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亀裂1

「おい人間。これで今夜は、わたしがお前を好きに出来るというわけだ。わたしはレースを終えたばかりで気が立っている。自分の獣性を抑えきれるかわからんぞ。けだものの一夜を、せいぜい楽しみにしておくんだな……!」


 興奮冷めやらぬ様子でそう報告してきたのは、花嫁候補対抗レース優勝者の、Dr.レパルドだ。

 報告されたのはもちろん俺、優勝賞品のグルーム・ルームだ。

 周囲のモンスターたちは口々に、「でもレパルドってアレだろ、しょ……」「けだものの一夜も何もレパルドって、しょ……」「そうニャ、いいケツしてるけどあのメスネコ、しょ……」と、素直で品のない感想を漏らしている。

 そんな言葉が届いているのかいないのか、獣人は足取り軽くモンスター酒場を闊歩していた。

 各テーブルで注文された煮付けや揚げ物や活造りを、勝手気ままにつまみ食いだ。レースで疲れて、相当腹が減ったらしい。

 気のせいか、いつになくウキウキしているようにも見える。花畑を歩いて回る少女のようにも……いや、さすがに見えないか。

 見たままズバリ、化け物どもの中をねり歩く、キャットスーツの長身美女だよな。


 とにかく、レースは終わった。参加者も運営者も、レースの後処理をしたり配下のモンスターの相手をしたりと、酒場をうろつきまわっている。彼らにはまだ、気の休まる時間は訪れなさそうだ。

 かたやギャラリーは、結果に満足するものと不満を述べるものの、二つに割れていた。特に傾向がまっぷたつに別れたのは、魔界勢と野生勢だ。

 こんなレースが行われるよりずっと以前から、互いにゴシカとレパルドを応援しあっていたのに、こうもはっきりと勝敗結果が出たんだから。一触即発の雰囲気ではある。

 そんな両陣営をとりなしていたのは、リザードマンの板長だった。文句を言う連中に料理を振る舞い、それでも収まらない場合は時に脅して、小競り合いがそれ以上の争いに発展しないように、収めている。


「ワシだって納得行っておらんのジャ! レースをやり直してもいいと思っとるワイ!!」

 一際大きく声を上げるゴンゴルに寄り添い、板長は杯を交わす。

「まあ、そう言うなよじいさん。俺もあんたと同じように残念な気持ちだが、結果は覆らねえ」

「何が同じ気持ちジャ! エ・メスに賭けたのはワシだけなんジャぞ!」

「違えよ、俺もだ」

「何ジャと?」

「多分、あんたと俺しか賭けてねえんだ。だから気持ちはわかるってわけよ」

「なんでお主がエ・メスに賭けとるんジャ!」

「……テーブル作ってもらった時の、ちょいとした縁でな。なんとなくだ。にしても最後の翼のバックアタック、惜しかったなありゃあ」

「そうジャ! あれはうちの孫娘のとっておきだったんジャ! 話がわかるではないか、板長!」


 酒場内を忙しく立ち働いていたのは、板長だけじゃない。

 今回のレースの賭けの胴元、因幡もだ。

 口達者な霊が宿るマジックアイテムを、ようやく外された商人は、いつものクールな面持ちに戻っていた。

 配当金をモンスターたちに配りつつ、小袋片手に、俺の隣に歩み寄ってくる。

「やあグルーム。今夜出た儲けについては、俺の方でリフレクトショートソード+2の弁償に充てておくよ。それでも幾らか、小銭程度の余剰金が出たんだ。もらっておいてくれ」

