結婚走ダンジョン1
やがて時間は瞬く間に過ぎ、日も暮れようかという夕刻だ。
ダンジョン内の酒場にずっといたので、時間の経過や日の傾き方は、正直全くわからない。
だけど、「今は何時何分だ?」と尋ねると、小さなカウント女神が出てきて『17時28分です』と教えてくれるので、なんとか時間感覚を失わずにいることが出来る。
酒場は既に、モンスターでぎゅうぎゅう詰めだ。スナイクとゴンゴルが設置したモニターに、奴らは全員釘付けになっていた。
一つ目の化け物も、八つ目の猛獣も、固唾を呑んでモニターの向こうの景色を見守っている。
そこには幾つものトラップがあからさまに見え隠れする洞窟と、現場をレポートする、ガリガリノッポのジジイの姿があった。
「こちらスタート地点の、ディケンスナイク。そちらは順調かね、賞品の花婿様?」
酒場の中、モンスターに囲まれた特等席で、俺はモニターを見ていた。目の前には、マイクが置かれている。
モニター越しのダンジョンマスターの問に対し、俺はマイクを使って応えてやった。
「何をもって順調なのかはわからないけど、客入りは良いみたいだぞ、スナイク」
「それは何より。ではそろそろ、花嫁候補三匹のお目見えにうつってもいい頃合いだろうねえ。順にご登場願おうか、まずは……ゴシカ・ロイヤルからだ」
ジジイの声に呼応して、酒場に集まった連中のうち、アンデッド共が一斉に声を上げる。
死体の歓喜を一身に受けながら、レースのスタート地点に現れたのは、ノーライフ・クイーンであるゴシカだった。
いつも通りの黒いドレス姿でまたがるのは、これもまた全身黒尽くめの、闇のような馬。
「これはまた一体、なんという馬だね?」
現場レポーターと化したスナイクが、ゴシカに質問を投げる。
「魔界の馬、ナイトメアーだよ! でもね、普通のナイトメアーじゃないの。ホラ見て」
死体のお姫様が指し示したのは、馬の脚だ。
なんとこの馬、脚が九本も生えている。
「スレイプニルの遠縁なんだって。だから脚がいっぱい生えてるんだ。早いよ、この馬!」
「こいつは手強そうだ。夢馬と神馬の混血かね? よくこんな珍しい馬を見つけてきたものだ」
「我ら三つのしもべが、連れてきたのですぞ!」
ジジイとゴシカの話に割り込んだのは、三つのしもべのデスポセイドンだ。
ぺらっぺらの紙のような姿になった一つ目生首は、ゴシカが乗るナイトメアーに、シールのようにぺたりと張り付いていたのだった。
その隣には残りのしもべ、一つ目黒猫のデスロデムと、一つ目蝙蝠のデスロプロスもひっついている。
「……君たち、どうしてペラペラのままなのだね。屋内ドームの衝突は未然に防がれたのだから、潰されてペラペラになることもなかっただろうに」
「よくぞ聞いてくれたディケンスナイク! チートの戦いに巻き込まれた時に、我らは悪魔とともに瓦礫に潰されて、結局ペラペラになったのですぞ!」
「難儀だねえ、君たちも」
そんな三つのしもべの身の上話を中継するモニターに、酒場の野生生物たちのヤジが飛ぶ。
言語を成していない吠え声ばかりだったので、正確な意味はわからないけれど、きっとこういうことだろう。「早く次の紹介に移れ」と。
獣の声は、「ドクター」と叫んでいるように、かろうじて聞こえた。
「おっと、マイク越しに酒場の野獣のブーイングが聞こえてくる。急いで次の紹介に移ろう。ではDr.レパルド、来たまえ」
ジジイの声に促され、高貴な白馬に乗って現れたのは、獣人の医者であるレパルドだ。
彼女の刺すような視線と同じく、強い眼力で周囲を圧倒する、白馬の威容。その馬の額には、螺旋状の一本の角が生えている。
「おお、これはまたいい馬を連れてきたものだねえ、レパルド?」
