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正のしがらみ、負のしがらみ

 一見何の変哲もないその屋敷は、ダンジョン内に建てられているという一点において、実に奇妙だった。

 洞窟の岩肌に囲まれて、地上も見えない場所に存在しているにもかかわらず、窓もあるし煙突もある。

 調度品で飾られた室内には、この屋敷の主人である人間と、獣人の医者と、メイドゴーレムがいたはずだった。

 だが今、彼らはここにはいない。


 獣人は人間に、「貴様を殺すつもりだったのだ」と吐き捨て、自らのねぐらに帰ってしまった。

 諸事情ありながらもそれを追っていった人間とメイドも、まだ戻っては来ない。

 日付が変わって間もない深夜。屋敷に残っていたのは、留守番中の不死の女王と、その取り巻きの生ける屍だけだ。


「姫様。王宮騎士団を追い返した際に、その身に秘められたお力を開放されたというのは、本当ですかな」

 一つ目生首のデスポセイドンは、潰れて平べったくなった体を翻しながら、ノーライフ・クイーンにそう問いかけた。


「信仰勢力どもへのごまかしに一度は成功し、無事に追い返したはずですぞ。それをまさか、ゴーレムごときを助けるためにそのお力を開放し、ふたたび目をつけられたなどということは……」

「うん。……バレちゃったかも」

「……姫様! 確かに我らも、過去に戻って神殿の連中を追い返すのは、理のあることとは申しましたが……。しかしこれでは、本末転倒ですぞ! 恥を忍んで姫様が、このようなご結婚の話を申し出られた、その意味が!」

