Girl
……腹が減ったな。
寝室で目を覚ます。部屋は真っ暗。俺は相変わらず、一人きりだ。
騒々しかった屋敷の中は、驚くほどに静まり返って、今ではちょっとした牢獄になってしまっている。
後ろ手に拘束された、俺の両腕。
自由を封じられた状態での目覚め。
……ああ、そういえばそうだった。
手枷がついていなかっただけで、本質的には俺の生活は、変わってないんだった。
モンスターの巣食うダンジョンに閉じ込められて外に出ることのかなわない男。この六日間、ずっとそうだ。
ここはもともと俺の牢獄だったんだ。何も変わってない。別に何も。
それにしても腹が減った。空腹で目が覚めたんだった。
拘禁ぐらしだって、食事ぐらいは出るもんじゃないのか。試しに「おーい」と声を上げてみたけど、返事はない。やっぱり誰もいない。
今朝、うちのドジっ子メイドが作りすぎた料理があったよな。途中でダンジョンアタックの警報を聞いて飛び出したから、あれの余りがどっかに残っていてもおかしくない。
薬の副作用でグダグダになっていた足腰も、だいぶ回復したようだし。暗い部屋に目が慣れるのを待って、俺は食卓目掛けて歩き出した。
ところがだ。食卓には俺が期待していたメシはなく、仕方がないので腕を封じられた格好で屋敷の中を右往左往。
室内の暗さと身動きの取りにくさが相まって、転んだ拍子に穴のようなものに落っこち、転げまわってたどり着いた先は……。
カビ臭さとホコリ臭さが入り混じった、真っ暗などこかだ。ダンジョン内に灯された明かりの影響が残る屋敷の中より、もっとずっと、更に暗い。
この展開、俺がダンジョンに放り込まれた時を、思い出すな……。あんまりいい思い出じゃない。
ここ、どこだ。あっ、そうだ。
「今は何時何分だ?」
『23時29分です』
俺の肩口に現れる、妖精サイズの女神。
顔の上半分をヴェールのようなもので覆い隠した、この小さな女神は、俺が時間を尋ねればすぐに出てきて、正確な時刻を教えてくれる。
漠然と夜中に目が覚めたので、今が何時かを知りたかったというのもあった。だけど今こいつを呼び出したのは、別の理由からだ。
カウント女神が現れる時と消えるときに振りまく、薄紫色の光。その僅かな光のおかげで、周囲の状況が多少なりともわかるだろうと思ったんだ。
予想は的中した。小物が散らばった狭い部屋に、どうやら俺は落っこちたらしい。多分地下室かなんかだろう。
今、見えたものの中に……特徴的な形のものがあったよな。後ろ手に拘束されたまま、手探りで拾ってみると。うん、やっぱりそうだ。
これはリボンだ。しかも、奇妙に脈打っている。触ると気持ち悪いな、置いておこう。
もう一度女神に時間を尋ね、床の一面に当たりをつけて凝視してみた。
ところどころに散らばった、干したヤモリ。コウモリの羽。割れた鏡。血塗れの本。俺がダンジョンに投げ入れられて、最初にゴシカに会った時に、見たことがあるものばかりだ。
部屋の隅には、立てかけられた棺桶もあったように見えた。
「ここは……ゴシカの部屋か」
「あれ? もしかしてさっきからガサゴソしてるの、グルーム?」
俺の言葉に反応して、棺桶から少女の声が聞こえてくる。
「悪い、起こしちゃったか」と聞いてみると、「ううん、大丈夫」と答えが返ってきた。
そもそもゴシカは吸血鬼でアンデッドだ。寝るのかな?