「ユニコーンだ。不用意に近づくと貴様は蹴られて死ぬぞ、老人」
確かに彼女が乗るユニコーンは、ディケンスナイクに敵意を剥き出しだ。相手は男だし。
でも、ユニコーン……? レパルドを乗せる従順な一角獣の姿を見て、俺はなんとも言えない気持ちになった。
モニターの向こう側でも、ゴシカが目をパチクリさせて、こんなことを言っている。
「えっ……ユニコーン……? えっ、で、でもレパルドって大人っぽいし、色っぽいから……きっと……。って思ってたけど……? なのにユニコーンがおとなしくしてるってことは……。えっ?」
「姫様! はしたない想像で盛り上がってはいけないですぞ!!」
おつきの三つのしもべの、デスポセイドンに怒られていた。そりゃそうだ。
そりゃそうだけど、ゴシカのその感じ、俺もすごくよく分かります。
「何を驚いているのだ、ゴシカ。ユニコーンの角は薬の材料としても珍重され、万病を癒やす獣とも言われているのだぞ。医者であるわたしの乗馬としては、これ以上ふさわしい馬もいないと思うが」
「う、うん。そうなんだけど。あのね、レパルドがまさかしょ」
「姫様!!」
三つのしもべに怒られていた。
最後にキュラキュラと音を立てながらスタート地点に現れたのは、エ・メスだ。
脚がキャタピラになっている。
それを見てレパルドは、スナイクに対し、眉をしかめながら疑問の言葉を投げつけた。
「おい、老人。なんだ……これは。乗馬レースでは無かったのか」
「わたしはね、自分の脚を使ってはならないから騎乗をしろとは言ったがね。馬を使えとは言っていないよ。君たちだって、まともな馬には乗っていないだろう? 自分の脚さえ使わなければ、それでいいのだよ」
「……ふん、まあいい。貴様のこの程度の企みは、いつものことだ。驚くに値しない」
獣人の耳はせわしなく動いて不満を露わにしていたが、話していても埒が明かないだろうと、早速見切りをつけたんだろう。
あのジジイのことだ、自己正当化を図る方法を、二重三重に用意してそうでもある。
その頃ゴシカは、キャタピラメイドをべたべた触りまくっていた。
「わー、何それ! 車輪がいっぱいあって、早そう!」
「お姫様の馬も……脚がいっぱいあって、早そうですね……」
「あっ、エ・メスの腕、ドリルになってる!」
「レースで役に立つかと思いまして……アタッチメントを付け替えて参りました……」
レース仕様に変わり果てたエ・メスの姿を見て、酒場から声援を送っているのは、ガゴンゴルだ。
ダンジョンマスターの一人であるこのドワーフは、相棒のディケンスナイクとは別行動で、モンスター酒場にいた。小さいが太った体で、のっしのしと、モニターの前にまで歩み寄ってくる。
「エ・メス! 負けるでないぞ! やってやるんジャ!」
どす黒く濁ったエールをジョッキに湛え、俺の隣にゴンゴルは、どかっと座り込む。
「うちの孫娘の晴れの舞台ジャ! 応援よろしく頼むぞ、婿殿!」
「すっかり孫娘扱いなんだな……。もしかして酔ってるのか、あんた?」
「ドワーフがこの程度の酒ではまだまだ酔わんワイ! ガッハッハ! おい、酒のお代わりジャ!」
老ドワーフが叫ぶと、カウンターの向こうから、小さな樽が飛んできた。
ガゴンゴルはそれを受け取り、樽から手酌で酒を飲んでいる。
樽でお代わりか……。どんだけザルなんだ、ドワーフ。
「ここが関係者席かい?」
並んで座る俺とゴンゴルに話しかけてくる、オールバックにスーツと眼鏡の行商人。因幡だ。
「なんとなく、そんな感じになっちゃったかもな。座るか、因幡?」
「ああ、そうさせてもらう。チケットもほぼ売り切ったし、俺もレースの観戦に回るよ」
「……ついでに聞くけど、賭けの予想ってどうなってる?」
