一話 気づき
「敵はどちらへ行った?」
俺がそう聞くと、無機質な光沢を放つフルフェイスヘルメットをこちらに向けてB-3は返答した。
「向こうだ。追おう」
砦の内部に侵入できた時点で、この攻砦作戦はほぼ成功したようなものだった。
個人戦で神機を装着した者に勝てる人間などめったにいないし、実際今までも会ったことはない。
室内では数で押すのも難しいはずだ。
俺たちイレギュラーズB隊に与えられたのはここを制圧しろという命令と、予測される敵の戦力情報のみ。
戦闘に至った理由や戦術的意義などについてはいつも通り聞かされていない。
命令されたことをただ実行する、それが俺たちイレギュラーズの役割だった。
また、イレギュラーズは神の子ではないのだから固有の名を持つことは出来ないと教育機関では説明され、区別のため俺たちは互いを記号で呼んでいる。
特に疑問は持たない。
他の魔導知識や戦闘技術と同じく、ただそういうものなのだと受け止めるのみだった。
B-1である俺を含め五人のチームは、敵が入っていった大きな部屋へと進行した。
感情を抹消する薬剤を投入されてはいるが、それでも長く共に様々な作戦に携わってきたことからチーム員同士の信頼感は高い。
俺自身、この中の誰にでも安心して背中を任せることができる。
今回も問題はなさそうだ。
「おい、どうした?」
部屋に入るやいなや立ち止まったB-2に、俺は声をかけた。
「誰もいない」
「それはおかしいな。ここ以外に脱出口は見えるか?」
「いや、無さそうだが」
敵兵はこの部屋に逃げ込んでいたはずだ。
何かしらの隠し扉でもあるのだろうか。
「全員部屋に入ったか。警戒を怠らず、神機を捜査モードに移行した上でこの扉以外の脱出口を探せ」
俺はメンバーにそう通達した。
能力に大きな差があるわけではなかったが、指揮系統上のリーダーは俺ということになっている。
「了解」
チームのメンバーは声を揃えて答え、神機上腕部のカバーを開いてコードを入力した。
俺も同様にすると、ディスプレイの視界が青色に変化する。
捜査モードは音波や魔波を利用しており、異常を検知した対象が黄色に光って見えるようになっている。魔導を利用した脱出口などがあればこれで分かるはずだ。
しかし予想と違い、視界に映ったのは今までに見たこともない光景だった。
「これは…」
黄色、黄色、黄色。
視界一面が眩く黄色に光っていた。
明らかな異常を前に俺は危険を察知し、脱出を図ろうと扉に手をかけた。
開かない。
「どいてくれ、B-1」
即座に体を横に移した瞬間、B-3が腕部に内蔵されたガトリングを扉にぶちまけた。
激しい炸裂音が響く。
が、扉はびくともしない。
ミスリル製の扉ですら多少は歪むぐらいの威力はあるはずだった。
「今度は私だ」
B-4が扉を思いきり押しはじめた。
数トン程度のものなら楽に動く膂力を持ってしても、扉は軋みひとつ上げず沈黙を保つばかりだ。
壁にガトリングを撃つ。
失敗。
全員で扉を同時に蹴る。
失敗。
その後も俺たちは淡々と脱出法を模索したが、いずれも失敗に終わった。
「B-5、お前の神機でこの現象を解析できないか?」
古代の遺物である全身甲冑『神機』は、その一体一体ごとに違った特色を持っている。
その中でB-5の神機は、魔導回路の解析に優れているのが特徴だった。
「今やっているが、この神機でも解析にはまだ時間がかかる」
「現状でわかった範囲でいいから教えてくれ」
「了解した」
B-5はそう言うと、左の手のひらから空中にホログラムを投影した。
そこには非常に複雑な魔導回路の一部が映っている。
イレギュラーズの教育機関で俺たちは戦場で必要となる魔導の知識を執拗に叩き込まれたのだが、ここまで精巧で入り組んだ回路は初めて見た。
「これは…結界か?」
「おそらくは。今の状況を鑑みても合致している」
「脱出法はあるのか?」
B-2が口を挟んできた。
「積極的に脱出する方法は無いが、これだけ複雑な構造だと魔力の消耗も激しいはずだ。
