プロローグ 初陣
「いいか、これは耐久力の試験も兼ねてる。敵の攻撃はある程度受けていい」
全身鎧『神機』の装着作業中。
教官は、今日も無表情で彼に命令を伝えてきた。
話を聞く限り、今日は対象がいつもの猛獣じゃなくて、人間の集団。
それだけの違いのようだと彼は認識する。
「第一目標は敵指揮官の抹殺。それが終わったら全滅を狙え」
彼は機械的に頷く。
「動作確認だ。これを殴ってみろ」
装着が終わったところで、目の前に一枚の金属板が用意された。
命令に従い、拳で打ち抜く。
激しい破壊音とともに、10cmほどの厚みのあった金属板はあっけなく貫通した。
「よし。いつも通りお前は無敵だ。神の敵に鉄槌を下すがいい」
教官は彼の前で珍しく笑顔を浮かべた。
その歪んだ笑みがどういった感情を表すかも、記憶を抹消され転生してから12年間戦闘以外の知識を与えられていない彼には推察できない。
訓練して戦って、敵を殺して薬を打たれて寝る。
彼にとっての、いつもの一日が始まろうとしていた。
◆◆◆◆◆
「もう日が昇ったっていうのに、随分冷えるな…」
ブラスタ帝国一般兵のトムコは、手をこすり合わせながら呟いた。
冷気に耳の感覚が無くなりかけている。
こんな場所に野営しているのだ、見張り役は恐ろしく身体に堪えた。
ここはブラスタ帝国とその敵対国、アイルズ神国の国境付近。
アイルズ神国が軍事訓練という名目で国境付近に軍勢を集めていることを察知したブラスタ帝国の上層部が、監視と対応のためにトムコたちを駆り出したのだ。
合計三百人あまりが派遣されており、敵が襲撃してきたとしてもある程度対応可能な程度の戦力は確保されていた。
街に結婚を考えている女のいるトムコは、ブラスタ帝国とアイルズ神国の腹の探り合いに大して興味を持っていなかった。
アイルズの奴らも早めに手を引いてくれねえかな。
そんなことを考えながらトムコは干し肉にかじりつく。
「ん…?」
干し肉の異常な塩辛さに顔をゆがませ、革袋の中の水を飲もうと顔を上げた瞬間、トムコの目に奇妙なものが映った。
「ありゃ何だ、人形か?」
まだ遠くのほうだが、太陽の光を反射しながら、奇妙な形をした何かがゆっくりと近づいてきている。
奇妙な形といっても、人型ではある。
見ようによっては全身鎧とも取れるだろう。
しかし、トムコが今までに見たどの全身鎧ともそれは似つかなかった。
顔の前面は青くツルツルした金属かガラスのようなもので覆われていて顔は見えない。あれで前が見えるのだろうか。
また、身体の部分も色々とおかしい。第一に色が白みがかった灰色だった。それにやたらとゴツゴツしているし普通の金属とは思えない質感だ。
武器を持っていないのも気になる。
いくら防御の硬い全身鎧を着てたって、丸腰では攻撃のしようがないじゃないか。
全員殴り倒すとでもいうのか。
「おい起きろタイラー、ちょっとここにいてくれ。俺はあいつのことを報告してくる」
うたたねをしていた同僚のタイラーを揺り起こし、トムコは言った。
正体のわからない何かが近づいてきているのだ、報告しないわけにはいかない。
トムコは走って上官のいる大きなテントに入った。
「報告します!正体不明の全身鎧を着た者が接近中!」
「それで、敵の数は?」
面倒そうに上官は答えた。
戦闘になるかもわからない状態での待機などでは誰も士気を上げられる訳がなかった。
この上官もその例に漏れない。
「一人です」
「一人だと?」
ギロリと上官はトムコを睨んだ。
トムコがどう説明したものか頭を悩ませた瞬間。
突然、爆音が二人の耳をつんざいた。
「敵襲だぞ!」
「武器を取れ!」
怒声が飛び交い、外が一気に騒がしくなる。
「ええい、どけ!」
上官は何かまずい事態が起こっていることを認識したのだろう。
トムコを押しのけてテントの外へ出た。
トムコもその後ろから続いた。
「…何なんだこれは」
愕然として立ち尽くす上官の後ろからトムコは前をうかがった。
トムコは思わず口元を押さえる。
そこに広がる光景ははまさに惨状そのものだった。
テントはいくつも崩れ、ミンチにされた仲間たちがそこら中に転がっていたのだ。
一体どんな武器を使ったらこうなるのか。
その答えはすぐに分かった。
あの奇妙な全身鎧が、前腕部から爆音と共に微細ななにかの粒のようなものを発射してまさに仲間を虐殺しているところが見えたのだ。
撃たれた仲間は為すすべもなく吹き飛ばされ肉片となっている。
「何なんだあいつは!」
上官は激昂している。
そんなことは言われなくても同感だ。
個人でこれほどの戦闘力を持つ人間がいるなんてトムコには信じられなかった。
「ご命令を」
いつのまにか上官のそばに来ていた副官の発言だ。
「う、うむ、そうだな…遠距離から魔道士に魔弾と炎弾の雨を降らせろ。見る限りあの武器よりも魔弾の方が射程は上だ」
上官は副官の言葉に多少冷静さを取り戻し、指示を出した。