まあ、いいか。屋敷に俺一人ってわけじゃ、なかったんだな。
「いやー、参ったよ。腹が減ってメシ探してたら、落っこちちゃってさ」
「そうなんだー! グルーム、縛られてるでしょ? この部屋から出れる?」
「多分無理じゃないとは思うけど。……あ、そうだよな。出てったほうがいいか。明日大変だろうし、よく休むといいよ」
「ううん、平気平気! あたしも寝付けなかったんだ、お話しよ?」
そう呼びかけるゴシカの声に招かれ、俺は地下室の闇の中、棺桶のある方にそろそろと歩いて行った。
なんだか、吸血鬼の館に迷い込んで、これから血を吸われる犠牲者みたいだな。
でも、棺桶にまで辿り着いてみたけれど、俺は取って食われなかった。そもそもゴシカは、棺桶の外に出てくる様子がない。気まずいのかもしれない。
俺もそうだから、そんな気がした。なんとなく、顔を合わせづらかった。話題の切り出し方も探り探りだ。
「あー……しかし、大変なことになったね」
「ねー。結局こうなっちゃったね。でも、なんとかなるよ! うん」
聞き覚えのある朗らかな声は、俺の心を幾分和ませる。
なんだ、思ったより悲壮感ないんだな。
スナイクも「なんともならんね」とあきらめムードだったし、ゴシカも落ち込んでる様子で去って行ったし、敗戦覚悟の決戦みたいな流れになっちゃうような、気がしてたけど。
「思ってたより、余裕ある感じだね、ゴシカ」
「そっかなー? 余裕はないんだよ、覚悟が出来てるだけでさ。こう見えて、対策だけは事前にいっぱい、考えておいたからね!」
「へえ。もし人間が攻めてきた時のための、対策?」
「ううん、フィルメクなんとかさんとかが、攻めてきた時の対策だよ」
「そんなピンポイントで対策してたのか! そりゃあ多少余裕もあるかもね」
「だってさ、あたしのことがバレちゃったら、こうなるのわかってたからね」
ゴシカは自分がノーライフ・クイーンだと、神殿の連中に知られるのを嫌がっていた。俺もごまかしを何度も手伝ったから、それは知っている。
だけど、その理由はなかなか聞くタイミングが持てないままだった。
なるほど、神殿からのダンジョンに対する、こうした粛清なり封鎖なりを避けたいがために、ごまかしを続けてたってわけか。
「……そっか。バレたらこうなるかもしれないって、ゴシカはずっと思ってたんだね」
「ううん。思ってたっていうか、知ってたの」
「知ってた?」
「リングズ先生の予言でね、聞いてたんだ。あの人達が、あたしのことをノーライフ・クイーンだって知ったら、みんなでダンジョンに攻め込んでくるって」
リングズ先生って、魔窟の奥に住んでるっていう、ゴシカの魔法の先生か。
ゴシカよりも更に高い魔法の力を持っているっていう、人造不死存在の……。
「リングズってのは、予言も出来るの? どの程度信憑性のある予言なんだ?」
「予言っていうか、先の時間を見てるっていう、『未来視』ってものらしいんだけどね。だからね、基本は絶対当たる!」
「絶対って! そりゃまた言い過ぎじゃないのかなあ」
「あたしもね、そうじゃないかなって思ってた。だから色々やってみたんだ。人間と争わないようにするために、結婚したらいいんじゃない? とか!」
「え? そ、それで……そんな理由で結婚の話が出てきたの?」
「うん、そう!」
明日の衝突が起こるのを事前に予言で知っていて、その衝突を避けるために……結婚?
俺がこうして捕まえられて、花婿様とか言われてるのは、それが原因だったのかよ?
「あ、あの、それさ。せっかくだから詳しく教えてくれない?」
「いいよー。あのね、先生の予言で、近日中にあたしがノーライフ・クイーンだってのが神殿の人たちにバレて、このダンジョンに攻め込んでくるって言われたの。もうめっちゃめちゃにされて、ダンジョンが無くなっちゃうって」
軽いトーンで話しているけど、内容自体は結構ハードな気がする。
何せこれ、絶対外れない予言らしいから。なのに「ダンジョンがめっちゃめちゃにされて無くなっちゃう」って。
これだけ強力なモンスターやダンジョンマスターが揃ってるこの場所が、無くなるってことは……どんなことになるんだ、明日。
「それであたし、考えたんだ。人間とぶつかり合いが起きる前に、お互い仲良くしようよーって、ダンジョンのモンスターと街の人間とで、結婚したらどうかなって」
「ゴシカのアイデアだった……ってのは、前にエ・メスにも聞いたな。あの子が動けなくなる直前だったか」
「うん、あたしのアイデア。あたしが誰かと結婚するつもりだったの。でもそしたらね、『貴様だけ人間と強固なパイプを作って勢力を伸ばすのは許さん』って、レパルドが割り込んできて」
「相変わらずモノマネ似てるな」
「そしたらおじいさんたちも『ドクターの言うことも尤もだねえ。では我々も参加するとしようか、イーッヒッヒッヒ!』って。エ・メスを推薦したんだよね」
「ははは、みんな政略結婚目当てってことだよな。俺、生まれも育ちも大したもんでもないのに、モテモテだ」
「あはははは! そーだね!」
闇にそびえる棺桶から響く、少女の屈託のない笑い声。
絵面は軽くホラーなのに、俺は少し嬉しかった。ゴシカの楽しそうな声に、安らぎを感じている。
「それにしても、無茶な事を考えたもんだね。人間と結婚して仲良くなって、衝突を避けようなんて」
「えへへ……結婚する前に、あたしの正体が神殿の人たちにバレちゃったから、結局意味なかったけどね。ごめんね、グルーム。変なことに巻き込んで」
「あ、うん……うん」
文句はそりゃ、いっぱいある。
俺は全く無関係の人間なのに、ダンジョン内のおかしな勢力争いや、神殿との抗争に、結婚相手なんて言う変なポジションで巻き込まれたんだから。
今だってそのせいで捕まったままだし、悪魔の契約もそのまま残ってるし、俺は明日一体どうなるのかわからない!