限界まで魔力を詰め込んでいたと想定しても、三日も経てば勝手に結界は消える」
ならばこのまま餓死という事態は避けられそうだ。
俺達イレギュラーは通常の人間と違い神機が装着出来るだけでなく、肉体そのものの能力もかなり高い。
三日程度食事しない程度なら問題なく耐えられる。
「なら無駄にエネルギーを消耗したくない。各自待機だ」
「薬剤はどうする?」
B-3が質問してきた。
「摂取しようがない。命令違反になるがやむを得ないだろう」
定期的な薬剤摂取は幼少時からイレギュラーに課せられた絶対の義務だが、今回ばかりはどうしようもない。
そのまま俺たちは静かに時間を過ごした。
一般兵とは違い、俺たちは会話や暇つぶしを必要としていなかったのでさして苦痛なことでもなかった。
◆◆◆◆
変化は15時間後、薬剤摂取からちょうど24時間後に起きた。
「うっ?」
B-3が軽く声を上げ、体を震わせはじめた。
「おい、どうした?」
声をかけて体を揺さぶるが、B-3はぶるぶると痙攣を続けている。
それを皮切りに、他のメンバーもB-3と同じ状態になっていった。
冷静になって状況を分析しようとした瞬間、脳内に一気に血が昇るのを感じた。
その衝撃に喉から声が漏れる。
脳が燃えるように熱い。
意識は白熱し、視界が揺らいだ。
まぶたを閉じる。
そして、次々と脳裏を流れていく何かの欠片。
父親と遊園地で食べたソフトクリーム。甘い味。
白線を切ろうと、懸命に地を蹴る。疾走感。
中学受験に失敗した。絶望。
友とゲームセンターで格闘ゲームに興じた。興奮。
初めてのナンパが見事に失敗した。無力感と恥の感情。
大学受験に成功した。高揚。
両親との死別。喪失感。
製薬企業への就職。希望と向上心。
これは何だ。これはどこだ。これは誰だ。
気づくまでもなかった。
これは俺だった。
失われた俺だった。
誰かに握りつぶされた俺だった。
脳から熱が引いていき、全てを思い出した時、俺はゆっくりとまぶたを開いた。
他の四人も顔を上げている。
「なあ、地球って言われて分かるか…?」
俺が呟くように言うと、四体の神機は一拍の後に頷いた。
ヘルメットでお互いの顔は見えなかったが、俺たちはたしかにお互いの眼が交差したのを感じた。
急に記憶が戻った俺たちは、その後しばらく異常な興奮状態に陥った。
まともに会話が成立してくれない。
誰も脳内を整理しきれていなかったのだ。
ようやく落ち着きだしたのは小一時間ほどもたった後のこと。
とりあえず俺の提案で、まずはお互いの事を話そうということになった。
「私の本当の名前はアルフレートだ。元々ドイツで歯医者をやっていた。最後の記憶は…」
B-2改めアルフレートは少し額に手を当て、考え込み始めた。
「そうだ、確か書斎で本を読んでいたんだ。
そこで光に包まれ、何事かと思ったのが地球での最期だ。
ああ、残された妻が心配でならない」
アルフレートの語尾は軽く震えていた。
「次は俺に話させてくれ。アメリカでプロレスラーをやっていた。
本名は別にあるんだが、呼ばれ慣れてるんでリングネームのノックスで呼んでくれ。
B-3なんて無機質な名前はごめんだ」
ノックスは急き立てられるように話した。B-3の頃とは大きく違う口調だ。
「悪いが、最後の記憶はちょっと覚えてない。
記憶にないってことは多分、ステロイドの副作用でのたうち回ってる最中だったんだろうな。
地球にいた頃の記憶で強く印象に残ってるのはその苦痛と、後はIC王座を取った時の感動ぐらいだ」
発言の内容は軽いが、話し方に大きな感情の動きは見られない。
この状況に思考が追いつききっていないのだろう。
「私はB-4じゃなくて高木礼子。
日本の出版社に勤めてたんだけど…アルフレットさんと一緒で、出勤中に光に包まれたのが最後の記憶で」
「この世界では同じ年齢なんだ、さんはいらない」
「ありがとう。ならアルフレットって呼ばせてもらうね。
