森と獣と女医1
――そうやってダンジョンに放り込まれるまでの経緯を思い出している間に、俺は血塗れの道を逃げ帰り、あのジジイどもに見送られた場所へと戻ってきた。
この場所でのあいつらとの出会いも、さっきのノーライフ・クイーンのことも、別に思い返したくもなかったけれど。
そんな俺の気持ちを汲んだのか、二人のジジイはもう既にこの場にいない。
会えないとそれはそれで寂しい、なんてことはみじんもない。
とはいえ問題は残る。俺はこれから、どうすりゃいいんだ。
出口を探したが当然のように出口はない。道が三つ残るだけだ。
ひとつは今逃げ帰ってきた、血濡れの道。あとの二つは……どっちがいいんだ……?
ええい、悩んでても仕方ない。俺は困難を退けてダンジョンを突き進む、冒険者だぞ。
吸血鬼の女王はさすがに相手のしようもないが、他の道になら希望が残っているかもしれない。気を引き締め直し、俺は密林の道を進むことにした。
大体ダンジョンの中といえば、むき出しの岩肌と地下の薄暗さの影響で、静かで肌寒いものなのだけれど。この道は違った。
まるで森や密林のようにニョキニョキと伸びている植物が影響しているのか、妙な暑さと、まとわりつく湿気が場を支配している。
その上、猿か何かの野生動物の咆哮まで聞こえてくるのだ。
俺はここが地下洞窟であることを、一瞬忘れてしまいそうだった。
しかしその錯覚も、すぐに終わりを告げることになる。
葉をかきわけながら道を進んでいると、ひときわ広いドーム状の場所に足を踏み入れることになった。高い天井から陽が注ぎ、手に持つランタンの明かりも必要ない。
その広い空間は、いままでの窮屈な環境に比べると、両手両足を自由に伸ばして楽に過ごせそうな場所だった。
だが、両手両足を伸ばして楽に過ごしているのは、何も俺だけじゃなかった。
身の丈数メートルもある巨大なカマキリと、同じく巨大な蜂が待ち構えていたのだ。
モンスターだ! ダンジョン恒例、出会い頭の巨大モンスターだ!
しかも相手はジャイアントモンスターの系統でも、ある意味一番タチの悪い、巨大昆虫の類だ。
その身体能力も恐ろしいが、外殻の硬さは鋼鉄の鎧並。元が虫なだけに、機械的に襲ってくるさまが何より恐ろしい。
何の準備もなく突然の巨大昆虫に遭遇した俺は、とりあえずその場から逃げようと試みた。
すると空を自由に飛ぶジャイアント・ホーネットは、羽ばたきとともにすばやく回りこんで、退路をふさいでしまう。
「わ、わわ」
どうしよう。えーっと。いや、冷静になれ!
この場で判断を誤ると、命に関わる。
強引にでもこの場を逃れるべきだと判断して、片手半剣を振りかざし、ジャイアント・ホーネットに切りかかった。
俺はろくな実戦はしてきていない。
だが、練習も欠かしていない。冒険者としての基礎はきっちり学んできている。
こいつを倒せなくても、この場から逃げるくらいなら出来るはず!
「くらえ!」
力を込めて、上段からすばやく剣を振り下ろす。
蜂の腹部を正確に捉えたはずの一撃だったが、振りかぶった剣は周囲の葉の類に邪魔されて、本来のスピードを発揮できない。
剣戟は蜂の針に器用に跳ね返され、その反動で俺はよろけてしまった。
「え、剣の一撃を止めた? 何だコイツ」
俺の知る限り、剣を打ち合うかのようにして針で攻撃を受け止めるジャイアント・ホーネットだなんて、聞いたことがなかった。
更に驚いたのは、よろめく俺の体を抱きとめた存在がいたことだ。
それは背後にいつの間にか忍び寄っていた、ジャイアント・マンティスだった。
カマキリの鎌状の前足に両腕を捕獲され、俺の体は身動きが取れなくなってしまう。
「ええ、こいつら連携まで取れてる? 虫のクセに? なんでだ?」
しかしやはり相手は虫、こちらの疑問に言葉で答えてくれるわけもなく、ただ距離をじりじりと詰めてくる。
カマキリに自由を奪われたまま、蜂の一刺しがついに、俺の腹めがけて、突き立てられようとしている……!
ああ、なんだかわけもわからないまま、このダンジョンの中で俺は命を失うのか?
納得はいかないけれど、せめて死ぬ覚悟だけは決めて、目をぎゅっと閉じ、その瞬間を待った。
だが、万事休すと思ったそのときだ。その場に、凛とした女性の声が響き渡った。
「やめろ! 徒に人間との関係を悪化させるな!」
動物たちの奇妙なうめきが響く場には、あまりふさわしくない、すーっと通るような女の声。
どうしたことかと思いつつ目を開くと、ドーム内に生えた一本の巨木に女性が立ち、こちらに呼びかけているのだ。
首から下を覆い尽くす、白い豹柄のキャットスーツに身を包んだその女性は、樹上からすたっと地面に降り立った。長い金髪を揺らしつつ、こちらに歩み寄ってくる。
「今はまだ、人間と揉め事を起こす時期ではない。離せ」
そう言いながら女性は、俺を捕まえていたジャイアント・マンティスの鎌を、強引に片手で振りほどいた。
ジャイアント・ホーネットに関しても、針の部分を素手で掴んで、悠々と制止する。
相手が昆虫のモンスターとは思えないほどの、淡々とした処理だった。
「すまなかったな、人間。部下のしつけがなっていなかったようだ」
口では謝ってはいるが、ほとんど謝意が感じられない高圧的な態度。
その高圧的な態度を際立てるかのような、キリリと整った顔立ち。眼鏡の奥の冷静なまなざし。厳しい口調。
真白いキャットスーツと対照的な、褐色の肌も印象的だ。
この女性、何者だ?
「お前たちには少しだけ仕置きだ」
女性は爪を立てて、巨大カマキリと巨大蜂を、ザクザクと掻き切る。
巨大昆虫たちが痛みに対して「モギュアー!!」と聞いたことのない声を上げるも、女性は眉ひとつ動かさない。
「そう叫ぶな、たいした傷ではない」
……いや、本当にこの女性、何者だよ。