、そんなことは後回しにしていい。
事は一刻を争う。今この瞬間にも仲間が森で苦しんでいるかもしれないのだ。
「すぐには難しいな」
しかし、ジェリコは渋い顔でそう言った。
「どうして!俺は見つけられたじゃないか!」
「お前を見つけられたことが奇跡に近い。駄目で元々と思って来たんだ」
ジェリコは頭をかきながら言った。
「転生者は独特の魔波を放っていてな。俺は大体半径300メートル以内に転生者がいれば大まかな場所は検知できる」
「300メートル…」
「そうだ。そして正確にはわからんがこの森は相当広い。後一人見つけるだけでも何十日かかるか…」
「でも見つかる可能性はあるんだろう?」
俺は食い下がった。ここで諦めたくはない。
「砂漠の中から一本の針を見つけるようなものだ。それに、あまり時間をかけるとアイルズ神国から追っ手がかかるだろう。性能を発揮した神機には俺とお前の二人がかりでも勝てん」
黙りこむ俺にジェリコは続ける。
「この森以外の場所にお前の仲間が流れ着いている可能性だってある。その場合、さっさと街に出て情報を集めたほうが早く見つかるんじゃないか?」
納得させられそうになる。しかし。
「今、この森で助けを待っている仲間がいるかもしれないんだ」
俺はまっすぐにジェリコの眼を見すえた。
ここであっさり諦めたら、また俺は俺という人間でなくなる。
そんな危機感が俺を突き動かしていた。
ジェリコは表情を変えず、じっと俺を見返してくる。沈黙の中、木々の風にそよぐ音が妙に耳に響いた。
「三日だな」とジェリコはようやく呟いた。
「後三日はお前の仲間を探そう。それが期限だ」
「ありがとう、ジェリコ」
俺はジェリコに感謝の意を示した。
純粋な戦闘力でも仲間の捜索能力でもジェリコの方がはるかに上だ。
今現在、すべての決定権はジェリコにあると言っていい。
だからこそ俺は、そんな状況でも譲歩を見せてくれたジェリコに好感を持った。
「気にするな、俺も同郷の奴らを見捨てたいわけじゃない。ただ…」
そこでジェリコは眉を少しひそめた。
「年齢差を考えろ。ジェリコさんと呼べ」
「わ…分かりました、ジェリコさん」
今更な感じもしたが、解毒剤に加え今回の譲歩と、数々の恩がある。
俺は大人しく従った。
しかし、ジェリコは変な顔をしている。
敬語の使い方、どこか間違っていたのだろうか。
「やっぱり今のは無しだ」
ジェリコは手をパタパタ振る。
「想像以上に敬語が似合わなかった」
俺は唖然とした。勝手すぎる。
「それとアキラ、お前の戦い方を見て思ったんだが、今までよほど神機に頼りきりだったようだな。攻撃はともかく、防御の意識が薄すぎる」
俺の様子を気にせずジェリコは話を変えてきた。
あれ、そういえば。
「神機はどこなんだ?」
ジェリコが気絶中に脱がせたのだろうが、どこにも神機が見当たらない。
「ここだ」
ジェリコが左手を横にかざすと、突然ボロボロの神機がそこに現れた。
「魔法か」
「俺もお前も転生者だから魔法は使えん。これは魔具によるものだ。大抵のものは収納できる」
ジェリコは左手の中指にはめられた指輪を俺に見せてきた。
その中心では赤い石が光っている。
「中々に貴重な魔具で、40年前に決闘で倒したダンガルガ族の族長から贈られたものだ。それは有難かったんだが、そのまま娘と結婚させられそうになってな。かなり焦らされたよ」
ジェリこは少し目を細くして言った。
意外だ。この男も焦ったことがあるらしい。
「それは見たかったな。笑えそうだ」
ジェリコは俺の言葉に苦笑を返した。
「ところで何となく聞きのがしてたんだけど。転生者って魔法が使えないのか?」
「使えない。眉唾物だが、どこぞの偉い魔道士様によれば『異世界から来たものは神の祝福を受けられない』からだそうだ」
確かにイレギュラーズの教育機関でも魔法は指導されなかったが、そういう背景があったのか。