「ゴシカ:レパルド:エ・メスが、3:2:1ぐらいの売れ行きだね。つまり人気の一位二位三位は、その逆だ」
「ゴシカが一番人気なのか。へえ、そんなもんなのかな? あの子がレースに強そうな気もしないけど」
「結局、ダンジョン内の勢力図に従って賭けが成立してるだけだから、人気順が実力順とは限らないさ。ゴシカに賭ける奴は生前が貴族とかで、金を持ってる場合も多い。レパルドに賭ける奴らは、金の概念がわかってない獣や虫もいる」
「そうか、賭けられてる額で差がついてるだけか……」
そんなふうに賭けの内訳を因幡に聞いていると、横にいたゴンゴルが絡んでくる。
「ワシはエ・メスにぶっこんだゾイ!」
「俺がチケットを売ったんだから、知ってるよ。それに、エ・メスに賭けたのは、殆どあんただけだしな」
「なんジャと因幡!」
「怒るなよ、あんたたちダンジョンマスターがモンスター共に人気がないのは、今に始まった話じゃないだろう」
「え? こいつらモンスターに嫌われてるのか?」
「そう疑問に思うことでもないだろう、グルーム。どこの世界でも、上司に好かれる部下ってのは難しいもんさ。そんなことより、あんたは誰かに賭けなくていいのか?」
何気なく因幡に投げた質問が、おかしな形で帰って来てしまい、俺は困惑する。
モニターの向こうにいる、ゴシカ、レパルド、エ・メス。この三匹が争ったら、誰が勝つのか。
俺が勝って欲しいのは……。今夜一緒に過ごしたいのは、誰なのか……?
「お、俺は賞品だから、そういうのはやめておくよ」
「なるほど、わかった」
俺に売りつけようとしていたラストチケットを内ポケットにしまい込み、因幡は小さく頷いていた。
「おお、そうジャ因幡! お主にはこれをつけてもらいたいのジャ!」
「……なんだい、それは」
ゴンゴルが取り出したのは、首からかけられる程度の大きさの、小さな太鼓だ。
「まあ、マジックアイテムのようなものジャな!」
「見たことのない品物だな。いや、確かヤマタイの霊媒師がこれと同じものを持っていた、か……?」
鑑定士のように商品を見定めつつ、因幡はその太鼓を首からかけた。
するとこの若き行商人は、即座にマイクをつかみ取り、声高らかに叫び出したじゃないか。
「さあ~! ではそろそろ準備も整ったところで、レースの開始と行きましょうか、スナイクさ~ん!!」
「……!?? ど、どうしたんだ、因幡?」
「どうしたもこうしたもありませんよ、グルームさ~ん! これから血沸き肉踊り骨折れて実を結ぶ、空前絶後の! 大!! レースが始まるわけですよ!!! 盛り上がっていきましょう!!!」
俺が不思議な顔をしてゴンゴルの方を見ると、おかしくなった因幡当人に代わって、ドワーフが事態を説明してくれた。
「レースの盛り上げ実況役がいたほうがいいと思ってな。おしゃべり好きの道化の霊が取り付いとる、呪いの品を因幡に装備してもらったと、そう言うわけジャ! 『イタコノタイコ』とか言う物らしいワイ!」
「は、はあ……」
「何をそんな奇妙なものを見るような目で、この因幡を見つめているんですか、グルームさ~ん! テンション低いですよ~!?」
普段はクールな因幡が、つばを飛ばしながらマイクに向かって声を張り上げる様子は、すごく見慣れない。
まさかこんなことになるだなんて思わなかったし、因幡自身も思わなかったんじゃないだろうか。
「さあスナイクさん、行きましょう~!」
声を張り上げている様子は楽しそうなので、そこはまだ救われてる、かもしれない。
一方、因幡に呼びかけられたスナイクは、スタート地点で花嫁三匹の馬を横一列に並べ、今まさにレースを始めようとしていた。
「ふむ、君たちは選手のゼッケン代わりにちょうどいいねえ。各自の行動に不正がないかどうか、見張っていてくれたまえよ」
