五話 邂逅
プロローグを作ってみました。
本来の神機の性能について触れています。
読まなくても話の筋としては問題ありませんが、よかったら覗いてみてください。
俺が意識を取り戻したのは、翌日の昼ごろのことだった。
体調に大きな問題はないが、僅かな頭痛とともにひどい筋肉痛がずっしりと全身に残っている。
動けないほどではないから、俺は予定通り移動を始めた。
下手に曲がったりすればいつの間にか逆戻り、ということもありうる。
方角など分からないので、とにかくまっすぐ突き進むしかない。
森を歩いている間に、俺はウサギに似た小さな動物が数匹群れているのを発見した。
首の下に何かふくらみがあるところと、体高が1.5倍程度あるところが大きく違うが、他の特徴はほとんど一致している。
俺が近づくとそそくさと逃げ出す小動物たち。
「ハッ!」
食事が果物だけと言うのもさびしいので、俺は即座にそれを追いかけ蹴り殺した。
それほど苦戦したと言うわけではないが、驚いたのはそのうちの一匹が小さな火を噴いたことだ。
地球の常識が通用しないことを改めて痛感させられる。
今後どんな敵が現れるかは分からない。
この前のブレンバスターみたいな無茶苦茶が通じる相手ばかりではないかもしれないのだ。
神機の補助のない戦闘にはしっかり慣れておきたい。
手近な石を打ちかいて作った打製石器で何とか皮をはいでウサギもどきを解体していく。
試しに一匹の首もとの袋を切り裂いてみると、黒い石が数粒零れ落ちてきた。
おそらくは火炎の魔石だろう。
魔石とはその名のとおり魔力を宿した石のことで、これを利用すれば魔力を身に宿さずとも簡単な魔法が使える。魔法を使える人間はそう多くないので、簡単な魔法といえど一般兵にとってはバカにならない。
俺が今までに倒してきた一般兵の中には、いざと言うときのため、お守りのように魔石を懐に入れているものもいた。
確か魔石はかなり高価だったはずだから、息子を心配した両親が貯蓄を切り崩して買い与えたものだとか、兵士の帰りを待つ妻が夫の身を案じてプレゼントしたもの、なんてエピソードがあったのかもしれない。
そうだとすれば、兵士の身を案じた彼らの末路は、子に先立たれた老人か未亡人かということになる。
全く、笑えない二択だ。俺は自嘲気味に笑った。
このウサギもどきが自然に存在する魔石を体内に溜め込んでいるのか、それとも体内で魔石を生成しているのかまでは分からない。
しかし、今回に限ってはどうでもいい話だ。問題は肉が食えるかどうか。
鶏を絞める時ははたしか血抜きが必要だったような気がするが、今の俺には手順も何も分からない。
毛をむしり終わると、俺はそのまま作っておいた焚き火でウサギもどきを丸焼きにした。
こんがりと焼きあがったウサギもどきを太い木の枝で串刺しにし、かぶりつく。
「うーん…」
食べられないことは無いが、何とも野生的な味だ。
血がとめどなく滴り落ちてくる。
味付けも何もしていないので肉には臭み以外無く、基本的には血の味しかしない。
しかし、貴重な動物性たんぱく質だし、味も食感も最底辺のあの固形食料にくらべればまだマシだ。
腹は減っていたので、俺はそのままそのウサギもどきを食べつくした。
その日は都合よく湖が見つかったりはしなかったが、前日にたらふく飲んでおいたのでそれほど苦しくはない。
タフな身体を持っていてよかった。
その後も大きな問題は特に起きなかった。
些細なものでは、就寝時に猛獣から襲われかけたことが何度かあった。
五年の間殺気に囲まれて戦ってきたのだ、いずれも襲いかかられる前に気づくことができた。
ただ、安眠を邪魔されるのはよろしくない。
そこで俺はある日、偶然遭遇したこの前のスパイラルホーンぐらいの強さの熊に似た猛獣を倒した後、その体液を全身に塗ってみた。
これでこいつより弱い猛獣は警戒して近寄ってこないのではないか。
肉も試しに焼いてみたが臭くて固くて食えたものではなかった。
この小細工はかなり強烈に効き、その日から俺は安眠を確保できるようになった。
