三日目(改)1
先ほどまで視界の端にいた、起動前のエ・メス。その姿はもうなくなり、彼女の背後にいたような気がした、小さな人影も見当たらない。
俺たちは同じ場所から全く動いていないように見える。だが実際は、謎めいた文様に囲まれたこの最下層の一室で、九万九千九百九十九日間を飛び越えているはずだ。
「恐らく、うまくいった」
女神像の顔や指先に浮かんだ文字を確認して、Dr.レパルドはそう言った。
十万日前に行ってしまうという、あまりに大きな回り道はしたけれど。ようやく俺たちは昨日に戻ることに成功したようだ。
「よし、じゃあ……行くか」
連なって部屋を出る、俺とゴシカとレパルドとピット。
来た時にはこれに追加してジジイ二人と、三つのしもべも潜みながら付いてきていた訳で、結構な大所帯だった。
しかし今は四人。なんだか帰り道が静かに感じられる。
と思ったその時だった。部屋を出るためにハシゴを昇り始めた俺の隣から、見知らぬ女性の声がした。
『装置を離れました。残り時間、あと12時間47分です』
声のした方を向くと、そこには顔をヴェールで隠した、あの女神像がいた。
いや、俺たちを手のひらに乗せていたあの女神像とは、一見してだいぶ趣が異なる。そのサイズはまるでフェアリーのように小さく、全身含めても俺の顔と同じぐらいの大きさしかなかった。
そして、謎の時間を一言告げた後、小さな女神は薄紫の光になって消えてしまう。
「……何だ、今の?」
「カウンターだな」
ゴシカの背の上にいたレパルドが、俺の疑問に答える。
多忙な医者は来た時と同じように、女王におんぶされて、眠って移動するつもりだったようだ。
寝てしまう前に、気になることの確認が出来たのは良かった。
良かったけど、これからが本番っていうところで、寝るなよ。まだそんなに眠いのか。
「カウンターって……何だよ、レパルド?」
「時間を超えるあの装置には、自動で元の時間に戻る機能が付いていると、老人が言っていたな」
「ああ、だから過去や未来に置き去りになることは、ないって」
「どうやら帰還のシステムは、強制的に作動するようだ。日付が変わるその瞬間に、女神の手の上にいるものを、元の時間へと帰すようになっているらしい。渡された取説にはそう書いてある」
胸の谷間からメモを取り出し、俺に見せつけるレパルド。
こちらはハシゴに手をかけて昇り始めたところだったので、上から谷間をモロに見てしまった。思わず目をそらしてしまう。
「え、えっと。そうか、じゃあさっきのカウント女神が12時間後って言ってたから……半日ぐらいしたら日付が変わるってことか。今ってお昼ぐらいなのか?」
「だろうな。眠いだけでなく、わたしは腹が減った。寝てやり過ごす」
「お、おいレパルド?」
「ぐう」
ゴシカの背中に爪を食い込ませ、レパルドは運搬物モードに入った。気さくな女王様がアンデッドなのをいいことに、爪をグッサリ差し込んで、熟睡している。
獣人一人を背負った状態で、ハシゴを昇るゴシカも大概だ。二人とも人間離れしてるよな……当たり前だけど。
こうして俺たちは、先頭の俺、真ん中のピット、レパルドを背負ったゴシカを最後尾という布陣で、ハシゴを登り続けた。
最初はピットがしんがりだったけれど、ゴシカがスカートなので順番を変えることになった。
「そういう服装ってのは冒険に向かない格好だよな」とはピットの弁だ。
正しい意見だけれど、ゴシカは冒険者じゃなくてモンスター側なんだから、まあしょうがないのかもしれない。死体のお姫様だし、ドレスだって着る。
やがてハシゴを登り終え、行きにも通った細長い洞窟に、俺たちは足を踏み入れる。
狭い通路とはいえ、ハシゴの一本道に比べれば窮屈じゃない。軽く体を伸ばしつつ、俺は皆に、これからの方針を再確認した。
