目ざとい女と、立ちまわる男
この六日の間に、ピットとあれこれやりあった記憶が、蘇ってくる。
ダンジョンに放り込まれる前、街の酒場で初めて会った時――。
「アンタ、にぶいよ」
「そ、そうかなあ。そりゃー、シーフのあんたに比べりゃにぶい部類かもしれないけど、そこをうまく補い合うのが仲間ってもんじゃ……」
「ダーメダメ、だからといってもね、最低基準ってものがあるんだよ。アンタはそれをパスしてない」
「なんだよ、その最低基準って」
「とにかくボクは急いでるから、とっとと行くよ。行き先はボクもそのダンジョンだから、縁があればまた会えるかもねー」
「え、ちょっとおい」
「まー縁自体はありそうだけどね、アンタとは。じゃーね、またー」
――あの時俺は、ピットに宝石をスリ取られていた。
こいつが言った「アンタはにぶい」「最低基準をクリアしてない」ってのは、スリに気づかないような俺の鈍感さを指して言ってるもんなのかと、勝手に解釈してたけど……。
まさか、お前を女だって見抜けてなかったことについて、言ってたのかよ?
驚きとともに、俺は目の前のピットに向けて応えた。
「お、お前、だってさあ。しゃべり方も男口調だし。体型だって、ホラ……なあ?」
思わずピットの胸に目線が行ってしまう。
盗賊小僧あらため、盗賊少女のピットは、無い胸を張りながら俺の言葉に応えた。
「まあ、それは仕方ないところもあるよ。ボクも男みたいに見せようとしてるフシはあったわけだし?」
「男みたいに見せようとって……? わざとって、ことか?」
「まあね。こういう冒険家業をしてるとさ、男と思われてるほうが楽なことってのもあるんだよ。女の武器を使い放題ってヤツも多いけどね。でもボクの場合は、男のふりをしてるほうが、この仕事がやりやすかったってワケ。変に気を使われるよりはね」
「な、なんだよ……じゃあ俺が勘違いしてたって、おかしくはないわけだな」
「こんだけ一緒にいて気づかなかったのはアンタぐらいのもんだけどな。第一グルームの場合は、初見で見破れよ」
「んなこと言ったって、盗賊の変装を一発で見抜けってのも難しいだろ? お前の男装がそれだけうまかったってことだから、誇ればいいだろ、ピット。ていうかみんなだって、気づいてなかっただろうし」
「あたしは知ってたよ?」
「わたくしも……存じておりました……」
同意してくれる仲間を得ようと周囲に話を振ってみたが、逆効果だった。
ゴシカやエ・メスは、ピットが女だとわかっていたらしい。
俺だけなのか? 今この驚きを、新鮮に感じているのは!
「あっ、グルーム! もしかしたらあたしも勘違いされてるかもしれないけど、あたしは女の子だよ?」
「わたくしも……です……」
「だ、大丈夫だって。それはわかってるから」
「この子らはボクと違って女の子っぽいもんな。胸もあるし。良かったなーグルームー。嫁さん候補にいい子が揃っててさー。えー?」
「う、うるせえな。女だってわかっても、ウザさは別に変わんないなお前」
ぐじぐじとちょっかいを入れてくるピットの肘を、払いのける。
そういや「可愛い子ちゃんと結婚すりゃいいじゃん」とか、「愛人候補もいっぱいいてよかったねー」とか、前にも何度かこういうの、やられたな。
あれって男同士の嫉妬混じりのからかいかと思ってたけど、今思えば全部、女目線かよ。
「……はあ。しかしなんだか、気が抜けちゃったな」
「なんだよグルーム、ホッとした顔して」
「だってな、ピット。ダンジョンに特別なアタッカーが現れたって聞いて、もしかしたらまたチートの二人が来たのかよって、覚悟を決めて俺はここに来たんだよ」
「へえ、そうだったんだ。でもここにいたのがボクで、拍子抜けしたって?」
「そういうこと。お前が女だってことにはビックリしたけど、そんな程度のことで驚いていられるぐらいに、今は平和なんだってことだしな」
「ふーん……平和ねえ。あのさあ、ついでだから聞いとくけど、アンタはボクのこと、声変わりもしてないガキだと思ってたってことで、いいんだよな?」
「ああ、そうだけど?」
「でも実際は、小僧じゃなくって若い女なわけだ。ボクの年がいくつぐらいだと、グルームは思うわけ?」
「は? なんだそりゃ、その質問」
「いいから、ボクがいくつに見えるんだよ」
「ええー……? いや、女だとわかっても、やっぱり……10歳ぐらい下なんじゃ、ねーの……?」
それを聞いてピットは、バカにしたような顔で、あからさまな溜息をついた。
「アンタ、にぶい」
「なんだよ、何でもかんでもにぶいにぶい言うんじゃねーよ! 訳の分かんない年齢当てクイズなんかさせやがって」
「ボクを見て、アンタと同い年ぐらいだとは思わないのかって聞いたんだぞ」
「はあ? 思わないだろ? 仮に同い年だとしても、その見た目を無視して初見でそれを見破るのは――」
小さな背丈のピットが、俺の瞳を黙って見上げてくる。
――初見?