それで、心残りは急に消えてしまって、ただでさえ行き遅れで心配かけてる
両親の心臓が止まっちゃってないか不安かな」
彼女の冗談は明らかな笑いこそ生まなかったが、
その茶化した言い方は場の雰囲気を幾分和らげた。
女性は強い、という日本のどこかで聞いたことのある言葉も今なら信じていいかもしれない。
「俺はB-5と呼ばれていたものだが、本名はちょっと長いからシンと呼んでくれ。
タイに住んでいて、タクシー運転手をやっていた。
みんなと一緒で、酒を飲んでる内に光に包まれたのは覚えている。
家族もいなかったし心残りはさほど無いな。
強いて言うなら酒をもう少し飲みたかった」
弛緩した空気のおかげか地球で背負っていたものがあまりなかったのか、
シンの口調も軽い。
「最後になったけど、俺の名前は七地彰だ」
俺も続けて口を開いた。
「あれ、君も日本人なの?」
レイコが喜びを滲ませた声で聞いてきた。
同郷がいると安心できるものがあるのは同感だ。
「うん、製薬会社に勤めていた。
会社で光に包まれたところで記憶が途切れているから、俺もみんなと同じなんだろう。
奥さんがいなかったのは今考えると幸いだったかも」
「そんなことはない。結婚はいいものだよ」
アルフレートは優しい口調で言ってくれた。
「経験してみたかった」
レイコがしみじみとそう口にすると、軽く笑いが起きてくれた。
十分に空気はほぐれただろう。
「とりあえずだけど」と俺は本題にはいった。
「今の状況を整理しよう」
「まず最初に、私たちに何が起きたのか確認したいな」
居住まいをただし、アルフレートが言う。
「夢じゃなければ、この世界に召喚された…ってことよね」
顎に手を当てながらレイコが呟いた。
「それも、イレギュラーズとしての軍用目的でな。酷え話だ。まあ人権って言葉自体が無いみたいだが」
表情は見えなくても、ノックスの声には怒りがありありと滲んでいる。
全く同感だ。
感情は無くても苦痛は感じる。
拷問じみた訓練も繰り返される過酷な実戦の日々も、鮮明な記憶として脳内にべったりとへばりついていた。
「国際情勢だとか地理だとかは誰か分かるか?」
少し話を変えると、沈黙が返ってきた。
「俺たちの国の名前は分かる、アイルズ神国だ…」
シンがおずおずと声を上げる。
周りを見るが、皆何も話さない。
全員それ以上の情報を持っていないのだ。
教育機関では指示に従ったり、戦闘に必要だったりする情報だけ詰め込まれていたのだ。
それ以外の教育は一切受けさせていない。
兵器扱いここに極まれりといったところか。
吐き気がする。
まるっきりアイルズ神国の奴らは俺たちを人間と思っていないのだろう。
「次に、ここが地球の可能性があるか」
「ないな」
ノックスが即答した。
「地球に月が二つあったか?」
そう。ここには月が二つある。
一応確認のため聞いたが全員の意見がここは異世界で一致した。
「ところで、これはさっきから思ってたことなんだけど…」
レイコが口を挟んだ。俺を含め、4つのヘルメットがレイコの方をむく。
「神機を脱がない?お互いの顔をちゃんと見たいな」
俺たちはお互いの素顔を見たことがなかった。
寝るときはお互い隔離されて一畳程度の部屋に押し込まれていたし、訓練中も常に神機を着用させられていたのだ。
もっとも、身体能力が上がりすぎてまともな訓練にならないので神機の機能自体は切っていることも多かったが。
今考えると、万が一にも俺たちが結託して反乱しないようにするための対策だったのだろう。
「ああ、そうだな」
ノックスは一番に頷いてヘルメットに手をかけた。
しかし、もがくばかりで一向に取れない。
「あれ、どうなってるんだこれ?シン、手伝ってくれよ」
「仕方ないな…」
シンは立ち上がってノックスの後ろに回る。
このチームが組まれる前は試験的に二人で様々な作戦に携わっていたから、ある種特別なつながりがあるのだろう。
しばらく二人でガチャガチャやっていたが、全く取れる感じはしない。
