ぷろろーぐ1
暗い闇の中で、上が見えぬほど背の高い扉が開く。
闇より深い闇の中に、無数の星のようなまたたきが、ちらちらと光っている。その中に、巨漢がぬうと入り込んだ。
ガシャッ
重厚な鎧を身に付けた、濃い茶色のひげ面の兵が足をそろえて報告する。
ただ、その額とこめかみに、合わせて3本の太くよじれた角があった。
よく見れば、薄青い瞳に揺らめく炎のような影が動く。
山鬼族と呼ばれる、山岳地帯にすみつく人ならぬ種族、『魔族』である。
この山鬼族は、角の本数が力の象徴であり、子供の時は1本しか角が無い。
大人でも2本の角を持つ者は、それのいる集落を代表する力を持つ。
そして、この者のように3本の角を持つ者は、全体を動かすだけの力を持つ族長になることが多い。
「敵兵、ラベルタ、ログロド、インギリダル、グェーデン、イスイ他各国より侵攻、総計20万。」
人間各国の軍隊が、魔の領域を目指し、巨大な連合軍を組んで来ていた。
巨大な大陸アグレイシオ。
果てしない未開の大陸の中、沿岸部にはおびただしい国家が生まれては滅び、栄枯盛衰を繰り返す。
だが、その奥の未開の大地には、いまだ人の踏み入れぬ広大な『魔の領域』があった。
果てしない『魔の領域』に対し、各国は何十年も小競り合いを続けていた。
少しずつ、少しずつ、浸食するように食い込み、領土を広げていた人間たちに、20年前突如立ちはだかったのが魔王である。
それ以来、一歩進めば三歩撃退されるように追い散らされ、どうしても人間の領域は広がらなくなった。魔族からの被害はおぞましいばかりの噂と共に広がり、魔の領域近くの者たちは、恐怖に怯えて暮らすより無かった。
そして、ついに人間は連合して立ち上がったのである。
山鬼族の野太く力にあふれた声は、端的に、事実を事実のみ無駄なく報告する。
だが、わずかに隠しきれぬ愉悦が、声ににじんでいた。それでなくとも山鬼は好戦的な種族なのだ。この男も大戦を前に、悦び勇んでいた。
暗く広大な部屋は、その太く大きな声を吸い取ってしまう。
闇にまぎれ、果てが見えぬほど広い部屋。
その部屋の中心、深紅の分厚いじゅうたんが、邸宅を丸ごと敷き詰められるほどに広がり、さらにその真ん中に闇色に輝く玉座があった。
霊精石と呼ばれる、闇の中でほのかに光る石がある。濁った灰色やいくつかの色が混ざりあった石もあれば、青や黒の石もある。
中でも、澄み切った黒の石は、中で光を乱反射し、無数の星がちりばめられた夜空のような輝きを持つ。
その価値は宝石に等しく、色が黒ければ黒いほど値打ちも跳ね上がる。
玉座の闇色の石は、まさに人の目に触れたこともないほどの、澄んだ黒。そして無数の星々のような輝きを帯びて、ため息の出るような美しさだ。
ましてや、これほどの巨大な玉座の石となれば、どれだけの価値をまとうのだろうか。
とても人間に考えられるようなケタではあるまい。
「そうか・・・人間どももようやく鈍い頭を動かし、重い腰をあげおったか。」
高い、美しい響きを持つ声が、闇の部屋に響いた。
豪奢極まる金髪が、闇の中に恐ろしいまでの黄金の輝きを放ち、真っ白く血管すら透けて見えそうな肌になだれ落ち、黒い細身にぴったりしたドレスを、鮮やかに彩る。
それを抑え、整えるティアラは、銀とダイヤを無数にちりばめ、繊細にして驚愕華麗の芸術品であるが、何をどう比べようと、この黄金の奔流のような金髪には太刀打ちできそうにない。
だが、さらにその下の天与の美貌は、いかなる宝石や芸術品であろうと、比べるべくもなかった。
広い知性をまとう額と、すらりと伸びる鼻筋、細すぎず太すぎず、絶妙の形状を保つ。そして赤く濃く深い、妖気を帯びた大きな瞳は、あらゆる光を吸いつくすような深淵を秘めている。
