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百年の孤独

 ゴシカが朝の挨拶とともに現れたのは、そのすぐ後だった。

 いや、だいぶ後だったかもしれない。その時の俺は、突然の出来事に心を奪われて、時間間隔がよくわからなくなっていたから。

 急ぎ足のディケンスナイクを引き連れて、ピットも同様に駆け込んでくる。

 俺はあまりうまく言えなかったものの、なんとか今の状況を説明し、彼らにその後の対応を任せることにした。

 だけどそこにも、一縷の望みはなかった。


 昨日は鮮血の魔術でエ・メスの一命を取り留めたゴシカだが、彼女の本来の専門分野は、死と負の魔法だ。こうした状況には向いていない。

 スナイクは持ち込んだ工具で出来る限りの修理を行い、細かい作業はピットにも手伝わせ、いつになく真剣にエ・メスの復旧作業にあたっていた。

 ドワーフの鈍足故に、遅れて登場したガゴンゴル。走って汗まみれの老ドワーフが発した、「エ・メスは無事なのか!?」の声に、スナイクは応える。「いや、だめだ」。

 静かに響く、痩せた老人の枯れた声には、有無をいわさない説得力があった。


「ログを見る限り、昨日のエネルギー消耗が著しい。魔法による衝撃だけでなく、刀剣の跡も幾つか見受けられる。どうやら機構部と生体部のリンクも、一部切れていたようだよ。断続的に呼吸器が停止し、生命維持装置が支えていた形跡がある」

 スナイクが述べる言葉に対して、ゴシカが決定的な問いを発した。

「エ・メス……死んじゃったの?」


「現在、ゴーレムとしての全機能を停止しておるよ。まあ有り体に言えば、死んだと言って差し支えないかね」

 非常な返答が、スナイクから発せられる。

「まったく……阿呆なやつジャ!!」

 ガゴンゴルは座り込み、声を荒らげ、床を叩いた。苛立ち混じりの怒声だった。


「クソッ……昨夜から様子はおかしかったんだ。もっと早く、俺が……誰かを呼べばよかったんだ。俺が、エ・メスと一緒にいたんだから……」

「……だがそれは仕方のない事だ、グルーム。君とともに夜を過ごすことを、エ・メスが望んだのだよ」

 俺にそう語りかけるディケンスナイクの口元には、いつものいやらしい笑みは浮かんでいなかった。

「エ・メスが……俺を、望んだ……?」


「実はだね。昨日深夜、この子はわたしたちの元にやってきたのだよ。事後処理対応を行うために」

「……真夜中にな、転生チートのおこぼれ狙いの冒険者共が、ダンジョンに押し寄せて来よったんジャ。そこのガキのような奴がジャ」

 ゴンゴルに言われて、申し訳無さそうに手を挙げるピット。


「だって、冒険者としてはタイミング的に狙わなきゃ損じゃん? チートの化け物がアタックした後のダンジョンなら、モンスターもトラップも減ってるだろうし。手薄なうちに攻め込まないとさー」

「まあそれも冒険者の道理さ。だからわたしはわたしの道理に従い、それを迎撃した。屋内ドームでの清掃を終えた後、通路や部屋に新たな罠を設置し、夜襲をかける冒険者たちを退け続けた」

 よく見ると、スナイクとゴンゴルのダンジョンマスター二人には、怪我の跡が見え隠れしている。

 昨日の騒ぎは屋内ドームの衝突で終わったかと思っていたが、あの後にまだ一仕事、あったんだろう。ダンジョンマスター本来の、仕事が。


「ピットの言うことも、もっともジャ。財宝狙いの連中が攻めこむには、昨夜はうってつけの機会だったからのう。ワシらも骨が折れたワイ」

「そこで、わたしとゴンゴルでは手が回らない分を追い払うために、エ・メスが手伝いに来たというわけだよ。我々が呼んだわけでもないのに。ゴーレムとしての本能のようなものが、働いたのかもしれんがね」