もしかすると、初見じゃ、ない? のか?
なんだか思い出しそうなことがある。
名前。
大事な……名前な気がする。
「あっ。あの人!」
その時、ゴシカが驚きとともに、屋内ドームの入り口の一つを指さした。
俺の胸の内に湧いた疑問について考える暇は、またもや無くなった。次の厄介事が降って湧いてしまったからだ。
しかも今度は、ピットのような肩透かしじゃない。まさに本命。
聖なる詠唱でアンデッドを退けつつ、屋内ドームに足を踏み入れた、小柄な女性の姿。一度は撫で下ろした胸を、再び不穏な動悸で満たすのに充分な、来訪者だった。
王家の神殿の神官聖女、ボウだ。
「あの人って……神殿の人だよね? ターンアンデッドとかする人……!」
「なんだよ、やっぱり来てるのかよ。さっきの特殊警報、誤報じゃなかったってことか?」
戸惑う俺とゴシカの後ろで、エ・メスが左目をピコピコ光らせながら応える。
「大旦那様より……わたくしの元に、連絡が来ております……。先日現れた神官聖女が、またもやダンジョンアタックを行い、屋内ドームに向かったと……」
「あのジジイ、そんな連絡はどうでもいいから、ちゃんと足止めしとけよな! 何のためにトラップ仕掛けてんだ、まったく」
スナイクとゴンゴルが用意した罠は、主に俺の足ばかり引っ張っている気がする。
少しは冒険者のリソースも削りとって欲しいもんだ。
「でもこれって……エ・メスが受けた警報が、誤報じゃなかったってことだよな。ピットのせいで勘違いするところだったけど」
「何々、ボクのせいで何だって?」
「いいから、お前はややこしいからあっち行ってろピット」
「なんだよー、グルームとの話もまだ終わってなかっただろ?」
「それはまた今度だ、今それどころじゃないんだよ」
「あれ? そういやなんでレパルドいないの?」
「ホント邪魔だなお前! 色々あるの、俺たちには!」
「ボクにだって色々あるんだよ! にぶいグルームもいい加減に気づけ!」
「何だと!」
そうやってもめている俺やピットに、神官聖女のほうはまだ気づかない様子だ。距離も充分に離れているし、草木や作物が視界を悪くしているからだ。
マイペースに淡々と、屋内ドームのモンスターを退け続けているのが、茂みの向こうに見て取れた。
神聖魔法で巨大昆虫を跳ね除け、うろついていたユニコーンをすぐさま従え、あちらこちらを物珍しそうに眺めて回っている。
「何でしょう、これは……。まるで畑のようですね」
「それはおらの畑だあ。作物をいじらねえでくれ」
「おかしなことを言いますね。ミノタウロスが畑を作るわけがないでしょう」
「畑のようだって言ったのは、お嬢ちゃんだあ」
「畑のように見えるこの不穏なものは何かと、一体モンスターがこの畑のようなものでどのような悪しき企みをしているのかと、私は疑問を感じているのです」
「だから畑だあ。ユニコーンも植わってるニンジン食ってるでねえか」
「畑のわけがありません」
不毛な対話は度重なるすれ違いをきっかけに、徐々に険悪なムードを伴っていく。ボウはミノタウロスを排除しようと、神聖魔法の祈りに取り掛かった。
ミノタウロスも鍬を手に畑を背に、抗戦の構えだ。
「あの調子であの子に引っ掻き回されたら、畑が荒れちゃうんじゃないかな……。レパルドもいないし、あたし、止めてくる!」
「わたくしも……参ります……」
「あ、俺も行くよ」
ダンジョン内の事情も知らず、払ったアンデッドとともに屋内ドームに現れ、畑を勝手にいじろうとする、神官聖女のボウ。
ゴシカとエ・メスは俺と連れ立って、この聖女を止めようと近づいていく。ついでにピットもその辺を、うろちょろしていた。
距離が縮まるに従い、ボウはこちらの接近に気づいたようだ。不審な目を向けつつも、「あなたたちに会いに来ました」と、声をかけてくる。
見たところ、転生チートのあの騎士は、ボウの傍らにいない。前回の怪我に懲りて、ダンジョンアタックを諦めたのかもしれない。
だとしたらそれは、俺たちとしてもとても助かる。一番厄介な奴がいないんだから。
あの世間知らずの聖女の子を、なんとか煙に巻いて、帰ってもらおう。あの子一人ぐらいなら、口車で何とかならないでも、ないはずだ。
あっ……そうだ。俺が見た、夢の女の子の件もあったな。
まさか本当にこのボウっていう子が、俺が子供の頃に結婚の約束をした、相手なのか?
