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約束の終わり

 骨の間から腐敗した肉をドロリと垂れ流し、死体は蠢いていた。

 ついさっきまで、まさしく『物言わぬ死体』としてその辺に転がっていた、かつては人だったもの。

 ただれた体を揺れ動かしながら立ち上がり、アンデッドは快哉を叫ぶ。


「やっちまいましょう姫様! 俺達が死力を尽くします! 人間どもを返り討ちにしてやりますぜっ!」

「そっだらこと叫ぶ前に、おめはこっからね!」


 怒りに赤熱した体で現れた一匹の雄牛は、ミノタウロスだ。

 ダンジョン内の屋内ドームにいななきを轟かせ、角を構えた突進で、アンデッドを弾き飛ばす。


「おらの畑を汚すでねえ、死体共が!!」

「……けっ。おめえも死んだら俺らの仲間入りだろうがよぉ……」

「うるせえだ。おらは死んだら畑にまかれて土に帰るだよ」

「じゃあ今すぐ肥料になるかぁ? ウシ野郎っ!」


 ミノタウロスの周囲を取り囲むようにして、次々にアンデッドは立ち上がってくる。骨だけのもの、僅かな肉をまとうもの、幽体のものもいる。

 こいつらは別に、ミノタウロスが後生大事に育てていた畑から湧いて出た、作物ってわけじゃない。

 先ほどこの場に乱入して去っていった神官聖女が、ターン・アンデッドをしながらダンジョンを通り、ついでに連れてきてしまった連中だ。

 神聖魔法の効果が切れたのか、再び死にぞこないの体を動かし、立ち上がり始めた死体たち。

 それをミノタウロスは鼻息荒く、次々に畑の外に追いやっている。

 牛の声に混じって馬の声も、畑には響きわたっていた。純白の一角獣、ユニコーンだ。こちらもアンデッドを見るなりに、片っ端から蹴散らしている。


「考えなしに死体を排斥するな。アンデッドのクズが畑にばら撒かれて土が穢れるぞ」

「あっ、ドクター! 帰ってきてくれたんだか!」


 Dr.レパルドがミノタウロスを一言制し、知性の眼鏡をきらめかせながら近づいていく。

 その姿を見とめた当の雄牛は、安堵の鼻息を漏らしている。野生勢のリーダー帰還に、こいつはまだ気づいていなかったらしい。


「わたしが戻ったことすら、気づいていなかったのか。貴様は畑にずっといたのだろうに、神官やチートが現れた際、何をしていたのだ?」

「おらぁ、ついさっきまでユニコーンと喧嘩してたんだぁ。あのウマっこ、神官のおなごの言いなりになってたんで、それでカッとなっちまって」

「飛んだ尻軽馬だな。まあいい、わたしが戻ればおいそれと浮気もすまい。それよりまずは目の前の問題を解決しよう」

「んだぁ、ドクター」


 レパルドたちが作った作物は、アンデッドの放つ臭気や瘴気で、見る間にしおれていた。

 以前にこの屋内ドームにアンデッドが入り込んだ際にも、見た光景だ。

 あの時よりは死体の量がはるかに少ないとはいえ、ほっておいたら被害は拡大してしまうんだろう。ユニコーンの背に乗ったレパルドは手当たり次第にアンデッドを追い出し、ミノタウロスもそれに追随している。


