少々複雑にございます
「ねえグルーム。エ・メス死んでんだけど」
揺り起こすピットの声で目が覚めた。
いつの間にかこの盗賊は屋敷の中に入り込み、俺を起こしに来たらしい。
「……お前? どうしてここに……」
「いやほら、昨日聞き耳してたら爆弾でぶっ飛ばされたから、その腹いせに何か盗んでやろうかってことで侵入してさ」
「あ、ちょ……ちょっと待て。それよりお前、起こす時なんて言った? エ・メスが」
「だからエ・メス死んでるって」
寝ていた頭と体は一瞬で覚醒した。
ピットに案内されるままに、俺はキッチンに向かう。
奴が言うには、今朝方この屋敷への侵入を試みたところ、思いのほか邪魔も障害もなく入り込むことが出来たらしい。
そのまま邸内を物色していたら、エ・メスが倒れているところに出くわしたんだそうだ。
移動とともに、蒸かした芋の匂いが近づいてくる。
キッチンにたどり着くと、作りかけの朝食から湯気が立ち上っている。
そこでエ・メスが倒れている。
横たわる姿には力はない。背中の傷も癒えていない。再生能力が、停止していた。
「エ・メス! お前……ど、どうしたんだ? お、おい」
駆け寄って話しかけるが、返事はない。手に触れても顔に触れても、反応もない。
「ピット、これ……死んでるの……か?」
「わかんないよ。でも心臓も動いてないし、息もしてないし、死んでんじゃないの?」
「って言ったって、この子はもともとゴーレムなんだし……それで生死が判断できんのか……?」
「エ・メスって体中、モンスターのパッチワークなんでしょ? 生身の部分もあるじゃん。メシも食うみたいだしさ」
たしかに、一緒に何度か飯は食った。昨夜もだ。
だけど昨夜の事を言うなら、コショウの時は平気そうだったよな……。飛び散ったコショウで俺はくしゃみに悩まされたが、エ・メスは苦しんでいなかった。
ということは、もともと呼吸なんてしていないのか?
ダメだ、俺にはわからないぞこれは。
「ねえグルーム。昨日エ・メスと二人で、大事そうなこと話してたでしょ。あの時にでも宝のありか、聞き出せた?」
「い、いや。重要っぽい情報は聞いたけど、そこまでは」
「じゃあヤバイじゃん! このままエ・メスが死んじゃったら、二度と宝の情報が得られなくなるかもしれないよ! 困ったなー。なんか蘇生の方法とかないのかなー」
「ピット、誰か分かりそうなやつ呼んできてくれ! 多分ジジイどもか、じゃなきゃレパルドならわかるかもしれない」
「オッケー! この状況であいつらの力は借りたくないけど、ま、しょーがないよね」
「俺も誰か、手当たりしだいに呼んでくる」
「グルームはそこにいな! 何かあった時に誰もいないより、いたほうがいいでしょ。だいたいアンタ、ダンジョンの構造わかんないから、一人で出歩いたら迷子になるよ?」
その言葉に俺が何か答えを返すよりも早く、ピットは盗賊ならではの俊足で、走り去った。
屋敷の中には、またもや俺とメイドの二人だけが取り残された。
……どうしよう。
せめてソファーに運ぶか……。
エ・メスが頑丈過ぎて、彼女の治癒力に任せていたけれど。
こうして間近で見る背中の傷、痛々しいよな。
包帯だけでも巻いておくか。
包帯、どこにあるんだろう。
俺、ダンジョンどころか、この屋敷の事もよく知らないよな。エ・メスに任せっきりだったもんな……。
あ、いや! そうだ! ゴシカを呼んでこよう!