だから、文句は、いっぱいあるはずだ。
いっぱいありすぎて、俺の口からはその文句がうまく出てきてくれないみたいだ。また今度に……しよう。
「あとね、結婚相手が決まるまで、みんなで一緒に住んで、うまいこと仲良くなれたらいいなー……とも思ってたんだけどね! それで魔界勢とか野生勢とかそういうの気にしないでいいことになって、一緒に手を取り合ってフィルメクなんとかさんと戦えたら、勝てるかもなとも思っててさー!」
「あー、それはもしかすると今からでも、なんとかなるかもしれないよな」
「えー、ダメだよー。レパルドは超怒っちゃってるし、うちのアンデッドの子たちも、相変わらずおじいさんたちの言うこと聞くの嫌いみたいでさ」
「アンデッドに限っては、ゴシカが言って聞かせるんじゃ駄目なのか?」
「あの子達、あたしが直接従わせないとすぐ反抗するんだ! 脳みそとろけちゃってるから!」
「そういやそうだったな。やめろって言ってるのに、俺も何度もかじられたよ、ははは……」
苦笑を浮かべつつ、俺は考えていた。
このムードなら、他に誰も邪魔が入らないこの状況なら、話しておけるんじゃないかな。
せめて、誤解を解いておきたい。
「あ、あのさ、ゴシカ」
「ん? なあに?」
「この際だから言っておこうかと思うんだ。俺とチート野郎とのことなんだけど、あれは――」
「ごめんグルーム! その話は今、ナシにして!」
「え?」
疑惑が晴れてこの両手の枷が外れるようなことはないとしても、せめてゴシカにだけは、真相を話しておきたいと思っていたけど。
思いのほか深刻なトーンで、俺の弁解は遮られてしまった。
「あ、あのね。あたし今、いっぱいいっぱいで、自分のことも、みんなのことも、いっぱい抱え過ぎちゃってるの。だから、ほら……あたしはグルームのことは疑いたくなんて、ないんだけど。今は何を聞いても、ダメな気がするの。ごめんね」
「え……? じゃ、じゃあむしろ、少しでも懸念がなくなったほうがいいんじゃない? 何があったのか正直に話すからさ。俺は別に」
「ダメなの! ……あのね、レパルドが言ってたじゃない? 『人は騙す』って。グルームはそういう人じゃないって、あたし、思ってるけど。信じたいけど。何百年も、沢山の人を見てきたから、ね? あたし、今は……どんな言葉を聞いても、疑っちゃうかもしれないって……思って……ね? 一度そうなっちゃうと、もう……怖いって、言うか……」
――人は騙す、か。
確かに騙すな。俺は人に騙されてここに来た。
駆け出し冒険者だってのに、最初の冒険で早速生死に関わる嘘をつかれて、文字通り担がれて、ダンジョンに入れられた。
ゴシカは……そういうふうに人が騙し騙される姿を、何百年も、いくつもいくつも見続けてきたんだろうか。
その上で、俺を信じたいから、今はこれ以上聞きたくないって言うのか?