「わかってるよ。わかってるけど……あたし、それでもエ・メスを助けたかったの。みんなでまた、このお屋敷に戻って、暮らしたかったから」


 うつむき加減にそう話すのは、このダンジョンの魔物ども、アンデッドや悪魔の類を率いるリーダーである、ゴシカ・ロイヤルだ。

 憂いを帯びた瞳で窓の外を見つめ、黒いドレスの女王様は、未来の旦那の帰りを待っている。


「エ・メスは戻ってきたけど……今度はレパルドがいなくなっちゃったね。グルームなら……なんとかしてくれるかなあ……」

「姫様はあの人間に、過大な信頼を寄せすぎですぞ。所詮は生者、死と隣合わせの者に、何を頼れることがありましょうか」

「だから頼れるんだもん! もう、うるさいってば。丸めて捨てちゃお」

「姫様!?」

「ニャ」

「ザマス」

 ゴシカのおつきの三つのしもべは、その薄い体を丸めて重ね合わされ、ゴミ箱にくしゃくしゃぽいと捨てられてしまった。


「……うるさいよ、もう。もしものときは、あたしがなんとかするから……。多分、大丈夫だから。ここは、あたしが守るんだから」

 ひとりごちるゴシカの黒い瞳は、窓の外の景色に現れた、いくつかの人影を映していた。

 この屋敷の主人とメイドが帰還したのだ。

 喜びと同時に、言い知れない落胆が彼女を襲う。そこには獣人の女医の姿はなかったから。

 曇った表情をすぐに笑顔に変えて、ゴシカは玄関に走り、ドアを開ける。

「おかえり! グルーム! エ・メス!」


--------------------


 いつもの元気な笑顔で俺たちを迎えてくれたのは、ゴシカだった。

 レパルドとの、ほんの10分だけの二人きりの夜を遂行するために、屋内ドームへの行き来を、俺は急ぎ足で終えてきた。

 エ・メスはその運搬役として、お姫様抱っこで俺を連れ歩く役をしていたわけだけど。

 ゴシカは「少し考えたいことがあるから」と屋敷に残って、留守番をしていた。一番レパルドと仲直りをしたそうだったのは、この子なのに。


 出かける前に急いで準備したハンカチと、サンドウィッチとおにぎりは、無事にレパルドに渡してこれた。

 あれで俺たちの仲がどうこうなったという気はしない。そもそも本当に受け取ってくれたかも確認しなかったし。俺からすれば、あれはただのけじめだ。

 仲直りどころか、あんなものをもらったことで、俺への殺意をさらに高めてしまったかもしれない。あいつ、プライド高いもんな。

 しかし、たった10分とはいえ、「貴様を殺す」と宣言していたモンスターと二人で過ごして、無傷で帰ってこれたんだから。

 この深夜の密会は、大成功に終わったと言っていいだろう。生きてりゃまあ、マシだよ。

 手すら触れない『けだものの一夜』は、もう、終わったんだ。


 俺が見たレパルドは影だけだったとはいえ、昨夜の騒ぎを起こした後に、あんな近くで話が出来たのは、俺だけだ。

 何をレパルドと話したのか、あいつの様子はどんなだったか。あの獣人の身を案じていたゴシカに、色々と伝えたいこともあった。

 ところが、急にめまいのようにして眠気が襲ってきて、俺は挨拶もそこそこに、ベッドに倒れ伏すことになった。

 急いでベッドメイキングをするメイドの様子を半目で見つつ、俺は眠りについた。

 体中に毒のような、疲れとも痺れともつかないものが巡っていくのを、感じながら。




 夢かもしれない。夢じゃないかもしれない。

 これはきっと、俺の子供の頃の思い出なんだろう。

 視線の位置は、とても低い。小さな子供の目の高さで、酒場の看板を見上げている。

 この男の子は、俺だ。

 だけれど、未だにわからない。

 子供時代の俺と話している、小さくて、かわいらしくて、いかにも女の子らしい、同い年ぐらいのこの子は……誰だ。


 酒場の前で、男の子は言った。

「じゃあ俺、冒険者になるよ!」

「うん、待ってる。そうしたら結婚、しようね」

 楽しそうに笑う女の子の薬指には、クローバーをよじった指輪が、はめられていた。


「いつかまた、会えるといいね」

 そう女の子は、言った。

「会えるよ、冒険者なんだから。旅を続けてれば、きっとな!」

 男の子は、そう答えた。


「これ、約束のお祈りね。一緒にやって?」

 女の子は、手を合わせて揺り動かし、簡素な祈りを捧げていた。

 男の子も一緒になって、同じ祈りを繰り返していた。




--------------------


 冒険者グルーム・ルームがモンスターと共に屋敷で眠り、夢幻ゆめまぼろしの幼少期を思い起こしていたその間。

 暁の薄暗い光の中、かそけき声でめいめいが話し続ける、とある神殿の一室があった。

 話す者達は暗灰色の衣をまといて、何者なのかが一目ではよくわからない。

 老若男女の区別はかろうじてつく。異種族らしきものが混じっていることも、分からないではない。

 そんな彼らの中心には、ボウと言う名の、小柄な神官聖女の姿があった。


「神の意志を知り、それを代行するのが、我ら信仰勢力の役割」

「そのための大切な財産を傷物にするとは何たる事か!」

「そうだ、転生者は神の意志を知りそれを代行するにおいて、最も大事な存在。このまま二人だけにはもう、任せていられませんな」

「代行者騎士団を選別・決定いたしましょう」

「しかしまだ、彼の地に神の意に背くものがいると、決まったわけでは……」

「お黙りなさい、ボウ。如何に転生者と共にある聖女とはいえ、ここは審問会。あなたは自由に発言を行うこと、まかりなりませんよ」


 諌められた小柄な聖女は、口を結び胸を張り、浴びせられる言葉たちを受け止めることに専念する。


「生死の理を覆すノーライフ・クイーンは、結局いるのかいないのか?」

「ノーライフ・クイーンとは別の、不可逆破りらしき者がいたとの報告もあるぞ」

「だがその者は、さしたる力を発揮してはいなかった様子です」

「幻術で神の御姿を真似た不届き者だとも聞いたが。よりにもよってヤマタイのトキオカシを真似たそうだぞ」

「この調査を知っての、我々に対する挑発なのか……」

「しかし法のもとでは厳罰でしょうが、たまたまダンジョンにいた不届き者を成敗するために、我らが力を注ぐ必要もないでしょう。今はそれどころではない」

「ところで、転生者に大怪我を負わせた件については、誰が責任を取るのだ」

「ボウではないですかねえ」

「この小娘の宗派一つを潰しても意味はなかろうに……」


 ボウはただただ、手を合わせ、自らが信ずる神に祈りを捧げていた。


「いずれにせよ、転生者を瀕死に追い込むような魔物があのダンジョンにいることは間違いないのではないか?」

「瀕死などと、そんな……言葉が過ぎますぞ」

「あくまで、傷物になっただけです。転生者が少しの油断で瀕死になるなどと知れたら、沽券に関わる」

「ええい、そうした言い換えの話はいい! 我々は状況を確認する事こそが、現在最も優先すべきこと!」

「ボウよ、どうなのだ。転生者を傷物にするような脅威が、神の意の代行の障害となるような脅威が、あのダンジョンにいるというのかね。答え給え」


 発言の許可を受けて、ボウは静かに口を開いた。


「『非常に疑わしい場所である』というのが、私の現時点での結論です。まだ答えを出せる段階ではございません」

「はっ! 転生者と二人で、この程度悠々乗り切ってみせるというから行かせてみれば、疑いに確信は持てず、我らの財産には傷をつけ、とんだ聖女ですな!」

「やはり代行者騎士団の選別・結成を持って、再調査に向かうというのが良いのではないですか」

「再調査には……幾ばくかの犠牲が伴うが、よろしいか」

「……神の意の代行とあらば……。我ら信仰勢力にとってそれは、仕方のなき……」

「いや、待て。ボウ、何か言いたそうだな。発言を許可する」


 再度の許可を与えられ、神官聖女は影のような人々に対し、こう告げる。


「お願いがございます。再調査、私に任せてはいただけないでしょうか」

「ボウ。失態の責任を軽くするための、苦し紛れならやめておけ。それで得るものがあったとして、情状酌量はないぞ」

「そのつもりは毛頭ございません。責任は責任として、咎は咎としてこの身に受けます。ですが、再調査のために犠牲が出るというのであれば、私がその任を請け負います。今回こそは、彼の地の不審な点を見極めてまいりましょう」

「転生者はもうお前には与えんが、それでも行けるか?」

「私には、神のご加護があります故」


 朝日が強くなり始め、暗灰色の衣をまといし一団の、顔や姿が徐々に浮き彫りになっていく。

 それに比して、彼らの影も、色濃く神殿内に伸びていく。

 ざわめきと決意の渦巻く中、彼らの思惑はここに、定められた。


「彼の地には聖女ボウが再調査に赴く。我々は代行者騎士団の選別を進め、もしも彼の地に神の意の代行の障害となるような脅威があると判断されれば、“念入りな再々調査”を一両日中にでも行えるよう、手はずを整えておこう」

「聖女ボウよ、彼の地に向かえ。瑣末なことも見逃さず、疑わしきは問い詰めよ」

「かしこまりました」


 より強い志を瞳に点し、ボウは出立の準備を整え始めた。

 何より彼女は、見極めたかった。

 果たしてあそこに何があったのか。あそこにいたのは何者なのか。それは神の意志に背くものなのか。生者なのか、死者なのか。

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