そう言うとスナイクは、ゴシカが騎乗するナイトメアーから、ペラペラの三つのしもべを引き剥がした。
一つ目黒猫のデスロデムを投げつけ、ユニコーンの尻に貼り付ける。もちろん黒猫は抗議の声を上げた。
「ふニャ! 何をするニャ!」
「まあまあ、こちらも運営人員が足りないのだよ。協力してくれれば、後で君たち三つのしもべを元の厚さに戻すことも、やぶさかではない」
同じく一つ目蝙蝠のデスロプロスも剥がし、エ・メスの腰に貼り付ける。
「まあ、そういう条件なら、悪くないかもしれないザマスね」
「よろしくお願いいたします、蝙蝠の死骸様……」
「呼ばれ慣れない呼び名ザマス」
メイドと蝙蝠は、一応パートナーとして関係性を結ぶことが出来たようだ。
「しょーがねーニャー。おいメスネコ、せいぜいがんばるニャ」
「ふん、黙れ死体。臭いぞ」
レパルドはペラペラのデスロデムと、憎まれ口を叩き合っている。ネコ科同士はあまり仲良くできないみたいだ。
その間にスナイクは因幡と、二言三言の打ち合わせを終えていた。
「では残りの進行は、実況役の君に任せるよ」
「わ~かりました!!」
「こちらは一旦、裏方に回るとしよう……」
対抗戦の仕掛け役であるジジイは、その場からすっと立ち去りながら、枯れ枝のような指をパチンと鳴らす。それを合図に、因幡の絶叫が酒場に響き渡った。
「それでは開始しましょう、花嫁候補対抗レース!! スタートですーーーーー!!!」
一斉に走りだす、ナイトメアーとユニコーンとキャタピラ。
モニターの向こうは、馬の足音と機械の駆動音に包まれ、俺のいる酒場は、モンスターの鳴き声と乾杯の音でいっぱいになった。
「まずはダンジョンマスター謹製、トラップまみれの洞窟曲線コース! 開始早々敷き詰められたこれらの罠をかいくぐり、レースを優位に進めねばなりません! 見たところ九本脚のゴシカのナイトメアーが一歩抜きん出ているでしょうか、その後をレパルドとエ・メスが追う展開となっております!!」
こんな風に横で因幡が声を張り上げるので、俺としては結構鬱陶しい。
しかし場の盛り上げには実際役立っているし、状況がわかりやすいのも事実だ。
スタート直後の順位は人気順通り、ゴシカ、レパルド、エ・メスとなっているように見える。
「まったくお前はニャー。相変わらずちょっといいケツしてるからって、調子に乗ってるニャ。でもメスネコ、そんないいケツしててお前、実はしょ」
「もうレースは始まった、後にしろ!」
まだ言い足りないでいた一つ目黒猫の言葉を遮り、レパルドはユニコーンで洞窟を駆ける。
そのまま胸のジッパーをぐいっと爪で下ろして、雪豹柄のキャットスーツから、浅黒い地肌を露わにし始めた。
「おお~っとDr.レパルド、これは人気獲得の必死のサービスシーン発動なのかぁ~? どう思いますか、グルームさん」
「俺に振るな!」
レパルドは胸の谷間から二本の小瓶を取り出し、ゴシカとエ・メスの顔に投げつける。
「きゃっ!?」
「あっ……」
投げつけられた方の女王とメイドは、顔からシュウシュウと煙を吹き出し始めた。
「こ、これは~? もしかしてもしかすると~……? 煙幕? いや、違う! 酸!? Dr.レパルド、対抗馬の騎手に酸を投げつけました、えげつない!!」
「レースの妨害行為をしてはいけないと、老人が言わなかったものでな」
因幡の実況に一言応えて、レパルドのユニコーンは颯爽とトップを駆ける。
ゴシカは顔が修復するまで、スピードを落として後を追う形になった。
エ・メスに至っては、今の襲撃で壁に激突して、全く動かなくなってしまった。半ばリタイアしたようにも見える。
そしてこの強力な酸は、エ・メスの右目の眼帯をも、溶かしていた。