家政婦は見た
ゴシカの横顔は、わずかに憂いを帯びていた。
女神官ボウに、神の子フィルメクス。立ち去る二人組の姿を見送った後、彼女は一転、いつもの笑顔に戻って俺に話しかける。
「ふー……なんとか……ごまかせたね!」
「あ、うん。なんとかなったね」
王宮騎士団から派遣されたらしき二人組は、このダンジョンから姿を消した。
これが良いことなのか悪いことなのか、俺にはうまく答えが出せない。
でも、脱出しようにも悪魔の契約が邪魔してくるし、ゴシカはとても喜んでいる。
まあ、これでいいかな。今は……これで。
「てんて、てん、て、て、てー」
緊張感のない声が、俺たちの背後で聞こえた。この声はエ・メスの声だ。
振り返るとそこには、立ち上がってメイド服についたほこりをはらっている、エ・メスの姿があった。
「エ・メス! 動いて平気なのか?」
「余計なご心配をおかけしまして、大変……申し訳ないです。わたくし……再起動により、復帰いたしました……」
「へ、へえ。なんだかよくわからないけど、体は大丈夫なの?」
「姫様の……魔法による処置に助けられました……。まだ無茶は出来ませんが、動くだけでしたら……問題ございません……」
「そっかー、良かった!」
「先程の……あの方々は、どうされましたでしょうか……」
「ああ、あの二人組? なんだかノーライフ・クイーンを探してるみたいな様子だったけど……。俺とゴシカで適当にごまかしたら、帰ったよ」
「それは……良かったです……」
「ホント、助かっちゃったよグルーム! バレなくてよかったー! バレたらたぶん、すごい戦いになっちゃってたから」
「あの連中と、ゴシカが、戦い? 無傷でエ・メスを倒すような転生チートと、戦うなんて……。あんまり想像したくないな……」
ここで結婚相手を選んでいるのも中々に命の危険を感じるが、化け物スペック同士で戦い合うのも、同様だ。
そう考えると、下手にダンジョンの情報を渡さなかったのは、賢明だったかもしれない。ここで一大決戦なんてことになったら、逃げ出そうとする前に、激しい戦いの巻き添えで死んじゃいかねないもんな。
目にも止まらぬスピードで踏み込んできた、あの一撃。もう一度同じような剣戟を浴びせられたら、俺は……受け止めきれるかどうか。
「ですが……ご主人様。わたくしはあの方々に倒されたわけではございません……」
「……え? エ・メスを倒したのって、あのいけ好かない感じの騎士団の男でしょ? 転生チートの、フィル……なんだっけ」
「フィルメクなんとかさん!」
「ああ、フィルメクスだ。何でゴシカそこまで出て、最後の一文字だけ出てこなかったんだ」
「その、フィルメクなんとかさんが……危険でしたので……。わたくしがお守りした形になったのです……」
「エ・メスが守った? アイツを、危険から? 何だそれ」
俺の疑問に対し、エ・メスはここで起きたことを、振り返って教えてくれた。
「この魔窟に、人が入り込むことは……稀でございます。昨日ご主人様が足を運んだのが、恐らくは数年ぶりの来客ではと……」
「へえ、そうなの? ゴシカ?」
「うん。死んでる人と死にぞこないの人はよく来るけど、生きてる人は全然来ないよ!」
「魔窟にみだりに生者が踏み入ることは……管理者の怒りを買うことになってしまいます……」
「管理者って言うと、ダンジョンマスターのスナイクとゴンゴルか」
「いいえ……リッチー様にございます……」
「リッチー様?」
「ほら、あたしの魔術の師匠! リングズ先生だよ!」
「ああ、そんな不死者がここにいるって、昨日聞いたね」
「魔窟を脅かす生者の存在に対し……リッチー様が、大変お怒りになりまして……。魔窟の奥地の研究室より……死の波動が、放たれました……。わたくしはその衝撃から、あの方々をお守りするために、盾となったのです……」
背中を見せるエ・メス。肌がむき出しになっているメイド服のおかげで、痛ましい傷跡がひと目でわかった。
「じゃ、じゃあエ・メスは、あの連中をかばったってこと? そのせいでこんなにダメージを負ったのか!」
「はい……」
「そっかー。リングズ先生怒らせると怖いもんね。それなら、納得! エ・メスも一発でふっとばされちゃうよね!」
「い、いや、だとして何でエ・メスはあんな奴らをかばったんだよ? 別に身代わりになって魔法を受ける必要はないだろ?」
「わたくし、ご主人様を守るために……ただいまオートガードモードに設定されているのです……。誰か人間が危機に立たされた場合、全力でお守りしろとのコマンドを……大旦那様に入力されておりまして……」
「そんな仕掛けがしてあったのか……! まあでもそうか、このダンジョン内だと俺とスナイクぐらいしか人間いないし、オートガードにしてても問題ないのか。あとはせいぜい、因幡とピットぐらいのもんだしなあ」
「盗賊の方は……オートガードから、名指しで除外されております……」
「そ、そうなんだ。あいつだけ何で特別扱いなんだ。ジジイどもの地味な嫌がらせか……?」
「そういったわけでございまして……。あの方たちのレベルでしたら、わたくしでもご主人様をお守りすることは、可能だとは思われます……」
「転生チート相手に、そこまでの自信があるの? それは言いすぎなんじゃないの、エ・メス?」
「どうでしょう……。わたくしが相対した様子ですと、チートと言うほどの実力はなさそうに感じましたが……」
これはエ・メスがすごいのか、転生チートが意外と大したことがないのか。それともあいつらがちょこちょこ口にしてた、限定解除がどうのこうの……って話が関係してるのか?
