なんともならんね
「君たちの怒りや不満も尤もだよ。何せわたしは卑劣な人間だからねえ。君たちモンスターを最大限利用し、自分の益を生み出すことに執心している、小癪な存在さ」
「ぶっちゃけやがったこのクソノッポッ!」
「やっぱり人間は信用ならねえ……! 花婿気取りのあの人間だって、俺らを裏切ってたって聞いたぞ、本当かよ……?」
「それについては明日にでも答えを出し、クロと分かれば皆で八つ裂きとすることにしよう。諸君、わたしの特製の拷問用具を貸してあげよう。魔界勢も野生勢も、仲良くグルームを殺すがいい」
モンスターを前にしてのスナイクの口上で、突然俺が槍玉に上がったことに驚いた。
「ふざけるな!」と言い返してみるも、弱った俺の言葉が届くような雰囲気じゃない。
何せゴシカの声すら死体に届いていない様子だし、レパルドだって獣たちのいがみ合いに睨みを利かしても、その喧騒を抑えきれていない状態だ。
もともと統率の取りにくいモンスター共が、欲望に任せて個々に叫びを上げている。
悪意は否応なしにモンスターたちの間で増幅されていく。高まる怨嗟をまるで指揮者のように、ディケンスナイクは導いていった。
「わたしは知っている。君たちが心の底からバケモノであって、何であろうと宴を楽しめればそれでいいということをね。それが結婚の前祝いであろうが、ギャンブルレースであろうが、捕らえた人間の殺戮ショーであろうが。そうだろう?」
「わかってるじゃねえかクソノッポ! ギャハハハハハ!!」
「君たちと付き合いも永いからね。そこでわたしは提案しよう。明日の襲撃に備えて、君たちは戦う準備を整え給え。今すぐにだ」
「テメエの言うことなんて誰が聞くかこのクソノッポッ!」
「ヂュヂューイ! ヂューモ!」
不遜な笑みを浮かべるディケンスナイクに、またもや汚物が放り投げられる。
焦げ茶色の粘液に覆われた老人は、それでも怒りや不快感を露わにすることなく、しわがれた声を続けた。
「まあまあ、罵詈雑言はせめて虫語以外でお願いするよ。今日のわたしは何も、自分の利益だけで君たちに指示を出しているのではない。これは提案だ。死んでしまっては元も子もないだろう、野生生物の諸君?」
「おら達は……姫さんとこの兵隊や、ゾンビのナイトメアーみてえに、アンデッドになる気はねえ」
「ああそうだろう。死んで他者の走狗となることは、君たちの本意ではないだろう。そして、死してしまい生きる喜びもないアンデッドの君たちも、くだらない宴を楽しむぐらいしか、もう娯楽はないだろう?」
「そうだよ。姫様を愛でるか、じゃなきゃお前や花婿を殺して仲間に引き入れるしか楽しみはねえぞ、クソノッポッ!!」
「なるほど、だろうねえ。だからこそ君たちは、戦う準備を整える必要がある。さもなければわたしも君たちも、明日には人間どもに蹂躙されて、生きる喜びも死の楽しみも、今以上に貪欲に味わうことなど出来なくなってしまう」
「確かにそうジャな! ダンジョンに攻め込んでくる連中なんぞに負けてしまっては、憎々しいワシらの首を取ることすらかなわんワイ!」
長身ジジイのスナイクの横から、チビデブドワーフのゴンゴルも現れ、話に加わってくる。
何かを察したような目配せを、高低差をつけて交わしながら。
「わたしは明日の人間たちの襲撃を跳ね除けるために、君たちモンスターを最大限スパルタに利用させてもらうこととしよう。それで生き残れたものは後日、にっくきわたしや婿殿を、煮るなり焼くなりすればいいじゃあないかね」
「メインデイッシュは後にとっておくというわけじゃな! ワシも今ここで、お主らに特大の爆弾を放り込んで全員ハラワタぶちまけさせてやりたいところジャが、その楽しみはもう少し先にするワイ!」
「言いやがったなクソジジイども……! 調子乗ってんじゃねえぞ?」
「ヂュモモーウ!」
「ブルヒヒヒン!」
「抗議は無事に生き残ったら一人ずつ聞くことにするよ。いいかね? 今ここでわたしを殺してしまったら、君たちだけで明日の襲撃に耐えることは出来ないのだよ? わたしは君たちから利益を得る。しかし君たちも、わたしから利益を得る」
「お主らが嫌いな、ワシらダンジョンマスターのクソジジイを、せいぜい有効利用してみるんジャな! ガッハッハッハ!」
「言いやがったな! やってやろうじゃねーかァッ!」
モンスターたちの敵愾心を煽って自分に向けつつも、そこから矛先を人間全体に移し、明日の決戦へのモチベーションにすり替えている。
相手が単純なモンスターばかりだから、動かしやすいというのもあるんだろうけど……。スナイクのやり口に、俺は感心した。こいつはいつもこうやって、モンスターを運用してるんだろう。
