最終話~下水道~
あの出来事から数日がたった。あれ以来、田原さんとは一言も口をきいていない。なんなら、避けられてさえいる。当たり前か…。
俺はそんなことを考えながら、授業を受けていた。
「キーンコーンカーンコーン♪カーンコーンキーンコーン♪」
「起立」
授業が終わり、先生が挨拶をすませた。今は昼の放課。つまり飯を食う時間だ。俺は自分の弁当を机に広げる。なにか違和感を感じたが、気のせいにした。
「有明飯食おーぜ」
「うん、いいよ」
「おっ、やっとタメ口で話してくれたか。そっちの方が良いぜ」
「だ、だって、佐々木くんがそうしろって言うから…」
「まあな、えへへ。やっぱ、可愛いなお前」
「もう、なにを言って…」
「そうよ、軽々しく有明ちゃん口説かないでくれる?」
「バレたか?あはは」
俺は引き裂かれそうなこころを必死で無視しながら、鉛のような飯を胃に入れる。うん、うまい。やっぱり卵焼きはちょっと甘い方が良いな。
「あっ、そうそう」
「なに?」
「今日もカラオケ行こうぜ?」
「良いね」
「あたしはパス金ない」
「そっか。有明は?」
「わ、私は…」
「なぁ、良いだろ?行こうぜ?」
「え、あ、うん。行く」
「おっし、決まりだな」
ご飯も良い感じに炊かれてる。こうでなくっちゃ。うまいうまい。
俺は弁当の中身を大分残して、弁当箱を鞄の中に仕舞った。午後の授業まで結構時間があるため、俺は何をしようかと考え始める。
「ねえ」
トイレで残り時間を過ごすのは無理だな。
「ねえってば!」
でもこの学校図書館ないからな。どうしたものか。
「こらっ!」
「痛っ!」
突然頭を叩かれた。誰かと思いながら、叩いた本人に目をやる。
「なに?」
「ちょっと話があるの。ついてきて」
そう言うと山口さんが俺から離れて行き、教室を出た。
あっ、そうだ。屋上があるじゃないか。そこなら、誰も来ないし、平和に休みを過ごせるぞ。
「ついて来いって言ってんの!」
「あ、はい!」
俺はスッと立ち上がって、山口さんの後に続いた。階段を登り、屋上に出る。風が強く吹き荒れる。こんなところでなんの話だろう。
「矢澤君」
「ん?」
「あなたこの前、何でも願い事聞いてくれるって言ったよね?」
「まあな」
「なら、ここで言うわ」
「ああ」
山口さんは風になびく髪を押さえながら真剣な眼差しを俺に向ける。
「一発殴らせて」
「ああ、良いぐっ!」
山口さんの拳が俺の頬にめり込んだ。
「よし、スッキリした」
「良かったな…」
「うん、一回人を殴ってみたかったの」
「そ、そうか…」
こいつはマトモじゃない。
「あっ、そうそう。後、ここ最近どうして田原さんとはあんな感じなの?」
ついでで聞いてきたなこいつ。
「話はもう無いようだな、俺は教室に戻る」
「待って」
俺は屋上から出ようと扉に手をかけた。
「襲われたって言うよ?」
かけたまま手が止まった。
「な…に?」
「答えてくれなかったら、屋上で矢澤君に襲われたって言う」
「お、お前!」
怒りが沸いてくる。しかし、無理やり押さえつける。
「好きにしろ…」
もうどうでも良い。俺は扉を開ける。
「し、心配なの!」
「前にも言ったろ?ちゃんと仕事はす「そうじゃないって」
俺はため息をつきながら山口さんに目をやる。
「だって、この前まであんなに仲良かったじゃない。毎日弁当一緒に食べて、いつも一緒にいて…。喧嘩でもしたの?」
