四話 猛獣退治
目の前のスパイラルホーンは鼻息を荒くしながら身を屈め、体勢を低くした。
突進の準備をしているようだ。
それに対して俺は即座に反応できるよう膝を軽く曲げ、中腰になる。
まだ彼我の実力差がはっきりとは分かっていないのだ。
反応が遅れたら命取りになりかねない。
集中度を高める必要がある。
そのまま俺はブレードを伸ばそうと試みる。
しかし、どこかで引っかかったような音がするばかりで出てきてくれない。
しまった、敵兵に散々やられてどこかイカれてしまったらしい。
もっと先に確認しておくべきだった。
丸腰で戦うしかないようだ。
戦況がさらに不利になってしまった。
数秒後。
緊迫した空気の中、スパイラルホーンは突進を開始した。
俺は激突する直前で左に飛びのき、よけざまに猛獣の胴体めがけてけりを浴びせる。
鉄塊をけりつけたかのような硬質の感触。
スパイラルホーンはわずかによろけたが、ダメージはほとんど受けていないだろう。
これがスパイラルホーンの特徴の一つ、異常な皮膚の硬さと厚みだ。
ミスリルには及ばないものの、生半可な刃物では傷もつかない。
先ほど鉄塊のようなという印象を持ったが、実際には鉄塊だと過小評価もいいところだろう。
スパイラルホーンに聞かせたら怒り出すかも知れない。
また、その皮膚には微細なトゲがびっしりと生えているのも嫌らしいところで、素肌で戦えば容易におろし金で削ったような傷が体中にできてしまう。
神機を脱がなかったのは大正解だったようだ。
スパイラルホーンは足で土をえぐるようにしてスピードを殺し反転すると、再び突進してきた。
こいつにはこれしか攻撃のパターンが無かったのだろうか。
五年前ともなると細かいところまでは覚えていない。
俺は再び左に飛びのく。
しかしさっきと違い、スパイラルホーンは機敏に方向を修正して飛びのいた俺の方向と進んでくる。
事前に予測していなければ絶対に不可能な動きだ。
どうやら学習能力はそれなりにあるらしい。
とりあえず、お互いの軌道を考えると完全に避けるのは不可能だ。
このままだと決め手も無いし、俺は真正面からスパイラルホーンを受け止めてみることに決める。
神機なしでどの程度純粋なパワーがあるのか調べる必要もあるだろう。
とはいっても角で貫かれては検証どころの話ではない。
俺は身体を可能な限り右にひねった。
直後に衝撃が体をおそうも、スパイラルホーンの身体全体を受け止めるようにしてふんばる。
角は無事に回避した。
俺はそのまま猛獣の頭をかき抱くような体勢をとった。
角は俺の右脇に挟まれている。
ずるずると後ろへ引きずられていく。
やはりというべきか、力は相当に強かった。
このまま押しやられるのも面白くない。
俺は少しずつ足に力をこめ、スパイラルホーンの圧力に対抗を始めた。
それでもなお後ろへ持っていかれるが、徐々に後退のスピードが低下してきた。
地面には、俺の足によって線状に抉れた土の跡が二本くっきりと残されている。
ようやくスパイラルホーンの前進が止まった。
前に進もうとするスパイラルホーンとそれを受け止める俺の力がつりあったのだろう。
言葉が話せずとも、スパイラルホーンが驚いている気配は伝わってくる。
俺は今の所、全力の7割程度を出している状態だ。
想定よりは悪くない。
12歳からの5年間の間に俺自身だいぶ成長していたようだ。
こいつがこの森に出る猛獣の平均ぐらいなら、とりあえず戦い方を間違えなければ負けることは無いと思う。
しかし、自分を省みて思うが、森の中で動物と相撲を取っている今の構図は中々笑える。
俺はいつの間に金太郎になったのか。
何だか少しむなしくなってきた。
俺は気を取り直し、さらに力をこめて身体を前に運んだ。
今度は猛獣がじりじりと後ろへ追いやられていく。
立場逆転だ。
しかし、この後どうしようか。
まともな打撃は硬い皮膚に阻まれてしまうことを考えると、俺の取り得る決定打は少ない。
俺は数少ない選択肢の中で、なるべく派手なものを選択することにした。
特に理由は無い。
敢えて言うなら鬱憤ばらしだが、一応力試しという説明も出来るかもしれない。
「うおおぉぉ!」
俺はスパイラルホーンの顔面を下から抱え込むようにして、脇に抱えた角を支点に猛獣を持ち上げようと両腕に力をこめる。
猛獣の後ろ脚が宙に浮きはじめた。
あせって脚をバタバタさせている。
さすがに重い。4、5トンぐらいはあるか。
これぐらいなら今でも持ち上げられないことはない。
ゆっくりと持ち上がっていく猛獣の身体。
十数秒後、俺はスパイラルホーンを綺麗に上下逆さまにして抱え上げることに成功していた。
尻を天に、顔を地に向け、眼を白黒させているスパイラルホーン。
俺はそのまま、猛獣ごと勢いよく後ろに倒れこんだ。
いつかテレビで見たプロレスの試合に出てきた、ブレンバスターという技だ。
地面に全身をしかと叩きつけられる猛獣。
轟音が周囲に響き渡り、土煙が舞う。
周囲の木々にとまっていた鳥が驚いて一斉に飛び上がった。
軽く地面が揺れ、思わずよろめいてしまう。
地面に横たわったスパイラルホーンは、ぴくりとも動かない。
俺はおそるおそる顔を覗き込んでみたが、スパイラルホーンは白目をむいていた。
失神したのか絶命したのか。
確認する気にもならない。
肉をいただこうかとも思ったが、現状ではこいつの硬い皮膚を破る術が無い。
まともな刃物でも早々通らないだろう。
素手で叩いたところで、中の肉は美味しくなるかもしれないが取り出す術がない。