やわらかなほほの膨らみと、絶妙のカーブを描く唇の凶悪な美貌は、その下に絶望の牙を秘めていると知ってさえ、なおかつ男なれば求めずにはおれまい。
ほっそりとした折れそうな首筋、まぶしいほど白い肌に、絶妙の陰影を描き出す鎖骨のくぼみ、ノースリーブの黒いドレスに、高いエリが伸び、むしろその繊細さを引き立てている。ドレスの真ん中は、へそ下まで大きく割れ、黒い細ひもがわざとのようにクロスして止めている。そのため、小ぶりだが美しい胸元の膨らみは、深い谷間を作り、身じろぎするたびに、柔らかそうにフルフルと揺れ動く。ドレスの内布は白い透きとおるねり絹であり、玉座で組まれた細く長い足は、ため息の出るようなラインを持って交差し、生唾をのむほどの妖艶さであった。
白く長い指が、そっと組んだ膝の上の丸い球をなでていた。七色に輝く宝玉は、彼女の指の動きに合わせ、次々と光を変え、その美貌をさらに照らし、輝かせ、飾っているかのようだった。
「ドーガン、そなたのしたいようにせよ。すべて許す。」
「ははあっ!」
『グルブルグスの悪魔』とあだ名される山鬼族の大族長ドーガンは、さっときびすを返すや、猛然と走りだした。
鍛え上げた全身の筋肉が躍動し、戦場で振われる力と血と暴虐の甘美を想像し、たまらぬほどの快感となって突き動かされていた。
魔軍は50万、人間の軍は20万。
総計70万を越える兵が、地を埋めてぶつかり合う。その光景を想像するだけで、戦好きのドーガンは興奮に全身がたぎりたつのである。
だが、魔軍は種族が入り乱れ、陣形や戦法はあまり使えない。補給を受けて戦う思考が出来ないため長期戦に向かず、装備もほとんど無い。人間は、補給と交代を巧妙に行い、弱い分装備を整え、防具を身につけ、簡単には傷つかぬ。実力的にはほぼ拮抗しているはずであった。
「さて、おまえらの用はなにか?」
ドーガンのでかい足音が聞こえなくなった頃、魔王の玉座に座する女性は、音も無く立ち上がった。
ヒザの上で撫でていた七色の玉石をそっと玉座の上に置く。赤い唇の両脇がニイィとつりあがり、赤い瞳が燐光を放つ。部下も控えず、警護も置かず、ただ一人闇に声をかける彼女から、周りが凍り、ピシピシと亀裂が走るほどの気配が膨れ上がる。人間どころか、魔族ですら失神しかねないほどの恐怖と圧力である。
「私の陰形を破るなんて、さすが魔王ね。」
ドーガンの出て行ったのとは、反対側の馬鹿げた大きさの門が、音も無く開く。その門にはこれまた異様なまでの太いかんぬき(大人でも10人がかりでないと動かせない、巨大な鉄と巨木のかんぬきである)が掛けられていたが、見事な断面を見せて切れていた。いったいどのような方法で切ったのか。
ゆっくりと開く門。
その正面に立つのは鷹のような強い目を持つ若者。栗色の髪と目を持ち、意思の強そうな眉と、大柄ではないが鍛え上げたしなやかさが、ただものならぬ気配をまとっている。
若者の左に立つのは、ほっそりとした身体に白い肌と長い耳を持つエルフ。白に近い金を帯びた髪をさらりと流し、アーモンド形の金色の目が強い光を放っている。美男美女ぞろいのエルフの中でも、めったに見ない美形であり、高位エルフなのかもしれない。草色のレザーアーマーに魔法金属ミスリルでかなりの強化を施した逸品を身につけていた。最初に声を上げたのも彼女だった。認識阻害の魔法や技術に属する『穏形』は、エルフの得意技でもある。だがその胸に下げられた聖印が、わずかに金髪の女の眉を震わせる。光の神の高位司祭が持つ聖印であった。
若者の右に立つのは、30代後半の長身の男。栗色のウェーブのかかった髪に、嫌味すら感じるほど整えられた白く長い口髭がやたらきまっている色男。こめかみからのびる波打つような二つの白い角を持ち、真っ白で恐ろしく重たげな鎧と大きな盾を持ち、右手には馬鹿げたサイズのバトルアックスが軽々と握られている。にこやかな表情とその角を見て、玉座の金髪の女性は、男が竜人種であることを察した。竜人種は、人間を遥かに超える体力を持ち、変化能力を使える上位種になると竜の鱗やブレスなどの特殊能力も発する。
