まさかあなたに裏切られ1
阿鼻叫喚の断末魔の発生源は、不死の女王ゴシカ・ロイヤルだった。
だけどその声は、彼女の口から発されているわけじゃない。漆黒のロンググローブに覆われたしなやかな指先から、叫びは響き渡っていた。
更に正確に言うならば、屈んで地に腕を伸ばしたゴシカが、畑から引っこ抜いている何かから、絶叫は轟いている。
叫びの主は、畑に植わったマンドラゴラだった。
昨日のダンジョンレースの際に、屋内ドームのトラップとして機能していた、魔法植物マンドラゴラ。
それが引き抜かれる際の、聞くものに死を与えるというあの叫びが、樹上の俺たちの耳元に届くほどの大きな声で発せられていた、というわけだ。
そんな物騒な声を立て続けに聞いている俺がどうして生きているのかといえば、フィルメクスが結界を強めてくれているからだ。
突然の連続即死攻撃に若干の冷や汗をかきながらも、結界の圧を高めて叫びの魔力を無効化し、俺に対しての治癒も手を抜かないフィルメクス。
さすがはチート、いい仲間が手に入ったと思う。俺はこいつのことがいけすかないけれど、それでもここは親指を立てて、健闘をたたえてやった。
マジでありがとう、今度こそ死ぬところだった。立てた親指が、俺、幾分震えてるよ。
で、マンドラゴラを立て続けに引き抜いて死のコーラスが響き渡るだなんて、なんでそんな厄介な出来事が起こったのかというと。
樹の下の女三人の動きに注目すると、なんとなくその意図はわかった。
「出て行ってって言ってるでしょー! 出て行かないと、こうだから! こう! えいっ、えいっ」
なんて声を上げながらマンドラゴラを次々に収穫しているゴシカ。
「何の話をしているのですか? 貴方もその手を離しなさい!」
対して怒りの声をぶつけている、神官聖女のボウは、エ・メスの手で両耳をふさがれていた。
マンドラゴラの叫びを響かせているゴシカと、強引に耳をふさぎに来るエ・メスの、双方に対して抗議をしているボウ。
だが、全員聞く耳持たずという状態で、話がちっとも成立していない。
これはおそらく、こういうことなんじゃないかな。追求を続けるボウに業を煮やしたゴシカが、マンドラゴラの威嚇によって、この神官聖女を追い払おうとした。
しかしエ・メスが毎度のオートガードでボウを守りに走り、その耳を塞いだんじゃないだろうか。
エ・メスの耳にも、メイドの頭飾りが変形したシャッターが降ろされていて、マンドラゴラの声は届いていないようだ。もちろんマンドラゴラの叫び以外の音も聞こえないだろうから、ボウの抗議も耳に届いていない。
なんともすごく不毛な大騒ぎだ。退去勧告もそれに対する文句も、あの場にいる誰にも聞こえていないわけで。魔法植物の悲痛な叫びが、畑の中央で響き続けるだけだった。
だがやがて、その叫びすらも収まることになる。畑に植わったマンドラゴラを全部抜いてしまい、ゴシカが使う手持ちのコマが、無くなってしまったからだ。
その様子を見て「安全だ」と認識したのか、エ・メスもボウの耳をふさぐのをやめ、自らの耳に降りていたシャッターも上げている。
ここぞとばかりに、小柄な神官聖女の小言が、始まっていた。
「まったく、なんだったのですか! 今の農作業は!」
「あたしが帰ってって言ってるのに聞いてくれないからでしょ! 実力行使しただけだよ!」
「聞いてくれないも何も、この眼帯の方が私の耳をふさぐから、途中から貴方の声は何も聞こえなかったんです!」
「わたくしは……あの声を聞いたら、生身の人間は死んでしまうと思いまして……。体が、勝手に……」
「そうだよ、マンドラゴラの叫び声で、死ぬ思いをすれば、帰ってくれるかと思ったのに。結局あたしも叫び声しか聞こえなかったから、みんなが何言ってるのかも聞こえないし、意味なかったよ!」
「……? 貴女が引き抜いていたのは、マンドラゴラなのですか?」
「そうだよ?」
「では何故貴方は、その声を間近で聴き続けて、死んでいないのですか」
「あっ」
ただでさえ鋭い言及を続けるボウが、こんな簡単な矛盾に気づかないわけがなかった。
ゴシカは大いに慌てふためき、そんな魔人と聖女の間で一人、エ・メスは首を傾げている。
その様子を見て、ボウは何か確信めいたうなずきをした。続けて、祈りの言葉を丁寧に重ね合わせていく。
「おお、神よ。その御下に流離う我らの問に耳を傾け、何卒、慈悲あるお言葉を」
「えっ、やっ、待って、何してるの? 急にお祈り始めてどうしたの? ねえそれ、何? 何かなー?」
この後の展開におののいて、ボウの祈りを妨げているゴシカを、樹上から見やる俺。
嫌な予感は俺も同じだ。あの祈りは何の祈りだ。ボウは何をしようとしているのか。
嘘や誤魔化しが苦手なゴシカたちに手を貸すために、早くここから降りて、話に加わりたい。
だけれど俺の手足は、まだおぼつかない。立ち上がるのがやっとっていうのは、こういう状態を言うんだろう。
こんな高い木の上に連れて来られなければ、近づく方法もあったかもしれないのに。そもそも回復してくれるのは良いけど、やるならやるで急いでとっとと終わらせてくれよ!
