にぶい男と、
「ど、どうしたエ・メス?」
「これは……侵入者警報ですね……。ダンジョンに特別なアタッカーが入り込んだ時の、ゴーレム用特殊警報にございます……」
「特別なアタッカーって、なんだそりゃ」
「その判断は……わたくしとリンクしております、ダンジョンの警報装置によりますもので、基準は曖昧でございますが……。以前にこの警報が鳴りましたのは、三日前……王宮騎士団の方々がいらした時にございます」
その言葉を聞いて、食卓に緊張が走った。
「またあいつらが、来たってことか……?」
「どうでしょうか……。いずれにしろわたくしは、どなたが相手でありましょうとも、この警報が鳴った以上は排除に向かわねばなりません……。ご主人様、お食事の片付けも終わらぬままで申し訳ございませんが、わたくし、屋内ドームに行ってまいります……」
「おい、一人で行くつもりか? エ・メスだけで何とかなる相手じゃないだろ。俺も行くよ」
「ご主人様……? 危険ですよ……?」
下がり眉で制止する、エ・メスの行動はもっともだ。俺が顔を出したってそれほど役に立たないのは、前回の対決で身にしみている。
だからってここでじっとして、エ・メスが無事に帰還するのを待つだけっていうのも嫌だ。きっと、いてもたってもいられなくなるだろう。無事に帰ってくる保証だってない。
一度この子が、仮初めの死に倒れたのは見ている。もうあんな姿は、見たくない。
「屋内ドームって言ったか? そこに侵入者がいるのか」
「はい……。複数の何者かが、暴れている様子です……」
「現れた場所がレパルドのところだっていうのも、気になるよな……なあゴシカ」
ふとゴシカに目をやって、俺はぞっとした。
笑みが消え、憂いを帯びた瞳で虚空を見つめていた彼女は、美しき死にぞこないという呼び名に相応しい、負の威容を湛えていたからだ。
「……あっ、ごめんね! 何、グルーム? あたし少し考え事してたものだから」
先ほど感じた寒気が嘘だったかのように、おなじみの笑顔を俺に向けてくる、ゴシカ。
静かな殺意はもう、そこには残っていなかった。
「う、うん。まあ……いいや。とにかくエ・メスが行くなら、俺は行くよ」
「あたしもー! 心配だもん!」
「わたくしは……ご主人様のことが心配です……」
「それならそんなに気にするなって。自分の身ぐらいは、守るから。……武器、ないけど」
「何もないと手持ち無沙汰だよね? あたしの腕使っていいよ!」
ゴシカが自分の腕をぶちっともぎって、俺に渡してくれる。
もちろん、こんな予備武器は全くいらないので、即座に突き返した。
食卓で取り交わされる美少女の腕は、俺の胃をきゅっと収縮させるのに、充分だった。
それに、いざ現地に行ってみると。
武器なんか別に必要なかった。
「モヂュー! ヂューイ、モヂュワー!」
「こ、こ、こわああああ!! ごめえんんん!!」
屋内ドームは、確かに侵入者をきっかけとしてのトラブルで、大騒ぎだった。
畑の上を巨大昆虫たちが飛び回り駆け回り、盗賊小僧のピットを、執拗に追っている。
「……エ・メスさ。警報が鳴った特別なアタッカーって、まさか……あいつのこと?」
「……でしょうか……。昆虫の皆様がだいぶお怒りのようですので、それで誤報となったのかも……しれませんね……」
「なんだあ、花婿様でねえか。結局ゆんべ、ドクターに殺されなかったんだなあ」
呆れた顔で屋内ドームの騒ぎを見つめていた俺たちに、のんびりした調子で声をかけてきたのは、ミノタウロスだ。
野良仕事の最中らしく、手には鍬を持ち、肩からはボロボロの手ぬぐいをかけている。
「なんとか昨夜は、あんたのところのお医者さんに殺されずにすんだよ。今日も明日も殺される気はないけどな」
「そうかあ、無駄な人死には無いに越したことはないなあ。昨日の件からこっち、みんな気が立ってる。血を見ると歯止めが効かなくなるやつも多そうだあ」
「気が……立ってるのかな、やっぱり」
ゴシカの質問を受けて、ミノタウロスは鼻息混じりに応えた。
「レースだけでもみんな興奮してたんに、うちのドクターが我慢できずに、ついに花婿様に襲いかかっちまったからなあ。あれをきっかけにうちらも、姫さんとこの魔界の化け物にあることないこと責められて、ずいぶんと仲は険悪だあ。んだまあ、元の関係に戻っただけって気がしないでもないけんども……」
「……そう。レパルドは今、どこにいるの?」
「ドクターは調べ物でどっかに行っちまってなあ。みんながピリピリしてる時にリーダーがいなくなって、うちらを止めるもんが誰もいねえんだなあ。ピットもアレだあ。いつもの調子で、何の気なしに畑に踏み込んだんだけんども。今日ばっかりは日が悪いや。取って食われるかもしれんなあ」