命令を受けた魔道士たちは日頃の訓練の賜物か、迅速に全身鎧から距離を取った位置に整列し、一斉に魔弾と炎弾を放った。
重なる爆音、轟音。
立ち上がる土煙と爆風に全身鎧の姿は見えなくなった。
普通なら肉片一つ残さず消え去るだけの破壊力はあったはずだ。
「これで倒せなかったらマジで化け物だな…」
味方全体がほっとした空気に包まれる中、トムコだけは嫌な予感をぬぐい去ることができなかった。
土煙が落ち着き始めると、なにかの影がうっすらと動いているのが徐々に見えてきた。
それに合わせ、味方全体が絶句するのが分かる。
傷一つ。
全身鎧には傷一つすらついていなかった。
それどころか、今までと変わらず悠然とこちらへ歩いてきている。
太陽と薄れた土煙を背にしたその姿は思わず見とれてしまうほど美しく、同時に恐怖感をこの上なく煽るものだった。
「あいつを囲め!奴はあの奇妙な射撃以外の武器がない!至近距離で斬り殺すんだ!」
このままでは総崩れになることを感じた上官は、即座に次の命令を出して立て直しを図った。
その声に我を取り戻した兵士たち100人程が、その命令通り近接武器を携え全身鎧に接近を開始する。
何もしなければ皆殺しにされるという意識が、彼らの僅かな勇気を強制的に奮い起こしていた。
何人かがあの奇妙な射撃武器に蜂の巣にされたが、さすがに数が違う。
大半は命を失うことなく全身鎧の近くまでたどり着いた。
「死ね!死ね!」
「オラオラ!」
「仲間の仇だ!」
仲間たちは興奮の中、剣を全身鎧めがけて振るいまくる。
しかし全身鎧は全くそれを気にせず、上官のいる方向にゆっくりと歩いてくる。
防御する素振りすら見せない。
熱狂の中剣を打ち付ける仲間たちも、やがて皆異常に気づきだした。
全身鎧にまるで歯が立っていないのだ。
剣戟は全て弾かれ、鎧にはかすり傷すらついていない。
やがて疲れきった仲間たちは、肩を上下にさせながら剣を下ろした。
沈黙が落ちる。
異様な光景だ。
その中にいて、まるで変わらない様子で悠々と歩き続ける全身鎧。
「と、取り押さえろ!そいつの動きを封じるんだ!」
徐々に近づいて来る全身鎧に危機感を刺激され、うわずった声で上官は叫んだ。
「こ、この…」
味方の兵士たちは全身鎧にしがみつき、進行方向とは逆に力を入れることでその動きを止めようとする。
あの射撃で人数が多少減ったとは言えまだ味方の兵士は90人弱いた。
全員が全身鎧に直接接触できるわけもなく、全身鎧にしがみついた味方兵士にまたしがみつく、という形になる。
しかし、全身鎧は前進を続ける。
90人の成人男性が全力で押し返しても、その歩行は止められなかった。
上官は血走った目を丸くしている。
とはいえさすがにその歩行スピードを僅かに落とした全身鎧は、少し目の前の兵士たちを邪魔そうにする素振りを見せた。
直後、全身鎧は突然両手を上に挙げた。
そして風を切るような音とともに、その前腕部から刃が飛び出す。
その刃は血を塗りたくったように赤く光っていた。
そのまま全身鎧は両手を横に広げて、軽くくるりと回転した。
全身鎧を囲んでいた仲間の腹から血が噴き出す。
一泊おいて、絶叫が響いた。
切られた瞬間に気づかないほどの切れ味だったのだろう。
「ゆ、許して…」
「あああっあああぁぁ!ああああ!」
そのまま全身鎧は踊るように周囲の仲間を切り刻んでいった。
悲鳴を上げながら肉塊と化す仲間たち。
地獄絵図をまざまざと見せつけられ、上官の周囲の兵士たちは言葉もない。
結局、彼らは数分程度で全滅してしまった。
これで合計して仲間の半分、150人程度が屠られたことになる。
それも、30分もたたない内に。
「悪魔…悪魔だ…」
「クソ、どけ、どけよ、逃げるんだよ!」
圧倒的な戦力差に仲間は恐慌状態に陥っていた。
トムコにしても立場は同じだ。
上官を押しのけて敵から逃げ出す。
走るトムコの背後では悲鳴が止まらない。
上官の声もそのなかにあった気がするが気にしていられるものか。
全身鎧、いや、あの悪魔が追ってきているのだ。
怖くてたまらなかった。
未来の嫁さんが街で待ってるんだ、こんなところで死ねるか。
帰ったらあのあったかいポトフを腹いっぱい食べてやるんだ。
脳裏に浮かんだ懐かしいポトフの味が、結局トムコの首がはねられる直前、人生最後の瞬間を彩ることとなった。
◆◆◆◆◆
これは当時12歳であった地球からの転生者、七地彰の初の実戦であった。
この実験的な作戦は上々の結果を残し、アイルズ神国は全身鎧「神機」をまとう転生者の小隊、イレギュラーズの本格的な実戦投入を決定した。
その結果として拮抗していたアイルズ神国と周囲の国々のパワーバランスは崩壊、じりじりとアイルズ神国の領土が拡大しはじめる。
イレギュラーズはその元凶として周囲の国々から、「灰人形」と呼ばれ忌み嫌われることになった。
そして五年後。
とある砦を巡る攻防戦が、アイルズ神国の操り人形だったアキラに大きな転機をもたらす。