「待て、老人」
「何だね、Dr.レパルド」
「貴様の言い分はわかった。事情が事情だ、多少は踊らされてやってもいいだろう。だが、我々と死体共の軋轢はやはり顕著だ」
「ああ、わかっている。生理的に相容れないというやつだね。完全な協力体制を敷くことは難しいだろう」
「故に、こちらはこちらで動く。死体と足並みは揃えないし、貴様の指示に従うとも限らんからな」
「無理に従わせれば反発が大きいだろうからねえ。そこは各陣営のリーダーに任せるよ」
「……よし貴様ら、わたしのもとに集まれ! 明日の戦いの準備を整えるぞ!」
「ウォオオオオオオ!!」
獣人の女医の声に呼応し、獣の吠え声が屋内ドームを満たした。
直後、眼鏡越しのレパルドの視線が俺に注がれ、殺気を全身に浴びせられたような感覚が襲う。
しかしそれは一瞬の出来事だった。踵を返した彼女は、すぐに獣の群れに戻っていったから。
一方、野生生物に対して敵意をむき出しにしていたアンデッドたちも、ゴシカを中心にして一箇所に集まり始める。
「……とりあえず、ここから出ようね」
「姫様ぁああ! なにも獣共に気を使う必要はありませんぞぉおおお?」
「いいから、もうそういうの。もう……いいんだよ。だからみんなは時間が来るまで、せめて自分だけでも、守ってね」
「……姫様ぁ??」
首を傾げる黒ヤギ頭を筆頭に、うごめく骨や腐肉を従え、ゴシカは屋内ドームを去っていく。
俺はなんとなく、その背中を見送った。
ゴシカもこちらを、振り向かなかった。
去りゆく女性たちの代わりに俺のもとに現れたのは、ディケンスナイクだった。
「……さて。決戦前の衝突はどうにか未然に防いだし、我々も本格的に準備に取り掛からねばならないね。いやあ花婿殿はこの忙しいさなかに拘禁かね? 戦う必要もない、いい御身分だ」
「お前のその……用兵手腕っていうのか? 見せてもらったよ。正直すごいなって、思わされた」
「へえ。お褒めに預かり光栄だよ、グルーム君」
「これでチートとの戦いも、まあなんとかなるよな。俺はほとぼりが覚めるまでのんびりしておくよ」
「なんともならんね」
「は?」
スナイクの顔からは、余裕の笑みが消失していた。
「わたしが今やったのは、各勢力の衝突を未然に防いだだけだよ。明日の決戦に備えて、わたしも、モンスターたちも、チートの転生者を返り討ちにする準備を着々と整えるだろう。口先だけでそこまでは持っていけた」
「だ、だったらいくらでも対抗策はあるんじゃないのか?」
「ないだろうね。君は転生者を甘く見過ぎではないかね、グルーム君。相手はこの世界のあらゆるものより優れた最高の能力を持ち、不可思議なチートスキルすら操り、バックには信仰勢力の神官や騎士団までもついている」
「でも、ゴシカやらエ・メスやらがいるんだから……」
「彼女たちが三人がかりで立ち向かって、かなわなかったのだろう? ましてや今回はその三人が力を合わせることも出来そうにない。去り際のゴシカの落胆ぶりを見て、わたしも察したよ。きっとノーライフ・クイーンを持ってしても、転生者には勝てないのだろうね」
静かな絶望が、心の底に染み渡っていくのがわかった。
傷や薬で生死の境をさまようとか、チートと戦って死ぬ思いをするとか、そういうものとはまた別種の絶望。ぶん殴られたような衝撃はないけれど、じわりじわりと逃げ場を失うような気持ちだ。
スナイクが余裕を持っていない。ゴシカもあきらめている。このダンジョンで六日間こいつらと過ごして来た、俺にはわかった。
それがどれほど厳しい現実を意味しているのか。
「……まあ、君も腹をくくっておきたまえ。我々はこれから明日の準備に入るよ。その結果このダンジョンが崩壊するようなことにでもなれば、ろくに身動きの取れない君もどうせ死ぬだろうしね」
「せめて出来る限りのことはやるワイ! エ・メス! お主だけでも生き残れるように、特別製のオプションパーツをつけて、決戦仕様にしてやるんジャ!」
「そうだねえ、エ・メスの改造関係は一旦ゴンゴルに任せよう。わたしは罠の設置及び、その位置をレパルドに報告して擬似的な連携を取れるように仕向けることにするか」
「あのう……大旦那様……」
「なんジャ、エ・メス!」
「ご主人様を……お屋敷まで、お送りしたいのですが……」
「……そうだね。あまり余計な時間は取れないが、スパイ容疑のグルームを閉じ込めて置かなければいけないのも事実だ。エ・メス、彼を新居に連れて行きたまえ」
「……かしこまりました……」
ぺこりと頭を下げた眼帯のメイドは、俺をまたもやお姫様抱っこした。