臭いはきついが、十分にメリットが上回っている。
この状況において、体力の確保は何にも代えられない価値を持つというのが俺の判断だった。
また、夜になるとたき火を前に、思考を深めることも忘れない。
情報が少ないのは確かだが、その中にどんな糸口があるか分からない。
思考が立ち止まった瞬間にあらゆる前進は止まる。
これは社会人になってから何度も身をもって経験してきたことだ。
初日にあえて考えなかったことだが、あの黒い甲冑は何者なのか。
神機の一種かとも思ったが、少しフォルムに差があった。
俺たちが使う神機は割とゴツいフォルムをしているのだが、あの甲冑は非常に細身だった。それこそ下の筋肉の繊維が見えてきそうなほどに。
確かに戦闘力は機能を発揮している状態の神機並かそれ以上に見えたが、神機と断定することは出来ない。
と、思考を深めてみたものの結局大した結論は導けなかった。
やっぱり情報が少なすぎる。
全てはどこかの村にたどり着いてからか。
そして逃走開始から一週間。
水を直接摂取できる機会はそう多くなかったが、代わりに水分たっぷりの果物には事欠かなかった。
微妙な頭痛を除けば、体力もかなり回復して快調だ。
今日も俺は歩きながら、手近な所に生えている果物を、ルーチンワークのように採集していく。
「お前が脱走したという転生者か」
不意に投げかけられる、何者かの声。
緊急事態に、少しのほほんとしていた意識のピントが本能的に一瞬で戦闘へと向けられる。俺はとっさに右手に握っていた野球ボール大の果物2個を、声の聞こえた方向に投げつけた。
こんなのがダメージになるとは思わないが、虚を突かれて慌ててくれればこっちのものだ。
そのまま声のした方角に目をむけ、体勢を低くする。
「え…」
しかしそこには木々が生えている風景が広がるのみで、誰の姿もなかった。
「こっちだ」
後頭部に何かが超高速でぶつかる衝撃。
一瞬視界が白くなりかける。
俺はその衝撃を受け流すため、勢いのまま前転して受身を取った。
転がる間に左手のヘルメットを素早く装着する。
強敵と遭遇した時のためにこの一週間で練習していた動作だ。
衝撃の方向を向いて即座に跳ね起きると、少し離れたところでシンプルな軽鎧に身を包んだ体格の良い中年の男が、俺の投げた果物をかじっているのが見えた。
そこで俺は、自分の後頭部が濡れていることに気づいた。
芳しい匂いもする。採集していた果物のものだ。
目の前の男は、俺が投げた2個の果物をキャッチしてその片方を俺の後頭部に投げ、もう片方を今かじっているのだろう。
「果物は投げつけるものじゃない」と中年の男は口をモグモグさせつつ言った。
「食べるものだ」
冗談のつもりだろうか。
しかし声にも表情にも、気負いや大した感情はこめられていない。
本当に何の気なしに行ったという感じだ。
「あんただって今投げたじゃないか」
「……そうだったかな」
少し沈黙した後、男はボソリと呟いた。
何だか気が抜けてしまいそうになるが、この男が危険人物なのは間違いない。
軍隊が必要なレベルの強さを持つ猛獣がそれなりの頻度で襲ってくるこの森になんの用事もなくくるはずがないし、何よりこの男は俺の素性を知っていた。
察するに、俺に懸賞金でもかけられていて、この男はそれを狙った賞金稼ぎってところだろうか。
投げつけた果物を平然とキャッチして高速で背後に回りこむというだけでも、かなりの実力がうかがい知れる。
とはいえ、敵意が無い可能性もある。
無駄な戦闘は避けるべきだ。
「あんたは何の目的でここにいるんだ?」
「目的、ね。例えば、お前が目的だって言ったらどうするんだ?」
相変わらず男に気負いは見えない。
やりにくい相手だ。底が見えない。
投げつけた果物を平然とキャッチして高速で背後に回りこむというだけでも、かなりの実力がうかがい知れる。
ピリピリとした空気が、神機越しに肌を刺激しはじめた。
もうこれ以上会話は必要ないだろう。
隙を見せることになるだけだ。
「とりあえずこの辺りから行くか」