実力を発揮出来ていないようなことを、何度か言っていたような気がする。
でも、実力を発揮出来てなかったとしても、あの一瞬の踏み込みと剣の重みだ。それを超える本気があるのだとしたら……恐ろしいことだよな。
まあ、いいか。どうせ多分、もう彼らに会うこともないだろう。
次に会うとしたら、俺が出世して王宮騎士団に入った時だな。
「……ん? じゃああの、倒された屈強の悪魔とかは何だったんだ? アンデッドたちも逃げ惑ってたよね。悪魔たちはその程度の力しかなかったってことなのかな」
その疑問には、ゴシカが答えてくれる。
「たぶんそれは相性だよー。あの騎士の人、自分の身長と同じぐらいの、でっかい銀の剣持ってたじゃない? ああいうので斬られると、悪魔とか死者とかの魔界勢は弱いんだよねー」
「あー、なるほどなあ。聖錬された武器には弱いか」
「逃げてたアンデッドたちも、ターン・アンデッドのせいじゃないかなあ? あたしはその場でくるくる回るだけで済んだけどね」
「実際にアンデッドが祈られると、あれぐらいの勢いで逃げ出すハメになる、ってことか……。完全に正気じゃなかったもんな。普段から正気じゃないけど」
「脳みそ足りてない子たちが多いしね。そういうあたしも頭良くないけど!」
「わたくしも……似たようなものですが……。機械仕掛けなのに、残念な頭です……」
「頭の悪さ自慢はやめよう。俺だって頭は良くないから、言いあってても悲しくなるしな」
「知識と教養につきましては……お医者様に、一任ですね……」
「そうだねー。頭使うことは、レパルド任せだよねー。ここにレパルドがいたら、『わたしの頭の良さはワータイガーの歴史を変えうるだろうな』とか、ふんぞり返ってるよきっと!」
「うおっ、ゴシカ似てるな! レパルドの真似」
ダンジョンに訪れた危機。暴れまわる冒険者。倒れた最強のゴーレム。
そうした状況を想像していた俺の、緊張の糸が切れたせいなのかもしれない。
それとも、頭の悪さ自慢の流れから出てきた、ゴシカのモノマネのうまさが、招いたのかもしれない。
俺は、笑った。俺たちは笑った。
魔窟の端っこで、三人で、笑った。
「ねえ、見て見て? 『品はどうだか知らんが、学はあるぞ。ついでに言えば乳房も尻もだ』。どう? どう?」
「似てる! レパルドの声だ! ははははは!」
「そっくり……すぎますよね……ふふふ……」
「あはははははー! なんか、たのしーねーこういうの。レパルドもいればよかったのに」
「……そういえばお医者様は、どこでどうされていらっしゃるのでしょうか……? せっかくの楽しい場ですのに……」
「ああ、あいつならまだ、屋内ドームにいるんじゃないかな?」
「なんですと! 全く役に立たん連中ですぞ!」
話に割りこむようにして瓦礫の下から聞こえてきたのは、聞き覚えのある声だった。
「この……お声は……」
「……瓦礫、どけてみようか」
「うん、待っててね」
先ほどと同じように、ゴシカがぽいぽいと瓦礫を掴んで放り投げていく。エ・メスも手伝おうとしていたが、体の節々から変な煙を吹き出していたので、引き止めておいた。
かくして瓦礫の下から出てきたのは、一つ目生首と一つ目黒猫と一つ目蝙蝠の、つぶれたものだった。