俺はその猛獣を放ったままにして、台無しになってしまった果物を再び収穫するために湖の方へと走り出した。
無事果物を収穫し、ねぐらへ戻ってそれを食べてみる。
転生した地球人というのは基本的に現地の人々より強靭な身体を持っていて、毒物への耐性も非常に強い。
人工的に濃縮された毒薬ならともかく、その辺の自然に存在する毒素ぐらいなら問題ないはずだ。
久しぶりに食べる自然の食物は、言いようも無いほど美味しかった。
俺は無我夢中で果物を腹に収める。
結局、三回ほど湖へと果物の収穫におもむくこととなった。
やがて、日が落ちる。
俺はねぐらで、木をこすりあわせて作った焚き火を前にしてあぐらをかいていた。
空気が乾燥しているので割と簡単に火は付けられた。
パチパチと木片の爆ぜる音。
ぼんやりと目の前で揺らめく炎を見ながら考える。
今の俺は、本当にあの頃日本にいた時のままなのだろうか。
いや、それは違うだろう。
俺は、今この瞬間に地球からここへ召喚されたわけではない。
赤子から17年間の人生をしっかりとここで歩んでいる。
感情を抹消されていようと、17年間ここで学んだこと、経験したことは全て頭の中に残っている。
それが、砦から脱出した時のあの冷徹な判断につながったのだろう。
敵の指揮官の相手をシンに任せて先に行ったとき。
おそらくはそのまま死ぬであろうアルフレートを、彼の意思通りとはいえ見捨てた時。
悲しくなかった訳ではない。
悔しくなかった訳ではない。
しかし俺も他の仲間も、その時の判断に一切の躊躇を挟まなかった。
日本にいた当時ではありえないことだろう。
判断が正しかったかどうかはここでは問題ではない。
問題は、この17年間に俺が俺でなくなっているのではないかという懸念だ。
アイルズ神国の苛烈な訓練と管理で、俺や仲間の一部は失われてしまっている。
ゆらめく炎を見ながら落ち着いて考えてみると、そんな気がしてならない。
さらに考えは深まる。仲間はどうなったのか。
もっとも絶望的なのはアルフレートだ。片腕は間違いなくあの黒い甲冑に切り落とされていたし、その後黒い甲冑にタックルをかけた後も勝利したとは考えづらい。
シンの生存もあまり期待できない。指揮官とは互角の戦いを繰り広げていたから勝っていてもおかしくはないが、そうだとしてもその後は孤立した状態で脱出を目指すことになる。
その頃には指揮官との戦いによる疲労も色濃かったはずだ、あの分厚い敵陣を突破できる可能性は薄い。
ノックスとレイコに関してはまだ希望がある、が、未知数には違いない。
なにせ途中から俺にまともな記憶がないのだ。
俺が単独で脱出に成功したわけだから、俺と実力が互角の二人が逃げきれていてもおかしくはない。
その場合二人もおそらく森に逃げ込んでいるわけだが、偶然出会う以外に合流の方法は思いつかない。
目印に狼煙なんてあげたらアイルズ神国か砦の奴らが満面の笑顔で押し寄せてくることだろう。
さて、あまり沈んでいても始まらない。
思考を切り替えてこれからどうしようか。
そこでこの切り替えの速さもこの17年で訓練されたものだとまた気づいたが、これでは堂々巡りだ。
考えない考えない。
とりあえず、もっと遠くへ行く必要があるだろう。
この程度の距離ではいずれ見つかってもおかしくない。
明日から毎日少しずつ移動することを自分に義務付けることにした。
それに、いつまでも森にいるわけにはいかない。
このまま森の中を遠くへ遠くへ進んでいけば、いつか田舎の村辺りに着くだろうか。
誤ってアイルズ神国領に入ってしまったら最悪だから、見つけた村にアイルズ神国の教会があるかどうかは遠くから確認すべきだろう。
しかしたどり着いたとしても、召喚された地球人の特徴である、白い髪の問題がある。
基本的にこの世界に白い髪の持ち主はいない。
髪が年をとると白くなるという現象自体が無く、生まれつき白色の髪ということもありえないそうだ。
そして白い髪は、少なくともアイルズ神国の伝説の中では不吉の象徴として恐れられている。
つまり、髪が白色というだけで印象は最悪だし、この世界の人間ではないということの証にもなってしまう。
だが、これはアイルズ神国での話だ。
ということは、国も違うことだし、へんぴなところにある小さな村なら白色の髪が存在しないとか、白い髪が忌むべきものという前提の知識自体が無いかもしれない。
希望的観測に過ぎないが、そうでなければ全身の毛をそるぐらいしか対処方法が無くなってしまう。
しかも剃る方法が無い。
全部むしるというのを一瞬想像したが、あの砦からの脱出に次ぐ地獄を見ることになるだろう。
昔日本史の教科書で見た石包丁を思い出すが、作り方が良く分からないし髪を切れるほどの切れ味があるのか。
それもこれもブレードさえ出せれば全て解決するのだが。
機能停止でヘルメットが取れるようになったのは助かったが、本格的な戦闘に備える意味でもどこかで修理しなければならない。
まあいずれは、という程度に考えておこう。
ということで今後は、移動と野宿を繰り返しながら森を進んでいく。
そしてある程度の距離を移動したところで周囲に村があればそれがアイルズ神国領ではないかを含め慎重に調査、大丈夫そうなら村の人と会ってみる、という計画で行こう。
そう決めると俺は神機を脱ぎ、寝ることにした。
極限の疲労は最高の睡眠薬だ。
硬い床、夜になって急激に下がった温度といった悪条件にもかかわらず、俺は泥のように眠りへと落ちた。