「小銭程度……かあ。その金で『帰還のスカーフ』は、買えるか?」

「残念、さすがにそこまでの余剰金は出ないな」

 ダメ元で聞いてみたものの、やっぱり無理か。

 座って待ってるだけで、魔法の剣を弁済できるほどの金が手に入ったんだから、充分ではあるけどさ。

 でも、出来れば……物騒な今夜を迎える前に、ダンジョンから逃げたかった。レパルドと二人っきりって、本当に大丈夫なのか、俺。

 しかし考えようによっては、今夜を楽しんでから逃げたほうがいいんじゃないかとも……。

 お、思ってないぞ。別にそんなことはない。相手は獣だ。


「なあ、ところでグルーム。なんだか俺、妙に喉が痛いんだが……。レース中の記憶も曖昧だし、何か喉に良くないことでもあったか?」

「は? 因幡、覚えてないのか?」

「ああ。どうもハッキリとは」

「……じゃあ、覚えてなくてもいいんじゃないかな。だいぶキャラ崩壊してたし」

「キャラ崩壊? 誰が?」

 知らないほうが幸せだろう。疑問を感じている行商人を放っておいて、俺は酒場の各所に散った花嫁候補たちを、探すことにした。


 ゴシカはすぐに見つかった。彼女の横に、長身痩せぎすのダンジョンマスター、ディケンスナイクが立っていたからだ。

 細身の老人は、ゴシカのおつきの三つのしもべと話をしている。一つ目生首のデスポセイドンから、質問を投げかけられているようだ。

「ずっと気になっていたのですぞ、ディケンスナイク。きっとお前は……戦いの最中、わざと失言をしたのですぞ?」

「なんだね、藪から棒に」

「我ら死の眷属の力を借りてロボを動かしているなどと、あの時にわざわざ言わなくても良かったことですぞ!」

「さあ、何のことだろうねえ。わざと失言? そんなことをして、わたしが何か得をするかね?」

「レースを盛り上げるために、姫様がトップに追いつける程度のタイミングで、負けようとしたのですぞ」

「ふうむ、面白い考察だねえ。だが勘ぐり過ぎだよ、あれはただの失言さ……イッヒッヒッヒ……!」


 妙な腹の探り合いをしている両者を無視して、俺はゴシカに声をかける。

「ねえ、ゴシカ」

「あっ、グルーム! 良かった、なんかあの二人が裏のある話ばっかりしてて、あたしよくわかんなくてつまんないトコだったんだ」

「そっか、じゃあタイミングは良かったか。あのさ、ゴシカに渡したいものがあって」

「あたしに、渡したいもの?」

「これ、受け取ってよ」

 俺は因幡からもらった、儲けの余剰金を取り出した。

「へ? なんで?」

「なんでって、そりゃ……まあいいからさ、受け取ってよ」

「だってそれ、お金でしょ? あたし実は、お金ってよくわかんないし。人間には大事なものなんだよね? グルームが欲しかったものなんだから、持っておけばいいじゃない」

「うーん……そりゃそうなんだけどさ」


 ゴシカと押し問答を続けていると、そこにティーセットを持ったエ・メスがやってきた。スナイクのカップに、紅茶を注ぎに来たらしい。

「あっ、エ・メスも来たならちょうどいいや。ねえ、エ・メスもこれ受け取ってよ。余ったお金なんだけど、レパルドも入れて三人で、分けといてくれない?」

「……何故……でしょうか……。わたくし、ご主人様からチップをいただく躾は、受けておりませんもので……」

 エ・メスもゴシカに同じく、首を傾げながら拒否するだけだ。

 そこに鼻息荒く、Dr.レパルドも割り込んでくる。

「今わたしの名が呼ばれたようだが、何の話だ、人間。分けるとかどうとか言っていたようだが、今夜の人間はわたしが独り占めだぞ」

「違うっての、そういう話じゃないよ!」

 酒場を一周して戻ってきたレパルドは、腹ごしらえを終えた指先をぺろぺろと舐めている。やっぱり上機嫌っぽいな、こいつ。

 今のうちに説得して、俺の気持ちに区切りをつけておこう。


「だってほら、この金はいわば、君ら三人が稼いだ金じゃない。だから、俺が受け取るよりは、みんなに分けたほうがいいんじゃないかなって。魔法の剣の弁償で、大半はもう使っちゃったわけだけどさ……。せめて、このお金ぐらいは」