エルフの左からずいと前に出たのは、小柄ながらビヤ樽のような体型のドワーフ。だがその体型を作っているのは、全てはち切れんばかりの筋肉である。アゴ全体を覆う黒ひげがにやりと笑った。竜人種にも劣らぬ重鎧と、かすかに光を放つこれまた巨大なバトルアックスを装備していた。おそらくこのバトルアックスはマジックアイテムであろう。
そして竜人種の影にひそむようにいる細い姿。黒髪に黒いローブをまとい、口元を隠すヴェール。見たところ30がらみの妖艶な女である。巨大な青い宝玉をはめたねじれた杖。何よりその身体から立ち上る魔力が尋常ではない。かなり高位の魔導師であろう。
彼らは、門が開くのを待っていたわけではない。
開いた瞬間から飛び込んできた。その姿と気配から、玉座の女性は全てを見ていた。
「滅びろ、魔王っ!」
鷹のような目の若者が、銀十字を刻み入れた聖なる剣を、光と一体化したかのような速度で振った。
その直前に、エルフの右手が放った光撃が、物理的な破壊力と日光の効果をもって打ち出され、ローブの女の放った『束縛』の力が、襲いかかって縛りあげた。
若者の動きは稲妻のようなラインを描き、幻惑の効果と無数のフェイントをまとい、襲われた者を無力と恐怖に陥れる。
だが、恐るべき連携プレイは、霧を切ったかのように宙を切った。
「霧変化か!」
「ちいいっ、情報通りかよ!」
リーダーである若者、アシュトン・クライストが瞬時にその理由を察し、竜人種が舌うちする。
彼らと、各国王家が必死に集めた情報が、最悪の推測結果と一致した。
『魔王は、最高位クラスのヴァンパイヤである』と。
「我、カーリィ・エルフォン・ブラブレイに、そのような技が通用するとでも?」
霧が人となって笑った。
魔族の王者と呼ばれ、様々な特殊能力を持つヴァンパイヤだが、最高位となると、霧や雨、影や霊体など、呪文すら唱えずに変幻自在に変化出来る。そのくせ、腕力、耐久力、魔力、精神力、けた外れに高いのだから、卑怯と罵りたくなるほどの手に負えない代物だ。
「しかたねえなっ!」
白ひげのダンディなおっさんこと竜人種のクレイ・ドラゴが、あごが外れたかと思うほど大きく口を開け、真っ赤な炎を吐いた。
竜族の特殊能力『ブレス』である。
彼のブレスは、単なる炎と違い、霧や霊体も焼く力がある。ただし、ブレスを吐く時の顔の酷さが、ダンディな彼としては死ぬほど嫌いだ。
カッ
黒いドレスと波打つ黄金の髪が、甲高い音と共に10メートルも横に飛んだ。
御影石の黒光りする床にヒビが走り、さらに細い爪先が軽く踏むようにして、次々と石のかけらを散弾銃のように撒き散らす。
カッ、カッ!
S字を描くように、その姿が真横に移動し、黒いローブの魔術師の横に現れた。
魔法でも何でもない、単なる力、瞬発力。ヴァンパイヤのけた外れのパワーを爪先に込めて、細い身体を飛ばしただけである。
並みの人間がこれをやれば、瞬間的な重力は人間の限界10Gを軽く超えてしまう。一飛びで心臓が止まりかねない。
そしてクレイがブレスで追えば、間違いなく仲間が巻き込まれる。
細い杖を振りあげるカーリィ。ぬらりと赤黒い金属が、奇妙な艶を放った。狙われた黒いローブの魔導師が、身動き出来る暇すら無く。
「ブレンダ、左だっ!」
クレイも竜人種、瞬発力とパワーはかなりのもの。魔導師ブレンダ・ルシェルの右側から飛び込み、そのまま盾撃をぶつけようとする。
ブウンンッ
空気が、破れる音が響いた。
「違うっ!、避けろおおっ!」
アシュトンの絶叫に、危機を察したのか、盾撃直前で盾から手を離し、左へ飛んだ。
ドガンッ!