男はその言葉と共に、両手を広げ、手のひらをこちらに向ける動作をした。
直径50cm程度の透明な弾が数十発、男の目の前に現れる。
そして、一斉に打ち出された。
色は無いが、弾の部分の風景が歪んだようになっているのでどこにあるのか認識できる。
戦士風の格好だが魔法も使えるらしい。
また嫌な情報が手に入ってしまった。
一枚の壁のように整列して迫ってくる、複数の透明な弾。
横に走って逃げるのは無理だ。間に合わない。
俺は透明な弾の間に隙間がないかを探す。
すると右上の方、高さ3Mほどのところに、ギリギリ俺が通れるぐらいの隙間を発見した。
この男、意外と甘いのかもしれない。
分かりにくい配置になってはいるが、もう少し気をつかえばこの隙間も埋められただろうに。
俺は少し助走をつけると、体が横向きになる形で跳躍した。
位置、高さはほぼ完璧だ。
空中で身体を踊らせ、透明な弾の壁に対する表面積を最小にする。
皮一枚の距離だったが、俺は無事に透明な弾の壁をすり抜けることができた。
態勢を立て直して着地した瞬間、透明の弾が後ろの木々に直撃したようだ。
破砕音と鳥の飛び立つ音が聞こえる。
爆風は男のところまで届いたようで、褐色の単発が軽く揺れていた。
随分な威力だ、避けられて良かった。
前からはパチパチと気の抜けた拍手の音が聞こえる。
「年齢にしては悪くない身体能力だ」
おちょくるような事を言う。
相手を挑発して、隙を見せたところを叩くのがこの男の戦術なのだろうか。
そんなことをしなくても十分に高い実力を持っているように見えるのだが、随分姑息というか実践的というべきか。
「じゃ、今度は喧嘩だ」
ゆらりと男の影が揺らめいたかと思うと、もう目の前に迫っていた。
その動きを俺はほとんど目で追うことができなかった。
回転しながら放たれた男の裏拳を、左手の甲で何とか受け止める。
その瞬間上半身ごと持って行かれそうになり、脚を軽く踏ん張ってしまった。
神機越しでも骨が軋む。大した腕力だ。
その後も竜巻のような男の攻勢は続いた。
今までに見たことのない奇妙な動きだ。
少しカンフー映画を思い出させるところがある。
こちらの意識の死角を的確につき、向こうは最大の力を発揮しながら、こちらは力を入れにくい体勢で受けることをいつのまにか強制されてしまう。
丹念に培われた技術体系を感じさせる見事な体術だった。
純粋な腕力では恐らく互角か俺のほうが少し上だが、体術の差で徐々に押し込まれてしまう。
これでも徒手空拳の訓練は吐くほど受けさせられたのだが、上には上がいるものだ。
男が左手で俺の右腕の関節を取り、そのまま投げる態勢に入る。俺は頭突きでそれを防ごうとしたが、即頭部を叩かれ空を切ってしまう。苦肉の策としてそのまま思いきり前に体重をかけることでようやく相手は右腕を外したが、今度はすかさず脇腹に拳を叩き込んできた。
守る暇などない。神機がきしみ、呼吸が止まる。
どう考えてもこれは勝てない。バンザイだ。
俺は何とか急所を守ることだけに専念し、この状況を抜け出す機会を待った。
適度なところで飛んできてくれた前蹴りに俺は狙いを定めた。
両腕を交差させ前蹴りをガード、俺はその衝撃を利用して後ろへ大きく飛んだ。
予測できていたので衝撃を逃がすことには成功している。
ほとんどダメージはない。
俺はそのまま後方宙返りの形をして着地した。
うまくいって少し気分が良い。
「この辺はまだまだだな。ワンパターンに過ぎる」
男の声が聞こえるが、そんなものに構ってはいられない。
多少の距離ができたことを活かし、俺は男とは逆方向に疾走した。
あの近接戦で分かった。
武器があったら話は別だが、今の状態であいつに勝つのは無理だ。
ここで死ぬわけにも捕まるわけにもいかない。
「そうあせるな。殺そうって訳じゃない」
走り出して数秒で、急に耳元で聞こえる声。
思わず声の方向を振り向いた瞬間、後頭部を強く手刀で叩かれた。
現実感が急速に引いていき、地面が近づいてくる。
全身が地に打ち付けられる衝撃を感じた後、俺の意識は完全に途絶えた。