「金などもらっても腹はふくれんし、獣人のわたしにはさほど意味もない。いらん」

「それに、あたしたちがグルームの役に立ったって言うなら、それはそれでいいことじゃない? ね? なんだっけこういうの、妻の……内緒の棒?」

「妻の内緒の棒……。なんだか……意味深ですね……」

「それを言うなら内助の功ではないのか。内緒の棒とは何だ、ゴシカ。武器か?」

「えっ、あっそれは、あたしもあんまり詳しく知らないアレだから! ぶっ、武器かもね?」


 花嫁候補三人はワイワイと、内助の功談義で盛り上がっている。

 なんだか……楽しそうで、流れに飲み込まれちゃいそうになるけど。

 でもやっぱり、俺はこの金を自分だけのものにするのは、抵抗があった。せめて目の前にあるこの金だけでも分けないと、気持ち的にモヤモヤする。

 内助の功がどうとかいう例えが出ること自体、あまり歓迎したくないし。


「とにかくその、俺が惨めになるんだよ。だからみんなでもらっといてよ、お金」

「いらんと言っているだろう。何が惨めだというのだ、人間。理由があるならハッキリ説明してみせるがいい」

「それは、さ……。なんだかこれじゃ本当に、奥さんだけに働かせてるダメ亭主みたいだし……」

 その受け答えを聞いて、レパルドの耳がぴんと立つ。

 口の端に笑みを浮かべつつ、一も二もなく彼女は食いつき、迫って来た。


「ほほう? 自分がダメ亭主である自覚があるというのか。ようやく貴様も自分の立場に自覚が出たというわけか?」

「ああもう、だから言いたくなかったんだよ! 今のは言葉の綾ってやつだ、深い意味はないって」

「安心しろ、言葉の綾も何も、それは正確な現状認識だ。貴様がダメ亭主であることはわたしは充分に理解しているぞ。その上で今夜、この尻に敷いてやろう。ほうほう。ほうほうほうほう。貴様に自覚が芽生えたというのであれば、また今夜の楽しみ方が変わってくるな?」

「ちょっ……お前、眼の色変わりすぎだぞ? テンションがジジイどもみたいだ!? なんでそんなに楽しそうなんだよ!」

「遂に貴様から、自分が夫になるのだという意味合いの言葉を、引き出せたからだ。やっと準備が整ったというわけだな。そして今夜、わたしは貴様と二人きりなのだ。これはいい。これはいいぞ! 予定通りに一夜を過ごせる! 事前のシミュレーション通りに貴様を組み敷こう、人間」

「おっ、おいレパルド」

「いや、これはもしや……当初の予定を変更するべきか? 何なら貴様に選択の余地を与えてやってもいいぞ。貴様の願望を少しばかりであれば、わたしが叶えてやらんでもないな」

「盛り上がり過ぎだってのお前! なんかそんなだと、今晩一緒になる俺が恥ずかしいだろ? 落ち着けよ!」


 こちらを見ながら笑いを浮かべ、ひそひそと言葉を交わし合っているゴシカとエ・メス。

 この状況の気恥ずかしさに俺は耳が赤くなってくるが、ネコミミの獣人はとどまるところを知らず、むしろ更にテンションを上げてくる。


「落ち着けだと? これが落ち着いていられるものか! ついにここまで来たのだからな。しかし貴様とは一度は二人きりになるつもりでいたが、いざとなるとこの昂ぶりは、我ながら想定外だったな。どうしてくれよう、人間。ふふ」

「なんだよもう……想定外はこっちだよ。お前がこんなにハイテンションになるんだったら、もっと何か他の言い方で、俺の惨めさを伝えりゃよかった」

「ふん、妻に稼がせるダメ亭主以上に、今の貴様を的確に表す言いようがあると思うか、人間?」

「無いわけでもないだろ、ペットに芸をさせて上前ハネてるみたいだとか。これでも惨めさが伝わるだろ?」


 次の瞬間、俺の見ていた景色が大きく変わった。

 背中に伝わる激しい衝撃。

 散らばる皿。

 左肩に刺さる爪。

 目の前には、怒りの形相のレパルド。彼女の後ろには、天井が見える。

 牙を向いた口からは、獣の唸りを混じえた叫びが響いた。


「……貴様ァッ!!」


 ……?

 これは……そうか、俺はつまり……?

 レパルドの攻撃を肩に受けて、そのままテーブルに押し倒されたんだ。

 彼女の五本の指が、俺の左肩に埋まっている。いや、俺の肩すら貫いている。

「ぐっ……!? うあああぁ……!!」

 肉が、骨が、血が。

 爪で。

 痛いなんてもんじゃ、ない……!?

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