けだものの一夜
「それでね、その後は……このダンジョンに住み着いてた、野生生物とか、半獣人とか。そういう子たちの治療なんかを、少しずつやってね。最初は変な獣人だって思われてたんだけど、いつの間にかみんなが『Dr.レパルド』って、呼び出したの。で、魔物じゃないモンスターのリーダーに、だんだんなっていった感じ……かな?」
ゴシカの話は、ところどころ要領を得ない部分もあったけれど、だいたいのところは俺にも伝わったと思う。
レパルドが人間を嫌いな理由は、敵だからとか味方だからとか、そういう単純なものじゃないんだ。
いや、「単純なものじゃないんだ」なんて、たった今話を聞いただけの俺が、一言で決めつけていいのかどうか。
それすらも危ういような過去だ。
「色々……あったんだな、あいつ」
俺が漏らした感想は、せいぜいそんな程度のものだった。
「……うん。レパルドは、今まで……色々あったの。だからね、グルームのことが嫌いなんじゃないんだよ。一緒に住んでても、ほら、仲良くなれそうだったじゃない?」
「それは……。どうかなあ」
「あたし、わかるよ。グルームとレパルドなら、仲良くなれるって。あなたはエ・メスだって助けてくれたんだもん」
「いやいや、エ・メスを助けたのは、ゴシカとか、それこそレパルドとかじゃない?」
「違うよ! グルームが大事な宝を使ってくれたからだよ! そんなグルームと、レパルドだから……。あたし、仲直りしてほしいんだ」
寝室のドアがノックされた。
「失礼いたします……」の声とともに入ってきたのは、屋敷を留守にしていたエ・メスだ。その後ろから、行商人の因幡も顔を出す。
「おい、グルーム。大丈夫なのか?」
若き商人は俺を見るなり、若干青ざめた様子で声をかけてきた。
「いやあ……お前の薬のおかげか、ゴシカの看病のおかげか、割りと大丈夫だよ? 肩に穴が開いた時は、もしかして死ぬのかもって思ったけど」
いつになく心配そうな因幡に見せつけるようにして、俺は両肩を順にぐるぐる回してみせる。
「いや、傷の方はいいんだ。売ってやった薬を全部飲んだってエ・メスに聞かされて、そっちのほうが心配で見に来たんだ」
「へ?」
「はい……。商人様を探し、追加のお薬を注文しようといたしました所……。大変驚きになって、直接こちらに様子を見に来ると、おっしゃいまして……」
因幡の言葉と、それを補完するエ・メスの証言を聞き、俺の顔のほうが青ざめる。
「売った薬で死なれちゃあ、商品の信用問題になるからな。無事生き残れよ、グルーム」
「おっ……おい、やめてくれる? そういうの真面目な顔で言わないでくれよ、俺は元気すぎるぐらいに元気だって。大丈夫だから」
「言っておくが、薬の代金は例の余剰金から出したからな。これでもう本当に、お前の取り分は小銭程度しか残っていないんだ」
因幡は俺の手に、数枚の銅貨を握らせた。
「葬式代は……出ないぞ」
「そ、葬式の予定なんかないからな。俺はもう回復したから、そんな予定はない! 薬も充分飲んで健康だってば!」
そんな話をしていると、「心配だったら専門家の見解を聞くのが良いんじゃあないかね」と、いやらしい声が廊下から聞こえてきた。
声の主は、おなじみのダンジョンマスター、ディケンスナイクだ。
相方のドワーフであるガゴンゴルも共に連れて、寝室にぬっと入り込んでくる。
「今度はお前らかよ……。深夜だっていうのに、見舞いが多いな。俺の人徳ってやつか?」
「そうだねえ、君の生死は我々にとって非常に重要な意味を持つからね。勝手に冠婚葬祭を進められては予定が狂う。無事でいてくれることを祈るよ、グルーム?」
老人が口元にシワを寄せながら、ニヤリと笑う。
「お前の希望通りになるのは癪だけど、おかげさまで割と無事なんだよ。ほら」
ベッドから抜け、俺は立ち上がってみせる。
うん、酒場で一撃食らった時とは大違いだな。立ちくらみもしないし、全然動ける。
とは言え今日はもう、とっとと寝たいけど。予定もないわけだし。
予定は……なくなったんだから。
「なるほど、君が五体満足だというのであれば、我々は運営委員としての仕事をしなくてはならないねえ、ゴンゴル?」
「そうジャな! 急がんと時間がないワイ、スナイク!」
長身痩せぎすの老人と、短身太っちょのドワーフは、声を上げた。慣れた様子でエ・メスに指示を飛ばす。
「エ・メス、ご主人様を抱えたまえ。場所を移動するよ」
「かしこまりました……大旦那様」
「えっ? なっ……なんだよ、急に何?」
突然の流れ作業に疑問を抱く俺に対して、スナイクは簡単でわかりやすい説明をしてくれた。
「花嫁候補対抗レースの優勝賞品が、不慮の事故によって、まだ優勝者に渡されていないではないかね? 今日の夜は終わっていない。日付が変わる前に、我々は君を優勝者のもとに送り届けねばならないのだよ、グルーム」