「戻るまでの時間制限があるみたいだから、やることやって、とっとと帰らないとな」
「まーでも、まだ時間は12時間ぐらいあるんじゃん? 往復とはいえ割と余裕でしょ。ちなみにこれからグルーム達は、何をどうすんの?」
昨日の状況をよく知らないピットが、説明を求めてくる。
そこで俺は簡単に、転生チートのいけ好かない騎士がアタックしてきたことや、その戦いのさなかにエ・メスが倒れたこと、今度は倒れる前にエ・メスを救い出そうと思っていることなどを、改めて話してやった。
「ふーん……。そんなことがあったわけだ。で、エ・メスが倒されないようにうまくやり過ごして、また明日に戻れば、息を吹き返すってことね」
「そんなところだな。転生チート共をうまくやり過ごすっていうのが、実は結構ハードル高そうなんだけど……」
「そんな面倒臭いことやってまで、見返りあるのかなー。大事な宝は、もうこうして使っちゃったわけだし。エ・メスが他にもお宝の情報握ってるんなら、起こしがいもあるんだけど」
ピットはこの期に及んでまだ、別の宝を手に入れる可能性を諦めていないらしい。こいつのこういうところは、見習いたいと、たまに思う。
「ん? 転生チートをやり過ごす?」
「どしたの、グルーム」
ピットと話していて俺は、ふいに思い出した。昨日ゴシカが、執拗に転生チートたちをやり過ごそうとしていたことを。
「そういやゴシカ。どうしてあの王宮騎士団の連中に、“自分がノーライフ・クイーンだ”ってバレたくなかったんだ? 後で説明するって言われたけど、あれからバタバタしてて、説明聞いてなかったよ」
「あ、それね? うん、ちょっと話すと長くなりそうだったから」
「どうせこれから、一度来た道を戻らないといけないんだし。その間に聞かせてくれよ」
「うん、わかった! あのね、あた」
話しかけていたゴシカの顔に、チェーンで釣られたトゲ鉄球が勢い良くぶつかった。
鉄球が通りすぎた後、そこには、首がなくなった美少女の残骸が立っていた。
ゴシカの背中で寝ていたレパルドは、いち早く危険を察して、既に飛び退いている。
「ひいいいぃ!」
驚く俺とピットに向けて、トゲ鉄球は振り子のように、再びブーンと舞い戻ってくる。
とっさに身を伏せてそれを交わすことには成功した。だが、鉄球についていた付属品が、しゃがみこんだ俺達の目の前に転がり落ちてくるところまでは想像していなかった。
転がり落ちてきたのは、ゴシカの頭だ。顔が半分、潰れてなくなっている。
「って言う訳で、あの人たちはあたしのことを探してるらしいんだけど」
「ひいいいいいいい!!?」
何事もなかったかのように、屈託のない笑みを浮かべて話を続けている、ゴシカの顔半分。あまりの恐ろしさに、ピットと抱き合って悲鳴を上げてしまった。
「グ、グロい! おえーっ! おええーっ」
「どうしたの二人とも? ピット、お腹痛くなっちゃった?」
「ど、どうしたもこうしたも良いから、ゴシカはそのままの状態でしゃべり続けるのをやめてくれるかな……?」
正面からまともに見てしまったピットは、吐き気を催している。ここ数日の暮らしでだいぶ慣れた俺だって、思いっきり目をそらした。
これならさっきのレパルドの谷間なんかのほうが、よっぽどじっくり見ていられる。目をそらすの次元が違うぞ、これ。
「うっへー……。こりゃあこっから先の道中、困ったぞ……」
「そ……そう言うなよピット。時々こういう恐ろしいことも起きるけど、少しずつ慣れていくから……さ」
先行きを不安がる盗賊に対し、ダンジョン先輩としての言葉を、俺は投げかけた。
嫌な先輩だ。別にそんなのになりたくなかった。
「違うって。その子の突発グロっぷりも大概だけど、ボクが言ってるのはそっちじゃなくて、罠の方だよ」