「でも、俺と戦ってる時魔法を使ってなかったか?あの透明の…」
「空走弾のことか。あれも魔具によるものだ。戦闘のバリエーションを増やすために肩に埋め込んである」
なるほど。
俺も戦闘方法については追々考えていったほうがいいだろう。
「話が反れたな」と男は言った。
「お前の戦い方の話だ。しばらくこの神機は預かる。アキラ、神機無しの戦闘に慣れるんだ。今後は搜索の合間に俺が鍛えてやろう」
「ああ、頼むよ」
こちらとしても願ったり叶ったりだった。
このオヤジからは学ぶところがいくらでもありそうだ。
好意でその機会を提供してもらえるというのだから、感謝以外の思いはない。
「アキラ、お前は神機でどんな武器を使っていた?」
「ガトリングと、内蔵型のブレードだ」
「ブレードの長さは?」
「これぐらい…」
俺は手で長さを示した。
「分かった。少し待ってろ」
ジェリコは指輪の上に右手をかざして目をつぶった。
数秒後、剣が現れる。ジェリコはそれを俺に投げてよこした。
右手で掴む。
「リーチが急に変わったらやりにくいだろう。当面はそれを使え」
俺は受け取った剣を眺めた。
俺が手で示した長さに近い。
「ありがとう。本当に助かる」
何から何まで世話になりっぱなしで少し申し訳なくなってきた。
ここまで親切にしてもらえたのは転生してからは初めて、つまり17年ぶりだ。
感謝の気持ちもひとしおである。
「そう思ってくれるのなら、さっそくだが」
ジェリコはゴロリと横になった。
「最初の特訓だ。もういい時間だし、今日の昼飯を取ってこい。ハイゲールがいいな」
ジェリコは既に腕を枕にしてむこうを向いている。リラックスする気満々だ。
今までの会話は、自分が楽をするためのお膳立てだったんじゃないかという疑惑が俺の頭をよぎる。
いや、考えすぎか。
俺は微妙に釈然としないものを感じながらも、獲物を探しに行った。
一時間後。
ようやく獲物を捕らえ帰ってきた俺が見たのは予想通りと言えば予想通り、平和に昼寝を謳歌するジェリコの姿だった。
◆◆◆◆◆
そして今。
ジェリコとの壮絶な組手を終え30分ほど休憩した後、俺たちはすぐに捜索を開始した。
今日が期限の日だったので多少の危険を押して砦近くの辺りをじっくりと探索したのだが、結局ジェリコの探知には何も引っかからなかった。
その日の夜。俺とジェリコの間に会話はなく、淡々と夕飯が食べ進められる。
今日のメニューはトラみたいな猛獣の刺身と果物だ。意外と味は悪くない。
「約束だ」
ほとんど夕飯も食べ終わった頃にジェリコが言った。
「明日からは街を目指す」
「分かってるよ」
俺はそう答えた。
これでも10年以上社会人として生活してきたのだ。
個人の度を越したワガママが許されないことぐらい理解している。
とはいえ、未練が消えるわけではない。俺は唇をかみしめた。
「なら少しこれから行く街のことを話しておこう」
俺が落ち着いたところを見計らってジェリコは言った。
「ここは魔の森と言われるだけあって出てくる猛獣が凶暴なんでな、一応名目上はアイルズ神国の領土だが、実際にはこの森を囲む三国のどこもまともに統治してはいない」
ジェリコはそこで果物を一口かじった。
出会いの日に俺が投げつけたものと同じ種類だ。デザートに残していたのだろう。
「その3つの国家。
一つは知ってのとおりアイルズ神国だ。ここに今突っ込む意味はない。危険すぎる。
次があの砦の軍勢を率いていたブラスタ帝国。今頃躍起になってお前を探しているはずだ。ここも無し。
そして最後の国、ドーガ王国。今から行く街はその国に属している」
「そこは安全なのか?」
「今のお前に安全な場所などない」
ジェリコは一言で切り捨てた。
「まだマシというだけだ。俺のツテがあるし、他の二国に比べれば統制が弱い分情報収集がしやすいというのもある。まあ、髪色を隠す魔具があるし神機だって外すんだ、そうすぐにバレはしないだろう」
「その街で仲間の居所について調べる訳か」