「ってことは……俺をレパルドのところに連れて行くつもりか?」
「そうジャ! お前さんが寝とる間に、あやつの居所も調べてあるワイ。急いで向かうぞ、婿殿!」
俺の意志を無視して、慌ただしく準備を整える、スナイクとゴンゴル。
彼らに従順なメイドは、既に俺をお姫様抱っこの体勢で、持ち上げていた。
「まっ、待ってくれ!」
「なんだねグルーム。君は賞品なのだから、不平不満を言える身分ではないだろう?」
「そうジャ、それを承知の上で金をもらって、弁償を終えたんジャ。今更何の文句があるんジャ、男らしくない!」
「いや、文句じゃない。文句もあるけど……それは今は置いといて、ひとつ頼みたいことがあるんだ。なあ、因幡」
呼びかけられた行商人は、意外そうな顔をした。
「ん? この状況で、俺に用か?」
「ああ。ひとつ、頼みたいことがあるんだ。えっと、その――」
その後に続いた俺の言葉を聞いて、因幡はうなずき、ゴシカは笑顔で飛び跳ねた。エ・メスの目元も、若干ほころんでいる。
「おい、女神。日付が変わるまであと何分だ?」
『残り時間、あと53分です』
例の小さなカウント女神を呼び出して、残り時間も確認した。移動の時間も考慮すると、確かにあまり時間はない。
「ほんのちょっとだけ、待ってくれスナイク。いいよな?」
「あ、それならあたしもやりたいことある! ねえエ・メス、一緒にさ?」
「……なんでしょうか、お姫様……」
とっさの思いつきをバタバタとこなし始める、ゴシカとエ・メス。
俺は俺で、因幡との相談をそそくさと進めていた。
「やれやれ……まあしかし、これは仕方ないかねえ。急ぎたまえよ、グルーム」
「ガッハッハ! まったく、男らしくないワイ!!」
老人二人もニヤニヤしながら、五分だけ待ってくれた。
頼みたいことを済ませた後は、賞品としての仕事が俺を待っている。
我ながら言ってて情けないけど、エ・メスの怪力に抱えられたら抵抗は出来ないんだから、逃げようもない。
この役割の代価も、既にもらっちゃったし……。今夜だけは、賞品でいいことしておこう。
宝箱に入れられた俺は、大急ぎで、屋内ドームの巨大な樹の下に連れて行かれた。
優勝者に、手渡されるために。
「ここから先は、優勝者と賞品の二人きりの時間だ。もうあまり時間もないだろうが、そうだね……十分ほどしたら迎えに来るよ」
スナイクはそう言って、エ・メスを連れて去って行こうとする。
「ご主人様……ご無事でいてくださいませ……。お怪我したばかりですし……」
「うん、まあ痛くないし、平気だと思うよ。いざとなったら呼ぶから。その時は本当に、よろしく頼むね」
「かしこまりました……。大旦那様に、オードガードを起動していただくことにします……」
老人二人とメイドが消え、一人になって俺は、樹上に目をやる。
太い枝に乗る人影が、そこには見えた。
「……そこにいるのか、レパルド?」
尋ねると、少しの間を開けて声が返ってきた。
その言葉は、俺に向けてのものなのかどうか、よくわからない。
「……ここには、自然光が差し込む。老人どもや、それ以外の何かしらの先駆者が明かりを仕掛けた、ダンジョン内の他の場所とは、構造が違う。だから、樹や森や作物が、育つのだ」
ドーム頂上のいくつかの穴から注ぐ月明かりに、照らされた女のシルエット。
「ここは、外が感じられる」
何よりこの、凛とした通る声。間違いない、そこにいるのはレパルドだ。
「殺されに来たのか、人間」
「いや、ジジイがお前と二人きりで過ごせって言うから……金をもらった立場上、仕方なく連れて来られたんだけども」
「では絶好の機会だな。死ぬか?」
「……嫌だよ。お前、それより……もうすぐ今日の夜、終わるぞ」
「ふん、やはり殺されに来たというわけか。一分もあれば貴様を殺すことが出来る」
樹状で影だけの姿のレパルドは、顔もろくに見えない。
この距離だったら、さっき酒場でやられたみたいに、一瞬で刺し貫かれることもないだろう。
……って言っても、相手があのレパルドだからな。
チート野郎とスピードで競り合ったモンスターだ。これでも安全な距離じゃ、ないのかもしれない。
やるだけやって、とっとと逃げよう。
「殺されに来たんじゃないよ。俺は文句を言いに来たんだ」
「文句だと?」
「レパルド、お前なあ。痛かったんだぞ、さっきの! こんな短時間でピンピンしてるのが不思議なくらいだぞ、俺」
「はっ、何だそれは。殺され文句か?」
獣人は、鼻で笑うような素振りを見せた。
会話は続くものの、こちらに近づいてくる様子は、今のところない。
「貴様、先程は途中で気絶して、わたしの話を聞いていなかったようだな? 痛みに文句を言う余裕などもう無い、貴様はわたしに殺されるのだ」