「喧嘩なんかじゃない…」
「じゃあ、何なの?」
何で赤の他人のこいつにこんなことを言わなきゃならねえんだ。めんどくさい。
「もう、俺に関わるなって言った」
「矢澤君が?」
「ああ」
「何で?」
「聞く必要あるのかよ」
「この前の田原さんをクラスの人気者にするって言った事と関係あるの?」
「……」
「な、なるほど…」
山口さんが何か納得がいったようだ。良かった良かった。やっとで解き放たれる。俺はもう一度扉を開けた。
「矢澤君はそれで良いの?」
数日前のあの日の出来事が頭を過った。観覧車が揺れる時の感覚が俺を襲った。
「良いわけ無いだろ…」
もはや、届くことは無いが、俺は後悔から本心を口にした。
「ならどうして?」
さっき納得いったんじゃねえのかよ。糞めんどくせえ。
「お前にだってわかるだろ。俺は皆から嫌われている。いや、自惚れすぎだな。俺の存在も知らないやつの方が多い。まあ、言わば俺は底辺中の底辺。最低って訳だ。そんな俺と今の田原さんとが一緒にいてみろよ…。無条件で田原さんが嫌われちまう」
「だから、遠ざけたの?」
「そうだな」
「……矢澤君は田原さんのこと好きなの?」
「昔はな。今は違う」
「本当に?」
「ああ」
山口さんは内心納得いってないような様子であったが、もうそろそろ休みの時間が終ると思いだし、諦めたように肩をすくめた。そして、山口さんがこちらに向かって歩く。俺を通り過ぎる頃に「素直になった方がいい」とだけ言い残し、この場を後にした。残されたのはやるせない気持ちに囚われている俺とやたら強調してくる風だけだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
授業がすべて終わり、一人で自宅に戻る。家に入り、部屋まで重い足を運んだ。途中母に夕飯作られないから、適当に外で済ませてと言われたが、生返事をするだけで済ませた。部屋の扉を開き、入る。そして、なぜか鍵を閉めた。ベッドに腰掛け、そしてそのまま寝転ぶ。布団をかぶり視界を遮断させた。一人ぼっちの真っ暗闇のなかでは思考だけが働くことを許されている。だから、いろんな事が無意識に頭をよぎる。まず始めに彼女がカラオケに行っている姿が浮かんだが、すぐに頭を振ってそれを消す。しかし、またすぐに今日の昼の事が浮かんできた。タメ口だったな…。って、何を言ってんだ俺は。そうしろって言ったのは俺だ。なに女々しく被害者ぶってんだ糞野郎!キモいんだよ!こんなの俺じゃねえ!
俺は布団を勢いよくぶっ飛ばした。再び視界が戻ってくる。
「………なにやってんだ俺」
糞、こんなことなら最初から人を好きになるんじゃなかった…。こんなに苦痛を味わうのなら、あの時声なんて掛けるべきじゃなかった…。初めて親父が正しいと思った。
名の通りずっと一人でいれば良かった…。何も得られない代わりに、何も失わない。そんな状態から抜け出したくて、欲を出さなければ…。いや、もうよそう。後悔すればするほど惨めになってくる。だから、腹を決める。
と言うか、そもそも田原さんは俺のことどうも思っていないから、こんな状況にならなかったとしても俺の想いは届きはしないと考えれば良い。
――じゃあ、なぜあのとき涙を流した?
関わるな何て言われれば誰だって悲しいからだ。
――俺のことを好きだって…
あの時は俺を励ますためだ。他意はない。
――本当にこのままで良いのか?
