亀裂2
「……え!?? レパルド、何してるの!? ダメだよ!!」
「お医者様……!? そ、それ以上ご主人様を傷つけるようでしたら、わたくし……ですね……!?」
驚きつつも緊急事態に即座に反応する、ゴシカとエ・メス。
さっきまでは二人とも、俺とレパルドの会話を微笑ましそうに見ていたのだけれど。エ・メスに至っては、早速包丁を抜いて臨戦態勢だ。
そうだよ、何してるんだよ。さっきまで冗談言い合ってるようなムードだったじゃないかよ。
それがほんの一瞬で、俺の肩に穴が空いて、猛烈な痛みが走って、場には重々しいムードがのしかかっている。
「げっ、なんだあ? レパルドが婿殿をぶっ刺してるぞ?」
突然上がった叫び声や、ただならない雰囲気に、酒場の他のモンスターの注目も集まっていた。
「あの獣、もしかして……人間を食う気なんじゃないか?」
「は? 今更何を言ってるんだ死にぞこない共。勝負に勝ったんだから、もう何したって良いんだろう?」
「そういうもんでもないだろうが、家畜め! てめえら、ルールは守るんじゃなかったのかあ?」
ざわつきは疑念と殺意を交え、この場に瞬く間に拡張していく――。
「……ふん。ついに、やってしまったか……」
レパルドはそんな騒ぎを気にかけず、落ち着いた口調で言った。既に表情には怒りはない。
そのまま俺の肩から、ためらいなく爪を引き抜いた。
傷口に栓をするものが無くなったことで、一気に血が吹き抜ける。
獣人の眼鏡のレンズが、真っ赤に染め上げられていった。
「ああああああ!! 血っ……血!! うぐぐぅ……っ!」
血の止まらない左肩を右手で押さえ、俺は格好悪くテーブルの上でのたうち回った。
だって感覚がよくわからないほど痛いというか、何かが急速に失われていくのが、わかるのだ。
おそらく、これって、致命的な傷ってやつじゃ、ないんだろうか。
「えっ……こ、これ、死んじゃうんじゃないの? レパルド!! やり過ぎだよ!」
「やり過ぎなどではない。確かに頭に血が上ってやってしまったことではあるが、決してやり過ぎではないのだ」
慌てるゴシカに対して、厳しい口調で言い放つレパルド。
またもや酒場の各所で、「やっぱりレパルドは婿様を殺すつもりだ」と、声が上がっている。
「こんな大勢のものが見ている前で、こんなタイミングで激高してしまうとは、な……。わたしは、また……感情をコントロール出来ていなかったようだ」
立ち尽くしながらそう言う医者と対照的に、俺のそばに駆け寄って看護に回る、ゴシカ。
彼女は自分の手首を切り裂いて、俺と同じように血を吹き出す。いつかエ・メスにやったように、鮮血の魔術で俺の肩の傷を、埋め合わせてくれる。
エ・メスも心配そうに傍らに立つものの、何も出来ずにいた。せいぜい、レパルドがこれ以上俺を傷つけないよう、目を光らせておくだけだ。
メイドの片目に睨まれているDr.レパルド当人はというと、ダンジョンマスターを視界の端に捕らえ、マイペースに質問を投げかけている。
「おい、老人。確認させろ。わたしは先程のレースの勝者だ。今夜わたしは人間と二人きりで過ごす。その間は何をしてもいいのだろう」
「……ああ、その通りだ。既成事実でも何でも作ればいいんじゃあないかね。そこに外野が口出しするのは、野暮というものだよ」
「つまり、人間を殺してしまっても、誰も手出しはできまい?」
その問いかけに、酒場のざわつきが一層、大きくなった。
「……今夜二人きりで過ごす権利を与えると約束したのみで、そこでの禁止事項については、規定していないねえ。個人の裁量に任せているよ。だから、殺されても手出しは出来んね」
「やはりな」
レパルドは淡々と爪の血を振り払い、スナイクの答えを聞いていた。
「とは言っても、ここでグルームを殺されてしまっては面白みがない。結婚相手を決めるまでの楽しい時間も、せいぜいあと二日間だ。殺すのはやめてくれないかね、レパルド?」
「何度でも言おう。貴様の余興に付き合う気はない。それに……こう言った事態に陥っては、もう隠し立てすることもあるまい。獣人は元来、隠し事など苦手だ」
酒場に集まるモンスターに喧伝するかのように、一際遠くまで通る声で、レパルドは言う。
「わたしは最初から人間を殺すつもりだった。そのために花嫁候補に立候補したのだ。だからわたしは人間を殺す! わたしは人間が憎くてたまらなかったのだ!」
「そんなこと無い!」
誰よりも早く言い返したのは、ゴシカだ。そしてそれにレパルドも、即座に返す。
「無いわけがあるか。貴様は知っているだろう、ゴシカ」
「知ってるけど……今は違うよ!」
「何も違わん。何も変わらん。いいか、仲良しごっこはもう終わりだ」
「ごっこじゃない!」
「ごっこだ! 結婚だ何だのも全てそうだろう。茶番だこんなもの。認めろ、ゴシカ」
「……やだ!」
「人間とモンスターとの結婚など、不可能だ」
「わからないでしょ! なっ、仲良くなれたんだし!」
「だからそれが“ごっこ”だと言っている」
苛立ちを込めた溜息の後、レパルドは諫めるように、ゴシカに言った。
「いいか? モンスターと結婚した人間など、やがて殺されるのだ。貴様が認めんから、わたしが身を持って証明してやるのだ。この縁談は人間の死を持って、半ばにて終わりを告げる」