ボウの顔をよく見て確認しようとしたが、ぼやけてしまってうまく見えない。
顔だけじゃない、俺の視界は急に暗くなって、周囲の状況が全てぐんにゃりと曲がって見えるようになった。
足先からも、地面を踏んでいる感触がふいに抜け落ちていく。
「あ……れ……?」
「どしたの、グルーム?」
「ご主人様……?」
ゴシカとエ・メスが心配そうに声をかけてくる。
何だろう、立ちくらみかな。
いたたた。左肩が……痛い。昨日レパルドに貫かれた場所だ。
「……ん? なんか傷が痛む……かも。昨日の今日だしな……」
「えっ、どうしよう。レパルド呼んでこようか? どこにいるのかわかんないけど」
「調べ物で、席を外されていると……牛の農夫様がおっしゃっていましたから……。恐らく、お医者様は……書庫にいらっしゃるのではないでしょうか……」
「あ、いや。大丈夫だよ、視界も戻ってきたし。一時的なものじゃないかな。少し休んでから俺も行くから」
ダンジョン内で出くわした、モンスターとアタッカー。お互いの姿を認識し、近寄り始めた途端にこちらの歩みが止まったので、ボウの方は早速疑惑の目をこちらに向けている。
罠か何かじゃないかと警戒しているんだろう。無理もない、このダンジョンには罠がてんこ盛りだから。
「どうしたのですか。やましいことがあってこちらに近づくのが恐ろしくなりましたか? なんでしたらお話ではなく、直接的な手段に打って出てもよろしいのですよ?」
「直接的手段って何だあ。作物に悪いことだったら、やめてくんろ」
「ああもう、あなたは黙っていなさい、牛男!」
「なんだあ、やるのかあ、小さな娘っ子! ユニコーンも、ニンジン探して勝手に畑掘り返すでねえ!」
「ブルルヒヒン!」
ミノタウロスはレパルドがいないことで、いつもより気が立っているような感じだ。さっき自分で野生生物のいらだちについて語っていたが、こいつもこの非常時にあって、幾分神経が高ぶっているのかもしれない。
ボウの方もなんだか、前に会った時よりも余裕が無い気がする。
主人のレパルドに似て食い意地の張ったユニコーンも、無駄に参戦しそうだし。
あのままほっておいたら、更に揉め事が大きくなるだろう。
「ほら、とりあえず誰かが止めないと、ゴシカ」
「だ、だけど、グルーム」
「いいから。俺も……すぐに後から追うから」
「うん……。じゃあ、行ってくるね。ねーちょっと待ってー! ちっちゃい子ー!」
「見ず知らずの他人への呼びかけに、ちっちゃい子とはなんですか、不敬な!」
「ああもう、しょっぱなから印象悪くしてるじゃないかよ。エ・メスもさ、ゴシカについててやって」
「……かしこまりましてございます……」
ゴシカとエ・メスを送り出し、俺は地べたに座り込んで、体調が落ち着くのを待つ。走り去る二人の背中を、草葉の陰から見つめながら。いやいや、縁起でもないな。
寄ってきたピットに対しても、「俺が追いつくまであの二人をサポートしといてくれよ」と声をかけたが、こいつは俺の顔を覗き込むなり、目をむいて驚きを露わにした。
「グルーム、お前……。顔、真っ青だぞ? どうした?」
「え? そんなに顔色悪いのか?」
「医者じゃなくたって一目で分かるぐらい、変な顔してるぞ。アンデッドとあんまり変わんないような顔だ」
「はは、そりゃ言いすぎ」
直後、左肩に猛烈な痛みが走る。
つんざくような痛みを強引に取り込んで抑えようと、俺の全身をくまなく走り抜ける、よくわからない何か。
胸が鼓動を打つたびに体中に流れ込んでいくそれが、今度は痛みと倦怠感を、体の隅々に行き渡らせる。
あれ……? なんだこれ……?
声が出ない。周りが見えない。手足に力が入らない。
多分俺は、土がむき出しになった地面に倒れた。口や鼻に草が入り込み、遠くのほうでピットが呼んでいるような声が、かろうじて聞こえる。
遠くの方……? ピットは隣にいたよな。すぐ近くにいるんじゃないか?
なら遠のいているのは、俺のほうだ。
俺の……命のほうだ……。
――神聖魔法の詠唱が聞こえ始めた。
「おお、神よ。哀れなる子羊のこの青年を、救い給え。おお、神よ。哀れなる子羊のこの青年を、救い給え。おお、神よ。哀れなる子羊のこの青年を、救い給え。おお、神よ。哀れなる子羊のこの青年を、救い給え。おお、神よ。哀れなる子羊のこの青年を、救い給え」
「……ん……?」
「おっ、詠唱八十五回でようやくお目覚めか。良かったんじゃない、死ななくて?」
俺が横たわっていたのは、地面の上じゃない。レパルドが飛び乗っていたような、大きな木の枝の上だ。
祈りを捧げているのは、いけすかない顔の、何かとしゃらくさい、俺に対して小馬鹿にした物言いばかりをする、出来ればもう二度と会いたくなかった、王宮騎士団所属の転生者。
「お前……! フィルメク、ス……!?」
「やっぱり、僕の名前知ってるんじゃない。そうそう、ちゃんと名前で呼んでよ。僕の名前と顔は、割りとかっこいいからね?」
白い歯をキラリと見せつけてくる、余裕の笑顔。
やっぱり俺こいつ、いけすかないわ。