良いに決まってる。少なくとも俺と一緒にいるより、他の男といた方が彼女は幸せになれる。彼女は優しくて、可愛い。内気なくせに表情豊かで、何よりも、笑顔が眩しい。そんな彼女ならすぐに俺よりもっと良い男と出会えるはずだ。家庭を持ち幸せに暮らせる。俺なんかといる時間が勿体ないんだ。俺はあまりにも彼女と対照的すぎる。なんも取り柄もない下衆だ。下水道を流れていって、糞と一緒に川に流された方が良い存在だ。しかし、彼女は違う。どんなわけか中学でいじめられたせいで本当の自分を出せずにいた。だから、他の人から遠ざかられ嫌われていただけだ。それを直せば人に好かれる。しかし、俺は違う。俺は根から人に嫌われる存在だ。元から釣り合わない。だから、俺は一緒にいることを望まない。
――嘘つけ。
嘘じゃない。
――本当はずっと一緒にいたい。
「うるせえ!」
「えっ?ちょっと一人どうしたの?」
ヤバイ。声が出てしまったようだ。
「い、いや、何でもない。ごめん姉ちゃん大声出して…」
「いや、別に良いけど、悩みがあるなら聞くよ?」
「いや、大丈夫…。ありがとう」
「そ、そう?何かあったら言いなさいよ」
「ああ、ありがとう」
足音が遠ざかる音が聞こえた。
本当、俺どうかしている。
グーと急に腹の虫が鳴った。飯がないことを言われたことを思いだし、俺は家からでた。近くのラーメン屋を目指しながらとぼとぼ歩く。気分ばらしに星一つもない空を見上げ、これもまた良い等と呟いてみる。君にもわかるか何て誰かに言われることを期待しながら歩いていたが、それは叶わずに、俺はラーメン屋についた。扉を開け、店主から歓迎の声をもらった。空いているカウンターの席に腰を下ろし、チャーシューラーメンを注文した。全く興味のそそられないテレビ番組をぼーと見ることにした。テレビの音は料理の音に消滅されていたが、それでも俺はテレビを見ることを止めはしなかった。音も、何なら映像でさえ、頭に残ることはなかった。しかし、俺はテレビを見続けた。
「へい、チャーシュー」
俺はその声でビクッとした。そして気づけば目の前にはラーメンが置かれていた。割り箸を取り、割る。ずるずると麺をすする。熱い。しかし、なぜか俺は更に麺を口に運びたくなった。熱い。更に運ぶ。熱い。…そんなことを繰り返しているうちに完食されたラーメンが置かれていた。もう用もないので勘定払って店を出た。ヒリヒリする舌で俺は浅はかな期待を抱きながら、家に帰った。そして、すぐに部屋に行き、寝ることにした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
いつもの時間がやって来た。一日で一番嫌いな時間。俺は自分の弁当を机に広げる。
「有明歌うまいよな。昨日なんてほとんど80オーバーだったし」
「い、いや、そんなことないよ…」
「そんなことあるって!」
「佐々木くんだって歌上手だよ」
「そうかな…?へへへ」
「うん」
「なんだお前らできてんのか?」
「お、おい、茶化すなよ。別に俺らはそんなんじゃ、なあ?」
「え…、うん」
「有明ちゃん赤くなってる。可愛い」
「悠太まで赤くなってるぜ」
「う、うるせえ!」
タコウィンナーか、良い年なんだからこんなもん息子に食わせんなよな。帰ったら母さんに文句言ってやる。
「そうだ、今日は遊園地に行かね?」
………。
「おっ、良いね!有明も行くだろ?」
「うん、行くよ」
……っ。
「そっか、んじゃあ一緒に帰ろうぜ?」
「え…、うん。わかった」
「やっぱりお前らできてんじゃねえか」
「だから、茶化すなって」
「あはは、わりい、わりい」
笑い声が聞こえる。
まあ、なんだ…。楽しそうで何よりだな。あの人はもう苛められることは絶対にないだろう。それどころか友達や彼氏候補までいてすごく楽しそうだ。良かった良かった。すべてうまくいった。等と喜びに浸りながら、俺は