棺桶から顔を出してくれないのも、そういう理由なのかもしれない。お互いを目の前で意識するのが、なんとなく嫌なのか。
「いいよ、わかった。ゴシカがもう少し余裕があるときに、ちゃんと話すよ。それでいいだろ?」
「な、なんだかごめんねグルーム!」
「いや、まあ、俺こそ話の腰を折っちゃって悪かった。話、戻そうか?」
「あ、どこまで話したんだっけ? 先生の予言を聞いて、結婚しようとしたら、みんなが立候補しちゃってびっくりー! ってところまで話したんだよね?」
「そうそう、せめてレパルドやエ・メスと仲良くしようかと思ったけど、それも無理だったとか、そのへんかな」
そこまで話を振り返って、俺には一つの疑問が浮かんだ。
ゴシカはリングズとやらの予言を、自分の中だけにとどめていたんだろうか。
「ねえゴシカ、その予言のこと、レパルドとかは知ってるの?」
「ううん。話してない」
「えっ、だってそれ……その事情を知ってたら、みんなもう少し協力してくれたんじゃないのか? さすがにこう、一致団結しようって流れに……」
「んー、でもねー。実際に明日が正念場ってなっても、みんな仲が悪いままじゃない? 一致団結はやっぱり、難しいのかも」
「まあ……確かにそうだな」
「それにね、魔界の子達はみんな止めるんだよ、レパルドやエ・メスなんかと仲良くしないほうがいいって言って、大事な話はなかなかさせてくれないの」
「周囲の圧力……みたいなもの?」
「お姫様が自分の一存で外交とかしちゃダメー! みたいな感じかも」
「だけどその程度の圧力、ゴシカならなんとでもなるでしょ? それこそお姫様なんだし」
「それもそうなんだけど……。そもそもリングズ先生の予言を、あたしたち以外のみんなが信じてくれるほど、お互いに信頼関係がなかったんだ。うちの子もレパルドのところの子も、仲が険悪だったから……」
大事な住まいががめちゃくちゃにされるという予言を受けて尚、仲良く出来るかどうかわからないほどの、ダンジョン内でのごたごた。
そこに橋渡しとして放り込まれたのが、人間との結婚っていうイベントだったのかな。
花婿役に無理やり選抜された俺としては、たまったものじゃ……なかったけどさ。
「今回の結婚の話が出るまで、こんなにレパルドやエ・メスと近くで一緒に過ごしたのも、あんまりなかったから。レパルドが偉くなればなるほど、なんだか疎遠になっちゃって……ね?」」
「そうか……」
「でも、結婚前の同棲生活はすごい良かったよね! グルームもそう思わない?」
「お、俺にはよく、わかんないよ」
「あたしは良かったと思うよー! おかげでレパルドやエ・メスのこと、前よりいっぱいわかって、良かった! こんなに楽しく一緒に住めるなら、もっと早くお友達になっていたかったなー!」
「まあ、なんだかんだでゴシカたちは、仲良くやれそうだよね」
「うん!」
部屋は暗いし相手は棺桶の中。
顔なんかちっとも見えないのに、目をつぶれば、ゴシカの笑顔が頭に浮かんだ。
アンデッドのくせに前向きだよなあ、この子は。
「ゴシカは……いい子だな」
思わず口をついて出た言葉を聞いて、快活な女の子の声は、意外そうなトーンを伴って返ってくる。
「えっ? もー、何言ってるのグルームー。あたしは全然いい子なんかじゃないって! もー!」
「ははは、そうか?」
「そうだよー。あたし、一番簡単な方法からはずっと、逃げ続けてたんだもん。こうすればいいのは、わかってたんだしね。なんとかそれを避けられたらいいなって思って、結局みんなを危ない目に合わせちゃったからねー」
「……? 何を、すればいいって?」
「だけど、ほら、ね? 大丈夫! もう安心だからって、みんなにも伝えておいてね。最後にこうしてグルームといっぱいお話出来て、うれしかった! あなたのことを信じたまま、さよならできるね」
「おい、待てよ。ゴシカ、まさか……」
『最後に話せて』とか、『さよならできる』とか、不穏な言葉が混じり始めた時、俺の頭に浮かんでいるゴシカの顔が、笑顔じゃなくなった。
いや、声は笑っている。きっと顔も笑っている。でも、この女の子の心境は今、笑ってない。
「思い出すなー。レパルドの育てたハチミツを混ぜて、エ・メスが淹れてくれた紅茶。みんなが甘くておいしいって言ってたけど、あたし、死んでるから、実は味なんてわかんなくって! いつもそうだったの。おいしいふりしてて、ごめんね? でも、とっても、楽しかったんだ。もう全部、味わったから」
棺桶から、サラサラと何かが流れだすような音が、かすかに聞こえている。
驚いて棺桶に触れると、蓋の合間から、何かが漏れだしているのがわかった。
指に残る、砂のような何か。
「おい、ゴシカ! これ何だ! 棺桶から何か出てるぞ?」
「あ、ダメだよね隙間が開いてたら。しっかり閉じておかないと、未練が残っちゃうもの」
「バ、バカ! おい! 開けろ! こら、棺桶の中、どうなってんだ!」
「あたし、初めて本当に死ぬんだ。だからもう、あたしがいなくなるから、攻めてこなくていいからって。そうみんなに伝えてくれる?」
ゴシカの声は、口がうまく回っていないような、いくぶん不明瞭な声になっていた。
小さな女神がふっと現れ、『日付が変わりました』と、俺に告げる。
一瞬ともった薄紫の光は、棺桶から漏れた灰を、映し出していた。
「結婚……したかったな」
少女のその声を最後に、棺桶は閉ざされた。