「もちろんだ。だが、それ以外に神機の修理も行うべきだろう」
「え、修理できるのか!」
俺は驚いた。
神機は古代文明の遺跡、いわばロストテクノロジーの塊だ。
中世レベルに見えるこの世界の中で、明らかに飛び抜けて高い技術が用いられている。
そんな神機をそう簡単に修理できるとは思えなかった。
「街の近くに遺跡があるんだ」とジェリコは言った。
「その遺跡に修理が可能な施設があると、風の噂で聞いたことがある。
お前が現時点でどこまで考えているかわからないが、もしアイルズ神国とぶつかるつもりがあるなら…」
「もちろん、ぶつかるつもりだ」
仲間を見捨て、どこかで一人ひっそりと生きる。
それが最も安全なのは間違いない。
しかし、それではもう俺は自分を人間と信じることすら出来なくなるだろう。
アイルズ神国によって失われた人生。人間性。
そういったものを全て盗られたままにするのと同じだ。
それに、アイルズ神国が味を占めて、今後も地球人を軍用に召喚することだってありえる。
現に俺やレイコらは二代目であることが、その可能性を色濃くしていた。
もちろん単純な復讐心だって大いにある。
あれだけのことをしてくれたんだ、ツケを払ってもらわなければ納得できない。
「そうか…」
ジェリコはうつむいてそう呟いたきり、押し黙ってしまった。
「ど、どうしたんだ?」
今までにないジェリコの雰囲気に俺は戸惑った。
どこか飄々とした感じで掴みづらい人間だと思っていたが、うってかわって重い空気が流れ出していた。
ジェリコの全身から、目に見えない何かが溢れ出しているような印象だ。
「俺も」とジェリコは重々しく口を開く。
「俺も、脱走してすぐはアイルズ神国と戦うことばかり、仲間の仇を打つことばかり考えていた。
しかし、戦力的にどう考えても無理だった。鍛錬を続けながら、策を練りながら、どこかで俺は諦めていた」
俺の言葉、態度の何かしらがジェリコの奥深くを刺激したのだろう。
ジェリコの眼はここを見ていない。
何十年と積み重ねてきた己の歴史を冷静に眺めているようだった。
「アイルズ神国が俺たち以降に長く地球人の召喚を行っていなかったこともあった。俺たち一代目の反乱で懲りたのではないか、これ以上犠牲者は出ないのではないか。ならもういいじゃないか、とな」
ジェリコは薄く笑う。あまり爽やかな笑いではなかった。
過ぎ去りし日を肯定するでもなく否定するでもなく、ただ批評する。
諦めに至るまでの葛藤を通過し終わったあとに残ったのであろう、枯れた笑みだった。
「そろそろ余生を大人しく過ごそうか、なんて考えていたところに、お前らの話を耳にしたんだ。
今後も地球人の被害者が出るかもしれない。
地球人である仲間たちの犠牲でどうにかこうにか脱走させてもらった一代目として、責任は果たさないとな。
アキラ、この数日の訓練で分かった。お前には才がある。
俺はお前に協力する。神機だってあるんだ、希望はあるさ。よろしくな」
ジェリコは言い終わると同時に右手を俺に差し出してきた。
「こちらこそよろしく頼む」
俺はその手を強く握る。
ジェリコは満足げに頷いてくれた。
異世界に突然飛ばされ、84年もの長い時間をその世界で、戦いの中で、鍛錬の中で、葛藤の中で過ごし続ける。
俺にジェリコの人生の重み、その全てが分かる訳もない。
しかしこの瞬間、俺はその厚みの一部分だけなら感じられたような気がした。
「さて、話の途中だったな」
ジェリコはそう言って仕切りなおした。
少し気恥ずかしさを誤魔化している感じもする。
「万全な状態の神機はこれから間違いなく必須だろう。
ただ、他にも良いニュースがあるんだ。これはおそらくアイルズ神国の奴らもまだ知らん」
ジェリコのその言葉に、俺は思わず顔を近づけた。
「神機はな、進化するんだ。それもその遺跡で狙えるかもしれない」
俺は納得した。
なるほど、それは良いニュースだ。