重戦士用の分厚すぎる盾が、細枝のような杖の一撃にひしゃげ、飛んだクレイをわずかに巻き込み、ぶっ飛んだ。
ドスンッ
ドワーフのガンロック・ディアスが、がっしと踏ん張り、神力の助力も得て何とか止めた。
「な、なんだありゃあっ?!」
クレイの絶叫も無理は無い。カーリィの杖は、彼女の細腕よりもなお細い。長さも1メートルを越える程度。重戦士用の盾をひしゃげさせるなど想像もつかなかった。
「あの色、竜血鉄だぜ。見た目は細いが、おそらく俺の斧の5倍は重量がある。」
「なんだと!」
ガンロックの言葉に目を剥くクレイ。彼も竜人種なだけに、そのおぞましい金属の噂は聞いたことがあった。
竜の上位種の生き血を絞り、鉄を食わせる。イキのいい血は、鉄だろうと何だろうと混ざった金属や異物をどんどん熔かす。上位種の竜に武器を深く突き立てても、時間がたつと熔けて無くなるのはこのためだ。だが、本体から絞り取られた血はやがて死ぬ。その時固まった血を精錬すると、鋼鉄より遥かに丈夫で熔かした分だけ重い金属が出来る。これが竜血鉄である。しかも金属自体に魔力の増幅と、ドラゴンの属性、ダメージ吸収能力までついてくるという卑怯っぷり。
ガンロックのバトルアックスは、鉄兜でも一撃でひしゃげる。その5倍の質量をそれより軽々と振り回されたら、人間など一撃で原形をとどめ無くなる。
「どんだけ怪力なんだよ、あの女ぁ!」
ブウンッ!
空気が引き裂かれる音に肝を冷やし、クレイとガンロックは転がって逃げた。
「こらーっ、逃げるなあっ!」
エルフのビビアン・リージェスが怒って怒鳴るが、これは二人を責められない。
体勢の悪い状態で一撃を食ったら、間違いなく吹っ飛ばされて重傷を負うハメになる。
重戦士といえど、回避は必要不可欠の技術なのだ。
しかし、ビビアンも並みのエルフでは無い。怒鳴りながら強い風の魔法を放った。真空の刃『かまいたち』を混ぜた狂風である。いかに高速移動が可能のカーリィでも、範囲の広い烈風の中では制御が効かない。霧変化は風で飛ばされると、再生に時間がかかる。霊体に変わればおそらく光の属性の攻撃が飛んでくる。高速移動が出来なくなるため、竜人種のブレスも脅威だ。影に同化しようとした彼女を、風に乗るようにガンロックのバトルアックスが追った。だが、一歩及ばずガンッと石を割った。逃げられながら、にやりと笑うガンロック。彼は戦いの神の司祭でもある。あらかじめバトルアックスに施してあった呪文が、キーワードで炸裂する。
「光撃」
彼らとてベテランの冒険者。前もって集めた情報を無駄にはしない。叩きつけた腕力が、光に還元され、バトルアックスの全面があたりを真昼のように照らし出す。影が黒く浮き上がった。そこへブレンダから「光撃」に連携する魔法が放たれる!。
「破邪雷光!!」
ブレンダの溜めに溜めた魔力が、その瞬間を狙って解放された。キーワードと共に、ネックレスに仕込まれた宝石の一つが激しく光り、砕けて呪文を解き放った。長時間の詠唱を宝石に閉じ込めた圧縮呪文が発動する。光がさほど効果が無いことは、先ほどからの戦闘ですでに読んでいる。おそらくこの恐るべきヴァンパイヤは、ディウォーカーと呼ばれる昼間も動ける種族なのだろう。だが、この『破邪雷光』は、そんな最高位ヴァンパイヤといえどただでは済まない。
バリバリバリバリバリバリ
空気を引き裂く雷撃が、影を捕え、縛り上げて焼いた。
影の形状では、間違いなく引き裂かれる威力。霧変化は、本体からは自在にできるが、影や霊体から双方向には変化出来ないのだ。雷撃の鎖は、本体に変化し引きちぎるしか無い。
「くううううううっ!」
雷撃の鎖が、カーリィの手を、足を、首を縛りあげて焼いた。コンマ数秒のその瞬間。
「終わりだ!」
アシュトンの聖なる剣が、カーリィの心臓を捕えた。
始めまして、MORIGUMAと申します。
こちらで初めて投稿をさせていただきます。
不慣れですが、どうぞよろしくお願い致します。