吐き気がしながら弁当箱を鞄の中に仕舞った。そのあと、することがもちろんなかった俺は、屋上で強い風に当てられて時間を過ごした。腰を下ろし、町を見渡した。不規則に家やら店が並んでいた。俺の家はどこかな?俺はこの好奇心がままに自分の家を探した。ある一点に目を行かせないように気を付けながら、執拗に自宅を探す。しかし、いくら探しても見当たらなかった。少し欲求不満になりながらも、時間を確認した。まだ、時間があるな。俺は寝っ転んで、空を見上げた。しかし、思っていたより太陽が眩しかったので目を閉じることにした。暖かい日の光とちょっと強いが心地よくも感じる風。その二つが揃っている以上、眠るのにはそう時間が掛かるものじゃなかった。
「キーンコーンカーンコーン♪カーンコーンキーンコーン♪」
「んっ…」
昼休みの時間が終わったのか。俺は屋上から出て、教室に向かった。扉を開き、教室に入る。
「誰だお前?」
扉開けて、出頭そうそう佐々木?と田原さんに出会う。どうやら、すれ違いのようだ。
「……」
俺はスッと二人が教室から、出られるように道を開けた。
「誰だって聞いてんだよ」
しかし、女の前だからかは知らんが、佐々木が必要以上に俺に絡む。
「も、もう、良いよ、行こ?」
「有明は黙ってくれ。俺はこいつと話してんだ」
佐々木は一度田原さんに目をやって、そして、俺を睨み付けた。俺は怒りが沸いてくるのを容易に感じた。
「や、矢澤一人…」
しかし、それに従う訳にはいかなかった。
「なに?聞こえねんだよ!?」
佐々木が急に大声をあげて、クラスの皆から注目される。ふと、入学式もこんなことがあったなと思い出した。もっとも、あの時の方がまだ、気持ちの整理がつきやすかったがな。
「…矢澤一人」
「やっぱ聞こえねえ」
「おいおい、悠太そんぐらいにしといてやれよ」
「そうよ、いくらなんでも、その…、そいつが可哀想よ」
「ちっ、しょうがねえな。どけっ!」
俺は理由もなく、押されドンと音を出しながら背中を壁にぶつけた。
「行こうぜ?有明」
「えっ、あ…」
「そんなやつ気にすることねえよ」
「う、うん…」
バンと扉が閉められた。俺は平然を装い自分の席に座った。時計を見て気が付いた。今はもう放課後なんだな。ちょっと寝すぎたみたいだ。
……帰るか。俺は鞄を手に取り、教室を後にしようとする。
「あっ、矢澤くん。今日委員会の仕事があるの」
そう言って、山口さんに呼び止められる。
そうだったのか。気が紛れそうだな。まさか、委員会の仕事に感謝する日が来ようとは思わなかったな。俺は再び自分の席に座り、時間が過ぎるのを待った。教室に残っていた人達がちらほらと去り、山口さんだけが残っている状態となった。
「今日の仕事は?」
「いつもと一緒」
俺は首を縦に振った。いつもと一緒ならプリントの整理だな。俺と山口さんは向い合わせに、机をくっつけた。そして、椅子に座って作業を開始する。いつもと変わらないこの時間を俺はちょっと嬉しく思った。紙を束ねてホチキスでとめる。この単純な作業のなかに、今の俺は生き甲斐でさえ見出だしていた。始まってから随分時間がたったように思われるが、時間を見たら実際そうでもなかった。
「気になる?」
「何が?」
「私が何で遊園地に行ってないか」
そう言えばこいつも誘われていたっけな。確かあの時は行くって言ってなかたか?そうか。
「仕事を優先するなんて尊敬する」
「違うよ、本当は今日委員会の仕事なんてないから」
なんだと…。
「なぜ嘘をついた?」
「実はね、遊園地に行かないのは私だけじゃないの」
「そもそもなぜ山口さんは行かない?」
「みんなと同じ理由」
「それは?」
山口さんは一旦間をおく。チクタクと時計の音が耳に入る。俺は不安と焦燥に駆られる。しかし、至って気にしていないふりを続けた。