ほかの三人もそれぞれ協力して試行錯誤したが、手応えはゼロだった。
「そういえば、毎回外す時はなんだか大きな機械使ってたよね」
レイコは諦めて座り込んだあとにそう言った。
あの機械が必須だと困ったことになる。
「おそらくだが、現状で外すのは無理なんだろうな」
「俺はもう少しやってみるぜ。シンも諦めるなよ」
「えー?まったく…」
ぶつぶつ言いながらもシンはノックスをしっかり手伝っている。
感情が抹消されていてもこれだけの関係が築けるというのは何だか羨ましくもある。
「ところでこの神機、何かSF映画っぽいよね」
横からレイコが俺にそう言ってきた。
「ああ、分かるかも。何かこの光沢とかゴツゴツした感じは近未来な雰囲気あるよ」
「普通の鎧は中世っぽいのにね。神機は発掘現場から出土したものらしいし、もしかしたら別の生物か文明かが作ったものなのかも」
レイコのその言葉に、俺は少し考え込んだ。
ありそうな話だ。
その辺りにこの神機が俺たち地球人にしか扱えない原因があるのかもしれない。
「もういいよノックス、他にもっと話すべきことがある」
俺の言葉に、悪戦苦闘していたノックスは渋々その作業を止めた。
後ろでシンもほっとしているようだ。
「これはとても大切な問題だと思うんだけど」と俺はゆっくりと話し始めた。
「皆、現状をどう思う?そして今後どうする?」
僅かな間。
「その現状というのは、ここに閉じ込められてること、それともアイルズ神国軍に所属させられてること?」
レイコが横槍を入れてきた。
後者だとわかってはいただろうが、話し合いをする上で定義をはっきりさせておこうという狙いだろう。
「結界に関してはもう待つしかないから、アイルズ神国の方だろ?」
ノックスのその言葉に俺は深く頷いた。
「私は…このまま奴らに従いたくはない。あんな生活はごめんだ」
アルフレートの静かな言葉に、皆がすぐに首を縦に振った。
日に二度の食事は、味のない固形物質。
休みなどあるはずもない。
薬剤の注射で壊れない程度に疲労、苦痛を麻痺させる毎日。
訳も分からず殺戮を強制されるあの日常に舞い戻りたい訳はなかった。
「俺はできるなら復讐したい。奴らを八つ裂きにしたい」
うつむき加減のままぼそりと呟かれたノックスの呪詛に、沈黙が落ちる。
誰もが同じ気持ちだろう。
俺も当然腸は煮えくり返っている。
だが、今そこまで考えるのは早計だ。
「とにかく、まずはここの脱出法だ」
「そうだな…国の名前は分からないんだが、今この砦のある国に敵意が無いことを伝えて仲間に入れてもらうのはどうだろう」
「それはちょっと危険だと思う」
俺はアルフレートの意見に異を唱えた。
「今までどれだけ敵を殺してきたか誰も覚えていないだろう?どの兵も俺たちを灰人形と呼んで憎悪を浴びせてきた。多分国民の間でも相当有名になってるんだろう。俺たちは周辺国からは徹底的に嫌われてるわけで、今更仲間に入れてくださいって言ったって、隙を見て首を落とされて国威掲揚に使われるのがオチだ。同じ理由で見逃してももらえないだろうな」
全員が軽く俯いてしまった。
今の自分たちの状況を痛感しているのだろう。
俺もあまりいい気持ちはしていない。
「だったら…今の俺たちの戦闘力なら、結界が切れた後に十分敵陣を正面突破して逃げられるんじゃないか?」
ノックスが別の意見を主張する。
「確か砦の近くに森があったからあそこに入って、追っ手から逃れてどこかの村か町かに潜り込めばいいのかな」
シンも積極的に話し合いに参加する姿勢を見せている。ここは一丸となって脱出に賭けるべきだと皆思っているのだろう。
「単純だけど、情報が無いんだからそれぐらいしかやりようがない、か」
レイコはしばらく考え込んでいたが、結局そう言って同意した。
「じゃあ、それまでは各々好きに過ごそうぜ。皆他に話したいこともあるだろうよ」
ノックスのその言葉で、真面目な議論は終わりを告げた。