この体勢の恥ずかしさは相変わらずだ。でも、薬の副作用で体が重く、両手を後ろ手に縛られている俺には、抵抗する気力もない。
そのままエ・メスに抱えられ、俺はダンジョン内を運搬された。まるで物か何かのように。
右も左もわからずに、あちこち連れまわされたことのある、この洞窟の岩壁。罠が作動した後のくぼみや歪み。モンスターと冒険者が戦った形跡……。
そんな景色を眺めながら、俺は、運ばれていた。
「……エ・メスと二人っきりっていうのも、なんだか、久しぶりだな」
「そうで……ございますね……」
「前にもあった、あの時みたいだな。ゴシカとレパルドがそれぞれどっか行っちゃってさ。俺とエ・メスの二人で屋敷で過ごした、あの時っぽいよな」
「……ご主人……様……」
「あ、悪い。ぶっ倒れた時の辛い記憶、思い出させちゃったか」
「いえ……。むしろわたくし、思い出せないのでございます……。いえ、思い出すべき記憶すら、ないもの……でして……」
「? どういうことだ?」
気づくと馴染みの屋敷の前に、俺たちは到着していた。
ダンジョン内にあるお屋敷。花嫁候補のモンスター三匹と共に過ごすために作られた、新居。
扉を開けて、作動した罠をエ・メスが体で受け止めて、安全なベッドまで俺を連れて行く。相当に奇妙ながらも、俺には既視感のある光景だ。
ただ見ているだけなのに、俺は息が上がってきた。熱も高まっているような気がする。こんな容態だが、手枷は外してもらえなかった。
「申し訳ございません……ご主人様。その手枷は外してはいけないと……大旦那様に言われましたもので……」
「あ、ああ」
「明日の戦いの装備を整えるために……商人様が呼ばれるそうです……。大旦那様の買い物が終わりましたら……こちらに来て、薬をいただけるかも……しれません」
「……うん、期待して待っておくよ。それよりさ、エ・メス。移動中にしてた話の続き、聞かせてもらえないかな。『思い出すべき記憶すらない』って、どういうこと?」
「それは……」
左目の視線を泳がせつつ、エ・メスは答えた。
丁寧に、言葉を整理しながら。
「わたくし……ご主人様に助けていただいたことで、倒れて仮死状態になるような事態を、無事に避けられましたもので……。ご主人様と……二人で過ごした時間を……体験していないのでございます……」
「……? えっ、だってエ・メスが魔窟の主の魔法を食らって、それで倒れたから、二人でここで一晩過ごしたんだよな?」
「ええ……。ご主人様に助けていただいた結果、そうした思いをしなくても、良くなったものですから……」
「あっ、そうか。エ・メスがそもそも倒れてないことになったから、あの晩一緒に過ごした記憶も、いや、事実もないのか!」
「はい……」
過去を変えることで、エ・メスは無事に生還した。
だけどその代わり、エ・メスが俺と過ごした時間も、どこかに無くなってしまったわけだ。
「じゃあ、その事実自体がなくなったのに、俺がその経緯を覚えてるのはなんでなんだ……? エ・メスと過ごした夜のこと、俺は覚えてるぞ? コショウのビンが爆発したこととか、皿を取ってやったこととか」
「宝の作動に関わったものは、記憶を留めることが可能なのだと……大旦那様から聞きましたが……」
「ってことは、俺とかゴシカたちとか、ジジイどもとかか。そうかあ、言われてみるとそうかもな。過去を変えた当人ぐらいは、その経緯を知ってないと、変なことになりそうだし」
「……ご主人様に、お皿を取っていただいたり……したのですね。わたくし……」
「あ、ああ。そんなことがあったんだよ」
「そうですか……」
エ・メスは感慨深そうに目を閉じる。
再び開いた時、その左目は、いつものような無感情の色をたたえていた。
「わたくしは、あの時……。ゴーレムとして、『宝を託すにふさわしい相手だ』と、ご主人様を受け入れ……。その結果、宝のきっかけとなる水晶をお渡しすることに、なった……はずなのです……」
「そう……だな。そんな感じだったのかもしれない」
「ですが、わたくしは……。今まで大旦那様にすらお渡ししなかったその宝を、どうして渡そうと決意したのか……。自分自身の判断が、どうしてそうなったのかが……。わからないのです……。それは、少々、心残りに、ございますね」
すっくと立ち上がったエ・メスは、俺に深々と礼をした。
「それでは、ご主人様。わたくし……行かねばなりませんので。失礼させていただきます……」
「俺も、元気になったら行くよ」
その言葉には対する返事はなく、かすかな笑みとともに、そっとシーツをかけられるのみだった。
ムダのない動きで寝床を整え、ベッドルームを去っていくエ・メス。
俺は新居に、一人きりになった。