「聞いてたよ。お前が俺を殺そうとしてるってのは、聞いてたっての。だからこんなところで二人きりなんて、俺は本当は嫌なんだ。それに……ゴシカからも、聞いた。お前のこと」
「……ふん。余計なことばかりする死体だ」
「それで俺、文句ともう一つ、お前に言いたいことがあるんだ」
「何だ。遺言代わりに聞いてやろう」
「お前に謝ろうと思って」
洞窟の外から、月明かりとともに、風が吹き付けてきたんだろうか。
枝葉が揺れる音が、かすかにした。
そんな音が聞こえるぐらい静かな時間が、ひとときだけ、過ぎたからでもある。
「人間、貴様……。わたしの神経を逆なでするつもりか」
「わかってるよ。お前みたいなプライド高い奴が、俺みたいなのに謝られたら嫌だよな?」
「ほう、つまりは嫌がらせか? 貴様にしては効果的な方法を思いついたものだな?」
「違う、俺はホントに謝りたいんだってば」
「おい貴様。わたしは先刻の失態を悔いて、感情を抑えこもうとしているのだ。懲りずにまた怒らせたいのか。獣の心に任せるままに、貴様の首筋に噛み付いてやろうか?」
「怖いなあ! シャレになってないんだよそれ、お前の場合。でもな、お前がそうやって勝手に怒るのと同じで、俺も勝手に謝るからな」
今にも木から飛び降りようとしているレパルドに向かって、俺は大きな声で言った。なるべくちゃんと声が届くように。
「まず、昨日のことで謝りそびれてたことから、謝るぞ! エ・メスが倒れたとき、俺、お前に食って掛かったよな! 気が動転してたとはいえ、あの時は……悪かったよ!」
「……今さらそんな話か。貴様を殺すと宣言している相手に向かって、わざわざそんなことを言いに来たのか。馬鹿にするのもいい加減にしろ!」
「もちろんそれだけじゃない。さっきは、気に障ること言って、すまなかった。冗談でも言って良いことと、悪いことがあるよな」
「冗談だと?」
爪の伸びた拳を握り、レパルドは自分を抑えているようだ。
一拍置いて、俺に向かって言葉でたたみ掛ける。
「冗談などではない。あれは貴様の本心だろう。わたしや他の連中のことを、便利で都合のいいペットのように、貴様は思っているはずだ。 魔物使い気取りか?」
「……いいや、俺はそういう風に思ってないんだと、思う」
「“思っていないんだと思う”か。ふん、適当な言い訳をするからそうやって、語尾を濁すことになるのだ」
「あのさあ、レパルド。ちょうど今日の日付が変わった頃、宝の部屋から戻るときにお前、俺に聞いたよな。『ダンジョンを脱出するチャンスをフイにしてまで、なんでエ・メスを助けたのか』って」
「聞いたが、それがどうした。いずれその真意を正そうと言うことで、話を打ち切ったのだったな? 今となってはそれを聞く意味もない。貴様にはロクに真意などはないし、どうせここで死ぬ」
「俺、あの答えがわかった気がしてるんだよ。俺の中じゃ、もう……エ・メスも、ゴシカも、お前もさ。仲間みたいになってるのかもしれない」
風が吹き、シルエット状のレパルドの髪が、左右に揺れるのが見えた。
どんな顔をしているのかは、暗くてわからない。
鬼の形相で睨みつけられているのかもしれない。今にも俺は襲い掛かられて、今度は胸をえぐられるのかもしれない。
そんな目に合うのは御免だ。とりあえず、言いたいことだけでも、言っておきたい。
「たった何日か、こうして過ごしてるだけだけど。一緒にダンジョンで冒険し合った、仲間みたいに、なってる気がするんだよ。だからあんな冗談が、口をついて出たのかもしれない。俺からしたら、もう……敵モンスターって感じじゃないし、ましてや都合のいいペットなんかじゃないんだよ、レパルド。……多分、だけどな……」
枝葉が揺れるのみの沈黙が、ふたたび訪れた。
その静けさを破ったのは、『日付が変わりました』と言う、女神の声だった。
ヴェールで目元を隠した小さな女神は、今日の夜が終わったことを俺の肩口で告げて――消えた。
レパルドと二人きりですごさなければならない時間は、もう終わった。
「……眼鏡、よく拭いとけよ。これぐらいしか買えなかったけど。物だったら……受け取ってくれるだろ」
命の危険が残るこの場に居続けるのは、怖い。
最後に渡すものだけを樹の下に置いて、俺はこの場を去って行った。
屋内ドームに、獣人が一人になってから。
彼女は大木をするりと降り立ち、人間が置いていった物を確認する。
小さなバスケットと、質素なハンカチが、そこにはあった。
「これで貴様の血を、拭えというのか」
ひとりごちながら彼女は、ハンカチに手を伸ばす。
するとハンカチの間から、一枚の紙切れが落ちた。
紙切れには、こう書かれていた。
『レパルド、おつかれさま。あたしたちからも』。
続けてバスケットを開けると、中には……。
簡素なサンドイッチと、不格好なおにぎりが、入っていた。
「……ふん」
……ゴロゴロ。
ゴロゴロゴロ……。