オハヨウ
「ご主人様……! ご無事で、しょうか……?」
メイドの呼ぶ声で俺は目を覚ます。
心配そうに見つめる、エ・メスとゴシカの顔。
周囲は瓦礫に満ちていた。
「だいぶやられたな、人間」
隣で呼びかける声がする。
それは、俺に同じく地面に横たえられた、レパルドだった。
「ここは……どこだ……? 何があったんだ……」
「どこだも何も、場所は変わっていない。魔窟だ」
確かに、壁や天井の各所が崩れているものの、よく見ればここは魔窟だ。
さっきまで転生チートとやりあっていた、ダンジョンの一角だ。
そこに俺は、三匹の花嫁候補モンスターと、共にいた。
「あたしたちの戦闘で怒ったリングズ先生がね、魔法を飛ばしてきて……こんなになっちゃったんだ」
……そうだ、昨日もそうだったよな。
魔窟での戦いに怒った、ここの主であるリッチーが、最奥部から魔法を放ったって。
それをエ・メスが受け止めたせいで、倒れたんだって……。
「相当……怒ってるみたいだな、ゴシカの魔法の先生は」
「うん。さっきグルームが出した爆弾が、奥の方に投げられて、ドカーンってなったじゃない? あれで怒ったんじゃないかなー」
「そうか……もしかすると俺のせいで、昨日よりもっと怒ってるのかもな……。いや、昨日? 今日……? どっちでもいいや、あいててて……」
「ご主人様……わたくしが最後までお守りできず、大変申し訳ございません……」
申し訳無さそうに頭を下げるエ・メスに、俺は声をかける。
「いや、でも……俺を守ってくれたのは、エ・メスなんじゃないのか? あんな魔法を受けたら、ひとたまりもないってのに……この程度の傷で済んでるんだから」
立ち上がることすら出来ないほどのダメージを負ってはいるが、それでも俺は生きている。腕や足も残っている。とりあえず、五体満足だ。
ダンジョンの壁や天井を崩壊させるような魔法が過ぎ去った後にしては、負傷は少ないほうだろう。
「いいえ、皆様をお守りしたのは、わたくしではございません……お姫様にございます……」
「え? ゴシカが?」
「うん。リングズ先生が怒って魔法を飛ばして来るのに気づいて、負の波動を負の波動で、打ち消し合ってみたの。割と安全に済んで、良かったよね!」
「そうか、同系統で打ち消し合いか……。それでダメージがこの程度で済んだってことか」
「まともにあの魔法を食らったとしたら、貴様もわたしも死んでいたかもしれん。ゴシカに守られなかったものの末路を、見る限りはな」
レパルドがアゴで示す先には、必死で祈りを捧げる女性がいた。
倒れた騎士に寄り添う、小柄な聖女が。
「おお、神よ。神に愛されし神の子たる騎士フィルメクスを、救い給え。おお、神よ。神に愛されし神の子たる騎士フィルメクスを、救い給え。おお、神よ。神に愛されし神の子たる騎士フィルメクスを、救い給え……」
奇跡を願い続けるその姿を遠目に眺めながら、レパルドは言う。
「転生チートとやら、つがいの女を守って、倒れたようだ」
「死んだ……のか?」
「いや、どうやら祈りが功を奏しているな。チートの持ち前のステータスと、あの祈りがあれば、死にはしないだろう」
「……ってことは、このままここにいると、起き上がってきたチートとまたやりあわないといけないのか……? い、今のうちに、逃げないと……」
起き上がってみるものの、体がふらふらする。その場で倒れかかると、エ・メスとゴシカが受け止めてくれた。
「立つな、人間。わたしや貴様は疲労の蓄積が激しい。おいそれとここから動くことも出来ない……」
「って言ったって、ゆっくり寝てるわけにも行かないだろ、レパルド。装置の時間制限もあるんだし。日付が変わる前には、あの部屋に戻らないと……いてててて」
言ってるそばから体が痛む。
傷や怪我による痛みというより、生命力を奪われたような脱力感だ。ゴシカが相殺してくれたとはいえ、負の波動の影響は残っているようだ。
チート騎士はこれを全身で受け止めて、相棒の聖女を守ったのか。体がボロボロになっているのが、ひと目でわかった。
「……癪なものだな。チートは沈んだが、結局まともな一撃は与えられなかったか。予測されていたデウス・エクス・マキナの介入に頼らねばならんとは」
眉をひそめ、レパルドは口惜しそうにしている。
『予測されたデウス・エクス・マキナ』ってのが何のことかは俺にはよくわからなかったけど、多分リッチーの魔法のことだろう。
「あの魔法からエ・メスを逃がすためにここに来たはずなのに、逆に助けられた形に……なったわけか。あながち助かったとも言えないけどな、その衝撃で歩くこともままならないんだから……」
「安心しろ、人間。良い医者を呼んである。我々はしばし休むこととしよう」