「この遊園地のお誘いはね、元から二人だけにするためのものなの」
嫌な予感がしながら、取りあえず的中しないように祈った。
「その二人は?」
「佐々木くんと田原さんよ」
しかし、俺の祈りは呆気なく失敗に終わった。
「そう」
俺は作業に戻る。
「その紙を束ねてもなんの意味もないよ」
そうだったな。俺は立ち上がり、帰宅するため鞄を取りに行く。
「矢澤君午後の授業来てなかったでしょ?その時、田原さんがかなりの頻度で君の居ない席を見てた」
「居なくなって清々してんだろ」
「矢澤君!」
「もう、帰る」
「待って」
山口さんが俺の手をつかんだ。
「まだ、続きがあるの」
「……」
「佐々木くんってイケメンでしょ?」
「お似合いのカップルだ」
一瞬山口さんの握力が増した。
「だからね、佐々木くんはモテるの」
「何が言いたい?あの人にふさわしいってさっき言ったよな」
「違うの」
面倒臭い。俺は前に進もうとする。しかし、山口さんが今度は両手で俺の手を握りしめ、それを阻止させた。
「佐々木くんもう彼女いるの!田原さんとは遊んでるだけ。それを回りのやつらが見て楽しんでる」
「なん…だと」
「田原さんは最初から遊び道具だっただけなの」
絶望が押し寄せてきた。次第に身体中の力が勝手に抜けていく。遊び…道具。ってことは田原さんは最初から友達としてあのグループ誘われていたんじゃなかったのか。佐々木の遊びに皆付き合っているという形になっていたのか。そんなの、そんなの…
「嘘…だろ…」
分かりきっているが、一筋の希望を期待しながら聞いてみることにした。
「違うよ」
しかし、これもまた呆気なくぶちのめされた。
「それに、佐々木くんは最初から遊園地が目的じゃないの」
「は?」
「ホテルに連れ込む気よ」
…………。
「矢澤君はそれで良いの?」
……なぜ俺に聞く?俺は関係ない。そもそも俺たちは友達であったかどうかすら怪しい。それに、そんなやつでも俺よりはマシだ。そいつが万一田原さんに乗り換えることだって考えられる。そうなればハッピーエンドだ。だから俺はもう関係無いんだ。俺はもう……クソッ!
――「良い訳ねえ」
俺は丁重に山口さんの手を腕からほどき、走って、校舎を出た。
先ずは、田原さんん家からだな。俺は全速力で田原さんん家に向かう。向かってる途中いろんな事が頭をよぎる。最初に飯を食った時、部活を一緒に決めた時、劣等感を感じながらも初めてのデートをした時、罪悪感を感じながら落ち込んでいた俺を慰めてくれた時、そして、遊園地に行った時。全てが俺の中に大事な思いでとして刻み込まれている。忘れようとしても忘れらない。何て言ったって世界で一番好きな彼女との思い出だから。もう、忘れようなんてしてやらない。もう、立場とか、幸せとかどうでもいい。俺が俺でも良い。俺は田原さんにずっと一緒にいて欲しい。
「はぁはぁ」
走ること十分田原さんん家の前までたどり着いた。インターホンをならす。
ガチャと扉が開けられた。
「あれ?矢澤さん?」
「お、龍神。姉ちゃんいるか?」
「えっ?いや、さっき出かけましたけど、矢澤さんとじゃなかったんですか?」
「違う…。どこに行った?」
「確か…駅の方に「わかった。ありがとう」
俺は乳酸付けの足に力を入れながら、駅の方へ全速疾走した。息は過呼吸ぎみで、足はもう、言うことをまともに聞いてくれない。それでも、気持ちは揺らぐことを知らない。そして更に十分走って、駅に着くことができた。辺りを見渡す。しかし、誰も居ない。なら、駅の中だ。俺は切符を買って、電車が走る駅の中へ行った。走りながら辺りを見渡す。そして、見慣れた私服姿の田原さんを発見できた。しかし、俺と田原さんの間には電車が走るレールが置かれていた。つまり、直線で田原さんのところにはいけないってことだ。俺は、どうしょうかとあたふたし始めた。しかし、そんな余裕はないな。電車が来ているのが見えた。恐らくあの電車に田原さんは乗るだろう。糞っ!どうにかして俺に気づけさせないと…。俺は恥じらいを押し殺し大声をあげた。