魔法を使える奴がいれば、何か処置が出来るかもしれない。地下の棺桶で寝てるはずだよな? それならものの数分もあれば連れてこれるだろう。よし、急いで――。
『予備電源、作動しました。残り三分です』
ゴシカを呼ぶためにその場を離れようとした俺を、引き止めるかのように、声が聞こえた。
エ・メスから発された声だ。
振り向くと、ソファーに横たえられたメイドの目が開いている。
「エ・メス、お、起きたのか? 死んでなかったのか?」
「ご主人様……。わたくし、緊急時でしたので、予備電源が作動いたしました……」
「よびで……な、なんだそれ? とにかく助かったんだろ?」
「……いいえ。三分後にわたくしは、全ての動作を……停止いたします」
いつもと変わらぬ無表情で、エ・メスはそう言った。
『全ての動作を停止する』。その言葉の重みは大きい。
「それなら今、ゴシカを呼んでくるから。あの子なら何とか出来るかもしれないよな?」
「わかりません」
いつになく言い淀みもなく、メイドはきっぱりと言い切った。
「ご主人様……。わたくし、もしもこの状況においても、いつもの様にドジを踏んでしまい……判断を誤ってしまいましたら、大変申し訳ございません……」
横たわったままエ・メスは、軽く頭を下げる。
「ひとつ、お願いがございまして……。わたくしに残された残り三分の時間は……ご主人様にお伝えしたい事がございますので……。どこにも行かず、ここで聞いていては……いただけませんでしょうか」
「えっ。えっと」
『残り二分です』
残り時間を知らせる声は、エ・メスの口の動きとは別に、彼女の体から発せられているようだ。
よく見ると、眼帯に覆われていない方の左目には謎の文字列が表示されていて、薄紫色に明滅している。
彼女の意志とは無関係に、何らかの緊急システムが作動しているように見えた。
「お話……いたしますね」
「は、話?」
「はい……。この度の、結婚にまつわるお話は……姫様が最初の提案者にございました。その真意はわかりかねますが、姫様が……このダンジョンの魔界勢の代表として、人間と結婚されることを……望まれたのです」
どうすればいいかわからず狼狽している俺を差し置いて、エ・メスは話を続けていた。
「ですが、それに異を唱えたのが……お医者様でした……。強い反対の構えを見せたのですが……姫様の決意は固く……。結果、お医者様は自らも同じく……花嫁候補として名乗りを……上げることになりました……」
「……なんでそんな話を……今、してるんだ? エ・メス?」
淡々と語る彼女に俺が向けることが出来たのは、そんな些細な疑問ぐらいだった。
「ご主人様とお話ができる……これが、最期だと……思うからです」
緊迫感も感慨もなくエ・メスは告げるが、決してそれは、嘘や冗談などではないだろう。
「お、おいおい。そういうこと言うなよ。体のどっかが辛いなら、喋らないで休んでてもいいんだぞ」
「ご主人様……これがわたくしの、一度だけのわがままになると……思います。お願いいたします……このお話、最後までお聞き下さいませ……」
「い、いや、だからさ。やめてくれって。俺、どうしたら良いかわからなくなるじゃないかよ」
『残り一分です』の声がエ・メスの胸から響いた。悠長に困惑している時間すら、あまりない。
彼女の瞳の文字列は、変わらぬ明滅を繰り返している。
その無機質な明滅と同じように、メイドゴーレムは抑揚なく、話を続けた。
「姫様と、お医者様が、花嫁候補に名乗り出ましたので……。ダンジョン内の勢力の、均衡を保つために……。わたくしも花嫁候補に、立候補する運びとなりました。大旦那様の、ご命令です……」
「勢力の、均衡……?」
「はい……。三すくみとなっておりました、ダンジョン内での勢力は……人間との結婚により、バランスを崩すだろうと見込まれておりました……ので……」
話を聞いている最中に、俺はあることに気づいた。
エ・メスの左目に光る文字列のうち、一定の規則を持って変化している部分がある。
これは恐らく、数字だ。カウントダウンが、彼女の瞳で行われている。
このカウントダウンが終わった時、一体この子は、どうなるんだろう。
「待てって。これ、どうにかならないのか? なあ?」
詰め寄る俺の手を握り、エ・メスは首を横に振った。口を開き、なおも話を続ける。
「わたくしはただ、大旦那様のご命令を受け……対立候補として、立候補をいたしました……。ですが……ご主人様や……姫様……お医者様……。皆様の日々のお世話をし……共に暮らすこのお屋敷……。とても楽しゅう……ございました……」
彼女は、消え入りそうなほほ笑みを向けてくる。
左目のカウントは既に、一桁になっているようだった。
「わたくし……まさか、こんな気持ちに……。なるだな……て……。思いませ……でした……」
「お、おい! エ・メス?」
「少……々……複雑に……ござ……ま……す……。グ……ルーム……さ……」
話の途中で、カウントダウンは、終わってしまった。
エ・メスの言葉も同時に止まった。
開かれた左目には、もう、俺の姿が映っているだけだった。
動かなくなったメイドは俺の手を握り、ソファーで横になったままだ。声をかけても、手を握り返しても、反応はない。
ただただ、俺は、呆然としていた。
するとその時、エ・メスの左目に、一つの単語が浮かび上がった。
目映く輝くその言葉は、単語の中のある一文字に、薄紫の光を凝縮させていく。
一点に集まった光は、物理的に形をなし始め……やがてそれは小粒の紫水晶となって、瞳から零れ落ちた。
まるで、笑い顔の彼女が残した、涙みたいに。