「死なないよ、グルームは! あたしがそうさせない! ほらもう傷もふさがったし、大丈夫だよ?」
「いい加減にしろ、ゴシカ。貴様の血は減る一方だというのに、血の使いすぎだ。先ほどのレースの時もそうだった。少しは節約をしろ。その程度は見殺しにするべきだ」
「しない!」
「いちいち口答えをするな!」
「あたしがしたいときはするもん! 相手がレパルドだって言い返す! グルームを見殺しになんて……出来るわけないじゃない!」
「そんなに人間が大事だとでも言うのか? ただここに放り込まれただけの人間だろう!」
「大事だよ!! それに……それに、グルームを殺したのがレパルドになっちゃったら、あたしそれが一番嫌だから」
「貴っ様……!」
「だから絶対、この傷で、死なせない!!」
「……貴様の、そういうところが……。わたしは嫌いなのだ!!」
歯噛みしながらDr.レパルドは、酒場を去って行く。
敵意をむき出しにして襲いかかってきたアンデッドや、彼女を守ろうと取り巻きにやってきた動物たちも、全てなぎ倒して。
一人でここから、出て行く。
ゴシカのお陰で俺の肩の傷はふさがった。血も止まった。
目分量だけど、減ったぶんの血も、十分に増やしてもらった気がする。
とはいっても、突然の失血のショックは大きい。力が一気に抜けていくのがわかる。
「はは……」
脱力感の中で俺はあることに気づいて、苦笑いを浮かべてしまった。
「あいつ、あんまり強く押し倒すもんだから……テーブルにヒビが入ってるじゃないかよ。……これ……俺らで作ったヤツだ……」
木製の一枚板のテーブルに、横たわりながら。
俺の意識は、そこで途絶えた。
――次に目を覚ますと、俺は屋敷のベッドに寝かされていた。
傍らには、こちらを心配そうに覗き込む、ゴシカの姿がある。
「……なんだか、倒れた後にここで目覚めるのも、慣れてきたな、俺……」
「あっ、グルーム起きた! まだ寝てたほうがいいよ? 多分!」
目を覚ました俺を見て、ゴシカの顔はニコッと華やいだが、その直後、また悲しげな表情に戻ってしまう。
「……あたしには、寝てたほうがいいのかどうかは、よくわかんないけど……ね。大怪我した人はきっと、しばらく横になってたほうが、いいんだよね?」
「……そうだな。医者がいないから、よくわかんないよな」
「い、一応ね、因幡くんからポーションとか買って、出来る限りのことはやったんだよ?」
「へえ。そうか、どうりで傷もそれほど痛まないし、体もあんまり辛くないわけだ。そもそも血がいっぱい出ただけで、筋とか骨とかは大丈夫だったのか……?」
自分の体調を確認しながら床を見ると、薬の瓶のようなものが大量に散乱している。
『注意!』とか『キケン!』とかいちいちシールが貼ってあるのが気になるけれど。
「これ、寝てたグルームに全部飲ませちゃって、無くなっちゃったんだ。新しいのを買うために、エ・メスはまた因幡くん探しに行ったの!」
「へ、へえ……。それでエ・メスがいないんだ……。この薬、俺が全部飲んだんだ……!? なんかちょっとさっきより、元気無くなってきたかもな、俺……?」
乾いた笑いを浮かべつつ、改めて俺は、振り返った。意識を失う前に起きた出来事のことを。
「しかし……何だな。俺、今度こそ殺されるかと思った」
「……レパルド、怖かった?」
「ああ……怖かったな。今までも何度か、怒ったあいつに切り裂かれそうになったことはあるけど。……あんなに怒らなくても、いいじゃねーかよ」
獣人の描いた絵をバカにした時、悪魔と揉めてたあいつの事を心配したとき。
殺気を持って爪を向けられたことはあるけど、あんなに恐ろしい一撃じゃなかった。
理性のない獣が持つ、独特の恐ろしさ。人とは違う獰猛な唸り声……。
「でも、しょうがないよな。怒るも何も、あいつ……俺のこと、なんでか憎んでるみたいだし。そりゃそうだよな……。俺、人間で……あいつ、モンスターなんだから……」
「ううん、あのね。……違うの。違うと思うんだよ、グルーム。グルームなら、きっと……」
ゴシカは、冷ややかな両手を俺の腕に添える。
まるで何かに、すがりつくみたいに。
「あのね……あたし、グルームとレパルドに、仲直りして欲しいの」
「ははっ……? 俺とあいつ、元々別に仲が良いわけじゃないよ? 仲直りなんかしようもないって。それよりゴシカのほうが、レパルドと仲直りしたほうがいいんじゃないか? なんだかだいぶ、ケンカしてたし」
「ううん……」
首を振りながら、ゴシカは続けた。
「ねえ、聞いてくれる? この話、グルームにだけはしておきたいから。あなたに、レパルドのことを知って欲しいの。そうしたらきっと、仲直り、出来るんじゃないかな……」
「……」
俺は、ゴシカの言葉に何も言えなかった。
その話がどんな話なのかはちょっと気になったし、聞いてどうするのかを考えていたからでもあった。
いや、第一……。
俺と一緒にいたモンスターが、俺を攻撃して、俺を「最初から殺すつもりだった」と宣言して、去っていった。
仲直りも何も、ないはずだ。
ないはずだよ。
「……まだ、あんまり動ける気しないし。暇つぶしに、聞くだけ……聞いてみようかな、その話」
「……うん! じゃあ、あたしの知ってること、話すね。レパルドがね、なんであんなふうなのか。どこからここに、来たのか……」