「じゃあ……なんだ? エ・メスは昨日の夜、あの体でまだ戦い続けていたってのか?」

 リッチーの魔法を受けて傷ついた体で家事をこなし、いつもの力もろくに発揮できなかった昨夜のエ・メスを思い返して、俺はスナイクにそう尋ねた。

「ああそうさ、セーフモードを解除してね。わたしもゴンゴルも止めたがね。安静にしてのメンテナンスも薦めたさ。だがエ・メスは聞かなかったのだよ。ダンジョンを守る事に、心血を注いだのだ」


 冒険者を撃退し、ダンジョンマスターの元を離れる際に、エ・メスはこう言ったそうだ。

「わたくし、自らに与えられたもっとも重要な役目を、ついに……果たせるような気がしております……。申し訳ございません、大旦那様……これよりご主人様のお屋敷に、戻らせていただきます……。朝食のご用意も……したいですものね……」


 思い返しながら、老ドワーフは猛った。

「今思えば、あの時もっと強く、引き止めておくべきだったんジャ!」

「そう嘆くなゴンゴル。あの時点で引き止めても、恐らく停止までの時間を数日伸ばせた程度だろう。動けなくなる前にやるべきことを果たせたというのであれば、それはそれでエ・メスも本望なんじゃあないかね」

「だとしてもジャ。だとしても……引き止めたかったワイ」

「……ああ、そうかもしれないねえ」

「年を食っても……変わらんもんジャ。失くした時にならんとわからんもんかのう。なんジャ、ワシにとってエ・メスは、いつの間にか、娘みたいなもんだったんジャな……」

 再び床に拳を打ち付けるゴンゴル。握った手を静かに、押し込むように。思いを噛みしめるように。

 その目には、涙が浮かんでいた。


「……そうだ。俺、これを拾ったんだ。これ、何かに使えるんじゃないか?」

「なんだね、クリスタル?」

 俺が拾った紫水晶を取り出すと、顎に手を当ててスナイクが覗き込む。

「エ・メスの目から出てきたんだ。今も左目にはまだ、何か文字が浮かんでるだろ? これはその文字の一部だったんだよ」

「ふうむ。部品の類ではないね」

「お宝かな?」

 宝の匂いを嗅ぎつけて、ピットが口を挟む。するとしたり顔で、スナイクが返答した。


「あいも変わらず、盗っ人は目ざといねえ。だがご明察、確かにこれは宝の一部だろうね」

「えっ、ジジイマジで!? グルームやったじゃん! 宝だって!」

「その話は後だ、ピット。それよりこの紫水晶と瞳の文字を見て、何かわかる奴はいないのか? きっと意味があると思うんだよ」

「古代文字だと思う……けど、呪文とかじゃないっぽいよ? あたしは知らない言葉みたい、ごめん」

「オーパーツによく書いてある部類の文字ジャな。昔勉強したんジャが、どうにもこいつは解読が厄介なんジャ」

 ゴシカやゴンゴルが確認するも、答えが出る様子はない。

「我々は語学は専門ではないからねえ。だが、その方面にも詳しい人物が到着したようだよ」

 スナイクが視線で促した先には、白衣をまとった女医が立っていた。


「昨日の騒ぎでまだ睡眠が取れていないというのに、無理に呼びつけるとは、どういうことだ」

 踵の細い靴音を鳴らし、しかめた眉でソファーに歩み寄ってくる、Dr.レパルド。

 首を伸ばしてエ・メスの瞳を覗き込み、ひと目でそれを解読する。

「これは、このゴーレムの名前だな。『エ・メス』と書かれていたうちの一文字が抜け落ち、その紫水晶になったと見える」

「名前の……一部? この紫水晶は、エ・メスの名札みたいなものってことか?」

「ああ。どうやら文字が減って、今ではこのゴーレムは、ただの土くれと化したようだ」

「土くれって……お前」

 レパルドの無神経な言いぶりにカチンと来た俺だったが、奴は構わず、スナイクに話を向ける。

「それで、どうなのだ。ゴーレムは完全に死んだのか」

「いや、実は完全に死んだというわけではない」

「えっ!?」