様々な問題を棚に持ち上げてからぶつけてやろうと、俺をここに連れてきて回復をしてくれている、フィルメクスの方に顔を向ける。
するとこいつは、声色を変えてぽつりぽつりと、どこかの誰かと喋っていた。
「うむ、いやいや待つのじゃ。今は何かと取り込み中なので、神への問いはまた後ほどじゃ。わかったな? ……わかればよろしい」
「……? 誰と喋ってたんだ、今?」
「え、今の? ついにボウが神さまに直接祈って真実を問いただそうとしてたから、遠話の魔法で話に割り込んでたの。いやー危ないところだったよー」
「そんなことも出来るのかよ? さすがチートは何でもアリだな……!」
俺への回復と、この場の結界を双方維持しつつ、魔法でとっさにニセの神託をでっちあげるって。
これで魔法が専門分野ってわけじゃないんだから、何でも出来過ぎて気持ち悪いこいつ。
「神を騙るのは禁忌魔術だから、ホントはこれ、かなりのグレーゾーンなんだけどね。あんまりやっちゃいけない奴なんだよ」
「なんだよ、神の子なのに。禁忌とか無視して、好きにやれないもんなのか?」
「そうもいかないって。君も前に、幻術で神の御姿を顕現させてたじゃない? ああいうの、特にダメなんだぞ」
「そんなこと……あったっけ」
「あーでも、今は雑談してる場合じゃないよね。とにかく一刻も早く、君の回復を終えよう。君を全快させて下に送り込んじゃうのが、多分一番手っ取り早いし」
フィルメクスは俺に対する癒しの力を、一気に加速した。
詳しい原理はよくわからないが、こいつの背後に後光がキラキラと輝いて、笑ってみせる白い歯もキラキラと輝いて、いけすかなさマックスになっていることだけはわかった。
俺の体の倦怠感も、急速に失われている。謎の毒のようなものが回っていると言っていたけど、結局これは何だったのか。わからないまま、毒素は消えていきそうだ。
まあいいや、それより今は早々に体を治して、ボウを追い返すことに全力を費やしたいし。
なんて考えていた矢先に、寝耳に水の言葉が飛び込んでくる。
「お姫様は、何故……ご自分がノーライフ・クイーンだと、お認めにならないのですか?」
エ・メスの声だった。
驚きながら、視線をまたもや樹の下に移す。どうやら、びっくりしたのは俺だけじゃない。
そこで話している女三人も、それぞれ疑惑と驚愕の表情を浮かべていた。
「えっ……え? エ・メス、何……言ってるの?」
「いえ……。わたくしどうにも、疑問に感じておりまして……。お姫様はどうしてこの方に、自分はノーライフ・クイーンだと、お答えにならないのかと……思いまして」
「眼帯の方! この女性はやはり、ノーライフ・クイーンなのですね?」
「はい……。そうですが……」
「なっ、なんで……? なんで言っちゃうの、エ・メス……??」
「お姫様が……この神官様に、お帰りいただきたいようでしたので……。素直にお答えになれば、およろしいのではと……?」
隠し通していた正解を突然バラしてしまったエ・メスに対し、ゴシカはなんとも言えない狼狽の顔を向けている。
それを見たエ・メスの方も、殊更に首を傾げている。
突然棚ぼたで降って湧いた有力情報を前に、ボウまで不審の目を向けている始末だ。
俺は気づいた。「しまった!」と思った。
エ・メスは知らないんだ。ゴシカが神官連中に、「自分がノーライフ・クイーンだと知られたくない」ってことを。
ボウやフィルメクスとやりあった時に、その辺の事実を知られないように誤魔化しておきたいということを聞かされたのは、エ・メスを助けに行ったメンバーだけ。
助けられている当の本人のエ・メスには、ろくに説明をしないまま、今の今まで来ていたんだった。
ややこしい話はしなくてもいいのかなって、適当にほっといたら……こんな地雷を踏むことになるとは。
「あっ……? もしかしてわたくし、また……。ドジを踏んでしまいましたでしょうか……!?」
戸惑う姫の姿を見て、メイドは自分の致命的なミスに気付き始め、顔を青ざめさせた。
しどろもどろになりながら、言い繕いとも弁解ともつかない言葉を口にする。
「えっとう……その……ですね……。今のわたくしの言葉は、ほんの……言葉の綾にございまして……」
「……う、うん。うっかりミス……だよね? 何もおかしなことは、言ってないよ……ねー……?」
ゴシカもそれに乗っかる形で話をうやむやにしようとするが、下手な言い繕いそのものが、発言の真実味をより増す結果になってしまう。
ボウは再び確信めいたうなずきを行い、今度こそはという覚悟のもとで、先ほどと同じ祈りを捧げ始めた。
神に真実を問いかけるための、あの祈りを。
「おお、神よ。その御下に流離う我らの問に耳を傾け、何卒、慈悲あるお言葉を」
すぐさま俺はフィルメクスに向き直った。
「おい、さっきの魔法、またやらないと!」
「えー……。アレはグレーゾーンだから、あんまり乗り気しないんだよねー……」
「手段に迷ってる場合じゃないだろ? 今度こそバレるぞ!」
「それはそうなんだけどさ。君の回復ももうすぐ終わるから、神さまからの答えが返ってくる前に、全快してあそこに混ざってもらうほうが早いんじゃ」
『バリン!』
最善策の話し合いは、結界内へ雷撃のようにして現れた乱入者により、遮られた。
物理的な力で魔法的な力場を蹴破り、フィルメクスの胸元に一撃を加える、一匹の獣の影。
「久しぶりだな、チートとやら……! わたしの寝床に結界を張って、こそこそ何をしているのだ!」
「レ、レパルド!?」
「……人間? 貴様……何故こんなところにいるのだ?」
眼鏡の奥の、レパルドのギラリとした獣の目が、俺に対して追求の火を灯した。