「た、田原さん!!!」
回りのやつらが俺を見るが知ったことか。こんな状況はもうなれたんだ。田原さんは俺に気づいてないのか電車が来るのを待っている。電車が来たらお仕舞いだ。もう、なら、もう一回だ。
「田原さん!!!」
喉を潰す勢いで大声をあげても、声が低いせいで中々聞き取ってくれない。このまま電車に乗ったらもう、俺は追い付けない。流石に走って追うのは無理だ。糞っ…。神様よ、いるかは知らんがもしいるのなら、頼む!今だけ…。今だけ、俺の声を田原さんに…
「田原「キーーーーン!!!!」
俺の声が電車の止まる音に消された。今、目の前には田原さんの姿が消され、電車の姿がでしゃばってきた。
終わった…。もう、追いかけられない。しかし、俺にはまだひとつ希望があった。
――電車が過ぎても田原さんがそこにいることだ。
俺は不安半分期待半分胸に抱き、電車が出発するのを待っていた。一秒がやたら長い。心臓の音がやけに聞きやすくなっている。緊張が最骨頂に達したとき、電車が動き出した。ゆっくりと前に進む。進んでそして視界から消えた。涙が頬を流れるのを感じる、手が震え、地面に膝をつく。もう一度さっきの場所をに目をやる。そして、涙が加速する。田原さんが…、田原さんが…。
――そこには居なかった。
絶望が身を包む。悔しさのあまり、歯噛み締めた。糞っ!糞っ!糞っ!糞っ!糞っ!糞っ!糞っ!糞っ!糞っ!糞っ!糞っ!いや、まだだ!まだだ!まだ終わりじゃない!諦めねえ!
俺は全力で地面を蹴って、感情がままに走り出した。駅を出て、近くの黄色い車に乗り込んだ。
「遊園地に!全速力で!」
「は、はい。わかりました」
いくらホテルに行くとは言っても、まず一回遊園地に行くはずだ。遊園地で田原さんの機嫌を取り、その勢いでホテルへ行くパターンだろう。俺は走りすぎたせいで気絶しそうな意識を堪えながら、焦燥がままに貧乏揺すりを激しくしていた。
「何があったんだい?よかったらおじさんに話してみな」
運転手が車を走らせながら質問してきた。
「好きな人に、好きって言いたい。しかし、うまくいかない」
「なるほどな」
心なしか、車の速度が上がった気がした。俺は内心運転手に感謝しながら、焦燥をおさめることに努めた。ここで焦っていても仕方がない。俺は外を見ながら、気分を変えることにした。しかし、思い浮かぶのは田原さんの顔だけだった。逆効果だな。焦燥が増す。
俺は色んなことを思い出しながら、景色を見ていた。そしたら、いつのまにかタクシーが遊園地に着いていた。
「あいよ」
「あの、少しここで待ってくれますか?」
「金がねえのか?」
「まあ」
「わかったよ」
「すみません」
俺は急いで車から出た。運転手は頑張れよと言って、車を出発させた。俺は涙腺が脆くなるのを感じながら、遊園地に向かった。ポケットに入ってる小銭をかき集め、チケットを買った。遊園地に入り、辺りを見渡す。田原さんのことだから、きっとジェットコースターにいるだろうと思い、そこに向かった。行列が見えて、一人一人確認したがそこには田原さんたちの姿はなかった。なら、次の場所だと思い、俺は走り出した。メリーゴーランド、コーヒーカップと探したが、居はしなかった。あまり、行きたくはなかったが、観覧車にも行ってみた。しかし、そこにも居なかった。なら、あそこか。俺はまたしても走り出した。そして見たくなかったものを見た。田原さん達がお化け屋敷に入っている姿だ。もしかしたら、田原さんはもう、佐々木の事が好きなのではないかと疑った。いや、俺とは入らなかったことから、もう察しよう。田原さんはもう佐々木に夢中だ…。しかし、それでも良い。それでも俺は自分の気持ちを伝える。キモいと言われようが、一生拒絶されたって良い。この気持ちを絶対伝える。俺は、お化け屋敷の出口で待つことにした。心臓が緊張で高鳴る。何食わぬ顔をしてここから立ち去りたい。しかし、そうはいかない。もう、誰かのためじゃない。俺自身のためにこの気持ちに終止符を打つ。