「……良い医者? レパルドが休んで、代わりに良い医者が来るって……一体誰だよ?」
「おーい、グルーム! お医者さん連れてきたぞー!」
魔窟に現れたのは、ピットだった。
その隣には、Dr.レパルドがいる。
「今日のわたしを、盗賊に連れてこさせた。これ以上良い医者はいないだろう。自分のことは自分が一番よくわかる」
「はは……。そりゃあ、確かに……だな」
「おい、盗賊。これはどういうことだ。どうしてもわたしに見せたい患者がいるというので来てやったが、何故ここに、わたしがいるのだ」
「頼んだぞ、わたし。わたしはもう寝る」
「不遜な態度で寝てしまうとは……。ふむ、これはわたしだな」
レパルド同士のやりとりを見ながら、俺はそのまま目を閉じた。
次に目を開けた時には、俺はエ・メスの背に負われていた。
場所は、ダンジョンの奥深く。『あらゆる願いを叶えうる宝』こと、時間を移動する装置がある地下の一室に向かう、あの道だ。
ゴシカにレパルドが背負われているのも見える。一行の先導は、ピットが行っているようだ。
「だいぶ……楽になったよ。もう下ろしてもいいよ、エ・メス」
背中越しに話す俺の声を聞き、エ・メスが応える。
「ご主人様……お目覚めになったのですね」
「今ってこれ、元の時間に戻ろうとしてるんだよね? どうせエ・メスは一緒に来れないんだし、屋敷にでも戻りなよ。俺、歩けるからさ」
「いえ……心配です。わたくし、ご主人様を目的地までお届けし、お見送りしたいと……思っております」
そう言う今のエ・メスの背中には、傷はない。
これで、もう……安心かな。
地肌が露出したその背に体を預け、俺はもう少しだけ、眠った。
こうして俺たちは、ダンジョン最下層の一室に辿り着いた。『あらゆる願いを叶えうる宝』がある、あの部屋に。
騎士と聖女の二人組と戦い、リッチーの魔法を受けて、治療を施してここまで来たら、もう既に時間はギリギリだ。
『残り一分です』と小さなカウント女神がつぶやくのに急かされ、大きな女神像の手のひらに、俺たちは座り込む。
「行ってらっしゃいませ……ご主人様」
エ・メスが頭を下げると同時に、俺たちはふたたび、時間を超えた。
九万九千九百九十九日前に一度戻り、女神の手のひらから動くことも出来ず、一瞬で十万日の時を戻っていく。
薄紫の奔流が、視界と脳内を支配した。そんな中で、俺は……また、幻を見ていた。
夢かもしれない。夢じゃないかもしれない。
思い出かもしれない。これから起きることなのかもしれない。
視線の位置は、とても低い。小さな子供の目の高さで、酒場の看板を見上げている。
今度はひとつ、わかったことがあった。
そうだ、この男の子は、俺だ。
じゃあこの男の子と話している、同い年ぐらいの女の子は……誰だ。
酒場の前で、男の子は言った。
「じゃあ俺、冒険者になるよ!」
「うん、待ってる。そうしたら結婚、しようね」
楽しそうに笑う女の子の薬指には、クローバーをよじった指輪が、はめられていた。
「いつかまた、会えるといいね」
女の子は、言った。
「会えるよ、冒険者なんだから。旅を続けてれば、きっとな!」
男の子は、そう答えた。
時間と幻を飛び越えて。
昨日と今日と、十万日と九万九千九百九十九日を飛び回って、俺たちは帰ってきた。
本来俺たちがいた、“今日”に。
女神の手のひらには、不思議な長旅を共にした連中が、乗っている。
俺に笑いかけてくる、ゴシカ。
装置の動きに目を配る、レパルド。
口を尖らせている、ピット。
そんな俺たちを出迎えるために、奴らは待ち構えていた。
ダンジョンマスターのディケンスナイクと、ガゴンゴルだ。
痩せぎすのっぽとチビデブドワーフの、このジジイ二人組は、いつものニヤニヤ笑いで俺たちを迎え入れたのだ。
「お帰り、勇者様ご一行。君たちの働きについては、助けられた彼女から、既に聞いているよ」
「やったようジャな、花婿よ! ガッハッハ!!」
「ってことは……エ・メスは、もう、大丈夫なんだな?」
この装置で昨日に向かう前までは、ぶっ倒れて死んだも同然の状態になっていた、エ・メス。
チートとの戦いに介入し、事態を収拾して改めて戻ってきたこの“今日”では、彼女は一体どうなったんだろう。
疑問に思う俺の目前で、ジジイ二人がすっと二手に別れる。
するとその後ろからメイドが現れて、こう言った。
「お帰りなさいませ……ご主人様……」
無表情で頭を下げる、エ・メスの姿。
それを見たゴシカは、ニコニコ顔で俺の肩を揺すり、「お帰りなさいだって、グルーム!」と声をかける。
なんだか気恥ずかしくなりながらも、俺はメイドに返事をした。
「は、ははは……。た、ただいま」