「不測の事態とはいえ、不可侵条約違反だぞ死にぞこない共。我々がダンジョン内で決めたルールに則り、この場から消え去ってもらおう」

「まっ、待てよ、獣のメス! お前さっきから俺らの体に何ふりかけてんだ? 体が溶けるぞ?」

「貴様らに汚された畑を浄化するべく、聖水をまいている。こうでもしないと貴様ら死体は、臭いし汚いしで、追い出そうにも触れることすらかなわぬしな」

「追い出される前に俺ら成仏しちまうじゃねえか! うえっ、気持ち悪いっ……」

「知るか。それならそれでもいい。消えろ。ここから去れ」

「ひ、姫様あ! お助けくださいませえ!」


 死んだ者達の悲痛な叫びを聞きつけて、不死の女王ゴシカ・ロイヤルは、もめているモンスターたちの間に割って入ろうと駆け出す。

 戸惑いの入り混じった表情で、俺の方を一瞥してから。


「あ、あのー……グルー……ム? さっきの話なんだけどさ……。フィルメクなんとかさんと仲間だった、とか……嘘……だよね?」

「あ、あれは」

「姫様あ! 早くぅ、お慈悲をぉ!」

「……ごめん、あたし行かなきゃだよね」


 俺の言い分を聞く余裕もなく、ゴシカは仲裁に向かう。

 思わず続いて後を追おうとしたが、足腰の多大な疲労が、俺に二の足を踏ませた。

 肩にはポンと、シワシワの細い指が置かれる。死神のそれかと一瞬見間違えたが、何の事はない。ダンジョンマスターのスナイクの手だった。


「やめておきたまえ。明日に備えて英気を養っておかんと、君は本当に死ぬぞ、グルーム。毒が回ったような辛さを感じているのではないかね?」

「……スナイク? お前、なんでそれを知ってるんだ。俺の体のこの毒がなんだか、わかるのか?」

「毒ではないさ、薬だよ。君が昨日の致命傷を治すために大量に飲んだポーションの、副作用と言ったところかね」


 老人の手は俺の左の肩に伸び、食い込むように傷跡を握る。既に傷はふさがり、押さえつけられても痛みはない。

 だけど、そうなのか。この回復の代償なのか。

 レパルドに肩を貫かれた後、即座に回復するためにいっぱい飲まされたあの薬が、不調の原因だったなんて……!

 それでフィルメクスのやつ、「毒みたいだけど全部中和するとそれはそれで死ぬっぽい」とか、言ってたのか。


「『薬の大量投与で重篤な副作用が起きる可能性は否定出来ない』と、因幡から聞いていたのだよ。まあしばらく、おとなしくしていることさ。どうせ君はスパイ容疑者、手枷付きで拘禁暮らしだからね」

「厄介な副作用だな、おい……。どうにかならないのか、これ」

「さあねえ。ポーションの副作用を抑えるためのポーションなどというものが売っているかはわからんから、因幡にも治療薬を仕入れられるかどうか。薬の専門家に聞けば早いかもしれんがね」

「……そっちはもっと難しそうだな」


 アンデッドともめている獣人の女医の方を見て、俺は肩をすくめた。

 仕方なくスナイクの言う通り、体を休めて傍観体制に入ることにする。

 レパルドと死体の揉め事に、最も偉大なる死体としてゴシカが加わり、話は一旦収まりそうに見えた。

 巨大な乱入者が現れるまでは。

 その乱入者は、屋内ドームの宙空に螺旋状の魔法陣を描き、闇から産み落とされるようにして現れた。

 煽るようにレパルドの眼前に降り立つ、八本脚の黒い馬。重量級のその背には、同じく巨体の黒ヤギ頭の悪魔の姿があった。


「ふははははああ! Dr.レパルドォオオ!!」

「貴様、この悪魔め……。一度ならず二度までも説明せねばわからないか! その臭い口を閉じて早々にここから立ち去れ! 不可侵条約違反だぞ貴様ら!!」

「なーにをルール違反に青筋を立てているのだぁ? レパルドォ? 俺様は聞いたぞ? ルールを持ち出すお前自身が、最大の禁忌を犯したとなぁああ?」

「何を言っている、貴様。わたしが何のルールを破ったというのだ! いいから消えろ!」

「隙を見て花婿殿を殺そうとしたそうだなぁ、んんんん?? そんなことをしていいのかぁあ、レパルドォォオ?」


 ゲラゲラと嫌らしい声で高笑いをする、ヤギ面の悪魔。

 口から垂れるよだれが地に落ち、草木をじゅうと灼いた。


「あっ、こら! あたしが仲裁してたのに、なんでそんな事言うの! 余計なことしないで!」

「お言葉ですが姫様ぁああ! 何もこんな獣どもとの小競り合いの仲裁を、姫様がすることはございませんぞぉおお? たった七日の約束事も守れず反故にするような畜生に、付き合うことなどないのですぅううう!!」

「……ふん。悔しいが認めてやろう。貴様の言う通りだ、悪魔。結局わたしは、結婚までの約束も守れなかった、けだものだ」

「えっ、レパルド? そ、そんなに自分を責めることなんて無――」

「無闇矢鱈と同情するな、死体の女王風情が」

「なっ……そ、そんな言い方!」


 悪魔の指摘をきっかけとして、レパルドとゴシカの間にも、幾分険悪な空気が増していく。

 しかもその空気を混ぜっ返して更に淀ませる、悪魔の哄笑も止む様子はない。


「はははははぁあああ!! 『所詮は約束も守れぬけだもの』かぁああ!? 殊勝な態度だなぁあレパルドォ! だがそのとおりだぞぉ! 不可侵条約を掲げて俺様を排除する資格など、お前にはとっくにないのだぁあああ!!」