「田原さん」
「えっ?」
「うわ!」
お化け屋敷から出てきた二人は突然声をかけられて、驚く。
「ちょっとだけ時間をくれ…」
「あ、はい…」
「ちょ、なんだてめえは!?」
田原さんは承諾してくれたが、佐々木の方はそうはいかないらしい。
「すまんな。気持ちの整理がつけたいんだ」
「何言ってんだてめえ!」
佐々木が俺の服をつかんで自分の方に引き寄せた。
「なめんじゃあねえぞ?」
「だから、ちょっとで良いから田原さんと話をさせてくれ。そしたら、消える」
「ダメだ!」
そう言って、佐々木が俺の顔に拳をぶつけた。バランスが崩れ地面に倒れた。今ので、今までの嫉妬が怒りに変わった。服を払い立ち上がる。
「や、矢澤君!だ、大丈夫ですか?」
田原さんが、俺の方へ駆け寄ろうとするが、手のひらを見せて制止させた。好きな人の前だろ?俺になんか構うな。
「佐々木くん?だっけ?」
「あん?」
「遊園地が目的じゃないんだろ?」
俺は、田原さんに気づかれないよう敢えて遠回しな言い方を選んだ。
別に別れさせに来たわけじゃないからな。
「ぐっ。な、なぜそれを…」
「いくら好きな人の前で恥をかかされても、我慢してやる」
「はあ?」
「しかし、その人を傷付けることは許せそうにない」
「何が言いてんだ!?」
「つまり…」
俺は頭を下げた。
「二人目でも、何でも良い。田原さんを大事にしてやってくれ」
「…そうか、わかったよ。大事にするわ。だから、ここから消えろ」
「そうか…、ありがとう」
俺は二人に背を向けて、歩み始めた。
結局俺は最低だ。自分の気持ちもまともに伝えられなかった。でも、まあ、いいか。清々しい気分だ。田原さんも、これで幸せになるだろうし、俺は……、まあ、田原さんが幸せになるのならそれで良いと思う。俺は悲しみの中の嬉しさに内心スキップしていた。これで全てが元通りだ。俺のそばに田原さんはもういないこと以外。そう思うと、何故か涙が勝手に流れていった。しかも、尋常じゃないほどの量だ。
――「ま、待ってください!」
体が停止した。しかし、涙は加速する。
「ん?」
俺は平然を一所懸命装いながら、返事をした。泣き顔を見られたくないので、背を向けたままだ。
その背中に懐かしい感触が伝わった。俺は更に泣いた。
「ぐっ…な…なにを…している?」
「ずっと…、ずっと…ごうじた…かったんです…うっ…」
背中に濡れる感触が伝わった。俺は立っていられなくてその場にしゃがみこんだ。田原さんも、俺に抱きついたまましゃがんだ。
「お、俺…田原さんの…事が」
「は…い…」
「す、好き…なんだ」
「……わた…しも、私も…好きです。…大好きです」
今までに積み重なった嫉妬や怒りが全て消滅した。そのかわり、暖かい気持ちが俺の全身に響き渡った。
「俺…なんかで良いのか?」
「矢澤君だから良いのです…」
「あり…がとう…」
俺達はしばらくそのままで時間を過ごした。通りすぎていく人達には変な目で見られたが、不思議と全く気にしなかった。佐々木は馬鹿らしいと言ってさっさと帰っていった。時間がたって涙が枯れ、俺達は立ち上がった。冷静になってみて、ちょっと気まずい。
「べへ、ベンチに座る?」
「あ、はい」
俺達はベンチに座って、しばらく黙りこんだ。かなり時間が過ぎていたため、もう夕方となっていた。
「あ、あの…」
「ん?」
「怒ってます…?」
「いや、何で?」
「その…、佐々木くんと遊園地来ていましたので」
「……」
「で、でも、違うんです!矢澤君のお姉さんが言ってくれたんです」