 その場にいた、スナイクとレパルド以外の全員が、驚きの声を上げた。


「ど、どういうことジャ! お主のそぶりからして、ワシはてっきりエ・メスが死んだものと思うとったんジャぞ!」

「わかりやすく言うならば、エネルギー切れだよ。エ・メスはエネルギーが再び充填されるまで、動くことはない」

「ってことは……今すぐエネルギーを入れれば、目を覚ますのか?」

「それがそう簡単には行かないのだよ、グルーム。エ・メスは自動的にエネルギーを蓄える機能が付いているのだが、それには一定の時間を要する。これが痛し痒しでね。放っておいても滅多にエネルギーは切れはしないが、一度切らせばそれを満たすのには、多大な年月をかけねばならない。それまでは、死んだも同然の状態だ」

「多大な年月って、具体的にどれぐらいだよ?」

「恐らく百年はかかるだろうねえ」

「……百年?」

 一瞬の喜びもつかの間、俺は言葉を失ってしまった。


「百年かぁ……。ドワーフが長生きとはいえ、ワシの年ではもう、会えんか……」

「もちろんわたしもだよ、ゴンゴル。お前が随分とショックを受けているようだから、ダメ押しになるようなことは伝えなくてもいいんじゃないかと思っていたんだがね」

「それはお主もジャろうが、スナイク。いつになく落胆しとるワイ」

「そうかねえ。そうかもねえ」

 年寄り同士でしんみりと話しているが、俺だって状況は変わらない。

 百年。

 当たり前だが、百年は長い。俺だってきっと、生きていない。


「そっかあ、良かったー。百年後にまた、元気なエ・メスに会えるんだ!」

 喜んでいるのはゴシカぐらいだ。彼女からすれば、百年後も現実的な未来の範疇なんだろう。

 だけれど、生きている俺たちからしたら……百年間停止して、その後また動き出すと言われても。死んでいるのと、あまりショックは変わらない……。


「なるほど。ではゴーレムはこれで、花嫁レース脱落ということだな」

 冷たくレパルドが言い放ったそのセリフは、俺の心をえぐった。

 ぐらっと、怒りが沸き立った。


 何だろう、この怒りは。

 俺はエ・メスのことが好きだったのか?

 それを今の言葉で、バカにされた気がしたのか?

 それとも、何も出来ずにエ・メスが死ぬ様子を眺めていた自分が、不甲斐なかったからか?

 理由はよくわからない。だけれど、怒りの矛先はレパルドに向いた。


「お前なあ! そんな言い方ないだろ、酷すぎるだろうが!」

「わたしは事実を述べたまでだ。冷静になれ、人間」

「『冷静になれ』じゃねーよ! この状況で、そのすました態度が気に食わねーっての!」

「努めて冷静であることが、処置をする医者の勤めだ。特にわたしは獣人だからな。感情をコントロールしなくては、すぐに激情に飲み込まれてしまう」

「何が……何が処置だよ。エ・メスは実質死んだようなもんなんだろ! 医者のお前に何か処置出来ることがあるのかよ!!」

「ある」

 レパルドは鋭い目で、俺をキッと睨みつけた。


「百年後に動き出すというのであれば、それまでこのゴーレムの生体部は保っておく必要がある。急いだほうがいい、誰かわたしの書斎からモンスターの解剖図一式を持ってこい。これほどまでにキメラ状にパーツが入り交じっていては、どこをどうするべきか、わたしにもすぐにはわからない」

「……なるほど、手伝おう」

 スナイクとゴンゴルが、即座に居住まいを正した。

「貴様は頭を冷やせ、人間。特殊な医療処置に必要そうな物品・薬品のリストアップは、ここに来るまでに済ませておいた。因幡を探せ、これを購入しろ」

 押し付けられたリストには、拙い字がぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。

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