たかがおなじみの盗賊ごときに、モンスターたちが跳びかかり、追い掛け回しているのには、そういう事情があるらしい。
つまりはこれは、怒りの火種をまいて姿を消した、レパルドのせいだとも言える。
レパルドを激高させるきっかけを作った、俺のせいとも言えるのかもしれない。
……ってのは、さすがに言いがかりか。何でもかんでも俺のせいにされても困るしな。
とはいえ、せっかくここまで来たんだ。元仲間が目の前で取って食われたら、さすがに目覚めが悪いし。
「ピット、助けてやるか」
「ご主人様がそうおっしゃるのでしたら……。わたくしお手伝い、いたします……」
「あたしも手伝う手伝うー!」
「そうだあ、どうせあの騒ぎに混じるんだったらなあ。せっかくだからお嬢さん二人で、アレも何とかしてもらえねえだかなあ」
「アレって?」
ミノタウロスが鼻で示した先には、土煙を上げながら畑を走る、一頭の白馬がいた。
ねじれた一本の角を持つこの馬は、昨日のレースでもレパルドの騎馬として活躍した、ユニコーンだ。
「ピットが追いかけ回されるのをきっかけに、頭に血が上っちまったモンスターが、何匹か畑に出て行ったんだけんども……。そのうちの一匹だあ。ドクターがいねえもんで、あいつを止められる奴がいねえんだべさ」
「えっ、で、でもさ。ユニコーンだよ……ね?」
「そうですね……」
「あたしたちがあの子を止めたらさ、また色々言われるよね? レパルドの時みたいに、面白半分でみんなに色々言われるよね?」
「そうですね……」
「ましてや止められなかったとしても、色々言われるよね……?」
「……そうですね……?」
ゴシカとエ・メスは、顔を見合わせてどうしたものかと、互いに様子をうかがっている。
うん、そうだな。確かにまあ、余計な詮索というか、下衆の勘ぐりというかが、あちこちでまた起こるんだろうな。想像に難くないな。
「それに……ほら……横でグルームも見てるわけだし? 何かと……問題が起きかねないと思わない、エ・メス?」
「……そうですね……!」
「お、俺は別に何もないって。いいからほら、止めてやればいいじゃん。ゴシカやエ・メスなら、力づくでもなんとでもなるだろうし。あのままほっとくと、それはそれで面倒なことになるんじゃないの?」
俺の予想は的中した。
暴れ馬と化したユニコーンは、周囲に近寄る獣のたぐいを蹴り飛ばし、猛々しくも畑を走り続ける。
そして、次なる標的をピットに定めて、角を付きつけまっしぐらに向かっていった。
「えええええ!? ちょ、ちょ、ちょ、はさみ撃ちいぃい!!」
ジャイアント・マンティスやジャイアント・ビーに背後から追われつつ、眼前にはユニコーンが迫り、ピットの悲壮な叫び声が畑にこだまする。
走るルートをどこかで曲がって、モンスターの挟撃を避けようにも、カマキリの腕やハチの針が左右の移動を封じて、一定のコースから逃げさせてくれない。
「……あ、危ないぞ、おい! ホントにヤバイってあれは。エ・メス、オートガードか何かで助けに行けないか?」
「盗賊様は……名指しでオートガードから外されておりまして……」
「またそれ設定されてるのかよ、あのジジイ!」
俺たちがもたついている間に、俊足のユニコーンは角を付きつけ、ピットの元を猛烈なスピードで走り抜ける。
激突は、しなかった。角で腹をえぐられることも、なかった。
ピットは走りぬけざまのユニコーンに器用に飛び乗って、そのまま追っ手の巨大昆虫たちから逃れていく。
一角獣を見事に操り、自力でピンチを脱出したピット。その背に騎手を乗せたユニコーンも、少しずつ落ち着きを取り戻していく……。
……?
…………!??
「アンタらさ、ボクを助けてくれるんじゃなかったのかよ!? さっきそういう話し合いしてたっぽいのに、ちっとも助けに来てくれないじゃん!」
すっかり乗りこなされたユニコーンで畑を闊歩し、俺の傍らに現れ、愚痴を言う盗賊少年ピット……??
試しに俺もユニコーンの肌に触れてみたが、即座に後ろ足が顔面に襲いかかり、危うく蹴り殺されるところ、だった……!?
「どうどう、怒んな怒んな。不意に触るのやめろよな、グルーム。こいつがユニコーンだって、見たら分かんだろ?」
「お、おい。お、お前……? ピット、お前? え?」
ユニコーンをなだめるピットは、疑問符だらけの俺の顔を見て、ムスッとしている。
「しょーがないか、グルームだもんな。見てわかんないことも、いっぱいあるわけだ」
「ピット、まさかお前……! お前って、お、おん、女……?」
「あのなあ、グルーム。だからボク言っただろ。ダンジョンに来る前に会った時から、言ってるよな?」
ユニコーンから降りて、俺の胸元にトンと指を当てながら、こいつは言った。
「アンタ、にぶいよ」