「そうだ。条約など掲げずに、実力で貴様をここから排除する。死ね」


 ユニコーンの背から跳び立ったレパルドの長い脚は、黒ヤギ悪魔の角を蹴り飛ばし、勢い良くブチ折った。

 続くようにしてミノタウロスが猛烈な体当たりをかまし、悪魔が乗る黒馬の体も、畑の外に跳ね飛ばされる。

 それでも背中の羽で羽ばたきながら、上半身だけの黒ヤギ悪魔は、しつこくその場にとどまっていた。怒りにその身を打ち震えさせ、更に吠えている。


「俺様とやる気かぁああああ!? レパルドォオオオオオ!!」

「黙れ。臭い。貴様ら死体や魔界の連中はもう全員排除だ。明日の決戦の前にまずは貴様らを消す。わたしは気が立っているのだ。後悔する間もなく早速死ね!」

「やっ、やめてってば! わかったよレパルド、あたしが連れて行って、みんな出て行かせるから! 今はケンカしてる場合じゃないでしょ?」

「姫様ぁあ、このような獣に対してへりくだる必要などありませんぞぉお!!」

「あなたは黙ってなさい! もう、仲裁の邪魔ばっかりして! あなた一体、何しに来たの!?」

「おお、それはですなぁああ。人間どもと全面的にやりあうということを、蟲の知らせで聞き及びましてぇ! 姫様をお迎えに上がった次第にございますぅう!」

「ならちょうどいい、連れて行け。現時刻を持って不可侵条約など破棄だ。貴様ら全員無条件にここから去れ。立ち入るな。例外も全て無効とする」

「えっ……そ、それってレパルド、あ、あたしも入っちゃダメ……ってこと、だよね?」

「当然だ。死体のトップが何を言っている」


 特例として野生生物のいる場所にも立ち入りを許されていた、ゴシカの存在。

 これの否定を聞きつけて、畑から追い出された死体達は一様に声を上げ、有象無象と再び集結し始める。


「おい、獣のメス! 俺達はかまわねえ、姫様を愚弄するんじゃねえっ!! ぶっ殺すぞ!?」

「なんだぁ、おめら。ここでやろうってんなら、こっちのほうが数は多いんだぁ。全員屑肉にして捨てっちまうぞぉ……!」


 アンデッドを前にして、凄むミノタウロスに、蹄を鳴らすユニコーン、音もなく忍び寄る巨大昆虫、牙の生えた四足の肉食獣たち、食人植物……。

 レパルド率いる野生生物たちも、草陰や岩場や穴蔵から次々に顔を出し、奇声を上げて臨戦態勢を整え始めた。


「……その辺にしておかないかね、君たち。今は仲違いしている時ではないだろう。君たちも知っての通り、明日には一大決戦が待ち構えているのだよ?」

「わかっている。だからこそ皆、気が立っている。人間の裏切りもそれに拍車をかけている! 我ら短気な獣達は、今すぐにでも血肉を噛み砕きたいところだ……!」


 魔界勢と野生勢の騒動にスナイクも割って入るのだが、いかんせん一触即発のムードに変わりはなかった。

 触るものに今にも牙を剥く野獣のような気配を、レパルドは全身から漂わせ、スナイクの理性ある提案を拒絶する。

 アンデッドを従わせるはずのゴシカは、声にいまいち威厳が感じられず、死体達の悪口雑言を抑えることが出来ない。


「引っ込みやがれクソジジイッ! そうやって口先で丸め込んで、俺らを明日の決戦の罠代わりに利用するつもりなんだろうがっ!」

「そうだそうだ! お前が一番の嫌われ者だろうが、クソノッポジジイ!! モンスターはお前のコマじゃねえ!」

「ウキーッ! ウキキキーッ!」

「お前も死んで仲間になるかぁ……!? ディケンスナイクゥ……!」


 いつの間にかスナイクは、魔界勢と野生勢の双方からの罵声に包まれていた。

 気色の悪い虫の入った卵やら、魚の臓物やら、泥やらフンやら。あれこれ投げつけられてしまって、細長いスナイクの体は、いつもにまして汚れた白衣に覆われている。


「お前ら調子に乗るんジャないワイ! ワシらダンジョンマスターがお前らを効果的に配置せんと、明日の騎士団の襲撃は乗り越えられんのが、わからんのか!!」

「皆様……おやめ、ください……。これ以上大旦那様を攻撃なさるようでしたら……。わたくしも、怒ります……」


 手に手に爆弾や包丁を握るゴンゴルとエ・メスの腕を取り、スナイクは無言で首を横に振った。

 いつものあの笑みを口元に浮かべているところからして、何か考えがあるんだろうか。

 とはいえ相手は、生きているか死んでいるかの違いはあれど、皆モンスターだ。一度ついた火はなかなか止むことなく、罵声と怒号はいつまでも老人に注がれている。

 そうした声の隙間を縫って、まるで悪のカリスマの演説のように、ディケンスナイクは乾いた口を開いた。

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