「ん?」
「アドバイスもらったときに、とにかくいいえって言っちゃダメだって…」
なるほど、姉から人に誘われた時は断ってはダメって聞かされたのか。
「そうか…」
「いや、でも、これは言い訳ですよね…」
田原さんに目をやる。下を向いて、今にも泣きそうだ。
「すみません…。私…いっぱい矢澤君を…傷付けて…」
そして、ついに涙を流した。それが俺の胸を締め付けた。
「さっきも言ったはずだ」
「……っ…」
田原さんは涙を流すだけでいる。それでも俺は言葉を続けた。
「俺はどんなことでも我慢できる。でも、田原さんの悲しい姿はどうしても我慢できない…。だから、泣き止んでくれ」
「……うっ……うっ…」
田原さんは更に涙を流す。
「俺の話聞いてた?」
俺は半笑いで田原さんに聞いた。
「ち、違うんです…。嬉しくて…」
そうか。やっぱりあまり女心というものはわからないな。だから、これから学ぼう。
田原さんはまたしばらく涙を流していた。俺はそんな彼女をちらほらと見ながら、内心何故かホッとしていた。
「だ、大丈夫?」
「あ、はい。もう、大丈夫です…」
「そうか。んじゃ、帰る?」
「はい…」
なんとなく、田原さんが寂しく見えた気がした。
「それとも、なんか乗る?」
「えっ?」
「せっかくの遊園地だ。ジェットコースターに乗る?」
「うふふふ」
どこに面白い要素があった。俺は不思議そうに田原さんに目をやった。
「……っ」
すると、何故か目が合う。俺は照れに従って、そっぽ向いた。
「が、観覧車に…」
「わ、わかった…。行こう…」
「は、はい…」
俺達はしばらく歩いて、また、観覧車に乗り込んだ。スタッフが扉を閉め、二人きりの空間が強要される。それが更に俺の鼓動を高鳴らせた。
下以外見えない。
「あ、あの…」
「ん?」
突然田原さんが、声をかけてきた。
「あの…、その…」
田原さんの目線からして、なんとなく言わんとすことが理解できた。俺はからだの震えを必死で押さえながら、田原さんの隣に座った。コトッと観覧車が揺れた。そのせいか、田原さんが俺に体を預けた。肩と肩が触れあう。
「あっ、ごめんなさい…」
「………」
赤かった顔が更に赤くなる。
「た、田原さん…」
「はい…?」
俺は不器用に田原さんの手を握った。田原さんは最初こそ驚いたものの、握り返してくれた。俺は手の感触で安堵を感じながら、田原さんとの一生を少し眩しい夕日を見ながら誓う。
「や、矢澤君…」
「ん?……っ」
振り向い瞬間田原さんの顔が間近にに写し出されていた。そして、気づく。
「…っ…」
唇の柔らかくて暖かい感触に。田原さんにキスされたのだ。
永遠と感じられた時間が過ぎ、田原さんが真っ赤な顔で下を向く。俺は放心状態でいる。
「あ、あの…嫌…でしたか…?」
田原さんが恐る恐る俺に聞いた。
「き、聞くな…」
「……」
心臓の音がやけにうるさい。
「聞かなくてもわかるはずだ…」
「……」
田原さんはただ下を向くだけでいる。俺はまだ放心状態が解けていない。しかし、そんな中からもわかることがある。田原さんもきっとおれと同じ想いだろう。だったら、俺はいつまでも下水道を歩いている訳にはいかない。どこまで上に行けるかはわからないが、それでも目指す。いつか対等な立場で田原さんと付き合う。だが、例え対等になれなくとも、俺はもう、田原さんから離れない。いや、もう離れられる気がしない。
しかし、そうなると色んな不備を直さなければいけなくなる。例えば、お互いの呼び方とか。
「その…、あ、ああ」
「あ?」
「あ、あり…、」
「あり?えっ?」
どうやら俺が名前を呼ぼうとしていること気づかれたみたいだ。それでも俺は力を振り絞る。
「あり…、あ、…有り明り窓」
「はぁ…」
有明があからさまに落ち込むのが見えた。
この分だと名前を呼び捨てのするのは当分先のことになりそうだ。




